玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。旧玖足手帖から記事・ブクマを引き継ぎました。


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新訳Zガンダムの恋バナ

星を継ぐ者の冒頭ではクワトロ・バジーナ大尉と仲良さそうだったレコア・ロンド少尉が恋人たちの食事シーンでクワトロと手が触れただけで「忘れてください」って言うのは思春期臭くて謎だった
あ、
「忘れてください」は手が触れた事ではなくボンヤリしてた事か
強いシャアが好きなレコアさんは自分の弱みを見せたくないか
あるいはボンヤリしてたのはポーズで、思いやる強さを期待したがシャアが鈍かったとかか
で、シャアは「力のバランスを考えすぎるが私だって独り身だ」と、新訳だというのにテレビ版にも匹敵する意味不明独り言を
これこそクワトロ大尉だ
まあ、簡単に言うと、「力の上下関係で女にすぐ期待されるけど、自分も普通の成人男性なんだけどなー」
という、勝手に好かれて勝手に幻滅されるイケメンの愚痴のような
前後のヘンケン・ベッケナーの素直なエマ大好きぶりがうらやましかったのかも知れんが、ヘンケンほどの情熱もない
ララァがよすぎたか
しかしシャアってそんなに強い人じゃないよな
自分の分のケーキは無いのかと心配してファごとき小娘に催促する程度の器ですよ
かわいいじゃないか
でもイケメンエリートはかわいい人だと分かってもらえんか
イケメンの苦労をロボットアニメで描くハゲ
わかりにくい!


力の上下関係と言えば親子関係かもしれない
カツもシンタとクムの面倒もブライトやファにまかせっぱなしだし
父親的な部分が欠けていると自覚して、気紛れで面倒を見るが逃げてしまうか
(シンタとクムがなぜクワトロが良いのかは謎。本質的には優しいって事か?)
そこら辺がレコアさんのご両親が一年戦争で被爆した事(庇護者を失って求めている事)に繋がらないように見えて繋がるわけか
映画ではゲリラになった事は省かれてるから、わかりやすくなってる
が、わかりにくい!
説明してるセリフがあるんだが、繋げてないのよ
解決編が無く事件だけのミステリか
レコアは男より強くなろうとしたが、実際は強い父親に同化し、同時に父親のような男を求めていたのか?歪みだな
エマ中尉がキャリアウーマンからラーディッシュのおかみさんに成ってしまったのとは好対照


で、シャアは3部の星の鼓動は愛ではますます余裕をなくす
ってファですら気付くようなレコアの怪我とかサングラス付けっ放しキスも分からんとはアホか


どうして女性のして欲しいことが分からんのか
いや、多分わかってるんだろうけどシャアはやりたくない人なんじゃないかなー
女を手玉にとるくらいは小器用にできるシャアだろ
だが、やりたくない
ララァ・スンに出会った後のシャアはニュータイプに憧れているから本気になれば嘘はつきたくなくなるっていうナイーブさがあるぽい
レコアが「シロッコを狙撃するんですか」というと「わかるのか、すごいな」と褒めるのはニュータイプ信者のクワトロ的にはかなりの賛辞のはずだが、レコアはあんまりニュータイプには興味ないっぽい?
そういう洞察力よりも男以上に頑張ってる強さを分かって欲しいし、男にはより強くあって欲しいとか
クワトロはレコアを買ってるんだろうけど、すれちがってますねー


っていうかハマーン・カーンだよな
ハマーンが来た後のシャアはますます余裕がない
っていうかハマーンこそが、シャアに才能を見抜かれた人。
ハマーンハマーンの中で過剰に理想化したシャアのイメージに追いつこうと強くなりすぎ、シャアはアクシズから逃走したわけだ
で、ハマーン様が来たらその恐怖が蘇ったのか、ハマーン様の態度がニュータイプを曲解しててキレたかで、
ミネバ様に嘘を言わせたことにキレて余裕を無くしてダメな方向へ


カッコつけな割に自分を理想化されるのはいやがる
仮面を付けてるくせに演技をいやがる
シャアはこじれてるなー
ルルーシュよりおっさんになってもなおらない
カツは正直過ぎて美しいらしいんだが、シャアは正直なのがよいと思うのに嘘つき
嘘も吐ききれない
だから中途半端なニュータイプのなり損ないと言われる
正直に言えないけど正直な自分を分かって欲しいと思いつつ、誰も分からんだろうとも思う
そんで逆シャアの時には諦めてあこぎな道化の演技に徹するんだな
それでも寝言でララァだからナナイもたまに幻滅
最後の涙を見たらナナイは大佐を愛してたみたいだが、お互い気付くのが遅過ぎた
やっぱしシャアが地を出せるのはコックピットで独り言を言いまくる時で
シャア・アズナブルを分かってやれるのは同じレベル以上のパイロットで装甲越しに思惟のやり取りができるアムロララァカミーユ・ビダンなのか
シャアがニュータイプを理想化するのはそういうわかってほしい寂しさからのナイーブさのせいか?
なんでこんなダメ人間に人気があるのだろう?
まー実際に付き合わなければ苦労はないわなあ



んでー
パプティマス・シロッコは最初から自分をわかってほしいとは全く思わずに相手を分かり、相手の言って欲しいことを言えるニュータイプ
空気読みまくり
レコアの強さと気持ちを評価してやれる
ハマーンに対してもジャミトフに対しても芝居を打てる大人だ
シャアは「これでは道化だよ」とか愚痴を言うがシロッコは自分自身をも駒にする事をどこか楽しんでる、というか自分の才能を生かせる場としているようす
シャアとは好対照
レコアさんはシロッコが役割を演じてるだけと思っててもシロッコに付く
役割を演じ、レコアにも役割を与えるシロッコの方が、ニュータイプ的洞察力を期待して真実わかって欲しがるシャアより楽か
アニメに限らず実際の恋愛術でもイメージの演じ合いと植え付け合いの技術のようなところはあるから、シロッコのような大人はある意味理想とも言える


だからカミーユシロッコをボロクソに糾弾するのは一見突拍子も無く見える
ただ、シロッコシロッコで、自分自身の目的意識と、そこから発生すべき責任感が薄いところがある
シロッコも悪くは無いと思うし、ついて行きたくなる包容力やカリスマ性も感じる
だが、シロッコ自身の目的はないので、最終的にどこへ行くのかは分かりにくい
女が支配する世の中になるだろうと言ってもシロッコは何をしたいのか?
そういう点が歴史の立会人にすぎないと言う自称なんだな
周りの人の才能を行かす場を作り、歴史を加速させようとしてる
シロッコはある意味ベンチャー企業の社長みたいなキャラで、あきまん氏もホリエモンみたいなものと言うが
つまり才能を発揮して成長するのがよろこびで、何のためにどこへ向かうかはあまり気にしてないんじゃないだろうか?
そんでサラ・ザビアロフの才能を取り立てたりマウアーやレコアやヤザンも引き入れる
活躍の場を与える
起業家というのは何をやるかよりもどういう才能を使うかが重要とも言う
それ自体は良いのだが、シロッコ神託として許しを与えると、ヤザンが兵隊から殺人狂になり、レコアは裏切り、サラはカツを騙して悪びれない
それはカミーユ・ビダンとしては腹立たしいのだろうな
実際迷惑をかけられたし
絶対者に許されたら、みんなが無責任にやり過ぎる。そうすると、シロッコが戦争に勝ったとしてもまた同じように闘争が続くだけだ。地球至上主義がシロッコや女を中心にスゲ代わるだけ。
シロッコは相手が本当にやりたい事をやらせてあげてるだけだとする
自分はそれを適格に触媒して世界を動かせる天才、指導する絶対者だと言う
カミーユはそれを傍観者で人をもてあそんでいると怒る
自分で考えて選択させたように思わせて、シロッコのためになるように動かすのは人の意志を否定する事だと
自分で考えてわからせろと
シロッコはそれを賢しいだけの子供、下手に頭が回るだけと言い、怒る
どこまでもかみ合わない二人なのである


二部でカミーユフォウ・ムラサメニュータイプに引き上げたようにも見えるとすると、
カミーユ・ビダンは人の自己判断を励起させ、シロッコは判断を決めてやって迷いを無くして力を高める人、
だから逆


で、結局はカミーユ・ビダンが勝つ話だ


シロッコは自分は正しい判断ができるとしていたが、ティターンズ艦隊を掌握しきれず、カミーユに「目の前の現実も見えない男」呼ばわりをされる
シロッコティターンズでの出世を望んだ事で、自身も見たいイメージしか見れなくなるオールドタイプ(能力と言うより視点)に墜ちたのかもしれない
シロッコにとって、カミーユに出会ったサラが自分の判断で死んだ事は「惑わせて」なのだし、生の感情は不愉快
それはサラを無くして余裕がなくなったからだろうか。サラを亡くして取り乱した自分の心を認めることができず、逆に内向してしまったのだろうか。そんなシロッコを見て「あなたに賭けたんです」というレコアは悲しいか強いか?



富野監督によればガンダムは愚民の反抗アニメでもあるらしい
シロッコは結局、自分について来てくれなかった脇役のティターンズ艦隊の愚民に負けたのかもしれん
また、ヤザンドゴス・ギアの艦長を殺したことも艦隊を失った一因かもしれない
カリスマに近付きたい部下同士の競争で部下を失うような
それをして、地球の大きさ(制御不能の大衆の意志、宇宙を支える力)を想像できないと言う
シロッコは情報処理のニュータイプ能力は強いが、その能力で相手や自分の見たいものを察知して見せて、判断機会を奪い、人をオールドタイプにするのかもしれない
だとしたら、ニュータイプ思想とは正反対の悪徳として負けるだろう(倫理的、律令的な善悪では無い)
物事をあるがままに分かるのがニュータイプなのだから
シロッコは洗礼者として規律を与えるが阿含の禅ガンダムは森羅万象の仏性を悟らせようとする
一つの価値観やイメージの押しつけはいけないのだ


機動武闘伝Gガンダムを見てから、ガンダムでのメインキャラに対するある種の殺人は「憑き物落しの結果として浄化すると肉体を失う」と、いう、オウム真理教スレスレの物なんじゃないかと思ってるんだが。
(いや、浄化するにはガンダムの側も命を燃やし尽くすんで、オウムみたいなお手軽テロとは違いますよ!)
(もちろん、Gは今川ガンダムだけど、今川泰宏は富野ガンダムを理解しすぎるほどした上でアレを作ったと思うなー)
「女たちの所へ戻るんだー!」
っていうのは、シロッコティターンズという足場を失って、暴走をするしかない状況(ギンガナムやオーバーデビルやサコミズのようなタタリガミ状態)に成ってしまったので、カミーユが命を絶って憑き物を止めてやったと見ることもできる。
シロッコは能力を持ちながら木星という僻地で雌伏してきた男だ。それが地球圏で才能を開かせる場にはしゃぐという事は人の有り様だ。しかし、それで彼はジュピトリスだけの社長ではなく、マウアー、ドゴス・ギア、サラ、レコア、ヤザンティターンズなどの外部の才能をM&Aして巨大化してしまった部分が在る。
それで、最後に判断を見誤って一気にティターンズを失う。
だから、劇場版のシロッコカミーユではなく、自らのもともとの居場所であったジュピトリスに戻り、道連れにしたんだ。
と、するにはジュピトリスの人の出番が余りなく、シロッコについてきた才能はあるが悪意はない一般人という印象くらいしかないので悪役に見えない。数千人規模の艦船が爆散するのは可哀相なんだが・・・。まあ、カミーユの精神とつりあう新たな人柱は数千人の木星船団なのかなあ?
そこら辺は陰陽道的な「宇宙の均衡法則」を感じるが。
女たちの所にもどれって言うほど、カミーユも視聴者も船団の女たちのことを知らないし、、、ウーン。このセリフはマダマダ謎が多い。
(あと、ジュピトリスが残ってたら戦力的に話が終わらないっぽいからなあ(笑)どうせガンダムZZのしょっぱなで殲滅されるし)



そういうわけで、新訳機動戦士Zガンダムはコテコテにニュータイプ思想なんだな
宗教アニメか
人の自由意志を理想的に信じる、ある意味ナイーブなほどの願いみたいな話
トミノだなあー
自意識が宇宙を作り、自意識を力にしたいという話
テレビ版ではそのナイーブさでカミーユは狂ったのだが、映画では命の限界の強さを高めて生き延びられた


じゃあ、悟ったカミーユはどうするのかというと、普通のティーンエイジャーとしてやるべきセクロスをするんだよなあ!
ジャミトフの地球の人類を減らさなければ、という問題意識やブレックスやシャアの人を覚醒させなければ世界は滅ぶと言う観念から起きた戦争の終わりが、宇宙駅弁!
やっぱしエロは地球を救うんすかねえ
キンケドゥさんのラストもそうだったし


ファも偉い
強い男のイメージをカミーユに投影したり、男以上に強いイメージ上の理想を自分に課してイラついたりせずにしなやかに強くなった
とにかくカミーユの側に、どんな形になっても居てくれるんだなあ
パイロットにもなるし
ダブルゼータでは看護婦にもなる
そのご褒美で新訳ヒロイン昇格?


映画のカミーユはシャアや大人を観察していたが、
ファ・ユイリィも裏切ったレコアと会ったりそれについてエマに意見を聞いたり、サラがカツを騙したり爆弾を仕掛けた所やグリプス劇場に立ち会ってて、ファもいろんなものを見たんだよなあ
(テレビ版ではロザミアと絡んだり)
男の周りで暴走する女を見たか
そんなファなら、ただのオールドタイプの幼馴染みで、カミーユの母親ごっこをしてカミーユに子供や恋人のイメージを押しつけるだけの女ではなく、「カミーユだって、私が抱けるから嬉しいのよ」と抱かせてくれる良い女になれたと思える
星を継ぐ者カミーユに泣き付いた娘がねえ。成長した。ファの成長ドラマでもあるんだな。
ファは素敵
ニュータイプのように全部を分からないけど、カミーユがどんなイメージに変わっても「良し」として抱いてくれる
そういう大ざっぱさは強い
カミーユが幽世から帰る場所になる
もちろん、それはカミーユがどんなイメージになろうと構わないような超絶のイケメンだからですけど!(笑)いやー。かっこいい。
だけど、ラストのアンナ・ハンナとサエグサもかわいいよ!



で、フォウは死ぬ時にガンダムマークツーを出産するんだが、カミーユとファの股やゼータガンダムの股からは太陽が生まれ、そこから銀河が広がるというラストシーンは密教的だなあ




うーん
オタクがガンダムを通じて恋愛をどうこう言うのは、なんか変な長文になってしまって申し訳ない
でもガンダムは恋愛的に濃いなあ
と、僕が思うのは恋愛経験がないからかもしれん
実際のイケメンやモテカワから見たら、ガンダムの恋愛描写を通じた人間哲学はどんなものかねえ?
というか、特に恋愛したくもないのにアニメを見て恋愛を重く感じるガノタの僕もいかがなものだろうかねえ?(笑)