玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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カレイド スター Legend of phoenix 〜レイラ・ハミルトン物語〜

カレイドスターOVA第二作である。これで、カレイドスターの映像作品は『カレイドスター ぐっどだよ! ぐぅーっど!』 を残すのみ。
今回もまた、鳥肌が立つほどゾクゾクさせていただきました。レンタルで二回見た。
絵も豪華だよー!1時間あるし。豪華豪華。
でも、話はすごくシンプルで力強かった。


カレイドスター本編は苗木野そらの成長と栄光と挫折と夢を描いたわけだが。
今回は常にそらを導き目標に成っていたレイラ・ハミルトンを中心に描いた。
テレビシリーズはそらを中心にとてもきれいにまとまってたけど、まだまだレイラさんでこんなにすごいネタや伏線があったのだな!
レイラさんが強い女性である理由となる、半生が明らかに。


というか、佐藤順一監督って家族の話や生い立ちの話が好きやなー
これで、カレイドスターでの大抵のキャラクターの半生が語られたんじゃないかな。
そこがサトジュンの物語に対するスタンスなのかも。
日常を丁寧に描きつつ、その現在の行動理由と成る過去も丹念に。
しかし、それが単に行動の理由のために取って付けた事件やトラウマという風には成っていない。トラウマキャラだからエキセントリックキチガイだ、というように過去を安易に使っている作品とは一線を画している。
終らない日常とかわいさだけの萌えアニメとも。(軽く見れるのも、疲れてる時にはちょうど良くて最近好きだけど)


つまり、どういうことかといいますと、過去が現在の理由だけでなく、未来に向かうためのヒントや原動力としても機能しているわけだからです。
現在過去未来のバランスがとても良いのだ。
それはこの作品を見れば言うまでもないことです。


今回のOVAだけでなく、何度も繰り返されて来たのは、「過去の辛かった事の中の幸福に気付き、また現在の自分の感情の理由を捉え直し、゛結ぼれ゛(R.D.レイン的な意味で)を解きほぐす」
というようなものが多い。
で、一番心が強く、また、かたくなだったレイラさんの過去が今回やっと暴かれた。
逆に、過去との決着がついてるキャラクターは今回は脇に徹している。


ところで、過去に直面するというのはどのような場合だろうか?
それは現在のままでは未来に繋がらないと実感し、現在の自分の理由としての過去を無視できなくなるという事。
ならば、レイラさんはまさに今まで、放送終了後まで現在の努力のみで未来を切り拓いて来たってことなんだよなー。すごい。そらを成長させるためだけに天使の技を軽くマスターしたし。伝説の大技の減量の時は力石みたいだったし。(僕は出崎萌のアニメ監督が好き?)
でも、カレイドステージをちゃんと卒業し、そらと離れて、ブロードウェイで新しい自分に生まれ変わろうとした時、今までの自分を捨てる時になって、やっと過去が無視できなくなったわけですな。
引っ越しの時に昔のアルバムが出て来る様なものかも。


で、レイラさんは過去というか、自分自身と向き合うために旅に。
この旅で出会う人というのが、また上手い構成だな。順番とか。
僕は、主要な登場人物が行きずりの人からのヒントで行動を変えるという展開は実に嫌いです。
脚本のテクニックでしかなく、それまでのドラマの感情を切るものだからだ。
ガンダム0080の酒場のシーンとか。


しかし、今回は出会う人の構成がまた上手く、人に出会うと同時に自分に気付くと言うものが非常に丹念に描かれているために、私でも見やすかった。
まず、年齢の近い女と出会い、現在のレイラは人に頼ろうとしてると問題認識。
続いては老夫婦に助けられ、人生経験豊富な人からアドバイスを受けつつ、過去の自分の生い立ちを話すことで対象化。
最後に、昔の自分に似た少女に自分が優しくする。
自分に似た少女が頑張ったことをほめて、それで今まで一人で頑張ってきた自分を自分で受け止めて許すことができた。
頑張っていた自分も誰かにこうやって労われたかったんだと気付く。
同時に、自分がねぎらう側に回ることで、自分が今までいろんな人に支えられて来たことを実感できる。
つまり、弱いのに何でも一人でやってきた自分も、支えられたい自分も、支えられて来た自分も受け止めることができた。
生まれ変わるとは、別に違うことをするのではなく、今まで意識しなかった自分の中身に少し気付くだけで良いのかもしれない。


そして、生まれ変わったレイラさんはそらに会いたくなる。
なぜか?
もしかしたら、レイラさんがそらに執着したり、助けて来たのは、今回の子供に優しくしたのと同じで、自分の似姿に自分がして欲しかったことをしてやりたかったからなのかもしれない。無意識的に。
だから、今回、それを意識したところで無性にそらにあいたくなるのだな。
そこで会うんだけども、まあ、そこでの会い方がまったく違っていて、涙!
あー、変わったんだねえ。


あと、レイラさんがみんなに自分からお茶を出してもてなすって言うところで、キャシーは「変わったな」ってリアクションした。もともとコーヒーも煎れられなかったレイラさんだし。
んで、レイラさんはマッコリーとかに感謝できるようになった。変わった。
いろいろと、つっぱって見ないようにしていた部分を見るだけで、変わるのだ。


あと、最近、Dカーネギーの「道は開ける」を読みなおしてるんですけど。

他人のためにささやかな幸福を生み出すように努力することによって、自分自身の不幸を忘れよう。「他人に対して善をおこなうとき、自分は自己に対して最善を行っている」

とか

自分のみに頼る人間は容易に敗北を喫してしまうが、心に神の力をみなぎらせている人間は不敗である。私は自分の人生にそんな力が作用しているのを知ったのだ。

とか、そこら辺が似てますね。


ま、カレイドスターは日本のアニメ作品なので、「神」というよりは「ムラ社会」的に人と人のつながりとかの方をより重視している感じではあります。
あ、でも、不特定多数のつながりというよりは、つながりたいと思える特別な人が大事なんだよなー。
ってなわけで、そらとレイラのすごいつながり。
神と人の中間の天使なんすかねえ。
んで、そういう相手って言うのは、神の似姿というか、自分の似姿って言う感じですね。
そらとレイラのフェニックスの演技は、一つだった。
あ、これ、セックスのメタファーかな。
二人が一つになることで、力を増すというもの。キリスト教は神という仮想価値から力を引き出すけど。セックスや二人の融合からの力というのは、密教的?
レイラがそらに髪を切らせて、しかもその時に他のメンバーは席を外すとか、すごくエロイ。
でも、そこが性行為ではなく綺麗に見せていくって言うのが百合の良さなのかねえ。アガペー


ケンがそらを自分の夢だって言うのも、アガペー的だ。
アガペー密教が日本のアニメ?
いやー、おもしろい。


カーネギー自己啓発とか、キリスト教とか、密教の聞きかじりとか、アニメを楽しく見るためには役に立ちますね。
実際の人生には?
アニメのない人生など、おれは認めない!