玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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めぐりあい京都より富野監督との対話。絶望をするなと直接言われた。

というわけで、NHKカルチャー京都教室に富野監督が来たので、行ってきた。

富野由悠季監督 上洛!


富野由悠季監督 京都に来る!「伝統」と「革新」の風土を持つ京都より、21世紀を生きるための新たな思考を導き出す力について熱く語ります。

NHK文化センター:全国50教室で展開する総合カルチャースクール

で、相変わらず富野監督に質問をさせていただいて、今回で8年で連続6回富野講演会質疑応答記録を更新し、さすがにこれ以上やると顔を覚えられて危険(なにが?)なのだが、来週の岐阜も行きます。


↓今までの記録
富野講演会まとめ - 玖足手帖-アニメ&創作-


↓岐阜
10月公開例会|公益社団法人 岐阜青年会議所公式ホームページ


で、今回もまたグダグダの展開になってしまい、富野監督はもうちょっと話を整理して来て欲しいなーって思った。そもそもアニメ屋の癖に天下国家を論ずるというのはどういう事なのかとも思った。だが、どこか憎めない爺さんであり、元気な人だなーと改めて思いました。あと、今回の話を聞いてGレコのあらすじやテーマ性や敵味方の勢力図がなんとなく予想できたんだが、それは今の段階でネットに描くべき事ではなく、形になって欲しいと思う。


ていうか、初っ端からいつものように「今日はガンダムの話はしません!」って言ってて、もはや伝統芸のレベルだよね。「ガンダムの富野なのにガンダムの話をしないと宣言してから話し始める富野」。
いよっ!待ってました!


でも話の重要なところで「ギレン・ザビみたいな人物がー」とか言っちゃってたんで、結局ガンダムの話だろ・・・。ガンダム見てないと話がわかんないだろ、そう言う態度だから一見さんお断りな態度だから40人くらいしか受講生が集まらないんでしょ!まどかマギカや神秘の法の観客動員数を見習え!とも思った。
まあ、そういうところも含めてチャーミングな人だとは思うんだけど。


まあ、東日本大震災の一週間前の豊島公会堂の講演会は数百人の箱を満員にしてたからいいのかな。あれはガンダム映画の上映も兼ねてたけど。


今回は富野監督も驚いていたんだけど、普通のガンダムイベントと違って幅広い年代と性別の客が集まっていた。富野監督の想定では20代後半から30代の男性を想定して話を組む予定だったらしいんだが、その上と下の年代の人や女性も来ていた。その点は、富野監督的には女性ファンも獲得できて良かったですね!!!!と賛辞を述べる。
女子大生も富野監督に興味を持っていて、よかったですね!一時的な80年代のブーム作家で終わらなくてよかったですね!Gジェネのおかげでもあるがな!


ノートは取ったけど、録音禁止だったし、もう夜遅いし、文字おこしはしないけどもさ。文字起こしはシャア専用ブログさんに任せた!

http://d.hatena.ne.jp/char_blog/


以下、引用

富野の座右の銘は「絶望は死に至る病である」。 #tomino
コタ-2 ‏@kota2yukiwo (・ω・)ふむ。キルケゴールですか。>富野監督の座右の銘
‏@Char_Tweet 本人はニーチェって言ってましたね。 #tomino


逆に希望を喚起するものは「愛とロマン」(夢とロマン) #tomino
「愛とロマン」は大人の言葉なので子供にはわからない。行動で示す最たるものが「祭」であり「ハレ」である。 #tomino

小田原時代、祭で姉ちゃんを連れ込む、何かイイ事があったが、富野の参加直前で祭がなくなった。「どうしてくれる!」 #tomino


イベント化する祭はホントにイヤ。 #tomino


富野は小田原と杉並練馬しか住んだ事がないので地方が判らないし判りたくもない。 #tomino


民主主義の次の統治形態を「発明」しないかぎり人類は絶滅する。でも今の人類はバカだからむり。三世代くらい先の子孫に頼む。 #tomino
右肩上がりの経済成長の呪縛から逃れるヒントは江戸時代の各藩の政治。 #tomino


「希望」とは、寝る前に「また、明日」と言える事。 #tomino



来年再来年に富士山は噴火すると思う #tomino


ファーストはWW2以前へのノスタルジーでしかなかった。以降のガンダムはその枝葉。富野なら枝葉ではなくファースト以来の幹を造らなければ。 #tomino
先述のノスタルジーに抜け。ガンダム人気を御禿が考えた結果ね。「過去の承認」だと。 #tomino


あと一回くらいスタジオ入りさせてもらえるかも。現役制作ではない。
あ、Gレコの具体的な内容はなかったもよう。先述くらい。 #tomino
「富野作品」や思想の押し付けはしないつもりらしい。 #tomino


シャア専用ブログ ‏@Char_Tweet

尖閣諸島についても言及したが、twだと誤解されそうなので後で。


原発事故の際、アカリさんの旦那の親族? から海外疎開の話が来たらしい。

シャア専用さんが明日日曜日に更新するらしいので、それ待ち。しかし、抜書してみるとやっぱり文脈によって話が飛びすぎだしわけわかんないなあ。目の前で聞いてたり、顔色を見ていたら、まあ、ニュアンスは伝わったんだけども。


講演会あとに、富野ファンの善男善女と2時間くらいオフ会をして、楽しかったです。色々と考えていました。
あと、女性から見るとベルトーチカみたいな女性は「わかるわかる」らしいですよ、さすがアムロの嫁候補。富野監督は女性を描けているらしいので、もっと女性人気が爆発してモテるべきだよね。女性人気をゲットしたら売上上がるしね・・・。


それにしても、ニーチェキルケゴールをまたしても間違えるとか、富野監督は相変わらずだなあ。来週ちょっと注意してくる!
http://www.edit.ne.jp/~condor/tomi03_1.html
2002年11月2日・上智大学学園祭で行われた富野由悠季監督講演『ガンダムから君へ』
でもニーチェキルケゴールをごっちゃにしてましたよね。キングゲイナーの終盤の絶望は「死に至る病」そのものだったと私は愚考しているのだが。
オーバーマンキングゲイナー2526 オーバーデビルの知恵 絶望は世界を教える - 玖足手帖-アニメ&創作-
オーバーマン キングゲイナー 2526 ゲイナー君を奮い立たせる「ヤーパンという大きな物語とヤーパンの天井のタコツボ」 - 玖足手帖-アニメ&創作-


まあ、ニーチェキルケゴールという固有名詞を間違える程度は老人だから仕方ないと認めよう。今日の話も、ニュアンスとしてはキルケゴールの主張とキングゲイナーの大筋に合致していたと思う。
だから、キングゲイナーを見ていたら別に今日の話は聞かなくてもいいのかなー。ターンエーガンダムを見ていたら「またあした」と言って安心して眠ることが大事だというのはわかるんで、別に今日の話には目新しさはなかったのかなあ、目新しい発言をインタビュアーとして引き出せなかったか・・・。と、反省もする。
しかし

鈴木 ‏@suzuki_0w0

私みたいに、富野監督の作品は好きだけど話の内容をちゃんと理解できていない者にとっては、講演会はとても助かります。言葉で簡潔にメッセージを伝えてもらえるから。でも、作品を観ただけでそのメッセージを受け取れるようになりたい。頭が足りない。#tomino

という意見もあるので、解説もアリなのかなあ?
オタク化しすぎると「ああ、その手は以前にも見た」「そのセリフはあれの引用」と、経験と先読みの応酬で停止してしまうよな・・・。剣道のタツジンみたいな。それではオーバーフリーズの金縛りで黒歴史を呼んでしまう!


しかし、録音禁止状態で1時間半も富野監督のぶっ通しの説法をノートに13ページ書き取り続けるというのは、かなり修行って感じがして、普通に疲れた。写経・・・。


本当に長いし取り留めのない、震災や領土問題、政治の時事ネタを散りばめた説法であり、それを文字起こしするのは本当に睡眠時間を奪うのでやらない。シャア専用ブログさんに丸投げ。
私としては、私がした質問の意図と、それに対する感想を書き留めるだけにしよう。

  • 富野監督に全面的に承服しかねる部分もある

震災被害者でも踏ん張って生きてる人もいるから頑張って生きてる、って監督は言ってたし、そういう人はえらいと私も思う。でも、みんながみんな頑張ってるわけじゃなくて、頑張りきれずにアル中やパチンコ中毒になる東北の住人もいるし、クズもいるじゃないですか。
まあ、富野監督は今日も何度も「難しい話は突き詰めたらいくらでもできるけど、自分は基礎学力が足りないのでやらない」って言ってたから議論は止まるんだけど。
私も定数的調査をしているわけでもないからどちらも印象論にしかならない。



ここら辺の「人口は減らしたいけど、希望は繋ぎたい」という話は東日本大震災の一週間前の豊島公会堂での富野監督との言葉と堂々巡りをしている感じがして、結論が簡単に出せない問題だ。鉄仮面みたいに虐殺できるのか?東日本大震災はたくさんの人を殺したけど、それで世の中が良くなったわけでもない。
富野由悠季 豊島公会堂2011年3月6日で質疑応答してきた。 - 玖足手帖-アニメ&創作-

  • 富野監督の意見の大筋に対する私の質問

富野監督の今回の意見を一言で言うとこうだ。(メモが間違ってるかもしれないが)

「我々人類は2500年の文明を持つが未だ平和を手に入れていない」
「我々人類は巨大な組織や国を運営する能力がないのではないか」
塩野七生さんも言っていたが、民主主義では人類は絶滅するのではないか?」「だが、我々は民主主義以上のシステムを生み出していない」「ソ連共産党も一時的なトレンドでしかなかった」
原発事故などで政権や巨大組織のウソが露呈した」「東電安全神話はフィクションのアニメ以下であり、現実を見ていなかった」
「だがフィクションを見ずに、本当の現実に対峙する、リアリズムに対峙すると絶望するしかない」「絶望は死に至る病である」
「死刑になるために殺人をするようなメンタリティは明日を考えられないからで、絶望しているから」
「その絶望を振り払うには、我々が今生きていることを信じる」
「そして、問題を解決するのは次の世代に任せるしかない」「だけど、私たちやあなたたちは1万年の文明の末裔なのに、問題を解決する手段を発明できていないので、無理」
「その発明ができないという歴史的現実と対峙すると絶望して死ぬ」
「だから、次の世代に受け渡す作品は、リアルそのままではなく『愛とロマン』を感じさせるものでなくてはならない」
「だが、我々の問題を次の世代に丸投げしてしまうのでは、若い世代は嫌がる」「なぜなら、自分はハッピーに暮らしたいという個人の欲があるからだ」
「自分はハッピーに生きたいという事もまた、『夢とロマン』であり、若者らしさだ」


「京都の話にすると、京都は日本の都であり、保守の象徴である」「それでいて、京セラや任天堂のように革新的な企業を生み出している」
「つまり、トラディショナルなものを死守する保守と、それに反発する革新と、両方が必要」
「これを英国に例えると、ビートルズBEATLESは、英国の底辺の港町から脱出しようという伝統への反発心であった」
「革新を生み出すスプリングボード(反発板)として、伝統・保守派は必要」



「ただし、そのような若者の反発心が通用したのは20世紀まで」
「有限の地球という事が見えてきた21世紀では新しいシステムを生み出さないと破滅」


「この地球を次の一万年以上の未来、人間が永続的に使うには」「孤立主義ではなく、個々の蛸壺に入らずに、他国が隣に存在するということを認め合って、融和できるようにしていかなくっちゃ」
「その発明を模索し続けるなら、欝になって絶望しているのではなく、顔を上げていけるのではないか」


「だけど、我々大人は次の世代にこの地球を受け渡すにあたり『この程度のレベルにしかできなかった』という謙虚さを持たなくてはいけない」
「次の世代に伝えることは、「教える」という態度ではなく、「申し訳ないが次に頑張ってくれ」というお願い」
「だが、そのお願いは謙虚に子供たちに頭をたれながらも、溌剌とした態度であるべき」
「我々はこの程度のレベルにしかできなかったけど、「このレベルにしかできなかった」ということを伝えていくことはできる」「そのように謙虚に自分にもできることがあると思えるのは喜びだ」


それに対して、私の質問



ちょっと舞い上がっていて、覚えていないし、自分で喋ってる時はメモを取れていなかったのだが、おそらくこういうことを言った。

監督はそうおっしゃいますけど。
次の世代に伝えると富野監督は言うが、それはレトリックだ。
なぜなら、我々は2500年の失敗の歴史の結果だ。一つ次の世代程度で革命が起こるわけがない。
実際には次の次の次の・・・世代にまで伝えていかなくてはいけない。どの程度先の世代を監督は想定しているのでしょうか?それはどんなふうに行うつもりですか?

みたいなことを言ったと思う。


師、答えて曰く

「3、4世代、2、300年後には変化が見えてくるだろう」「なぜならその頃には人口が減っているから」「人口は10億以下にしなければならない」

この答えは2年前の豊島公会堂での富野監督の私に対する答えとほぼ同じであり、多少不満のある返答であった。だが、東日本大震災で2万人近くが死んだ後でも人の死の上に立つ世作りを言ってのける態度は見事。


師、重ねて曰く

「人口が70億もいるというこの現実は狂気」「その上で右肩上がりの成長、経済回復しか理想として想定できない政治、経済は狂気」「掘削技術が進歩しても資源は200年でなくなるし、原発の排気管理費を考えればコストの帳尻は合わない」


「だから、次に作る作品はそういう発展を目指すものではなく、次の百年に通用する新しいものにしたい」
機動戦士ガンダムがなぜ人気が出たのか考えてみると、ガンダム第二次世界大戦までの陣取り合戦をアニメにしたものだったからだ」「ガンダムではベトナム戦争以降の戦場の区別ができなくなった現代戦は想定していない」

まあ、戦場が曖昧になったゲリラ戦はZガンダムのハーフムーン・ラブでやってた気もするけど。

「つまり、ガンダムは20世紀前半までの文明が発達拡大していく右肩上がりの成長という過去を承認するノスタルジーでしかなかった」
「続編のガンダムは枝葉であり、次に原作者である富野が作るとしたら、また枝葉を継ぎ足しても仕方ないので、幹になるものを作りたい」


「右肩上がりのシステムではなく、永続的にもたせるシステムは江戸時代の幕藩体制にあるのではないか」

「江戸がそんなに偉いのかよ」って気分は私としてはある。江戸に戻るというのも過去を承認するノスタルジーに過ぎないのではないか?という反発心を抱いた。そして、この程度の答えしか引き出せなかった自分の質問能力の低さを恥じた。
しかし、その反発的疑問は次の人の質問と富野監督のその回答への思いつきによって多少解決した。一人だけでは無理だ。


  • 私の次に私より年上の女性が質問をした。

私は子供を養育する仕事についています。1つ、2つ下の世代の子供たちに、「(希望とリアルと)世の中のことをどう伝えていけばいいかよくわかりません。何を伝えていけばいいでしょうか?」

この質問は質問者の実際の社会行動の実感から出たものであり、私のレトリック的な質問よりも高度なものだ。


師、答えて曰く

「そんなのわからないです」「どう育てたらいいかはすごく難しい」「自分としては、二人の娘に怒られそうだが、子育てを間違った実感がある」

(それでも富野アカリさんも富野幸緒さんも芸術分野で成果を上げて、立派に国際結婚して人生をハツラツと生きているように見えるので、いいと思うんだが)


師、子供にかけるべきメッセージについてしばし考え、曰く

「やはり子供に伝えるべきメッセージは「愛とロマン」である。ただし、「愛とロマン」や「希望」という言葉使いは大人のもので、子供には伝わらない。子供にはもっと体感的に、足を伸ばしてぐっすりと安心して寝られるということを感じさせるのがいい。
その、安心して眠るためには「また明日」「目が覚めたらまた遊ぼうね」と、人生が続くという明日を信じる実感を持たせるべきなんだ」


そこで、まだ江戸回帰という結論に不満げにしている私、グダちんの目を見て富野監督は言ってくれたわけさ。

「江戸時代の人間にはその明日を信じるためのシステムがあった。
それは「祭り」だ。」


「毎年毎年繰り返す季節の中で、「これからいい夏が来る」という季節感からくる喜び。台風が過ぎ去って実りの秋、「嵐でまた村の何人かが死んだが、それでも生き延びた俺たちは楽しく収穫祭をやろう」という、大人たちが人生を楽しんでいる態度が希望になる」
「気候風土に寄り添ったハレの気というものは、民主主義のシステムやインテリの政策ではなく、もっと根源的な生きる歓びになる。」
「富野が子供の時代にはあったローカルな青年団は子供の目線と土地を結び、人格育成につながっていた」
「もちろん、地域社会の中では犯罪や暴力もあった。だが、その清濁併せ持つ感覚が人間の心性ではないか」
「そのように、次の世代に一つ一つ申し送りするということを繰り返していく

これには納得した。というか、京都人としては京都らしいいい回答だったと思える。
∀ガンダムのラストにも通じるし。
数万年単位で人類が(滅びなければ)命をつないでいくんだけども、そこで「新しい政治システムを作れなかった情けない現実」を次の世代に伝え続けるのは苦痛だと思う。
だが、この地球という太陽を公転する惑星の上で365日ごとの季節の変化に寄り添い生活し、それを以て1年を過ごしていくというのは、京都に住む私にとっては美徳のある生活だと思うし、それだったら生きていくことができると思う。実際、僕は人間社会のずさんさは大嫌いで、こんな社会から消えるために自殺したくなることはある。
だが、春に鴨川の桜、次に大田神社の「大田ノ沢」のカキツバタを愛で、保津峡の合間に咲く藤の花を探し、夏には酷暑の中で御所の木陰に憩い、お盆に刈り取られた大文字の草の長さで季節を測り、秋は寺社に降る紅葉、冬は底冷えに耐えながら比叡山連峰から登る初日の出を拝み春を待つ。
そういう自然の息吹を感じながら巡り来る生活は、愛しいものだし、散る桜、残る桜も散る桜、またあくる年、咲く桜。
延々と失敗の歴史を次世代に恥を晒していくのは辛いことだ。だが、自然の一部となり自分の命もそのような繰り返しの中に、融和させていけるのなら、それは本当にいいことだ。私は人間は嫌いだけど花鳥風月や雲の季節感は好きなのだ。ターンエーガンダムのディアナ・ソレルの最後の地球回帰にもつながっていて、富野らしい美意識だ。いいと思う。
そして、季節を祝う夏至冬至の祭り、商業的イベントではなく、1年の区切りとして生きてきたことへの感謝する人間の祭りは自然と人間をつなげて、生命の息吹を実感させて喜ばしい。その中で人間同士が恋をすることもあろう。
そのように、世代を重ねていくことは死を重ねるだけでなく、美しいことも毎年重ねていく繰り返しなのだと思えれば、数百年もの間、文明の伝言ゲームをしていくことはできるだろう。

そのように、日本の気候風土に寄り添っていこう。その中で日本人には(毎年花が咲くような)復元力がある。
津波で押し流された田んぼに、また稲穂が付いたこともある。

と、富野監督はおっしゃって、それには私は実感を持って賛同できる。
しかし、雪月花を愛でているだけでは人生はやっていけず、やはり人間社会のウンザリするものと付き合わなくてはいけないという現状はあり、私も貧乏であり、絶望に落ちて人を殺したくなることは多々ある。富野監督自信もそういう時はたまにあるそうだ。それでも「絶望するな」「死刑になるために人を殺すな」と言われてしまい、すこし困っている。殺したくなったら殺しますが・・・。でも富野アニメがある限りは捕まるわけにはいかん。



また、ローカルな気候風土に土着したムラ社会、江戸時代の幕藩体制や、ターンエーガンダムのビシニティみたいな人口の少ない、住民が互いに認識しあえる規模の街が集まって出来るイングレッサやルジャーナやエリゾナのような州体制、が理想かというと、そういうことはなく、やはり江戸時代は密貿易で富を蓄えた薩長連合が経済的不均衡を蓄積させて黒船が来て外圧も含めて崩壊した。無血革命ではあったが。やはり官僚インテリジェンスは外圧に潰される。
ターンエーガンダムでも月から宇宙人が攻めてくる。

  • そこで、次の質問がタイミング良かった

40歳男性から

気候風土の違う他国に対する選民思想のぶつけ合いが戦争の根底にあることを、ガンダムで知りました。どうしたらわかりあえるでしょうか?


師、答えて曰く

「答えられたらとっくに世界は平和になっている」
尖閣諸島問題を見るに付け、野田首相温家宝首相のメンツを潰したことで、中国人の認識論を日本人はわかっていないと言える」
「アメリカはバットマンもアベンジャーズも自由は正義というが、銃を持つ自由にまつわる問題は引きずっている」
「つまり、人間の認識論は気候風土に左右される性癖と言える」「ヨーロッパですら、あの領域に複数の国があるということは認識の違いが各民族にあり、差別もある」
「認識論の違う相手に対することができていない」
「他人の信条を否定したら殺されても仕方がない」「だが、人間には知能だけでなく感情があって違う心情を持つから、個体差があって個人の識別ができる」
「だから我々はまだ共通の人類としての言葉を持っていない」「人間の認識能力はまだ子供だ」「しかし今までのSFでの認識論の拡大(ニュータイプなど)をする未来志向はファンタジーでしかなかった」
「今後、リアリズムに対峙する作品を作っていきたいと思う」


とのこと。

  • Gレコが楽しみ。

この講演の概要を聞くと、なんとなくGレコ(はじめたいキャピタルGの物語)の勢力図や人間関係が見えてきます。
楽しみですね!


正直、富野監督の語る政治理論にはあまり意味はない。なぜなら政治家ではないからだ。しかし、彼がその政治的問題意識を持ってつくる新しい世界の新しい作品は見てみたい。それがファンだ。


  • しかし、今回の公演と私の質問に新規性はあっただろうか?

ガンダムは過去のノスタルジーの承認」という言葉は初耳かな?「WWIIレベルの戦争を描いた」とは何度も聞いたが。
また、機動戦士ガンダムII哀・戦士編で「愛」を否定した富野監督が「愛とロマン」が(フィクションであっても)次の世代に必要と言ったのは、キングゲイナーの「愛と勇気は言葉、信じられれば力」だな。
地球回帰はターンAガンダム。また、震災以降に生き延びた人たちや「命を感じ合える事」というのはブレンパワード
違う認識論を持ったコミュニティがぶつかるのはイデオンのバッフ・クランやダンバインの各国のテキスト戦争だし、月と地球で育ったロラン・セアックもそうだし、リーンの翼の日米と現在過去のぶつかり合いもそうだ。あとゲイナー君のエクソダスに対する曖昧な立場もそう。
日本の地政学的な位置づけは

ガンダム世代への提言  富野由悠季対談集 I (単行本コミックス)

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で語られている。
「世界を知ると絶望する」というのはやっぱりキングゲイナーのオーバーデビル編で描かれている。
そんなわけで、割と富野監督のおことばは、考え直してみると過去作で既に描かれていたものだったりして、「じゃあ、わざわざ聞きに行くことないだろ!」って思ってしまう面もある。
でも、鈴木さんは「解説や講演で考え方をまとめてもらうのも良い」って言ってたし、必要だろうか?
やっぱり私も富野監督を生で見て「僕は絶望したくないんだ!」という彼のオーラを見ると、私のような虚弱で神経症で社会が嫌いでアクシズを落としたくて明日が見えない人間でも希望に触れたような気分になる。
そういう人間同士の出会いみたいなのはオーガニック的な何かを感じる。
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それに、本能的に僕は富野監督が好きですから。

  • そのあとのオフ会反省会で

「人口が減ったら民主主義は成立するんでしょうかね」という話をしたりして、「資源がないから人口は減らさないといけない」「それと、政治家は政治家のコミュニティ、官僚は省庁、土地の人間は自分の家族や村のことくらいしか認識できない。人間の能力としてその程度が限界。だから数億の人間の都合をすべて勘案した政治システムは非常に難しく、史上絶無」とか話した。
富野監督的にはターンエーガンダムの領主と尊重の緩やかな幕藩体制がある種の理想なんじゃないかと思うんだけど。


でも、ターンエーガンダムレベルのナノマシン科学まで発展させないと人口を減らしても、同時に文明も断裂して滅びに向かいそうなので、適度に死なせ、適度に知恵を継承させるという難しいことをしないといかんだろうなあ。
まあ、アニメではそういう世界観を描けるでしょうけど、現実はどうなることやら。


また、絶望と希望に関しては私はまた独自の意見があるが、それはブログよりも小説に書いた方がかっこいいだろう。がんばろう。
やはり創作家は意見ではなく作品で勝負しなくてはいかん。その点、本当に富野監督には一生追いつけないなあ。