玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。旧玖足手帖から記事・ブクマを引き継ぎました。


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輪るピングドラム第22話「美しい棺」1愛の狩人・真砂子の倫理と映像原則

前回の感想で、美しさと殺人について書いた。
つまり、「愛は美しい」、されど「愛は愛する人と愛していない者を分けること」、だから、「愛によって人は人を殺す」と言うことだ。
冠葉は陽毬を愛するが故に、陽毬の意志とは関係なく、他人を殺した。


その姿は美しいのかもしれない。だが、殺される脇役だって家族や夢があるんだ。それを摘み取る殺人を犯す主人公は美しいのか?
そういう事を考えた。


だけど、冠葉は自分も撃たれる場所に率先して出て行った。先週の冠葉は、覗木記者を殺す時に指示を与えただけだったけど、今回は警察官や機動隊員に銃撃される覚悟で戦場に出た。冠葉の使っている爆弾は怪しげだが、一応冠葉は一方的に殺人をしているのではない。自分の将来や命はとっくに捨てて、相手を殺した分だけ自分を殺している。彼も血を流し、いつ殺されても躊躇しないで戦っている。
そう、これは殺人ではない。戦いだ。
戦う者は美しい。
と、新機動戦記ガンダムWヒイロ・ユイのような事を言ってみる。


しかし前回、顔の見えない覗木を殺したのは特別な因縁を持っているメインキャラの冠葉が一方的に脇役の「何者にもなれない奴ら」を殺したように見えたが、今回の冠葉は顔を隠した「何者でもない」機動隊員と戦って、殺した。(冠葉を見張っていた若い警察官の顔は映った。そして殺された)
だが、視聴者には見えないが、その死体を冠葉はキチンと見た。彼も血を流した。同じ土俵で命を賭け合っている。その覚悟がある。


だから、冠葉は美しい。


戦いは美しいが、社会的倫理としては確かにテロはいけない。と言うことになっている。
だが、しかし、ちょっと考えてみよう。テロはいけないというのは、全共闘の革命が失墜してから、たかだか40年間の日本における倫理でしかない。その前にはアメリカが空から爆弾を馬鹿みたいに落としていたし、アメリカは今もアフガニスタンイラクに爆弾を落とし続けている。そのように国家が個人的なゲリラを圧倒的な暴力で殺戮し統制する事は正しく、テロリストは間違っているのだろうか?
「テロは絶対に許されない」等と言うのは、単なる「私は善人です」というポジショントークのためのお題目に過ぎない。


そんな世界と戦う戦士の美しさについて考えてみた回だった。今回は真砂子について書く。

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  • 社会的倫理の相対化

この作品の、今週の面白いな、と思った事は、夏芽真砂子が冠葉に警察への投降を進めたのに、結局は冠葉を逃がすためにおとりになると言う風に意見を変えた事だ。
最初、真砂子は冠葉にゲリラ攻撃計画から降りる事を勧めていた。
(ちなみに私は「テロル」は恐怖政治、すなわち軍事国家的暴力によって引き起こされる世論統制だと思っているので、数百人規模のゲリラによる単発攻撃をテロと呼ぶ事はあまり好きではない)
だが、真砂子は企鵝の会の男たちに「投降しても国家に殺されるだけだ」と言われ、その言葉を信じ、冠葉を助けるために真砂子も社会に対して反旗を翻した。真砂子は、KIGAが冠葉を使い捨てにしようとしていると思っているのに、KIGAに冠葉を託した。なぜか。社会の方が冠葉をさらに使い捨てにするものだからだ。
夏芽ホールディングスの社長として、世間と渡り合っている真砂子はそのことが分かっている。
僕だって、人間の裁判や国家が正しい判断ができていると信じられる時代には生きていない。



悲しい事だけど、今も地球上の人類には格差はある。そして、殺人はおそらく良い事ではないのだろう。
だけど、弱い少数の人が、多くの国家に属する人を殺す事は「絶対的な悪」なのだろうか?世の中は経済や軍事と言う非常に大きな、数億人の一人一人が歯車になっている社会で成り立っている。そして、その歯車は弱者の事を大抵は顧みない。自分の幸せのために他人を蹴落とす世界だ。特に、この輪るピングドラムでは一般世間の弱者に対する冷たさは描かれている。
夏芽真砂子は東京スカイメトロの10周年記念番組にいたずら電話をかけてこう言った「明るい場所と暗い場所は共存しなくてはならないの」
真砂子は暗い場所に生きている弱者や、16年前の事件の呪いに縛られている人を切り捨てて上っ面だけ平和を取り戻して、さらに明るい世界を作ろうと言う白々しい社会に批判的であった。


だから、真砂子は殺人を犯した冠葉を国家や社会が正当に裁く事ができない、それはただの権力による人殺しだと納得したのだ。だから、真砂子は人殺しの社会に対して、彼女も一人の狩人として対決する事を決意した。と言うのが彼女の心の流れだ。


国家も所詮は人の集まり。そして、このアニメの中では特に、人は自分の幸せを最優先にエゴイスティックに生きている。だから、国家の管理であっても、それは結局はただの人殺しだ。だから、個人はそれに対してただの狩人として立ち向かい、負けるかもしれなくても殺し合って、戦って、戦って、戦いぬいて、そうして正義を証明しなくてはいけないんじゃないかな。と、僕は思う。
実際、日本は円高やアメリカ経由の武器の輸出と言う形で間接的に世界と戦って、勝っているから安穏としていられるという面もある。(支援資金を武装に使って人材育成に回さない途上国の軍閥も良くはないが)


そして、戦って得られたものが一時的な体制の中だけの正義、美しい棺の中の平和に過ぎない。
それは、国家でもカルト組織でも同じなんだ。
だから、真砂子は「父親のやったことと、冠葉がやろうとしていることは恐ろしい事」だと社会通念上で分かっていても、冠葉が戦闘行動を起こしていると気付いたら冠葉を止めるのを辞めた。真砂子は決して「冠葉は人殺しだから悪い」と「倫理的な批判」はしなかった。
彼女にとって、倫理は相対的な物に過ぎないからだ。
むしろ、倫理よりも大事なのは、「いかに愛する人を生き延びさせるか」という戦略だ。
愛の話なんだよ。
そして、愛は戦争だよ。

  • 倫理とエゴの力関係を映像の原則から読み解く

輪るピングドラムは、このように、一般的常識として、一般生活を送る上で方便として使うべき社会的規範の「テロはいけない」という意見を批判的に見て、その意味が何かを思考停止しないで考えるアニメだ。
これは、ゲリラ賞賛のようにも見える。だが、決してそれだけではない。
むしろ、ゲリラになった少年と、その妹の心の揺らめきの輝きを見せる事の方が芝居は重要なんだと思う。論文じゃないんだ。
というわけで、非言語的な演出論として、また映像の原則をテキストとして、Bパートの真砂子の心の動きを解説します。

またしても、ハイアンドビューさんが作成したこの映像の原則の抽出図を使います。ちょっと富野信者の馬鹿の一つ覚えのようです漫画、まあ、このブログの持ち味と言うことで・・・。



Bパート頭の真砂子は、このように下手に立って→向きに冠葉に「あなたたちは見張られている」「計画から降りた方がいいわ」と、常識的、社会的倫理の理屈を説く。だが、このシンメトリー構図で上手に立って→向きに強い意志を持っている冠葉は真砂子の言葉を拒絶しているし、映像的にも真砂子より強い。
ピングドラムにおいては、社会的常識より、個人的エゴの思いの強さの方が強い力を発揮すると言う風に描かれている。これは序盤から一貫しているが、前回の晶馬と冠葉の決闘でも示された。社会的倫理に基づいて「殺人者集団と関わるな」という晶馬は「陽毬を助けたい」という冠葉に決闘で敗れた。
個人の意志の動機づけとして、やはり社会の要請よりも自分の内面からわき上がる想いの方が強いと言う風に描いているのだ。個人主義的な作風で、社会全体主義的ではないのだ。




そして、冠葉は自分を妨害する警察官を爆殺しながら目的の「森」と呼ばれる池袋のデータセンターに向かう。
その時の真砂子は上手に立っているが、むしろ←向きに流れるように有無を言わさぬ冠葉についていく、という印象になっているので、やはりここでの真砂子は弱い。ここでの真砂子は「こんなひどい事をするなんて・・・」と、常識人の立場から倫理的発言をしている。10話で冠葉に強引なキスをした時は映像の原則的に、上手の上側から冠葉を圧迫するような思いの強さを見せた真砂子だった。が、このように社会と冠葉がリアルに殺し合いをすると、おろおろしてしまっている。彼女は意外と常識人だったようだ。また、冠葉を殴って取り押さえて警官に売り渡すような強い行動はしない。


「あの男の正体が分かったの!あの男は呪いなの!この世のものじゃないの!」と、重要な情報を言う時は上手の右上にいる。これは、強い意味がある情報と言う演出的サイン。

だが、その時の真砂子がフレームにインするより、冠葉は一足早くフレームアウトをして、二人はあまり同じ空間に居ないようにカメラが撮っている。つまり、冠葉は聞く耳を持っていない。むしろ、そんな事は眞悧との対決で承知していたのだろう。



「投降しましょう。わたくしも一緒に」と言う時、やはり真砂子は下手で弱い構図。振り向いた中途半端な姿勢や、表情も頼りなさげ。
逆に冠葉は→向きのドアップで、強い意志を見せている。真砂子が冠葉を追い詰めた10話とは逆に、完璧に冠葉のペース。


それでも、「ついてくるな」と言われても真砂子はついていく。
ついていくことしかできないけど、ついていく。それは妹の強さだと僕は思う。兄が世界を敵に回しているのに、世界の味方にならないで、「兄のためにどうしたらいいのか」を考えながらついて来てくれる妹の真砂子は、本当にシスコンから見ても魅力的な妹だと思う。キスしたり恋敵の記憶を消すという近親相姦的な所も含めて、すごく積極的に兄を支えようとしてがんばっている真砂子は本当にかわいい妹だ。


そして、地下階段で真砂子は冠葉を説得する。
「あの子は赤の他人じゃない!」と言った時、カメラは水平位置。真砂子は下手で冠葉が上手に並んでいる。冠葉は真砂子を見ない。

そして、ここでも真砂子は下手で、中央で安定している冠葉の心を揺さぶれない。
「わたくしたちの父親がどれほど恐ろしい事をしたか」と言った時、カメラは二人を映さず俯瞰で地下階段を映す。真砂子の言葉はやはり届いていない。客観的な事実は心に響いていないように演出されている。
「わたくしたちの父親は使い捨てられた」真砂子の正面バストアップ→冠葉の背中のバストアップ。冠葉にとって肉親の事は少しは足止めになる。真砂子も真正面から頑張って言う。
だけど、冠葉の足は前に進む。→歩み去るその足元のアップがフレームアウトすると、→真砂子の足が駆け寄ってフレームインして、そして、真砂子は追い付く。

「行かせない。」
真砂子が思いっきり上手まで走っていく。真砂子の想いがカメラのレイアウト的に、ボルテージがそれだけ下手から上手へ増量しているってこと。

そして近い距離で語り合う。まだ背中だけど、真砂子は近づいた。
「私、あの日からずっと戦っていた。これ以上奪われないように」
そう。客観的、常識的意見では戦士の心を揺るがせない。が、妹の個人的な思いは強いのだ、と言う風に描いている。このアニメはそういう作品だ。そして、そういう重い思いこそが、感動を呼ぶんじゃないか?
10話の時は暗闇から上手から飛びついて無言で偉そうにキスしたような真砂子が、今度は下手から背中にすがりついてしおらしく語るとか、とてもかわいい妹になったなあ。って思う。泣ける。

「このままだと、あなたはきっと使い捨てられて殺されてしまう・・・」
真砂子、常識も何もかもかなぐり捨てて「あなたにいてほしい」という荻野目苹果の18話のような告白をする。その告白は切実ゆえ、真砂子はついに冠葉よりも上手に顔がアップで映る。
上手下手のどちらがポジティブでどちらがネガティブか、ということはいろんな説があるが、とにかく真砂子の位置関係が思いが強い言葉を語る時に劇的に変化する、と言う事は異論がないでしょう。ああ、真砂子は本当に愛に生きている人なんだなあ。社会的なしがらみがどうとか、法律がどうとかじゃない。愛だ。

「だまれ」と言う冠葉の顔は下手。さりげなく、彼が真砂子に弱みを見せている演出。
それを打ち消すように、真砂子は「嫌!私は二度、あなたを失いたくない!」とやっぱり上手に勢いをぶつける顔で叫ぶ。愛だ。

「おねがい、言って。私はあなたの大切な妹だと。そうしたらわたくしは未来永劫あなたと一緒に呪われても良いから・・・」
苹果が晶馬に「私は晶馬君のストーカーだから」と言ったのと同じくらいの愛の告白。そして、愛の告白は映像的も強い。運命の列車に乗らないと言った真砂子だが、冠葉と一緒なら乗っても良いと。
この、同じレイアウトのちょっとずつ変えたリフレインで感情を高めていく演出はとてもいいなー。
そして冠葉も「真砂子・・・」と、心を打たれたような眼の表情をするが、

若い二人をサーチライトがつけ狙う。


そして、冠葉は敵兵を殺害する。敵兵も冠葉を殺すつもりで来ていた。これは獲物と狩り人の拮抗した戦いだ。どちらも殺す気で戦っている。
警官は仕事で仕方なくやっている公務員かもしれない。だが、仕事であっても殺しにきているのだから覚悟完了と見なす。そして、国家とテロリストのどちらが正しいかは戦いで決着を付ける。(カダフィ政権を倒したのも結局NATO軍のテコ入れだったしね)
国家も所詮はちょっと民間人よりも多く武器を所有しているだけの武装集団に過ぎないと言うのは、歴史が証明する所だ。結局は戦いだ。



ここで、冠葉は下手に歩く。真砂子が上手に残るのは、強弱と言うよりは真砂子が「常識人」で冠葉が「ヤバい奴」という表現だろうか。
そして、そのヤバい冠葉と死体の山を見て

「冠葉、あなた・・・」
と、真砂子は冠葉が既にもうどうしようもなく引き返せない戦いに身を投じている事を悟った。このセンターポジションの真砂子は客観的にもそれを実感したような表情。


と言う位置関係だったんだけど、また強烈なサーチライトと銃撃でイマジナリーラインがリセットされ


兄らしい強い上手の冠葉が、銃撃にさらされる弱い下手の真砂子を守るように位置が逆転!

そしてさらにダンスを踊るかのように回り込むようにカメラが切り替わって抱き合う二人。冠葉が真砂子をかばったって、撃たれた方向が分からなくても印象としてわかるすごい演出。
そして、
「だめ・・・。おにいさま・・・。真砂子を・・・離さないで・・・」
と、堀江由衣さんが真砂子ではあまり使っていなかった美少女ボイスでつぶやく・・・。美しい・・・。
抱き合ってるのに「離さないで」と言うなんて、ちょっと矛盾してるけど、それくらいこの抱擁は永遠であって欲しいものだったんだ。愛の話なんだ。


そこから一気に回想シーンにぶっ飛ぶ!


10年前の5、6歳の真砂子は下手(陽のあたる常識の世界)へ。そして、冠葉は上手の企鵝の会と言う影の、主観的な美しさの世界に残されて、二人は引き裂かれた。(おそらく16話で冠葉が夏芽家を訪れる前の話だろう)
10年前の冠葉は企鵝の会が影の自己中心的なグループだと言うことが既に分かっていたんだろう。そして、真砂子とマリオを「普通の子」にして光の方へ返すために自分を捨てたんだ。
冠葉は幼い真砂子に対しても、死にかけた今の陽毬に対しても自分の人生や命を捨てることで愛情を示す。すごく不器用。だけど強い。



冠葉は血を流す。

真砂子は白玉とともに現れた黒服のKIGAの会の男たちに「投降して」「冠葉を助けて」と懇願した。だが、「彼らは我々をきっと許さないだろう。出ていけばきっと殺される」という自動的な答えが返ってきた。
真砂子も、冠葉が取り返しがつかないと言う事は分かった。でも、今の社会にとって間違っている戦いを冠葉がしていても、真砂子にとっては冠葉は大事な人だ。だって好きだから。
そして、真砂子はまっ正面で顔を隠して、決意する。

「マリオさん、ごめんなさい。わたくし、あなたを救えなかった」
真砂子は命の選択をした。主要キャラと脇役の選別ではない。兄と弟の命を秤にかけて、兄の冠葉を選んだ。
それは、男女の愛とか妹萌えだから、と言う事じゃないと思う。真砂子はハードボイルドなんだ。
真砂子は冠葉に一度与えられたから返す、それだけだ。マリオは真砂子に守られているだけの子供だ。それよりも、真砂子は自分への恩義に報いようと、ハードボイルドな決意を固めた。だけど真砂子はマリオも愛していたから、命をかけて謝った。


そして、ついに、この話のクライマックス。ここの演出がすごい!

上手の強い位置から、踏みしめる足をカメラがフォローアップしながら、
「夏芽家の呪い、祖父の呪い、この世界は強欲な物にしか実りの果実を与えない」と、厳しい現実を言う。
ここでカットが微妙に下手にずれて、

「だから、全てを捨てた父を、わたくしは美しい人だと思っていた」
と、言う。ここで下手にわざわざ行って印象を弱くする事は、「美しい人だ」と思っていた事は今の真砂子には違うと言うこと。父を美しいと思っていた自分を下手に置いて弱めている。
真砂子の綺麗な脚に合わせるかのようなタイミングで、また上手に戻り、尻が。

「でも、目に見える美しさには必ず影がある。あそこは美しい棺」
と、「強い意志での意見」を述べる。今の真砂子は過去の父を否定した。

「わたくしはその事に気付かない子どもだった。冠葉、あなたはわたくしとマリオさんを」
馬鹿だった頃の自分を語る時は自分を下手に置く。真砂子は過去の自分も否定した。

「その陰から救い出してくれた。陽のあたる世界に。今度はわたくしの番」
また上手に行き、冠葉が陽のあたる世界に戻してくれた事を肯定的に描き、そして今の決意も強固に。

「あなたをこんな闇の中で、死なせはしない!」決然たるマシンガンパチンコ!
真砂子は体のクローズアップをカメラで切り取られ、画面を微妙に左右に揺れ、過去の自分と対決し、今の決意を固めた。一つの長い台詞の単語ごとに演出を細かくつけていくのは、ピングドラムらしい。台詞ではなくカメラワークで感情の葛藤を描いて決着を付けるのも実に上手い。
そして、その精神的な揺れ動きがあったからこそ、真砂子は自分のシャドウと向き合って克服し、本当に強いペルソナのエスメラルダを手に入れた!(堀江由衣だしね)



「嫌だわ、早くすりつぶさないと」
そして、完全に決まったポーズで、超カッコよく締める。
最高だ。



真砂子は社会的倫理や、陽毬が他人だと言う事や、そういう建前を捨てて、過去の自分が美しいと思い込んでいた父への思いも卒業して、冠葉いただ、純粋に恩と愛を返す。そういうハードボイルド任侠美少女戦士になった。
戦士は社会的な決まりごとの正義のためではなく、自分の忠義のために戦う。
やはり、輪るピングドラムは現実の事件や震災後の絆を描きつつ、やっぱり倫理やルールに縛られない愛情、激情こそが力の源なんだ、それこそが生きている実感なんだ、って言う激しい思想を掲げている。
だが、耽美主義ではない。真砂子は「社会を捨てた父を美しいと思っていた自分は間違っていた」と言って、美しさのためだけに戦う事を否定した。だが、社会とも戦う。
美しくなくても、殺されそうでも、自分の意地と恩義を通す。社会にも美しさにも、あらゆるルールに縛られず、情を押し通す愛情の深い妹は、とっても素敵だと思う。



真砂子、潔いな。最高にカッコいい妹だ。
真砂子は国家とも決闘する。愛の狩人だ。
さて、真砂子、あと2回、生き延びることができるか?日記はどうした?
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