玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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機動戦士ガンダム第3話「敵の補給艦を叩け!」

脚本・荒木芳久 絵コンテ・斧谷稔 演出・小鹿英吉 作画監督安彦良和


えー、機動戦士ガンダム00と見比べて毎週ガンダムを見ようという企画だったのですが、わりとガンダム00って別物くさいですね。
ガンダムSEEDほどなぞらない。
というわけで、割とどうでもよくなってきたのですが、そろそろほとんどすべてのリアル頭身ガンダムを見てきて、そろそろターンエーガンダムを見ようとするタイミングで、あと感想も書きなれてきたタイミングで、あらためて1話ずつガンダムをレビューしてみるのも面白いと思う。
で、ガンダム00よりは機動戦士ガンダム THE ORIGINと見比べてみよかなあとも思うんだけど、細かい相違点を述べていくとめんどくさいので、それはやらない。
とりあえず、安彦神は神だけど、トミーノも神だよなあと思った。
やっぱり、動くアニメはえらいと思った。
安彦良和神の漫画もかなり動的なコマ割なんだけど、やっぱり動くアニメは音楽もあるし、興奮しました。
アムロもやる気満々!
あ、でも、やっぱりガンダムが大地に立つところは超かっこよかったです。


オリジンは劇場版フォーマットで作ってあるのかなあ?コアブースターだし。アムロの紹介も「内向的な少年」って書いてあるし。どこがやねん。
アムロって結構やんちゃだと思う。
まあいい。劇場版だろうか?
あと、アニメよりも漫画は情報量が増やせるので、それはいいね!
2話でシャアがザクの中で着替えて変だぜ!というところも、オリジンでは直ってる。サイド7には潜入しない。ルナツーだけに潜入。
オリジンシャアはガンダムとの初戦でビームライフルの弾切れに気づいて止めを刺そうとするが、ホワイトベースのメガ砲を警戒して退避するという風に変更。
あと、あんまりアムロガンダムを最初から褒めない。
避難民も多いし。
よく言えば、整合性がついている。悪く言えば突っ込みどころが少ない。
突っ込まれることを恐れるな!
まあ、オリジンもジャブロー戦とかは結構アレだったんだが・・・。
でも、安彦先生のリアルは、戦争モノの兵器としての格好だけのリアリティじゃなくって、生活感としてのリアリティだからそこはとてもよい。


というわけで、第3話の感想。
1.人種の描き分けがすばらしい!
ミライさんとハヤトは日本人的だし、ブライトはイギリス人だし、セイラさんはアングロサクソンの姫だし、フラウ・ボゥはドイツのおちゃっぴぃな娘だし、リュウは企画段階では黒人だけどアニメではハワイ系かな?そんで、アムロはマルチレイスっぽい。
だからアムロは超強い。
あと、カツ・レツ・キッカがイエロー・ブラック・ホワイトの三兄妹になるのもニュータイプ的な価値観なのかしらん?
いやー、まあ、いろんな人種が出るアニメはあるんだけど、安彦神はうまい!
人種の書き分けをがんばりすぎると変にリアルになるか、記号化し過ぎるかになっちゃうんだけど、ファーストガンダムはそこら辺が、人種の特徴を踏まえながらも一人ひとりの顔立ちの違いも描けていて、「キャラクター・デザイン」って感じだなあ。
逢坂浩司さんのVガンダムもいい感じなんだけど、トマーシュ・マサリクは黒人だけど色味を抜いて主線だけにしたらそんなに黒人ぽくないんだよなあ。
小説版の美木本晴彦の書いたマサリク兄弟は黒人っぽかったけど。
ターンAガンダムも結構人種の書き分けをがんばってたけど、基本的にアメリカ人ばっかり出てくる話だったから、それほど目立たないのが残念。
Gガンダムこそ国際的なガンダムだけど、アレはキャラよりもガンダムのほうが国際色豊かで、キャラクターとしては島本漫画だからなあ。
その他では0083とイグルーが人種描写としては飛びぬけてるか。残りのガンダムは人種の書き分けというよりはきれいなアニメ絵っていう感じになってる。
で、やっぱり、パッと見て人種とともにキャラクター性も了承できる感じのファーストのデザインはすばらしい。
と、いうわけで、なんで海外で公式に放送されたガンダムガンダムWなんだろうね?
グレンダイザーがフランスで大ヒットしたし、ガンダムの前年にボルテスVがフィリピンで事件になってたのに。
これって海賊版
http://www.bandai.co.jp/releases/J2001070502.html
バンダイの公式放送では2000年からだということだが。
つーか、ファーストをもっと早い時期に海外に出しておけばもっとすごいことになったのではないかと。スタートレック的に世界中に受け入れられてもおかしくない。
うーん。21世紀になってからの北米セールスは振るわなかったそうですけど。
20世紀中でのインディーズ的な放送はあったんでしょうかね?知りませんけど。
バンダイが公式に売っていなくても、海賊版個人輸入ガンダムファンがいるのは、富野監督がシカゴ国際映画祭で受賞したことでも確かだとは思いますが。



2.男女の書き分けがすばらしい!
戦場で不安になって、金髪さんにいち早く軟派をして振られるブライトさん。でも、言葉の端に宇宙に対する不安が出ちゃって、
「弱気は禁物でしょ、ブライトさん」
うわーっ。見抜かれてる!女にすがりたい19歳の心がなあ。たまらん。
そーいえば、これも行間なんだけど、2話では私服だったのに、3話ではすでに主要メンバーは軍服になっている。避難民の一人ひとりだったのに、どうして軍属になると決めたのだろうか?2話で、なし崩し的に手伝いをしてるんだが、その流れで臨時ボランティアとして区別するために制服を着てみただけなのかな?それが後々、壮絶なことに・・・。うーん。おそろしい。


それで、なんか、生きるということに対する男と女のスタンスの違いが見えて面白かったです。

フラウ 「また?」
  「アムロ、食べる物と着る物持ってきたわ。着替えないとくさいわよ」
アムロ 「うん」
フラウ 「二食抜きなのよ、アムロ。食べる物も食べなくっちゃ」
アムロ 「食べたくないんだ」
フラウ 「ブライトを気にしてむきになることないのに」
アムロ 「そんなこと関係ないよ。死にたくないからやってるだけさ」
フラウ 「ふーん、そうかしら?」
アムロ 「そうかい?」

フラウは生きるために食えという。アムロは、生きるためにガンダムを整備。

ミライ 「シャアのムサイ、なぜ攻撃をしないのかしら?」
ブライト 「このホワイトベースの性能が読めないからだろうな」
ミライ 「それと、武器を使い果たしているということも考えられるわね」
ブライト 「ああ。しかし」
ミライ 「しかし?」
ブライト 「我々にそう思わせる作戦なのかもしれない」
オスカ 「シャアのムサイに接近する船があります」
ミライ 「援軍?」
オスカ 「わかりません。15分後に接触します」
セイラ 「ミライの推測が当たったんじゃなくて?」
ブライト 「軽率には言えんな、巡洋艦だったらどうする?」
ミライ 「シャアのムサイに武器を補給させる前なら、私達にもアムロにも戦えるかもしれないわ」
ブライト 「攻撃に出ろというのか?」
ミライ 「もう一度シャアの攻撃を受けて、守りきれます?ブライトさん」

このやりとりでは、あきらかに好戦的なのはミライのほう。未来は女の勘として生きるために躊躇なく敵を殺せる。それが女としてのタフネスさ。
ただし、ミライは決して自分から戦おうとはせず、ブライトに戦わせようとするんだな。それも、おんな。

セイラ 「艦長さんに聞いてみたら?」
ブライト 「そういう言い方、やめて欲しいものだな」
  「ハヤト君、どう思うかね?」
ハヤト 「はい、相手がいくら大きい人でも、腰を引いた瞬間とかバランスを崩した時なら倒せるものです。これ、柔道の話ですけど」
ブライト 「…」
  「ミライさん、各員ブリッジに集合」


ブライト 「みんなの意見が聞きたいが時間がない、多数決で決めさせてもらう。まず、できるできないは五分五分だが、ともかくルナ2前進基地に逃げ込むのに賛成な者、手を挙げてください」
  「五票だ」
  「では、これも五分五分かもしれんが、我々がうって出る方に賛成の者は?」



ブライト 「よし、決まった。出撃する。アムロガンダムリュウコアファイター、場合によってはガンタンクの出撃もありうる。ビーム砲スタンバイ急げ」

それで、男としてのブライトは決断して見せるのが仕事なのである。
で、民主主義という手続きを踏んで、女に従うだけではなく、自分たちで決定したのだ、というグループ的な政治的な行動をして自分の意思決定を強固にする。
男って自分の決定を組織に委託するんだよね。
で、ブライトは皆を集めて多数決で攻撃か逃げるかを挙手で決めようと。
避難民と正規兵5人が逃げる。
攻撃に票を入れたのは堂々たるミライさんとさり気ないセイラさんと血気にはやるハヤトと正規兵のリュウ、セイラさんに対抗して?空気を読んだカイと、最後に主人公であるアムロ・レイ
それで6対5。
ブライトが攻撃に手を上げて決定。
つーか、棄権多すぎ。
オリジンではアムロは戦いを拒否しやがったんだよな。テレビのアムロのほうがやる気満々主人公。
また、オリジンでは戦いの動機はミライにたきつけられて、というよりはブライトが「シャアに勝ちたい!」と思ったところ、という風に解釈されてるな。
むしろ、ミライさんは出撃を拒否するアムロをかばっている。
ここらへんは、安彦良和先生は富野由悠季に比べて女性をやさしい物と捉えているからなのかな?
富野監督は女は生きるための嗅覚が強く、そのためなら戦いを率先して行なえる生き物だという風に描いてるっぽいゼ。
富野監督はCUTでララァについて、

女性の絶対性や神秘性じゃないんだよね。所詮シンボルなのよ。つまり「男が目指すシンボルはあの女よね」っていうしんぼるでしかない。
それで女って言う動物が一番困る事があるのが、男がどんなに思っていても、女って動物はその思いの丈を平気で食べちゃう。食べないまでも気が付かないで平気でいる。

っていう、うらみつらみがあってのキャラクターだから。

それで今度は逆に劇構成論として考えた時に、そういうふうにしないと女を戦場に出す意味も無いって事もあります。
そこに何でわざわざ女がいるの?っていう時に、ただの女だったら埋もれていっちゃうでしょ?それで死んでもいくんだろうけど、それを迂闊にただの女を戦場で殺す劇なんていうのは高が知れてる。

(ヤマトとかへの対抗意識か?)

それを特異な者にしていこうとすれば、ふたりのヒーローの間にいて、その思いの丈を平気で食っちゃうぐらいの女にしないと、とてもじゃないけど立たないって言う構造ですね。

だから一見エスニックな、ああいうかわいいっぽく献身的に見えるララァなんだけれども、僕はあの子の中に献身っていう言葉は一切入れないで演出しましたね。
「できる事なら両方の男とセックスしたい!できたら前と後からやって!私はそれの方がいいのよね」
っていう強欲なところは、はっきり持ってるって言う事だけは想定しました。
それが男側から見たときの女性の演出論の時に、僕が一番気をつけてるところで、
「女はかわいいもんだけではないよ」ってことだけは、絶えずコードとして入れる努力はしていました。

(オオタキプロの三角関係……)

今、思い出したんだけど、どうしてああいうかわいい演出ができたのかと、あれはかわいさを演出するんではなくって、ララァっていう子はぼーっとしてる子じゃないからっていうことで、こういうセリフを作ってるんだという、かなり理詰めで追いかけて作った記憶がはっきりありますね。

と、語っている。
ここからも、富野の女性に対する実体験に基づくトラウマによる女性観が見えます。


っていうか、富野はララァでかわいい演出ができたと思ってるんだ!
ララァって、富野の理想像が出たキャラクターなんだなあ。ララァを見てかわいいって思う人ってどれだけいるんだろう?不思議なキャラクターだと思う。
あと、2001年をパクリすぎたと思う。
ララァがかわいいって言っても、ララァ的なキャラクターってその後の萌えアニメではほとんどいない。
宮崎的萌えキャラクターはたくさんいるんだけどね。後、あだち充的とか。梶原一騎は燃えかなあ?
ララァっぽいのは姫宮アンシーくらいか。でも、あれも特異点だよなあ。ウテナはちゃんと見てないけど、アニメ誌であらすじは知ってる。
うーん・・・・・・・。
でも、シャアとララァがセックスした後にガンダムを見るというのはいいなあと思った。セックスした後にガンダムを見るって最高の贅沢だよな!


で、安彦先生にしてみると
 「ララァは現実に生きているというより観念的に肥大した存在で分かりづらい」
って、今月の月刊ガンダムエースで行ったらしいですね。まだ古本屋に行ってないから買ってないけど。
トミノから見たら、ララァは現実感を盛り込みまくった女、でも、安彦良和先生にしてみると妄想の固まり。
あーはーはー。
現実を個人の経験を元に一面から見すぎると妄想になるという事か?
http://d.hatena.ne.jp/psb1981/20071005/1191670880#c1193851122
こちらのコメント欄でも、

▼o・_・o▼ 『ララァをはじめとする印度系キャラは脳内彼女の部類だと思いますよ。

と、言う風に仰られた。
やっぱり、常識的な人たちからはララァは富野の脳内恋人なのかなあ?理解不能なのかな?
うーん。まあ、女の好みって言うのは男の根源的なプライベートだったりするしねえ。アニマっていうか。
女の趣味が合わないとケンカするよなあ。合いすぎてもケンカになるけどなあ。あーはーはー。男の子って大変ねえ。
かといって、ララァをシャアの幼なじみに改変する安彦先生も大人気ないというか、自分の土俵で勝負する人だなあ!
富野の女性観の元がチョキさんとアアコさんとSM妄想自作漫画を元にしているとすると、康彦さんの女性観はお母さんと幼なじみと優しい奥さんなのかしらん?
シャアのお母さんを出すのは面白かったが、マザコンとはっきり定義しちゃうのとかもね。
母を愛さないで思想に死んだ父親に対する歪んだ後継意識って言うのもあると思うんだけども、そこら辺も安彦先生は描いてはいるとは思うけど。
でも、後から来た男のほうに惹かれて揺れるって言うのは王道な恋愛でもあるけどねえ。
ララァ問題に付いてはまた後日考えたい。


うーん。僕の脳内妹も僕にとってはすごく現実感のある女性なんだけど、他人からはそうは思われないんのかな?
そうでもないか?
女友達とか精神科医の主治医には「とっても良い妹さんだね」って言われたこともあったか。
さっき、介護問題とか雇用問題を新聞で読んで、僕が
「馬やロバだって機械化して絶滅しようとしてるんだから、人間だって経済によって淘汰されるべきだね」
というと、妹が
「それは違うよ。命は機械じゃないんだからいろいろ使えるよ。一つの役割がなくなっても他の事をして生きたらいいんじゃないかな?」
ってすっごおいポジティブシンキング。
脳内妹は僕とは全く思考パターンが違うので、たまに議論が平行線になって困る。
現実の女性も僕とは考え方が違うのでたまに困るんですけど、それゆえに参考資料として結構有効です。話してて楽しい。
それも、傍から見たら妄想なのかなあ?
閑話休題





3.敵味方の平等性がスゴイ!
前回、前前回とサイド7やホワイトベースがジーンのザクやシャア専用ムサイの奇襲によって蹂躙され、数千の人が死んだ!
それと同じ事を、今度は主人公側が敵に対して行なう!
敵兵もサイドセブンの無辜の民と同じように混乱しながら爆炎の中で死んでいく!
主人公であっても、敵であっても、やってる事は同じなのであるという冷徹さ!
また、宇宙戦艦ヤマトなどと違い、機動戦士ガンダムではBGMがキャラクターや陣営によって選ばれるのではなく、シーンの雰囲気で決まる。
(「颯爽たるシャア」という曲がガンダムの活躍シーンでもかかる)
その事も敵味方の混沌とした雰囲気を感じさせるのである。


それが端的に現れるのが、ガデムの死ですよねー。
ガデムはプロの軍人である。補給部隊に誇りもある。頭も良い。経験もある。
だが、ガンダムに一撃でぶち殺される。
これは、ガンダムの性能が高いだけであるかのように見られることが多いかもしれない。
旧ザクガンダムに勝てるわけねーよ!と。
もちろん、それもあるし、技術差による戦場の冷徹さという物もある。
しかし、シャアは「モビルスーツの性能の違いが、戦力の決定的差ではないということを教えてやる」 という。
脚本というのは暗示的に読めると思う。
と、するとガンダムの性能が高いだけで勝ったんだよ。という単純な物ではないと思う。
だいたい、ガンダムに比べたら旧ザクシャアザクも性能はあんまり変わらないが、シャアは生き延びてる。
つまり、ガデムが死んだのはガデムが
1、自分の分身たる船を壊されて動転
2、ザクと自分が百戦錬磨であるという慢心、
3、連邦のモビルスーツはにわか作りであるという先入観
によって、現状把握を怠ったために死んだ、というビジネス的な観点からも読み解けるんですね。
シャアはやり手の若手エリートで、ガデムはたたき上げ。で、ガンダムは競合ベンチャーの新商品。こういう構図は現実でも良くある。
っていうか、死ぬ奴は死ぬように描いてある。
イデオロギーとか立場はあまり関係なく、生き延びるための行動をこなす事が出来たものは生き、できなかったものは死ぬ。
確かにホワイトベース隊は新兵器の高性能で戦い方は素人だとシャアに言われる。
しかし、素人は素人なりに出来る事を必死でやった結果、手に入れた勝利なのである。っていうか、アムロがシャアを頑張って引き止めたりしたおかげで、アムロカッコいい。

アムロリュウの奴、軍人のくせに」
リュウ 「上がるなだと?敵は目の前だぞ」
アムロ 「このまま突っ込んだら逆光線で戦わなくっちゃならないことに気付かないのか?まわり込むんだ」
リュウ 「…ど、どこだ?ムサイは」
アムロ 「もう見えるはずだが」
リュウ 「おっ、見えたぞ。アムロの奴、素人のくせによく気がつく。太陽を背にして攻撃しようっていう訳か」
アムロ 「よし、行くか」

アムロカッコよすぎ。
理系カッコいい!
ここで、ギリギリまで目視されないというミノフスキー粒子下戦闘の鉄則を本能的に行なったアムロによって、ミノフスキー粒子濃度からシャアが奇襲の可能性に気付いても、シャアが対策を立てる前にアムロが先制する事が出来たのである。
ブライトが補給作業中のムサイはメガ砲をつかえないと読んだのもスゴイ。っていうか、ミライは敵の艦砲射撃を覚悟で攻撃を立案したのか。女は怖いな。
それで、主砲がリュウが邪魔なためにホワイトベースの主砲が撃てないという問題が発生するが、ハヤトの機転によりガンタンクで角度をずらして砲撃するという奇策により攻撃続行パプア撃沈。(おそらく、シャアはこれは見ていない。木馬の砲撃と認識しているはず)
これは、パプアの戦闘員が

ガデム 「いったい何をもたもたやっておる。このままではムサイはやられるぞ」
ジオン兵A 「あ、は、は、はい、艦長」
ガデム 「ザクの放出はどうなっておる?」
ジオン兵B 「…カタパルトが直りません」
ガデム 「馬鹿め、手で押し出せ」

という、臨機応変さの対比になっている。


ホワイトベース隊は性能もさることながら、若いアイディアと生き延びる必死さを持っているのである。
だから、視聴者もやる気パルスを受け取れるんだよな!


オリジン版では、アムロを劇場版の雰囲気に沿わせて内向的にして出撃させなかったために、ガデムも偶然死んでしまったという風に改変されている。
(パプアをやられて己を見失ったという事は描けているが)
オリジンの開戦編では旧ザクでもガンキャノンガンタンクよりも俄然強いと描かれているので、余計変だと思う。
つーか、ガンダムを出せ!ガンダムの戦い振りを!
安彦良和先生は講演会で、「オリジンは富野由悠季ならこうするだろうな、と思って書いています。今のところ怒られてません」っと仰ってたけど、どうなんだろう?
ファンが富野作品の魅力だと思っていて望んでいる物を出していこうという事なのだろうか?


それにしても、ルナツーの人たちは助けに来てくれねーんだな。哨戒もしてないのか?小惑星ユノーの全体を基地化しているわけではないのかしら。
直径180kmはでかいか。


オリジンではワッケインのマゼランが出てきて政治的理由からブライトに意地悪をするのはリアルだし、マゼランが飛ぶのはやっぱりカッコいいな。


4.リュウ・ホセイは既に死亡フラグ
生き延びるために適切な行動をしたものは生き残る、という風に考察した。
適切行動は経験よりも臨機応変さだ、というのがガンダム内での価値観だとも思った。
と、するとリュウ・ホセイはこの段階で既に・・・。
アムロにも注意されるどじな飛行。ウッカリ無線を切る。主砲の軸線上を跳ぶ。
だめだ。こいつ。はやくなんとかしないと。
でも、艦内のムードメーカーなんだよな。

カイ 「ハハッ、案ずるより産むが安しってね」
ブライト 「甘ったれるな。アムロがシャアを引きつけておいてくれたからガンタンクの攻撃ができたんだぞ」
カイ 「だとさ、ハヤト」
ハヤト 「だと思います」
カイ 「かわいくねえの」
リュウ 「や、ブライトすまんな。俺、無線切ってたんだってな」
ブライト 「ああ、気をつけてくれよ。訓練を思い出してな」
  「それからアムロ、君は敵のむこうを回り込みすぎだ」
リュウ 「いいや、ありゃああれでいいんだ」
  「なあ?」
アムロ 「はい、シャアが速すぎたんです」
ブライト 「シャアは赤い彗星と言われている男だろ。お前だって一度戦っているはずだ、もっと立ち向かい方を考えとけ」

ブライトの部下に対する姿勢は、カイとハヤトを叱責するためにその場にいないアムロを誉め、アムロが来たらアムロを怒る。
でも、リュウは全然悪びれない。
リュウはブライトに怒られない。
力関係リアルやなー!
そんで、リュウは怒られたアムロをかばったりもする。
で、アムロは「リュウさん、僕ほんとにあの人を殴りたくなってきた」と、リュウに向かって愚痴。
頑張ったのに自分を怒ったブライトに対する愚痴を、頑張ってないのに怒られなかったリュウに向って吐く。
リュウの方が客観的にむかつくポジションなのだが、アムロリュウに愚痴を正直に言うのはリュウの雰囲気がいいからなのかなあ?
個性だな。
っていうか、アムロガンダムの中ではリュウに悪態を付いてたな。
基本的にガンダムは陰口です。
リアルやなー。


いやー。ガンダムは語るところが多すぎ!
4項目だけでこれですよ!
寝ます!


あと、印象として、機動戦士ガンダムは良く出来たアニメで、ガンダム「シリーズ」っぽくないですね。