玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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出崎統版あしたのジョー69〜72話 ドサ回りジョー…出崎統と富野の最後の旅!

精神病で相手の頭を殴れなくなったジョーが、東京のボクシング業界を去り、地方興行の見世物ボクサーになってさすらう編!

第69話 牧場の子守唄 小林幸     杉野昭夫    崎枕
第70話 気になるあいつ 小林幸     杉野昭夫    崎枕    
第71話 無冠の帝王カーロス 小林幸     荒木伸吾    富野喜幸
第72話 帰えれ、輝くリングへ 小林幸     杉野昭夫 富野喜幸

http://members.jcom.home.ne.jp/daoss/SAKUHIN/tv1/tv1best.htm
↑あらすじ


69話の「牧場の子守唄」崎枕回。
なんか、ジョーが興業の休日にふらりと立ち寄った牧場での3日間のドラマ。完全にアニメオリジナルである。
なんというか、出崎統ブラック・ジャックに似た感じで、原作のちょっとしたヒントから話を作りまくりだ・・・。
原作のジョーが「少年時代から孤児院施設の脱走を繰り返していた」って言われる一言の説明から、幼少時代のジョーがどんな気持ちで放浪をしていたか、現在もどんなふうに放浪しているのか、っていうドラマを創作している。


69話の冒頭では、前回で絆を深めたイナちゃんとジョーが休暇を取って山をハイキングする。二人っきりで。もうね、ラブラブかと。そこで、ジョーががけから落ちてけがをして、近くの桧山牧場に住んでいるユリという少女に世話になる、って言う。すっごいベタな70年代ドラマである。傷だらけの天使かよ。1話きりの少女との交流とか、ベタすぎる。ルパン三世かよ。
イナちゃんは気を聞かせて、ジョーを静養に残して、自分はドサ周りの一座に帰って下山。わざとらしい!
でも、ジョーは2晩くらい泊まって牧場の飼い葉の整理とか、手伝ってマメに働く。そんで、ユリは”ジョーがあたしの兄さんになってくれたらとてもとても、嬉しいワ”と。
ベタ。ベタすぎる!!!
ユリの兄がボクサーを目指して失敗して、実家に顔を隠して仲間たちと強盗に入るけど、ジョーに倒されて、母の優しさに触れて改心する。(父親は出てこない)
クールに去っていくジョー。
ベタすぎる。
だが、この短編ドラマをスッキリまとめる感じも出崎統である。ジョーがふらっと来て、ふらっと問題を解決して、また去っていくのは、西部劇や椿三十郎っぽくもある。国定忠治等の講談とか映画の影響もあるんだろうか?牧場は西部劇っぽいなー。出崎統は貸し本出身だしなー
夢に破れた男たちを描くのも、出崎版ジョーって感じですね。あと、母子家庭。父親は出てこない。ジョーがマザコンっぽく、母に捨てられた事を回想するのも出崎チック。
ちなみに、このゲストキャラクターのユリは野沢雅子唯一の美少女役。可愛い。野沢雅子さんも、唯一の美少女役なので、印象に残っているとか。
詳細は↓
http://members.jcom.home.ne.jp/daoss/SAKUHIN/tv1/1_69.htm


RAH リアルアクションヒーローズNO.35 あしたのジョー 【矢吹 丈】

RAH リアルアクションヒーローズNO.35 あしたのジョー 【矢吹 丈】

で、満を持してカーロス・リベラ編の70話だ。

ホモい。
やっぱり、あしたのジョー出崎統バージョンは、ジョーと戦う男たちがヒロインって感じのハーレムギャルゲーアニメに似ている気がする。
原作以上にカーロスが貧乏だったっていう過去がたくさん語られるシーンとかがギャルゲーっぽい。
カーロスが70話で、ジョーのいる仙台にわざわざ来て、試合をするっていうのがギャルゲー。なんでかって言うと、アニメのカーロスは萬画と違って、ジョーに一目ぼれしてるからだ。
んで、ジョーがカーロスの対戦相手の南郷(日本2位)たちと口論をして乱闘になっていたら、そこに颯爽とカーロスが登場!で、カーロスはいきなり特に理由もなくジョーに味方をして乱闘。
ラブラブ。イナちゃんと仲良くなってるかと思ったら、やっぱりカーロスが出てきて男同士の恋愛的な魂のつながり的な、三角関係的な物が発展する。いいね。


で、71話ではジョーがカーロス対南郷の試合をテレビで見る。
原作でのジョーは旅館で一人でテレビを見てる。他のドサ周りの一座のみんなの会話やゲームの輪には入らない。
でも、アニメだと稲葉さんがドサ周りの一座のプロモーターの河野と交渉して、ジョーのためにテレビを買ってもらう。なんでかって言うと、ジョーが「カーロスの試合を見に行きたいから休みをくれ」ってごねたけど、休みはあげられないから、代わりにテレビ。
イナちゃんが買ってあげるっていうのが、なんかやさしさ。っていうか美少女アニメ臭い。やおい
ジョーはカーロスの試合を見て、カーロスの必殺高速ひじ打ちを見破って、カーロスのすごさに惚れる。
カーロスもテレビの中で「この試合の勝利の喜びをジョー・矢吹に伝えたい」って言う。ラブラブすぎる。
ジョーもそれで興奮する。
原作では、カーロスはジョーに対する印象はまだ薄い。この試合もジョーが勝手に見てるだけ。
でも、アニメ版ではカーロスは64話でジョーの試合の前にジョーと会った時からずっとジョーを意識してるっぽい。野獣同士は一目で分かり合うっていうのが、徹底しているのがアニメ版。アニメ版は後出しじゃんけんだし、整理されてる。それに、ジョーとカーロスの魂の絆って言うのが強調されている。原作版はジョーの強さを見せる、1人にスポットをあてる感じだが、アニメ版はジョーとその時々に関わる相手との関係性の描写さらに強調している、って言う感じがする。


72話はジョーがドサ周りを辞めて東京に帰り、富野喜幸の最後の絵コンテ回。
原作では、ジョーを東京に帰すっていうシナリオを進めるために、稲葉が一人でキレてジョーを追いだす感じ。
アニメは、稲葉だけでなくドサ周りの一座のみんなが「ジョーを東京に送りだそうぜ!」「ドサ周りから逆に中央に登っていく奴が一人くらいいたっていいじゃねえか!」って盛り上がって、ジョーを胴上げで送り出す感じ。
原作でも、ジョーと稲葉の最後の試合で、稲葉が観客と乱闘して、観客をボコボコにして無理矢理バンザイさせてる。だが、それはちょっとしたギャグって言う感じ。
「おら、おまえら万歳しろ!」「バンザーイバンザーイ」っていう、ちょっと古めの、正に70年代の漫画って言う、平坦な感じ。シナリオに沿って進行する、手塚治虫の初期のマンガような淡々とした感じとも言える。
いや、マンガも盛り上がっているのだが。
やはり、アニメの方がもっと、キャラクターの一人一人が生き生きとしている感じがする。
観客に無理矢理バンザイさせるのも、ジョーを東京に帰そうとするのも、稲葉一人がやってるのではなく、ドサ周りの一座の全員が参加して大乱闘になってしまう、っていうお祭り感覚がある。
また、はしゃいでいるだけでなく「底辺から逆に中央へ」「泪橋を逆にわたる」っていうあしたのジョーという作品のテーマに通じる悲哀とか情感、映画的なドラマ性、感動を呼び覚ます展開がアニメオリジナルで、とてもいい。
やはり、作品としてまとまりがある。


また、カーロスと稲葉との交流の描写がしっかりしている分、アニメ版では「カーロス・リベラの事をジョーが気にしていると稲葉が知っている」「稲葉もジョーを憎からず思っているが、自分の実力ではジョーを幸せにできないと思い」「ジョーをドサ周りからカーロスのいる中央へ送り出す」っていう、ホモっぽい、というか、昔からよくある男女の恋愛ドラマにも置き換えられるようなドラマの定型に沿った展開にも見える。
あと「稲葉が自分の果たせなかった中央での栄光という夢をジョーに託して別れる」っていう男のドラマもちゃんとある。
あしたのジョーのそういう映画っぽさ、ドラマ性はアニメ版でとても増していると思う。原作はちょっと古いと思うけど、僕はジョーのアニメは作画や時代背景はともかく、構成や演出は全く今のアニメや映画に劣らないと思う。何故かというと、それは富野由悠季が再三言っている「普遍的なドラマ」が描かれていて、演出もそれを邪魔しないでキチンとリズムを取っているからだと思う。
マンガの方が、キャラクターが記号的で、アニメの方が写実的ともいえる。絵柄だけでなく、構成、演出の点で。


そういう映画っぽさが、富野由悠季の初期演出作品にもあったんだなーって思う。


また、乱闘とかお祭り感覚は、富野由悠季の21世紀のオーバーマンキングゲイナーにも通じるので、やっぱり蓄積されてるのかなーと。


ここで、富野はあしたのジョーを去る。
富野は出崎統のセンスを真似しようとしたが、出崎統が天才すぎて出来なかったと、彼の葬式で語った。そういう付き合いができたのか、何十年も。


それから、出崎統の話に戻ると、あしたのジョーの普遍的な人間関係は男同士でもジョーとの間にホモセクシュアルに近いような、主人公と複数のヒロインという図式になるような、ギャルゲー的な物と言える。
それで、男同士でもジョーを取り合ったり、身をひいたり、っていうヒロイン同士の駆け引きがある。これが恋愛をテーマにした昔からの普遍的ドラマの盛り上げ方に近いとも言える。
つまり、恋愛は普遍的なテーマだし、それをボクシングって言う殴り合いに置き換えてジョーと言う主人公といろんな男や女たちの愛憎を描いたあしたのジョーは普遍的だ。そして、同時にギャルゲーや美少女アニメにも近い構造でもある。
だから、出崎統が21世紀に入ってCLANNADAIRといったギャルゲー原作アニメを手掛けるのは、あしたのジョーから見ると、パッと見では男くさい世界からなよなよした美少女の世界に移動したようで一貫性が無いけど、実は根底では普遍的な人間を描く、という点で繋がっていると言える。
ギャルゲーは普遍的なんだよ!
Genjiの源氏物語もハーレムものだしなー。


あと、出崎統は少女漫画原作の系譜とか、ギャグや動物の系譜もある。