玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。旧玖足手帖から記事・ブクマを引き継ぎました。


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輪るピングドラム第23話「運命の至る場所」1眞悧と僕の憎悪と闘争

ああ、素晴らしい。
いいアニメを見るともはや、語るべき言葉がない。
しみじみと伏線のまとまりが美しい・・・。完結を信じ
て、ただ感動して23話は全ての場面でずっと泣いて
る・・・。
演出技法や絵の美しさは既に今までの話で語りつくし、芝居の良さは言わずもがな。
伏線も上手くまとまって明かされそうだし、来週全ての決着がつくから邪推する必要もない。
特にもう書くことがないのだ。

  • でも、書く。

考察ブロガーってのはたちが悪いものでねえ・・・。美しいという感情だけで十分なんだけど。
でも、新しい伏線、メタファーをこの終盤に置いても提示されたら書きたくなるのがキモヲタアニメブロガーだ。俺は、アニメのために書きたいんだ!アニメの事を描いてる時だけ生きてる実感があるんだ!新型うつ病なんだ!

  • 世界を壊す眞悧への共感

実はメンヘラニートの僕も世界が嫌いなんだ。
僕も六本木ヒルズで働いていたころは、毎日総武線と日比谷線の地下鉄の満員電車の箱の中に詰められて食事も睡眠も満足にとれないペースで働いて朝と終電のラッシュに揉まれて、酷いうつ病になった。今も障害が残っている。多分、僕は長くない。
だから、そんな世界は許せない。嫌いだ。
僕は過労と鬱病からの身体化障害になってAIR神尾観鈴ちん(川上とも子)のように半年くらい嘔吐と高熱と激痛が続いて寝たきりになって死にかけたんだけど、その年のクリスマスイブ、アパートでこん睡状態になっていた僕の夢枕に僕の脳内妹が来た。


【回想】
グダ
当時の日記

メリークリスマスそらちゃん天使すなぁ - 玖足手帖-アニメ&創作-
僕はマフィアの構成員か何かで、いろいろとあって何もかも嫌になった。

戦場にあるらしい病院に出ると空爆にやられた血だらけの人がロビーに溢れかえっていた。子供が大けがをしたのに経済封鎖のせいで薬が足りないと医者に向かって泣き叫ぶ親がいた。
でも、よく見るとそいつは子供の親などではなく、マフィアの構成員で、薬を転売して儲けている奴だった。
本当に僕は世の中というものが嫌になった。



そんな気分のまま、長崎市浦上天主堂に行った。
教会に入ろうと思ったけど、神様が怖かったから辞めた。
教会の裏の坂を下りて、近くを流れる川沿いをぶらぶら歩いて首を吊れそうな木をさがしながら

「もう、自殺しちゃおっかなあ」

とつぶやいた。

そしたら、隣にいた脳内妹のそらちゃんが

「死んだらダメだよ」

って言うから死ぬのをやめた。

そらちゃんはピンク色の布地にあずき色のファーとボタンのついたかわいらしいワンピースを着ていて超絶かわいかったので死ぬのをやめた。

夢の中で、僕は自分にも世界にも絶望して自殺しようとしていたんだけど、脳内妹に止めさせられた。
この時の夢はとても印象的だ。
僕は多分、会社にいた時に既に過労死していて、今の僕はアニメを見たり小説を書いている残留思念、幽霊なんだと思う。ただ、陽毬のように、僕は脳内妹に命を分け与えられてるだけなんだろう。
僕は当時インターネットのクレーム処理の仕事をしていて世界中の「助けて」っていう人のエゴイスティックな声が聞こえていたんだ。それにニュースや会話で知る人も不愉快で、本当に人が嫌になった。


僕が夢の中で自殺しようとした川沿いには保育園があって、子供たちの幽霊が居た。
たぶん、三途の川か子どもブロイラーのような所なんだろう。
僕は実際にそういうそらの孔に落ちたことがあるんだよ。
本当だよ。


だから、桃果と眞悧とか、冠葉と陽毬の関係とか、生存戦略とか、ファンタジックな事なんだけど、自分がそういう病気を体験してきたせいで、実感として感じられるんだよ。


今も僕は仕事もできないし、長くはないし、この世界は不公平だし、そもそも人が多すぎて狭くて息が詰まって不愉快なので、僕の命が燃え尽きる前にその呪いの炎を少しでも多くの人に分けてやりたいと思う。


しかし、今回の輪るピングドラム幾原邦彦監督が僕の計画を電波で盗んで、先にアニメにしてしまった。これでは僕が二番煎じっぽくなって恥ずかしいので、計画は凍結する事にした。
だから、今日から僕は人畜無害です。
本当だよ。


というか、幾原監督とか、みんな僕と似たような事を考えてるんだなー。僕は一人じゃないんだな。
っていうか、本当に幾原監督は電波で僕の妄想を見てるんじゃないのか???
2年くらい前、僕のブログの読者である、とあるウテナキチガイの女性に「グダさんが女の子にモテる感じになったら幾原監督みたいなクリエイターになるんじゃないかな」と言われた事がある。そうなのか?

  • 世界という箱、人と言う箱

眞悧は世界を壊すと言っているが、彼のやっている事はせいぜい地下鉄爆破だ。その程度の事では世界は変わらない。地震で数万人が死んでも、毎年日本で自殺者が三万人を越えて、失踪者が十万人を越えていても、人は変わらないで泣いたりわめいたりしてる。そもそも数万人が死んでも人間はまだ七十億人居る。死んだ人たちの数十万倍が生きているんだ。世界は大きくて強いんだ。
日本の一都市の電車を破壊した所でどうってことない。
でも、眞悧にとっては、それで良いんだ。
「君の愛でどれだけの人を壊せるかな?」
「世界は箱だ」
「人は自分の体と言う箱から一生出られない。一人ぼっちだ」
という。
つまり、人一人の命は世界であり、人を殺すということはその人が見ている世界を壊すこと。だから、この地球とか人類の文明を破壊したり革命するという話ではない。眞悧はただ「人を殺す」という一念に取りつかれた呪いだ。僕もそういう人間だからね。共感するし、わかるよ。彼の言葉が。

  • 世界に閉じ込められたフーディーニの魔法


芸術家の夏芽真砂子が生き返った時、冠葉に
「フーディーニの魔法では世界は、運命は変えられない」
と言った。
フーディーニとは。

ハリー・フーディーニ(Harry Houdini、1874年3月24日 - 1926年10月31日)は、「脱出王」の異名を取った、アメリカ合衆国で名を馳せた奇術師。


脱出術を得意とし、各国の警察の留置場や刑務所に収監されての手錠外しによる脱出や、また凍った運河やミルク缶からの脱出を行い、話題となった。「フーディーニに脱出できない所は無い」「不死身の男」「脱出王」と大規模に宣伝する。


一方で、最愛の母の死去に伴い当時大流行していた心霊術(スピリチュアリズム、交霊術)信仰へ傾倒。だが、奇術師としての知識と洞察力からそれらがトリックだと気付き、これを暴くことに熱心に取り組んだ。


1926年、楽屋に訪れたホワイトヘッドという大学生に「腹部を強く殴られても平気」という芸を見せる際、フーディーニが準備していない段階で殴られたことが原因の急性虫垂炎で10月31日に死亡。
死の直前、妻ベスに対して「死後の世界があるのなら、必ず連絡をする」と伝えたが、その後何のコンタクトも無かったとベスは語っている。
(ウィキペディア)

ステージでは、「中国の水牢」と呼ばれるものを使用していました。これは昔の中国で使われていた拷問の道具で、逆さにつるされ、水の一杯入った金属の箱に頭から沈められます。本物は全部鉄でできていたのでしょうが、ショーで使用するものは、前面だけがガラス張りになっていました。客席からも、中でもがき苦しんでいるフーディーニが見えるためと、もし、何かの事故でフーディーニが失敗した場合、前面のガラスを斧で割って、水を出し、救出するためです。
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つまり、渡瀬眞悧に生き返らせられた真砂子はその身をもって、それがトリックだと感じたということか。
フーディーニの魔術はトリックなのだ。そして、何者でもない者に自分を見世物にして、つまらない死に方をする。
同時に、フーディーニと眞悧には共通点がある。
眞悧の言う「世界の箱」とはフーディーニが詰められた箱と共通。眞悧は人の体は箱で、そこから一生出られずに一人ぼっちだと言った。そして、眞悧はその箱、つまり世界=自分の体から脱出しようとして、死んだ。
眞悧は爆弾を置いた列車に悠然と座っていたので、自爆するつもりだったんだろう。
彼は自分の箱と同時に、同じ列車に乗り合わせた他人の箱の世界を破壊して、以って世界の破壊と称したのだろう。
だが、それは眞悧の論理で、そんな事で世界は変えられない、と、女子高生社長の夏芽真砂子ちゃんは申しております。カッコいいね!
でも、真砂子の声は、冠葉の背中には届かない。


また、フーディーニは世界の真実を知りたがり、インチキ霊能者を暴いていくという生真面目さがあった。真実を追求して、人がどういうものか知ろうとした。眞悧も人がどういうものか分かったので、人が嫌いになった。そして、フーディーニも眞悧も真実を知ろうとして、逆に世界の人の間違った部分に多く触れて、自分もペテン師になった。
幾原邦彦監督はBD1巻のロングインタビューの中で

普通の人は正しさを認識していても、恐ろしい現実を見て見ぬふりして生きていける。だけど、なかには絶対に見て見ぬふりができなくて、正しいことしか受け入れない人がいる。

(中略)

まず上手く生きられない。僕はその人たちの事を単純に否定したくないんです。

彼らの事をメディアは良く言わないでしょう。

「曖昧にできず、正しく生きようとした人だ」とは言わない。

むしろ狂人と呼ぶよね。自分をだませずに極論に行ってしまう人・・・、今回はそこも否定せずに描きたい

(後略)

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眞悧も「生真面目な狂人」だったのだ。真摯なのだ。

  • 一人一殺を求める「何者にもなれない闇ウサギ」

僕も子どもブロイラーに行って来たという話はさっき、したね。僕もその後遺症で、社会で働けない体になった。僕は世界に必要とされない人間だ。
闇兎のシラセとソウヤも「何者にもなれなかった僕たち」「僕たちは力を手に入れた」と言って、世界に復讐しようとしている。
そして、テディドラム爆弾の原材料はそういう何者にもなれなかったクズの呪いの炎の残り火だろう。あるいは、自我をすり潰して社会に適応した一般大衆が捨てて忘れてきた「何が好きだったか」「誰が好きだったか」という情熱の炎かも。
だから、一人の人が原料の呪いの炎は一人一殺でいいのだ。
自分の命も消えようとしている要らないクズ人間にとっては、
「ぶち殺す」
という気持ちを受け入れてくれる、ついてない巻き添えが必要なんだ。

  • 透明な存在に色を付けるのは殺意

そして、箱に一人ぼっちの透明で何者でもないクズはさびしい。だけど、眞悧には隣の誰かは助けを与えてくれなかった。
眞悧が引き裂かれた姿であるシラセとソウヤは語る。
「僕たちは何者にもなれなかった」「僕たちは力を手に入れた」「僕たちを必要としない世界に復讐するんだ」「僕たちは透明な存在ではなくなる」
フーディーニは箱の中の自分を見世物にして、何者かになった。
東誠一郎は神戸児童連続殺傷事件をして酒鬼薔薇聖斗としてワイドショーの寵児になった。95年当時、僕は彼と同じ年齢だったけど、「犯人の少年は見ただけで全てを記憶する超視覚記憶能力者だった」「異能者だから心が歪んだ」などと、犯人を賞賛するようなニュースがあった。また、犯人の少年がつかまえられた時、その警察署の周りには学生を中心にした野次馬が集まり、テレビ中継ではしゃいだ。野次馬たちもテレビで何者かになりたかったのだろう。
ネオ麦茶や加藤智大など、僕と同じ1982年生まれの殺人者もそうだ。てるくはのるもそうかもしれない。
殺人をして被害者の世界を破壊すると、その世界の重みのおかげで透明な屑も名の在る人物に成れるのだ。
そして、重要な事は殺人それ自体ではない。それを騒ぎ立てて面白おかしく消費する、何者にもなれない大勢の大衆たちが作っているこの世界というシステムだ。
殺人自体はつまらない金の奪い合いで、どこででも起きている。
だが、動機の無い異常殺人と言われるものは大衆にゴシップを提供する。
透明な存在が殺人鬼になって得られる「何者か」という称号はその程度の物なのだ。
だけど、誰も殺さないまま自分だけ死ぬよりはよっぽど活動的だ。

  • この作品には正義はなく、愛と闘争がある。

愛は誰かを選んで誰かを捨てること。今年の漢字の「絆」とは大切な物を繋ぎとめて、それ以外のものは排除する事。
眞悧は自分の世界とともに、同時多発的な地下鉄沿線炎上行為で数万人程度を蒸し焼きにして幾人かの世界を破壊しようとした。
殺人はしようとしている。
だけど、加藤智大や中央線に飛び込む過労死寸前のサラリーマンに向かって「死ぬなら一人で目につかない所で死ね」と言う大衆に正義があるのだろうか?
まあいい。

荻野目桃果は、人を殺そうとしただけの渡瀬眞悧よりも、大勢の、ただ大勢で在るというだけの大衆を優先して「あなたを世界から永遠の闇の中に追放する」と呪文攻撃を仕掛けた。
これは正義ではない。単に桃果が眞悧の事を気に食わないと思ったからぶち殺そうとしただけだ。
桃果は多蕗とゆりには「愛してる」という言葉をかけた。だが、桃果はゆりの父親や眞悧は闇の中に追放しようとした。桃果は愛していない男に対しては、死よりも恐ろしい永遠の闇を与える。
(対して、僕の脳内妹は僕が人を殺さないように、ずっとそばにいてくれている)
だから、眞悧と桃果のどちらかが悪ということはないと思う。眞悧だって箱の中でさびしかったんだ。でも眞悧には桃果は手を差し伸べない。追放する。
これは、正義がどちらに在るかという話ではない。
彼らは「人を殺してはいけないって社会で決まってるから殺人は絶対に許されない」というふうに思考停止した大衆ではない。自分の意志で「気に食わない世界を壊す」「人を殺す奴は気に食わないから殺す」と、戦い合っているのだ。
闘争だ。
決闘で、決着を付ける。それだけだ。
だが、16年前の闘争は引き分けに終わったのだ。さて、今年の闘争は若者たちの手にゆだねられた。決着はつくのか?


関東組がピングドラムを見ているであろう、明日に
つづく

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