玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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ゲド戦記後半

で、∀ガンダムはこのように僕が想像をたくましくしまくれる行間がありまくるのですが。テレビ放送の時から行間が多過ぎで、映画はさらに行間がぶっ飛んでるけど、ナントナクつながっていると言う。
ゲドは描写はつまってるけど、個々の行間がなくって、遊びがないから、映画的な飛躍をした時にいまいち乗れなかったのかなあ?
言葉でどうこうと定義して、命がどうとか、名前がどうとかって言う描写はハッキリしている割にかみ合ってない的な。
彼女が出来たからパワーアップっていうのは正しい王道なんですけど。
大きい流れになってないって言うか。まー、大きな流れは感覚的なもので、地球光月光蝶の流れがわかりやすいかと言うと、まあ、僕はガノタでありすぎるからなあ・・・。黒歴史を全部見たし。
そこら辺も、なんか指導者不足で個々のシーンでやりたい事をうまくやっているけど、全体としてはちぐはぐって言う統合性のなさというか、最近のアニメって言う感じというか。若気のいたりって言うか。
そーいうわけで、技術の高いアシスタントがとりあえずプロになってみるための佳作に似た雰囲気を感じたということです。




ぐ、グダちん偉そう・・・!自分で描きもしないくせに!
ねえ
だめだな。
まー、それはどうしたらいいかって言うと、描くしかないんだよねー。ジブリは頑張って富野作品の下請けをしたらいいと思う。宮崎駿氏も下請け長かったわけだし。
それにしても、宮崎駿の面白い所は、宮崎吾朗は鈴木プロデューサーに従ったのに、鈴木を恨まずに息子の反逆だと言うところが、なんともなあ。
プロデューサーはお金と描く場所を持ってきてくれるから、絵描きとしてはそれでいいのかもしれん。




テルーの「だって私はそういう人だから」っていう説明すっ飛ばしぶりは逆に面白かったです。
これは原作の要素を無理やり入れようとして変になってしまった部分だと思うんですけど。僕はこういう変な部分は結構好きですねー。
それに、他の部分のセリフが説明しすぎで、定義しすぎでうっとおしかったので、
「うるせー!俺は親父を殺す!だって、なんかむかつくもん!」「私は変身する!ビームとか撃つし!」っていう展開の方がすっきりした。監督の素直な気分も伝わってきたし。
作画的にも、ジブリっぽい絵柄のアレンよりもイッちゃってる目をしてるアレンの方が自然体でキャラに合ってて強かったしなあ。たぶん、絵コンテがそんな感じだったんだと思う。
ここらへんは大富野教∀(全肯定)派で鍛えられました。ハイパー化するときはするんです。文句あっか!
そういうわけのわからない衝動みたいなものを、制御するプロフェッショナルスキルを身につけてくれたら面白くなるんじゃないかなー?


えらそうだ・・・・。


つーか、ゲド弱いナー!
父弱い。
ディアナ様はギムと心中しようとした母親かもしれんが、新ジャンル「介護されるヒロイン」。
親を乗り越えようとして古いものを捨ててきた前団塊の世代の反省?老境になっての願望か?っていうか、金髪女王に自己投影する禿・・・。


まー、最近のトミーノ監督は「迷惑をかけないためにロボットに介護されて死ぬ事を受け入れないといけない」って言ってた。意地を張る爺はカッコいいとおもう。
ロボットと派遣社員はどっちがコストパフォーマンスが良いんだろうか?殺人事故のリスクは?うーむ?


何の話だ!