玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。旧玖足手帖から記事・ブクマを引き継ぎました。


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リボンの騎士第9話 こわされた人形富野絵コンテ詰め込み過ぎ

脚本は能加平さん。絵コンテ、演出は富野喜幸

あらすじ】

シルバーランドの塔には、九百年の昔から魔よけの人形が飾られており、それを壊した者は死刑という掟があった。サファイヤは、そんな掟は間違っていると、人形を壊してしまう。ここぞとばかりにジュラルミン大公がしゃしゃり出て、掟を破ったサファイヤを即刻処刑せよ、と王に迫る。けれど、城中の女たちがサファイヤの味方に付いたため、刑は執行できない。そんな騒ぎの中に魔王が現れて。
http://www.videx.jp/detail/anime/v_a_tezukaproduction/atzk0061_0009/index.htm

サファイヤと戦いながら、悪魔の魔王自身が魔よけの人形を壊したことで、人形に魔よけの力がないということが立証されてしまい、女たちは無罪放免となるのであった。

掟に大量の女たちが反抗して、城の中の女性職員が全員牢獄の中で炊事洗濯をして生活して、彼女達を見張る、その夫たちでもある兵士たちが逆に牢獄に捕らわれているように見える演出が面白かった。
『女の平和』(フランス、クリスチャン・ジャック監督、1953年)(古代ギリシアの喜劇作家アリストパネスによる戯曲で、喜劇)も連想させる。
普遍的な古典や、映画からの引用が多く、クオリティの低い60年代アニメなのだが、洋画のような感覚で面白い。手塚治虫先生は洋画キチガイだしね。


「女の平和」は古代ギリシャ劇だけど、

コロス(choros, 古代ギリシャ語:χορός)は、古代ギリシア劇の合唱隊のこと。ギリシア悲劇の中のディテュランボスおよびtragikon dramaから発生したと信じられている。コロスは観客に対して、観賞の助けとなる劇の背景や要約を伝え、劇のテーマについて注釈し、観客がどう劇に反応するのが理想的かを教える。
無敵鋼人ダイターン3:本項のコロスにちなんだ「コロス」という名のキャラクターが登場する。
(コロスのウィキ)

富野はこういう感覚を手塚先生から受け継いだのかもしれん。古典演劇の普遍性!
リボンの騎士の道化役のチンクもコロス的だしなあ。


宗教的な国の掟のパラダイムシフトはC3(シーキューブ)とかラノベアニメならもっと長く説明しそうなものだが、リボンの騎士は1話の中にこれだけの事件やアクションを取り入れていてテンポが速く、面白い。
王族であるサファイヤ王子が暗殺されそうになったり処刑されそうになったり魔王と決闘をしたり、コードギアス3話分くらいの密度もあるので、すごく詰め込み過ぎだと思う。富野・・・。っていうか手塚先生…。
手塚先生はヤバい!リボンの騎士は古典すぎるって馬鹿にしてたけど、意外にも面白いな!


ただ、これだけの展開の早さは、やっぱりリミテッドアニメの瞬間的な動きの飛躍があったればこそって感じがする。途中経過があまりないのだ。そこら辺は映画的であるというよりは、マンガ的とも見える。マンガだと1コマごとに断絶しているからね。特に手塚治虫先生は流れを無視したギャグや超展開が得意だし。リボンの騎士がどれくらい原作とアニメで話が違うのかは寡聞にして知らないのだが。
あと、キャラクターが記号として描かれているので、展開が速くても分かりやすい。「王さま」はあくまで「王さま」として行動するし、魔王は魔王らしく襲ってくるし、メイドの女の子は失敗して泣くし、悪い政治家は分かりやすく陰謀で死刑にしたがるし、おばさんは強くて夫を尻に敷くのである。
テンプレの連続である。だから展開が速くてもわかりやすい。あと、「誰よりも男らしくて強くてカッコいいサファイヤが悪い世間や魔王や運命と戦う。あと、実は女」っていう主人公としての独自のテンプレの骨格がブレていないというかわかりやすい。だから、色んな事件が1話の中に多発しても見やすい。
逆に言えば、個々のキャラクターの掘り下げが浅く、類型的な人物ばかり、とも言える。ただ、「王子としての類型的な生き方を強制されているサファイヤが実は類型から外れて女で、色々と反抗する」っていう面白みもある。
だから、サファイヤの物語としては面白いんだが、脇役の描写は記号。ありていに言えば、「おとぎ話」。
だから、最近のキャラ人気で売っていく、人気キャラクターを複数配置するギャルゲー的なアニメや、SF設定を細かく説明するアニメでは、このリボンの騎士のような飛躍して早いおとぎ話的なストーリーのスピードは出せないんだろうなあ。そこら辺は一長一短かもしれんが。


で、手塚治虫原作で、話がブレていた青のトリトン海のトリトンとしてまとめた富野由悠季の源流とかな。考えますね。手塚的飛躍を演出していた富野が、SFロボットの人に成るとか。SFロボットの中にあるおとぎ話っぽさを持つ∀ガンダムへの源流とか。
あと、ブラック・ジャックや聖書物語やどろろで手塚に関わった出崎統がまさにキャラクター萌えであるAIRCLANNAD源氏物語千年紀 Genjiを晩年に手掛けたとか。
あと、輪るピングドラムは現代を舞台に、おとぎ話ができるかどうかを試した作品のような気がするけど、少女革命ウテナリボンの騎士の関係とか、悲しみのベラドンナ幾原邦彦の関係とか、あるよね。
おとぎ話と言えば、プリンセス・チュチュとウテナの関係とかもあるんだよな。スタチャ王子様三部作とかも。


あと、リボンの騎士の今回のおばさん達がすごく母性の強さ、おばさんとしての押しの強さを描いている感じだった。ここら辺は20代の富野喜幸が母性を描く時に「年上のおばさん」として描いているような感覚を受けた。
富野の母性の描き方は色々とあるよね。80年代の富野は母親を「同年代のめんどくさい女」として描いていたけど、逆襲のシャアのラストの「ララァは私の母に成ってくれたかもしれない女性だ」を経て、宇都宮比瑪やシャクティとか母性的なキャラを「美少女」として描いたような。
つまり、富野の年齢の変化に応じて、母性の対象が「年上の強引なおばさん」から「同年代のヒステリック」に変わり「年下のかわいい子」に変化したのかもしれない。最初から「年下のかわいい子が母性」って言うのは宮崎駿


キングゲイナーリーンの翼、新訳Zガンダムの頃の富野だと、母性の描き方はもっと小さくなっていてサラ、リュクス、ファはかわいいし母性的だけど、ただの子供って言う風になったのかも。
ほら、最終決戦ではサラ、リュクス、ファは主人公の支えにはなったけど、実践にはあまり関与してないしね。富野の中で、母性的なものに対するコンプレックスが解消されて行ったのかもしれん。まあ、実際、富野さんも今年で71歳だもんなあ。いつまでも思春期ってわけにもいかないよな。80年代までは確実に思春期だったけど。


あと、サファイヤ王子が魔王メフィストと戦う時に、サファイヤのサーベルが折れるんだけど、とっさに死刑執行人が持っていた鎖鎌を奪って反撃するのが面白かった。武器を臨機応変に変えるのは富野のロボットアニメでも良くやる。っていうか、鎖鎌がモーニングスターと斧の合体だったので、確実にガンダムハンマーだった。ハンマーの鎖は無限にのびるし。そこら辺のアクションの付け方も富野らしくて面白かったなー。
あと、サファイヤを殺そうとする死刑執行人の男に息子がいて、サファイヤを殺そうとする時に「お前も立派な死刑執行人に成るためによく見ておけ」とか言うのが、すっごくVガンダムの源流っぽくて富野オタクとしては興奮しました!
おとぎ話なんだけど、そういう所でリアル感を出してくるのが手塚っぽさとか富野っぽさだよなあ。「サファイヤ様、すみません、私はあなたを殺さなくてはいけません」とか執行人が言いながら鎖鎌で襲いかかってくるからサファイヤが反撃するとか。ドラマチックじゃないっすか。
あと、城中の女たちが掟を破ったので、城の庭に大量に首吊り台が並んでいたり、魔よけの人形が螺旋塔の階段に大量に並んでいて、次々と落とされて破壊されたりした。大量の物が並んでいるのが、なんだか少女革命ウテナの源流っぽい芸術っぽさもあって楽しかった。



手塚アニメはヤバい!!!古いけど見どころがたくさんだ!!!

リボンの騎士(1) (手塚治虫漫画全集)

リボンの騎士(1) (手塚治虫漫画全集)


しかし、2012年の新作アニメの感想も描かずに67年のアニメの感想を書いている俺って・・・。
あ、ミルキィホームズおもしろいよね