玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。旧玖足手帖から記事・ブクマを引き継ぎました。


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輪るピングドラム第23話追記 箱の力、輪の力

前の記事の補足。
一人ぼっちの箱の中で世界と箱を壊そうとする眞悧と冠葉は孤独な箱の中で呪いの炎をゆっくりと燃やし続ける。
箱の中の冠葉は陽毬や真砂子を愛しているのに、気持ちが届かない。真砂子とも陽毬とも一緒にいない。そして、眞悧の見せた箱の魔術の力で妹たちを救おうとする。


今回の晶馬は陽毬の死を看取ろうとずっと一緒にいようとした。そして、その晶馬が陽毬と一緒に居れるように苹果は着替えを用意したり、気持ちを分けあったりして、支え合った。
その苹果は、一度壊れかけて無理をした家庭の母親と、付かず離れずの良い関係になったみたい。陽毬と晶馬と苹果と荻野目の母は人間関係の輪を作っている。
不幸を与える世界に対して一人の箱で戦おうという冠葉と、氷の世界の中で輪になって温め合おうという晶馬たちの対比となる。
KIGAの会はお互いがあまり仲良くなさそうだし、ついてない誰かを落とそうとする会。


企鵝の会のような無差別殺人攻撃を止めるには、人間関係の輪の事を思い出して「自分が大切にしたい人は誰かを大切にしていて、その誰かも誰かと繋がっているから、簡単に人を殺したりすると、自分の好きな人も傷つくんじゃないだろうか?」という想像力を持つことが大事なのかも。
そうやって世界の繋がりを感じて、「愛してるよ」っていう言葉を通じて分かり合えたら殺人は無くなるかも。
だけど、実際は「愛してるよ」って言った口で誰かを罵るような人が多い。愛すると同時に、愛してない人には冷たいのが世の中かもしれない。
そうすると、生真面目な人は「誰かを愛さない人が自分を愛するわけがない」とか、宮澤賢治のように「世界中の全ての人が幸福にならなければ、個人の幸福はあり得ない」と、優しい絶望感を感じて苦しむ。
そして、「やっぱり世界の人とは分かり合えないし、人は一人ぼっちだ」とか「個人的な愛情よりも世界への憎しみを優先して人を殺す」とか、なっちゃうかも。


輪るピングドラムは、楽観論で行くか悲観論で終わるか、性善説性悪説か。
僕は、世界の全てに決着をつけないでも、漠然とした終わり方でもいいと思う。けど。


それと、苹果は母親とは同性の親だから上手く行っていたのかも。それは自己投影としての愛で、本当の愛じゃないんじゃないか?
ゆり、多蕗、真砂子は異性の親や祖父との関係で歪んだから、異性の親との関係はもっと難しいんじゃないか?
しかし、陽毬は母に、冠葉は父に捨てられたのか。晶馬は箱に詰められた時、両親に利用されたのか?
うーん。そこら辺もどういう風に人の業を描くのか、楽しみ。