玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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出崎統版あしたのジョー65〜68話 ドサ回りジョー…出崎統と富野の旅!その1

精神病で相手の頭を殴れなくなったジョーが、東京のボクシング業界を去り、地方興行の見世物ボクサーになってさすらう編!

話数 サブタイトル 脚本       作画監督   演出
第65話 リングある限り 宮田雪    杉野昭夫   崎枕
第66話 明日への旅立ち 田村多津夫   荒木伸吾 吉川惣司
第67話 小さな冒険旅行 松岡清治     杉野昭夫 斎藤博
第68話 仕組まれた八百長 山崎晴哉     杉野昭夫   富野喜幸

http://members.jcom.home.ne.jp/daoss/SAKUHIN/tv1/tv1best.htm
↑あらすじ
全79話なので、もう終わりに近いのだが。原作に追い付きそうだから終わったらしい。
ここら辺は、そういうわけで、原作にない一話完結ドラマが多い。いわゆるボトルショー。
第66話「明日への旅立ち」は、ジョーが上野駅で出発する前に知り合った旅好きの少年との交流。これは、ルパンVS複製人間の吉川さんらしく、汽車の旅の旅行ポスターなど上野駅の内装がリアルでカッコいい。微妙に銀河鉄道999みたい・・・。旅に出ることに憧れる少年を通じて、ずっと旅をしていたジョーは少年時代を思い出す。っていうか、原作では少年時代の矢吹丈は描かれていない。(台詞での回想はある)出崎統は、ジョーが子供の頃から脱走して旅をしているっていうのを描くのが好きだな。というか、出崎統=旅。
67話の小さな冒険旅行は、機動戦士ガンダムの小さな防衛線みたいな感じで、ジョーの子分のドヤ街の子供たちが、地方に巡業しているドサ回りのジョーを追いかけて珍道中をするっていう話。また旅の話…。電車をキセルしたり、夕暮れを迷ってる子供たちが最後にジョーに会えた感動は子供に共感されるような感じ。大人でも迷子になった時の子供時代を思い出す。


しかし、やはりその分、原作よりもものすごくカッコ良くなってる。原作だと、ジョーはドサ回りの一座に行っても、すぐにカーロスを偶然テレビで見て、すぐに帰っちゃうんだけど。
アニメだと、ドサ回りの一座の一人一人も単なる使い捨ての脇役じゃなく、一人一人に性格付けがあるように、人間として肉付けが増量されてる。それで、映画的にぐっとくる。
キー・パーソンは稲葉さん。通称、いなちゃん。この人は声が小林清志次元大介とか)だからすごく渋い。すごく。ドサ回りボクシング一座で一番強い人。

あしたのジョー DVD-BOX(2)~TOMORROW’S JOE~

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原作だと、稲葉粂太郎はジョーとドサ回りの最初の八百長試合と、ジョーの最後のドサ回り卒業の試合だけで対戦した男。原作でも、ジョーを「お前はドサ回りにいる男じゃない」って言ってバンザイをみんなにさせて送りだすのだが、アニメの方が格段に「空気感」「雰囲気」がカッコいい。原作のイナちゃんは空気感より、ストーリーの歯車の一つって感じで、段取りをこなすだけっていう感じで、あんまりテンポは速いんだけど面白みに欠ける。原作での稲葉はジョーのドサ回りの初戦と最後の試合の段取りの対戦相手、という程度です。アニメではドサ回り編でもジョーが確かに人生を送っていたという情感を臭わせる好人物になっていて、原作よりも対戦数が増えている。
また、あしたのジョーはジョーを主人公にして、いろんな男たちとボクシングという名の恋愛をするハーレム萌えアニメだと、私は思っているんですが。いなちゃんはドサ回り編のヒロインって感じ。拳を交えた男たちは百万語の友情ごっこよりも仲良くなる。
この「百万語の友情ごっこよりも…」ってのは原作のあしたのジョーのカーロス編の終わりでも言ってた。あと、ベルサイユのばらのアンドレがオスカルをファックするシーンでも言ってた。オスカルは女だけど。
で、

ホモソーシャル的な男の仲間達。

ここらへんは「さすが出崎統!」という層の厚さ

劇AIR・劇クラナドなどに比べて、

全盛期の出崎の「男達」がこのGENJIでは帰ってきている
http://d.hatena.ne.jp/mattune/20090327

出崎統ってデビュー作のあしたのジョーからなんかホモっぽいと言うか、ゲイっぽいと言うか、男の仲間がカッコいいよなー。この稲葉さんが、ドサ回り一座に微妙になじめない、コミュニケーションが下手なジョーをそれとなく助けてくれる兄貴的な感じでいる。それがまた映画っぽい。そして出崎統らしい。
原作のイナちゃんについてはこちらが詳しい↓
http://www.geocities.jp/takahajime2003/eiga-jyo-kumetaro-inaba.html


そして、このドサ回り編は、少年院出所編で、ジョーがプロボクサーになろうとあがく時期からあしたのジョーチームに入った富野喜幸の最後の演出登板編でもある。さすらいのコンテマン富野が最後に「帰えれ、輝くリングへ」でジョーチームを抜けるのは象徴的だなあ。
このドサ回り編でのジョーと稲葉の関係性が、後に葬式まで続く出崎統と富野との関係性にも似てて、萌える。富野と出崎統だけがドサ回り編ですよ。
あと、脚本は最終回のカーロス2部作を書いた小林幸さんが3連。これもなかなか萌える。
小林幸さんは、あしたのジョーくらいでしか名前がネットでは確認できないので、謎。


まあいい。


イナちゃんがすごい萌えるのだ。
何がどう萌えるかと言うと、すっごい映画っぽいのだ。68話の富野コンテがマジで良い。原作と全然違うのが良い。
68話の「仕組まれた八百長」の日本映画っぽくカッコつけた感じの演出が富野で、50年代の邦画っぽいのだ。
流れは、
ジョーが稲葉と見世物の八百長試合をしろって言われる、
ジョーは本気の試合をしたいってキレる、
雷で会場が停電して試合が中止。
(ここで、原作では稲葉との試合はお流れなんだが、
そこで


原作でこういう電球が切れる絵が描いてあるんだけど、この電球はアニメ版で、ジョーが少年院に入れられた時の電球と同じ。
この画像はアニメ版。
で、時期的にどっちが先かはわからないけど、相互に影響してたっぽい時期ですね。連載と放送の時期が被ってる)


んで、
稲葉とジョーはアニメでは再戦するの。そこで、ジョーがイナちゃんをボッコボコに殴るの。力石戦の原画タイミングBANKで!稲葉もまた、ジョーにとってライバルって言うのが分かるわけよ!で、ジョーはテンプルを打てないっていう不調を抱えているけど稲葉を倒す。何とか。
それで、イナちゃんがジョーに「久しぶりに骨身にしみるパンチだぜ・・・」って言って倒れるの。すっごい萌える!!この殴り合いって言うスキンシップで、互いに心を伝えあうのが萌える!
ジョーは中央ボクシングを追放された身だけど、ドサ周りでもドサ周りなりに真剣な試合をしてもらう事で稲葉を信頼するようになるし、稲葉も惰性で見世物ボクシングをしていたのにジョーから拳闘の熱さを思い出させてもらう。こういう双方向性の人間関係が良いね。
原作では、イナちゃんはジョーをドサ周りから中央のリングに返すって言う役割だけを持たされたキャラクターっぽい。原作だと世界チャンピオン>ドサ周り>ドヤ街の貧乏人っていう価値観があるっぽい。でも、アニメ版は弱者にも目を向ける富野と出崎統
ドサ周りのボクサーにもドサ周りのボクサーなりの生き方があるんだ、っていう映画的な情感、哀愁、そして男の美学を描いている。
たまらん!


で、2回目のイナちゃんとの対戦の前に、ジョーはフラッと地方巡業の夏祭りに出かけるんですわ。これはアニメオリジナル展開。
っていうか、田舎の夏祭りの出し物の一環として、ドサ周りの見世物ボクシングをしてるの。で、ボクシング興行開演前の時間で夏祭を楽しむジョー。そこに偶然、浴衣姿で現れる稲葉。二人で、ボクシングについて、静かに語り合いながら、かき氷を食べる・・・。風鈴や風車の並んだ屋台の情景越しに、茶店に座った二人が見える・・・。時代劇か50年代の邦画のような静かな演出。っていうかホモデート。でも、直接的になかよしするんじゃなくて、ただ二人の男が静かにとなり合うだけ・・・。渋い!


で、夏祭りでの暴力性がすごいのだ。何がすごいって、ボクシング自体よりも、ドサ周りの拳闘を見に来る田舎のダメなおっさんたちのガラが悪すぎてすごい。リアル。昭和40年代のダメな農村をノスタルジー抜きに、その時代でそのまま描いてるので、泥臭い。今の眼で見るとAlways三丁目の夕日とか20世紀少年よりも、黒澤明どですかでんあたりの、実際の昭和の映画って感じがするのだ。
ドサ周りでのジョーの1回目の試合は「死神ジョーが何人殺すか?」っていうキャッチコピーで、ジョーがなかなかリングに上がらないと「さっさと出て来い!」「殺せー!」とかすごい汚い野次を飛ばして、物を投げるんだ。ガラが悪すぎる。まさに日本の土人。暴力ショーを、良い歳をした大人が楽しんでて、今のこぎれいなアニメでは味わえないクズ人間が描かれている。富野アニメでは、ライディーンが一般市民に嫌われるギルディーン回とか、ザンボット3とか、ガンダムのサイド7の避難民とか、ダンバインの東京編とか、酷い一般人が多いですけどそういうすさんだ人間観が富野らしいと思います。


だけど、嵐で1日目の試合が中止になると、次の日はよく晴れて、ジョーと稲葉の夏祭りでの語らいは、前日の狂騒から一転して静かに爽やかに見える。このテンションの上げ下げが非常にうまい。映画的である。富野が実写映画を撮りたがっていたんだな、こういう劇が作りたかったんだな、って言うのが感じられて非常に良い。
富野がライディーンからはほとんどロボットものの人になるけど、それ以前のコンテ千本切り時代のあしたのジョーはロボット抜きの人間ドラマが見れて、富野の日常芝居のうまさが実感できる。なんか、染みるんだよ・・・。いや、富野のコンテは出崎統にとっては叩き台でしかなかったのかもしれんけど・・・。出崎統は他人のアイディアを取り入れるのが上手い人でもあったしなあ。天才だけど。
そして、ジョーは語らいの中で、稲葉が元フェザー級2位なのに、ドサに身をやつして飲んだくれている、逃げている、と思う。稲葉はそれに対して、年上の大人として、また、ドサとしてでも生きていかなくてはいけないと言う一人の人間として、仕事としてボクシングをするっていう様をさりげなく見せる。これが、とても、渋い。そして二人の心が近付く。


そして、2回目の対戦。これもアニメオリジナル。
”久しぶりに骨身にしみるパンチだぜ”と、原作以上に実感の込もった台詞で稲葉は倒れる。
酒浸りだった稲葉も、ジョーを通じて、本当の拳闘と言う物を思い出す。そして、ジョーを認める。
こうやって、キチンと主人公のカッコよさを描くのがすごくいい。また、稲葉も単なる使い捨てキャラクターではなく、一人の人間として生きてるんだ、個人の人生と考えがあるんだ、って言う風に描くのが出崎統らしい、キャラクターに魂を与えるやり方だ。この時の出崎統は27,8歳なんだが。


あと、この夏祭りの描写は劇場版AIRにも通じると思った。というか、出崎統ってデビュー作から21世紀まで、一生こんな感じだったんだなー。

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