玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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カミーユの発狂について

TV版と同じくらい、「カミーユよかったねよかったね」と思いました。
えっと、僕がTV版の最終回を見たときの感想は、
http://d.hatena.ne.jp/nuryouguda/20050705/1120582926
http://d.hatena.ne.jp/nuryouguda/20050706/1120627307
みたいな感じです。カミーユが発狂したらへんについては、

●それで、カミーユが狂ったところは、どんな感想になるか自分でもドキドキしていたんだが。
なんか、ほっとした。
良かったな、カミーユ、おつかれさま。ってかんじ。
狂ったんだけどね。意外にも安心したよ。
この1ヶ月Zばかり見てて最終戦を一気に見たせいかなあ。

ずっとカミーユは張り詰めてた。ジェリドを殴ってから。
そんで、最終3話ではバイザー上げたりとか、いつ切れてもおかしくなかったし、ことあるごとに「自分の役目がわかった」とか死を念慮した発言をするから、クワトロ・バジーナが困惑するように僕もカミーユに何もしてやれん事を歯噛みしてたりしたので、狂ってよかった。

狂わなければ、カミーユ逆シャアのシャアとアムロのように戦いつづける事になっただろう。

シャアとアムロカミーユよりも理性的で、そしてニュータイプだったために狂うことも戦いに自分の使命を見つめすぎるのを止めることもできなかったんだなあ。

それに、シャアはカミーユがアーパーになった時は既に出奔していたのか?カミーユとこんな別れ方をしたシャアは可哀相だ。プレリュードダブルゼータで分かるのか?

●そんで、狂ってよかったことだが。

飛田展男氏も、「意外にも一番最後の台詞が一番安らげて楽だった。」とおっしゃってました。
そんな感じです。「彗星はもっとばぁっと、動くもんな!」の口調がすごく好き。

親に捨てられたり、ジェリドともめる前のカミーユの地がこれだと思う。
星を愛し、機械好きな素直な少年が本来のカミーユだと分かってすごく萌える。

カミーユ・ビダンはやっとカミーユ・ビダンに戻れたんだ。黒いガンダムを盗んでしまってクワトロと関わってから人生がメチャメチャになったカミーユが元に戻るには、これだけの経験をした上で狂うしかなかったんだ。
でもそれで良いと思うのでいいです。
これでカミーユは軍や争いから解放されて(ダブルゼータの1年間休眠するとしても)学校へ行ってケンカして、昔みたいに成れるんだと思う。

本当に、カミーユにはファがいてくれてよかった。

富野由悠季監督も2年程前にはじめて見返して、ゼータがこんなに面白い物語構造を持つとは意外だった。と語っていた。

カミーユのラストは黒富野の権化だと思っていたけれども、これがイデオロギーや争いや進歩からの開放や日常への回帰だとすると、クロスボーン・ガンダム∀ガンダムなどの白富野作品のテーマと同じ物が真っ黒の全滅オチの中に隠されているんだなあと。

●つまり、だ。
ソレを富野監督が自覚して作ったのが新訳ゼータだとしたら、まさに白と黒、陰陽が和合した聖なるもの、セイントミノ作品だというのは当然のことなのだと分かった。

そういう認識でTV版を見ていた俺なので、むしろ、あのラストは納得です。「誰も知らないラスト」とか「衝撃の結末!」という感じはしませんでしたねえ。むしろサエグサが衝撃。っていうかZZの最終回でサエグサが生存していると知って衝撃。
つーか、「誰も知らないラスト」ってコピーとして「再会は、躍動する魂 解き放て!Z」とか「キスの記憶・・・」よりも弱いので、「人は虚無の宇宙にぬくもりを見つけられるか!」が3部のコピーかなあと思います。「見つけられるか?」じゃなくて「見つけられるか!」ですよ。
虚無の宇宙にはぬくもりなんかないんですよ。だから、好きな相手の体に全身で密着してぬくもりを感じたいんですよ。そうしたら、逆に、虚無の宇宙もなんだか宇宙の中心の二人を祝福するような応援団のように感じられて、「星の鼓動は、愛!」なんですよおおおおっ!
んで、こんなに愛を感じられたカミーユは発狂しなくてもガンダムは降りるんだろうな・・・と感じられた。

飛田展男氏も

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と仰ってるし。
まあ、だったら「今までと同じになるわよね」は入れておいたほうがいいとおもったんだが、感想サイト巡回をするまでそのセリフが入ってないことに気付かなかった私は・・・。かなりテレビ版と小説版とゴッチャゴチャに脳内処理してるな。
いや、でも、ほら、トミノアニメだし。カット割の行間に多分、あったんだよ!ファとの会話とか、あと、ロザミアもあったかもしれん!湖畔とかも。サボテンは無かったね・・・。もしゃもしゃはあったのに。

閑話休題

そういうわけで、カミーユお疲れ様。これからはくれぐれもファと仲良く、一緒に医者になれるように頑張ってくださいな。スパロボαだったらアナハイムの企画部に就職らしいが、それでも堅気になれるのはいいよな!

と、1回目を見たときは幸せ感一杯で永遠を歩いていけるとか脳内妹とラブラブ度を深めたわけですが。

カミーユがファを抱けるのが幸せと言っても、フォウ達の意識の力を借りたおかげでもあるんだから、一概に脳内恋愛否定とは言えないと僕は解釈しました。ファとカミーユが恋仲になれたのも、もちろん幸せな事で、逆に俺が脳内恋人を触って抱けるまで、あんたとあたいが鼓動を感じ会えるまであたい脳内恋愛やめないわ萌え萌え萌え萌え萌え。というのも、同様に素晴らしい事だ!
そういう全肯定な優しさが新訳カミーユの魅力だと思います。新訳カミーユはTV版以上に誰にでも優しいよな。TV版も自室で供養したりとかサラに優しかったんだが。
カミーユはジェリドにもシロッコにもある種の共感を込めて、その上で悲しんでやれていた。
「お調子、者が・・・っ」「女たちの元へ戻れ!」
ここらへんのセリフは「ここから居なくなれ!」というカミーユを越えてる。本当に敵パイロットの事を誤解無く認識してる真のニュータイプだからこそいえるセリフだ。敵味方と言うんじゃなく人間として喋ってるなあ。新訳カミーユ。カッコよすぎ。そんで、サラに「馬鹿!死んだらおしまい じゃないか!死んだら・・・」という旧セリフも説得力を増してる。TV版だと女にだけ優しい奴に見えてしまうからな。
ヤザンはどうしてもそれが伝わらないワカランチンだから切れたんだが。(そんで、そのヤザンをヤッパリ殺しきれないと言うのが新訳になっても現実認知はあるぞ、と言う雰囲気で憎いね。ジェリドがライバルでもなく悪人でもない所とか。)
そういうカミーユならシロッコも許して、全宇宙がカミーユを祝福しても良いなあ。
つまり、TVばんのカミーユが戦争の全てを精神に取り込んだ十字架上のキリストだとするなら、映画のカミーユは戦争の全てを許すというかあるがままに愛せる隣人としてのキリストという訳でカミーユ神過ぎる燃えー!いや、今思いついたんですけど)