玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。旧玖足手帖から記事・ブクマを引き継ぎました。


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崖の上のポニョのキャッチコピーについて返信

mattune 2008/07/19 23:40
その考え方は出崎統的ですね。


「男の子はいつも苦渋を舐めながら人生をやっているんだ。
楽しい事なんか一瞬で、あとは寂しい事、辛い事を耐えるばかりだと思って作った。
でも、その楽しかった一瞬があったから耐えられるわけだし、
これからその一瞬が来るかもしれないから、頑張っていけるはずだ。
毎日毎日楽しい事なんてあるわけがないと思っているからね。
みんな、そうやって生きているんでしょう」


とは劇クラナドのパンフレットの出崎監督の言ですが、
「生まれてきて良かった」問題はこれに終始すると思います。
楽しい一瞬があったから
「生まれてきた良かった」のであり
「生まれてきた事はそれほど悪くもなかった」
のでしょう。
たった一瞬だとしても。
http://d.hatena.ne.jp/nuryouguda/20080719/1216454062#c1216478445

そうなんですね。そういう経験の話です。



僕はユウ・ブレンパワードの科白の

生まれた時にオルファンに連れて行かれて、辛かった。
それをオルファンから連れ出してくれて嬉かった。
太陽が見られて、太陽がある宇宙が想像できて、宇宙の中のこの星、
人間が地球と呼んでる星の事が分かって嬉しかった。
そういう中で生きてこられた事は喜びだ。

を想定して書きました。「生きろ」(もののけ姫)に対しての「頼まれなくたって生きてやる」ですね。
辛い事の中の楽しい事って言うのは出崎監督の言と共通しています。
「いのちは闇の中のまたたく光だ」という風の谷のナウシカも似てますけど。命とか光というと、ちょっと抽象的かもしれないです。


出崎統の「生まれてきてよかった」といえば、ベルサイユのばらのオスカルとアンドレでもありますな。これは原作からある名科白ですけど。
だから、生まれただけではそのデフォルトで過ぎる。
生まれた上で、何かしらをして、それで良かった、というのもちょっと僕にとっては偉そうなので、「まあ、それほど悪くもないか」と思えたらよいかな、と思うわけです。
親とかオルファンから生まれただけではなくって、自分で何かつながりというか、攻殻機動隊風に言うとネットを構築してはじめて、生きてきた意味があるのではないかと。
生まれたままの設定でよかったよかったっていうのはおめでたいと思う。
出崎統監督は同じ劇場版CLANNADのパンフレットで

挫折するからいろんな事を考えるし、人に優しくなれる。
その方が、面白い人生を生きられるんだと思うよね。
だから、失敗して投げやりになっても、最終的にはポジティブな方向に向って欲しい。
成功しなかった人間には、そういったロマンがあるんだよ。
だから、成功した奴には興味ないんだ。成功したやつなんてつまらないと思うもの。

とも仰ってます。僕は「いろんな事」っていうのが好きだなーと思います。
いや、宮崎駿監督は下積みとかの苦労のある人だとわかってますって。比較的遅咲きですし。


そういう「いろんな事」とか「楽しかった一瞬」が喜びなんですよ。
で、それは「子どもは純粋で正しい」とか「愛されてまともな家庭に育った子は真直ぐ育つ」とかじゃない。子供時代がダメでも、生きてたら「楽しい一瞬」があるかもしれないし、それがあったらいくつでもなんとか持ち直せるんじゃないか。と。
そう思わないと、まわりのメンヘルを殺して周らないといけなくなりますよ。


ポニョの宣伝で、

「宗介とポニョが出会う不機嫌な顔の赤ちゃん。ポニョが機嫌を直してあげるんですが、あの赤ちゃんの出会いのシーンは何を言いたいのか? あの赤ん坊は、『生まれてこなければよかった』と思っているんです。(コピーは)それを逆転させたものです。『生まれてこなければよかった』という一言が、もしかしたら今の時代に重なるかもしれない。だとしたら、その逆を言ってあげることが、一番大きな意味になると思ったんです」


子供の目からみた美しく楽しい世界と少年少女のまっすぐな恋、無償の愛でつながった母と子、生命にあふれる海……そうしたものを通し、混迷した現代社会にあって「ポニョ」は、子供たちが「生まれてきてよかった」と言えるような作品にならんとして描かれている。
http://eiga.com/movie/53305/special/2

と書いてあったんですけど。
生まれたばかりで右も左も分からない子どもに向って「生まれてきてどうか」なんて、言いたくないです。僕は。赤ちゃんは自分で生きた事はないのだから。
コードギアスか。
そんなことは自分で何かしらをやってから振り返って「落ち込む事もあったけど、まあそれなりに元気かなあー」と思えれば良いんでないかと。まあ、思えない気分の時もあるんすけど。「生まれてきてどうだったかはこれからも考えつづける」
夏エヴァか。
子ども(幼児)はとりあえず風邪を引いて死ないように気をつけてたらいいっすよ。
ポニョになでなでされた程度で生まれてきてよかったとかは簡単すぎるよな!と。まー、見てないんでそのシーンがどうかはわからんのですが。


つまり、遺伝子よりも模倣子(人生経験)を重視したいって言うか、電波オデッセイ的な「おもいで」「おみやげ」ですか。
そうすると、僕は産んでくだすった親の恩を薄く感じてる非道かもしれないっすけど。まー、それなりに慮るという事を意図的にするように気をつけようという気分になるような年にもなりました。


そこら辺が、僕の孤立主義というか、一人で何とかしようとしてドツボにはまる傾向だということも自覚します。誰かのおかげで「生かされて感謝」というよりは「自分で生きた」と思いたいんですね。で、それができないからイライラする、と。実際には両輪なんでしょうけど。
この間、米国人の先生と小説の作劇について話して先生は「小説を通じて世の中の矛盾や悪を攻撃したい」と仰ったので、「僕は、他人に迷惑をかけられたよりも、自分で自分に迷惑をかけたことの方が多いし、人格障害をわずらって性格が歪んでるんで、自分の敵は自分です」と言った所、
「グダちんはそんなに悪く無いですよ。そう思うのは環境に受け入れられた経験が少ないからなんじゃないでしょうか?社会がもっとあなたをwellcomeと受け入れる場所ならそうは思わなかったはずです」と言われて
「そうなんすかー???」と。
うーん。まあ、受け入れられない程度の人間なんですから、みんなに受け入れられてるジブリアニメに嫉妬したりもするんでしょうね(笑)


そうすると、ポニョが赤ちゃんに「wellcome」と言ってあげて「生まれてきてよかった」というのはまあ、良いでしょうね。ポニョには悪い大人が登場しないと言うらしいですし。そういうのは良い。未来少年コナンの生い立ちもそんな感じですな。
トミノ監督も「親は子どもが6歳までに外を見ること、「お前さんは一人じゃない」と教える事が大事だと臨床心理士の三沢直子さんと話した」と言ってますし。
でも、「再会、母よ・・・」も好きなんですよ。捨てられて、乗り越えても生きていけるし生きていこうという感じが。うーん?やっぱりマッチョなのかなあ?僕は。決断主義
乳幼児期の基本的信頼感に不信感を持ってて、世の中は不全感の方が基本だと思ってる。
だから、「生まれてよかった」という事では不安で、「生きてきた」と言う事に達成感とか自己肯定感を持ちたいんです。
と、同時に脳内妹とか宇都宮比瑪のようなおせっかいで融和的な美少女に畏れながらも惹かれたりもしてるんで。
共生しつつ「そんなことない、飛んでごらんよ」という相手が欲しいし、自分も親しい人にそう言いたい時もあります。
「他者性」は大事なのだけど、「他者とのつながりを作る事の出来た自分」というものの人生というか履歴も認めたいと。承認欲求が強いんだよなあ。


うぅ〜〜〜ん。僕は考えすぎですね。
ポニョを見た人の感想によると、ストーリーを考えすぎると放置された伏線や設定が気になってつまらないようです。絵、というか色と動きの変化というアニメーティングを素直に見るのが良さそうです。
ジブリアニメの人気は素直に愛されてると実感できる人が多い証拠ですよね?よかったよかった。
富野監督も

ロボットアニメで毎週ロボットが解体されるのを喜ぶのは子どもだけで、その子どもでもただ単に動く絵、めまぐるしい色の変化が面白くて見ているだけ
(ソース失念。すみません)

とおっしゃってたような気がします。
まあ、富野アニメの地球光月光蝶リーンの翼とかもフィーリングで見て行間を読むようなアニメだったりするわけですが。
まあ、富野アニメは数十年も考え込めるです。ナウシカ萬画もですね。まあ、もちろん他の事も考えてますよ。交通ルールは守ります。