玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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ヤーパン忍法トラバ返し

http://d.hatena.ne.jp/zsphere/20080705/1215267437
機械に菩薩が宿ったりするもんか「カオスの縁 ――無節操日記」
トラックバックを頂きましたー。
僕がダラダラと描いた読書感想文の内の主題を上手くまとめてくださいました。そう言うことが言いたかったんですよー。
そんで、それを0083とかの女性観にもつなげてらっしゃる。たしかに、ガノタってそう言うところがあります。
そうですね。僕もニナよりもガトーの方が嫌いです。だって、アメリア大陸の穀倉地帯にコロニーを落すのはジャブローに落すのよりも百倍悪いだろ。主にパン屋が困る。
男の子のロマンスって言うのは、大儀とか戦争のカッコよさよりも、女を含めてちゃんとした生活を守り、また、日々の生活に堕落せず行儀を良くして克己するものであって欲しい。戦いはそのための手段に過ぎず、それを遊びにするのはどうも、役に立たないと思うなー。





http://d.hatena.ne.jp/zsphere/20080617/1213632341
■[雑感] 殺してしまう恐怖「カオスの縁 ――無節操日記」


これも、あるあるって感じです。
なにしろ、僕は毎年七夕の短冊に「今年もなるべく人を殺すような事態に遭いませんように」って書く。
うわあ。
だって、他の事って別に天に祈るべき事じゃないじゃん。アニメ見たいだけだし。恋愛面では脳内妹で充実してるし。
あとはきれいに死ねるかどうかなんだよな。で、自分は必ず死ぬ。
で、自分が生きてても、オナニーの回数が増えるだけってえのは予想つくし。でも、他人には無限の可能性というか、観測不確定性があるからなるべく殺さない方がいいよね。
自分が死んでも大して損じゃないけど、他人が死んだ場合の損失は計測できん。そもそも、自分が死んだら損失を計測する必要がなくなるからなあ。


殺してまでやらないといけないこともあんまりないし。っていうか、殺してまでやった事の大半は歴史的に無意味だしなあ。
まー、魔女狩りとかが無くなったのは無駄な労力が減って良かったけど。人権が平等になったら娯楽も平等になってエネルギーが無駄に必要になっちゃったしー。消費がないと生きていけない企業人っていうのも一般人だからな。バッフ・クランの階級エネルギー制度を28年前に思いついた富野はすごい。


あと、ひぐらしとかの殺してしまう恐怖は自我が殺意の方に行って、自分を動かす力を失う恐怖かも。
実際の殺人事件でも、狂ってないとしても、経済的困窮とか痴情のもつれによって行動が外部に規定されるから。
そーいうわけで、僕は「人を殺さない」じゃなくって「殺すような事態に遭いませんように」って思うのね。
ジョナサン・グレーンみたいに信念を持って素面で人を殺せるように成れればいいのかもしんないけど。仕事で人を殺すのは仕事に規定されてるって言うことで、やっぱり自由じゃないからなー。難しい。
うーん?
自己コントロールを完璧にしたいって言う現代人の生真面目さから発生してんのかなあ?



そー言う風に僕が思うのは、やっぱりダラダラテレビで只でアニメを見てきたおかげで生きることに満足しちゃってるからなんだろうね。まー、生きててもやる事ないし。満足できればそれはいい人生だよな。
殺してでも生きていきたいほどの人生って言うわけでもない。
コードギアス 反逆のルルーシュR2も自分の思い通りにしたいっていうことが根底にあるけど、ルルーシュ先生はそれよりも「ナナリーや友達のため」って言う風にすりかえて自分を納得させてるからなあ。
僕も自分の人生は糞だけど、脳内妹が可愛いってみんなに言われると機嫌がいいですし。脳内妹とか、作品という、自分の分身が自分よりも好きというか、自分の人生なんだろーか?




■[告知・報告] ブログは魔物 03:17 カオスの縁 ――無節操日記
http://d.hatena.ne.jp/zsphere/20080620/1213899423
そういうわけでこれもありますねー。


僕もダラダラ描いてますけど、自分の書く予定の小説の内容はほとんどブログに書いてないわけです。
書かないとなあ。いやー。