玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。旧玖足手帖から記事・ブクマを引き継ぎました。


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∀ガンダム第11話「ノックス崩壊」

脚本・千葉克彦 絵コンテ・川瀬敏文 演出・池端隆史 作画監督佐久間信一
http://www.geocities.co.jp/AnimeComic-Pastel/3829/words11_TurnA.html
http://www.turn-a-gundam.net/story/11.html


今回はおそらく前後編。というわけで、今回はノックスの街やマウンテンサイクルやソレイユが爆撃されて大変な事が起こると言う事件発生編。
事件が起きただけだから、解決役のターンAガンダムがあんまり活躍しない。
だから、あんまり面白くなかったので、感想も適当です。特に書くこと無い。
コレン・ナンダー軍曹みたいな気分で寂しかったです。ガンダムよおおおお!
なんて奴だよっ。昔のガンダムってのはなあ、こういう時にはダーッとやってきて戦ったもんなんだぞ。ガンダムーッ
まあ、町が壊されてるのを助けに来るガンダムって言うのも、少ない気がするけどな。
やっぱりコレンはガンダムWの人?ガンダムSEEDかもしれんが。子安だ。
いや、ウィングガンダムゼロカスタムをコレンが思い出したのはアニメーターさんの気まぐれ説もあるが。
案外、ただのガノタ黒歴史軍事ヲタのシャアコスマニアかもしれんが。


でも、シールドが発掘されただけでワクワクするのは再見ならでは。このシールドがまた強いんだ。
掘り出されたのを見ただけでシールド表示が出るヒゲは高性能。BLAME!っぽい。富野ガンダムは非富野ガンダムよりも戦闘以外の性能にも気を配っている所が好きです。エアバッグとか居住性もいいのだ。マンマシーンインターフェースも各作品ごとに工夫されてるし。端的に言うと乗りたい。


 ブラム!と言えば、メンサーブがディアナ様に、電基漁師のヘルメットの後ろがロランのヘルメットに似てるかもしれない。


で、まあ、今回はつなぎの話だし、あまり書く事が無い。あと、精神的に不調。


えっと、色々な組織間、組織内、個人個人の軋轢とすれ違いが破局を招く構図が上手く描かれていたと思います。
と書くとすごく突き放したような言い方なんだが。
あ、破局の結果、グエンが財力と権力を失うって言う権力者の没落と同時に、着々と出世していたキースが故郷とフラットを売って手に入れたお金が紙切れになるという、ポルフィの長い旅の不幸話のような小市民の大事件が同時同根に描かれていたのは心情的に面白い。
と言うかキース・レジェが可哀想過ぎます。キースに背負われていた親方のグッタリ感も可哀想です。ベルレーヌはかわいい。
世界名作劇場の牧歌的雰囲気だけで無く、その鬱展開も取り入れているターンエー。


ミハエル大佐は軍人としての生き甲斐を見つけたが、スポンサーも失う?いや、ルジャーナにもパイプがあるんだっけ?


しかし、何ですな。ターンエーガンダムの人たちのセリフや行動は善悪とか心情も在りながら、「キャラクターが居る立場に言わされている、やらされている」っていう、人格は性格だけではないって言うところがリアルでもあり、難しくもある。
ハリー・オード中尉は正義漢ではあると思うのだが、「コレンは動いたが、奴は個人だ。部隊ではない」と、コレンの破壊活動を利用しようとする所がある。
ディアナ様が「地球人を殺してはならない」という命令を出しているのだが、ハリーはハリーで、親衛隊長としてディアナを裏切れないが、交渉者兼、戦闘実行者としては合法的にミリシャ側の戦力を殺ぐためにコレンを黙認する、と、ディアナの法を脱法しようとする所がある。(構成ミスでなければ)
で、好戦的な性格と言うフィル・アッカマン大尉が、発掘場を潰すために、かねてからやりたかったが正当な理由が無かったマウンテンサイクルへの砲撃を、「市街地を撃つ代わりにマウンテンサイクルを撃つ事で市街戦の意志がない事を見せる」と、脱法する。
個人としてはハリーとフィルは違うんだろうけど、戦闘に勝利する、と言ったような目的が似通った場合は同じような言動をしたりする。
しかも、それが善人が敢えて悪い事をしている、と言う風でもなく、「こういう状況なのだったらこう言うだろう」と、クールで自然主義な描写だったりする。キャラクター自身も大して良心の呵責とかないし、狂気とかトラウマとか、萬画っぽい理由はあんまりなくて、「単にそうしようと選択した」っていうだけだったり。
キースがフラットを売ったせいで戦争が拡大したかもしれないが、キースはそうする人生を歩んでたし、フランも強くは怒れない。すごい普通。
このキャラクターの行動は善、悪、という見方が出来ないし、そもそもそういう話じゃない。
で、ありながら、その普通人間の行動がバラバラのように見えて、因果関係として物語を組み立てていってるのだから、匠の技。


だから、キャラクターの印象、子供向けアニメみたいにいいものとわるものがハッキリしないのだ。


まあ、ハリーが空を埋め尽くすミリシャ爆撃機部隊の飛行機を落さないで投下する爆弾だけを、ビームガンで撃ち落すって言うのはどうかと思ったけど。メガ粒子の励起エネルギーとか半減期を調節したら射程距離を細かく設定できるんですかね?ビームでも。
とりあえず、ハリーはいい人。いい人をやるには物凄い技量が必要。
普通の人は爆弾を箱に入れて、モビルスーツで投げつけます。しかし、そんなのでもソレイユの離陸をちょっと遅らせる程度の殺人はできるのだ。


と、まあ、細かい寓意を含みながらも普通の人生でもあると言うかなりピーキーなバランスなのだ。
大きなストーリーの流れもありつつ、キャラクターの性格以上に細かい立場の違いに反応して、みんなちがってみんなやらかしてる。
おとぎ話のような所もありつつ、その構造を破壊するほどにリアルというか普通すぎる反応。
つまり、視聴者の立ち位置や視線の置き所向けどころが同一作品内で一定しにくい。ロボットアニメというジャンルでも、ガンダムシリーズでも、恋愛でも戦争でも世界名作でも、一言では言えん。


しかし、富野由悠季監督はこれを「普通の人向け」と言う。
いや、そうだろうか?
普通の大衆と言うのはもっと分かりやすくシンボライズされて、デーハーでレイプとか妊娠とかビームとかを好む印象が。
いや、まあ、大衆と言っても、今の例は恋空のファンとかなので、偏ってるんだが。


バイザウェー
最近はジャンルと言う物は確かに薄れてきてはいる。らしい。SFとか伝奇とか言う区分は薄れてきているらしい。それはそうだろうが、僕はレベルとか場と言う物が新しい基準になっておるのではないかと。作品の雰囲気と架空帰還みたいな物。
http://d.hatena.ne.jp/zsphere/20080917/1221581865
(こちらを参考に考えました)
SFファンとかは減ったけど、スイーツ、アラフォー、腐女子ケータイ小説世代、ニコ厨、キモヲタ、ロリコン、セレブ、ワープア、社会派、カップル、シニア、大富野教信者とか。
つまり、こういうジャンルが好きだから、と言うよりは「私はこういう人だから」っていう、作品ではなく、読者自身をカテゴライズするっていう風にシフトしてるのかなーと。
まー、あれだ。取っ掛かりガイドラインはあらまほしいんで、悪い事じゃないと思う。
で、恋空は爆発的にヒットしたけど、ちょっと時間がたったら恋空女子高生世代が年をとって(女子高生は3年の命!)「もう、うちらケータイとかじゃないよねー」ってなって、レベルを卒業してドラマ版撃沈。あるいはケータイ小説層はテレビと言う「場」に属してないとか。
仮面ライダーキバもアイアンマンも超大雑把に言うとおなじような話なんだが、視聴者層は「こども」と「成人」。
君のぞと冬ソナは同じような話なんだが、「おたく」と「主婦」
efの千尋の話とパコの絵本は、「アニオタ」と「幼女」
だいたい宣伝の雰囲気でどうとでもなるです。
あとは、要素の取捨選択ですかね。コードギアス 反逆のルルーシュR2とかは、ロボット、美少女、腐女子、社会派、オカルト、決断主義セカイ系、とか、一つ一つは狭い要素を極端に強調したものなんだけど、一つ引っかかれば見る、と言う感じの層を複数キャッチしたから色んな人に話題。
あとは、ジブリアニメは「国民」っていう括りになっちゃってるから、国民に人気。
そーいう風に受け手の所属階層に向けて発射する事で、受け手の帰属意識の快感を慰撫して、「これを見ていいんだ」という許可。「これは抑えておくべき」
となる。
ジャンルはなくなったが、場の固定化はあるかもしれない。ケータイを弄る人が同じくらい本は読まないかもしれない。
ゲームはするけど、同人誌は読まないかもしれない。
産経新聞社の「正論」を読む人は「コミックLO」はあんまり読まないかもしれない(この喩えはどうかと思う)
フットサルで汗を流すリア充は、美少女抱き枕に汗を吸わせる童貞の快感を知らないかもしれない。(どうかと思う)
というか、一人で何でもできるわけは無い。時間物理的にな。人は誰しもペルソナをまとう。


で、どういうことかと言いますと、「普通の人」と言うものを「あまり労力を使わない人(おたくではないライト層)」とします。その普通の人による一般的なヒットは「自分の場に投げ入れられる物を受ける(場の中で選ぶ)」という所があるのではないかと思います。
いや、濃い人は色んな場を渡ってたりもするんですが。
まあ、最大公約数的多数の人はアマゾン、ニュースサイト、はてブケータイ小説大賞、芥川賞、といった場のランキングの高いもの、本屋さんの前のほうに平積みになってる本を摘む印象があります。


で、ターンエーガンダムの話に戻るんですが。
そもそも、ヒゲガンダムのデザインからして、監督以下のスタッフが一度は拒否反応を示したと言う。確信犯的に、自ら、予想や許可や雰囲気や場の空気をぶち壊す意志がある。自分でも嫌がってるし視聴者が嫌がるのも分かってるけどやると言うのが、無茶苦茶です。
ロボットアニメの一番だったガンダムが、エヴァンゲリオン以後、ロボットアニメというジャンルよりはセカイ系世代っていう雰囲気とか場の力で、地位を失ったがためのやけくそかもしれん。


色んな要素を組み合わせる、というよりは、色んな要素を放り出している。逆の物をグチャグチャに戦わせて何かを探している。もう一つのオルファンとか。
で、その要素の選び方と言うのが、個人の価値観を捨て、物の自然性を尊重するって言うのが∀の全肯定だろうか?
メカはとにかくメカメカしく。プラモデルのディテールを越えて、ナノマシンレベルでの構造。アニメロボットだが、工業デザインのシド・ミード
だって、機械ってそういうものだから。
価値観とか、好みというものがない。むしろ、自意識の規定を積極的に捨てようとしている。
ヒゲは角よりも格好悪いと言うのは自意識や常識だが、チークガードは機械的必然性だ。空想科学読本に馬鹿にされないように、コックピットを揺らさないで走るぞ。
だが、メカニカルなフェチシズムを価値にして見せると言う、YAMATO2520のようなことはない。
リアル好みなミードフィーリングはあるが、同時に大河原邦男的ビックリドッキリメカも出る。
あと、ガンダムの魅力の一つに、作品内での機体の技術のレベルが在る程度統一されているっていうのがある。第何世代モビルスーツみたいな分類とか、レギュレーションがある。
∀ガンダムは最初のザクから、外宇宙から来たターンXとか、とにかく全部出る。どの時代の機体が好みということは無い。
そしてメカに真っ向から対立するような柔らかいあきまんキャラクター、背景美術、生活感。
(いや、ヤマト2520のキャラは柔らかいんだけど、衣装はメカっぽいし、舞台もメカじゃん。ターンエーって綿とか絹とか木と石と紙だから、そういう点です)
(しかも、安田朗氏のストリートファイターカプコンデザイン室って言う文脈からも違う。シンプルな描線はトミノ監督の前でさらっと描いた色紙のチュン・リーの印象からかな?
あきまん氏のキャラの幅は

憲麻呂を見たときはストレートに良いキャラと思いましたよ。
憲さんに仕事を頼んだと聞いてそれに承諾した時点で
どんなキャラがあがったっていいんですよ。
アーケードゲームはインカムさえ良ければいいのだから
キャラクターがゲームで面白く使えれば何がどうなってもよいのですよ。
面白ければファンはつく。
賛否両論は売り上げには全く関係ないしね
騒ぐ人はほんの一部だけどその声が大きいので動揺する人もいる。
そんでそれはゲームキャラを作るときに愛が無い
ということではない。
どっぷり世界観なんてモノに浸かって浸かりすぎて
制作者がファンと同じ気持ちならないために
時にゲームを突き放して考えなければならん
と云うことです。
べた褒めに関してはしたかもしれません
あんな良いキャラは当時のカプコンではほとんど思いつく人はいなかったですから
痛快でした。
痛快というのは何故かというと
当時、安田のまねをして能力もないのに
俺も俺も、キャラデザをしたがって
わらわらとでてきてすぐに飽きてしまった人々に
恨みのような感情があったモノですから
そういう背徳的な気持ちになっちゃって
ごめん
というかんじ
http://www.tanji.jp/AKIMAN_BBS_LOG/02.html

という所にも通じているかもしれんので、まるっきり違う文脈でもないか。同じ人間だし。同時に、人は変わっていくとララァも言うし。)


そんなわけで、メカSFっぽくないキャラクターです。(と言いつつ、ディアナカウンターはレトロフューチャーであり、しかしムーンレィスはニューヨーカーっぽくも在り。と言う訳で整理すると嘘になるんだが)
でも、それは仕方がないと思う。人が快適に暮らそうと思ったら重くて硬い未来服よりも着心地が良くておしゃれな服を着るのが自然。
じゃあ、牧歌的で優しい話かと言うと、遠未来SFでもある。そのわりに近代的な外交の軋轢も当たり前に描かれているし、衣食住という当たり前も重視されてる。
何かの要素に特化したり、雰囲気を統一せずに、とにかく当たり前に。
あるものはあるんだから仕方が無いだろう!
っていう。
でも、リアルな現実を描いていると言うには、とりかえばや物語ファンタジーでもある。
理由は無い。似てるんだから仕方が無いだろう!
そういう放り出しっぱなし。
あと、歌も。
西城秀樹はメジャーだけど、曲調は思いっきりアニソン。しかもアニソン黎明期から書いてた小林亜星入魂のエッセンシャルアニメソング。
陽があれば、同じだけの陰をぶつける。
監督自身やスタッフが嫌だと思っても我慢してぶつける。



で、それは普通の人が見るものなんですか?
普通の人でも、とりあえず、「今日はこういう気分の物を見よう」と、思って見るのではないか。
猿渡哲也タカハシマコ萬画は描けないのだ。
∀の気分はグチャグチャ。
タカハシマコのような髪型のディアナ様と猿渡哲也のような暴漢コレン・ナンダーが、ガンダムと一緒にいる。
牧歌的で優しい話で女性に人気、と言う気分にしては、交渉事が込み入って細かすぎるし変てこなSF設定もある。
SFにしては説明がつかない。
ギャグも多いし主人公は殺人嫌いだが、爆撃で人がガンガン死ぬし死んだ親父は腐るから埋める。あと、腕だけ。
で、普通の人って言うのは、「場の空気」を重視すると思うので、「なんだよこれ、ワケワカンネー」ってなるのが普通なんじゃないか?
(いや、ここら辺の私の意見は、場の空気に許された経験が極度に少ない引きこもりの私怨も多分にありますが。
私はおたく同士の場でも、余裕で浮くよ。あと、不安定だし)


じゃあ、富野監督の言う普通がずれているのか?
トミノ監督は普通じゃないキチガイだから普通を取り違えているのか?
それはそれで、そうかもしれないが、僕は大富野教信者なので、トミーノを擁護すると、
「普通の人は、偏りの無い人」
という事に成るのではないか。
これはひどい
普通、だれしも、多少の別は在っても何かしらの偏りが在る。それを取っ掛かりに場を形成し、場の空気を読んで、それに近い娯楽を選択する。
だが、∀はすべて。そして、場の空気は風となって一定しない。∀の風が吹いた。



その、すべてを含む雑多な、この世のなかで、偏り無く、物事を誤解なく理解できて、あまねく感性の広く行き渡る人、中庸を行く人、それが普通の人。
ということなのではないか。
っていうか、それ、普通じゃないじゃん。
ニュータイプじゃん。


新説!
∀ガンダムニュータイプが出てくるんじゃない、ニュータイプ向けアニメだ!
な、なんだってー!
いや、別に読み解けた人がニュータイプだから偉いとか言ってまへんがな。
ただ、ここまで意図的に、あらゆる部位で、極端なくらい、相反する要素をノイズのように投入して雰囲気をメチャクチャに惑わせてるって言うことは、逆に惑わされないで誤解無く見てほしいと言う、意識があるのかもしれない。
あるいは、何が正しいかわからないから、とりあえず全部詰め込んで視聴者に判断を委ねたのかもしれない?
売れなかったけどな!


ただ、∀ファンって言う人は根強くいて、んで、∀ファンの好みって言うのはSFなのか名作なのか、イマイチつかみ所が無いと言うか、∀は∀としかいえないし。
っていうか、ガンダムってロボットモノじゃなくて、ガンダムって言うジャンルだからナー。




というわけで、今回はミリシャ対ディアナ・カウンターという状況はあったけど、あんまりロランとガンダムが動かなかったので、総論的になってしまった。
その割に思いつきでテーマだけデカかったな。
普通って何でしょうね?

  • 小さい突っ込み

放送当時、ディアナ様とキエル嬢の肌の色と目のハイライトでの見分け方に気付かなかったので、前回の話の後、元に戻ってると思っていた。何週間か。
というか、普通に見分けがつかなくなってた。
2周目3週目に成ってやっと分かった。
っていうか、普通のアニメなら、1話の区切りがついたら戻ってると思うだろう。無茶苦茶するよな。


あと、コレンの口からアグリッパ・メンテナーの武力増強の話が出て、フィルが「あの方は穏健派だぞ」と言ったり、コレンが「増援が来る前にやらないと俺の立場が無くなる」っていう話を聞いたフィルまでが焦って攻撃を仕掛ける理由に成ってるって言うのは、2周目じゃないとわからん。
っていうか、テレビアニメのペースで、3クール目くらいに出たアグリッパの話を、11話でされて覚えていろというほうが無理だろ。しかこんな短い立ち話で。
でも、コレンとフィルの立場だったら、こういう会話をするのが自然で当たり前だ。
そこら辺もやっぱり作品の製作哲学か。
あと、暴漢のようなコレンだが、黒歴史のサムライなら、何百年も後に生まれたアグリッパとフィルをチンピラだと内心見下してるような描写でもあるとも見れる。フィルにアグリッパの話をすることで混乱させて戦わせようという知性が、ボケた筋肉男の中に垣間見えるって言うか。
ディアナ様がもたもたしてるって言うのも、コレンからするとディアナは冷凍睡眠前の子供だから頼りない、って言う気分があるのかもナー。



とかなんとか。
とりあえず、次回はヒゲ人形と恐竜ロボの火山決闘です。楽しみですね。20メートルのロボットが格闘できる地下ってなんだよ。ウルトラマンか。



しかし、アニメの感想を書いても、富野監督の考えていることの 10 分の一も考えられないと実感するのだが、富野監督は僕の一億分の一も僕の妹を愛してないのでおあいこですね。