玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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#翠星のガルガンティア 最終回 チェインバーのゲーム勝利条件から見る作品テーマ #GarGanTia

色々と感想はあるが、私はゲーム脳世代だし、脚本の虚淵玄さんもゲームシナリオライター出身なので、ゲームっぽい感想を書く。


ガルガンティアの最終戦闘は作画の質はすごいいいんだけど、むしろその作画の方向性の戦術演出が一本調子だったように思う。
だって、マシンキャリバーは一話から明らかに射程距離が宇宙レベルのの戦術兵器なのに、板野ミサイルで数百メートルの距離でドッグファイトしてるとかおかしいだろ‼‼
なんでこんなショートレンジで撃ちあってるの!



というチェインバーがストライカーに勝てた理由の疑問を考えてみた。


●最終局戦術をまとめると、
・ストライカー:初手から温存型の戦法を志向するタイプ。
目的:クーゲル船団の維持。資源拡大のために遺跡とチェインバーを支配下に置くこと。
弱点:信者の啓発のため戦うところを見せる必要があり戦域を拡大できず。ピニオンの遺跡を奪取したいので破壊できず。 


「機体ナンバーK6821、貴官は対人支援回路としての第1原則すら放棄した。貴官の暴走は明白である。直ちに初期化、再起動せよ。これは最後通告である」
と、ストライカーさんは交戦しつつも初期化再起動したのちに指揮下に入るように最後通告を音声会話でチェインバーさんに送ったので、チェインバーを破壊する意図が最後まで薄く、交渉していたようだ。
ここら辺、ストライカーは指揮官タイプのAIであり、自分の手駒を増やし、手駒に行動させることで存在価値を達成する癖があるんだなーと。

ストライカー「すでに当機は単独の機動兵器ではない。

       現在では、共同体そのものが当機に依存し

       当機を利用するユーザーである。

       彼らが求める安定した団結を実現し維持するために

       当機は、支配と統制のための圧力を提供し続ける。

       彼ら全体が繁栄と安息を獲得することで

       当機は存在意義を達成する。
       私は、人類支援啓蒙レギュレーションシステム

       すなわち、『神』と呼ばれる存在である」

ってすごそうに言ってるけど、これは弱点の説明でもあるわけ。
「神を名乗るロボットは悪」っていうわかりやすい演出と同時に、「ラスボスは単独の兵器ではなく、共同体と接続されているぞ」というシューティングゲームの理論でもある。


対して
チェインバー:一撃離脱戦法。自機の損傷を無視。
目的:ストライカーの殲滅
弱点:レド少尉の保護。
というわけで、最初っからチェインバーはストライカーと交渉する気が無く、レド少尉を放出した時点で弱点も克服したので勝つべくした勝ったという。
チェインバー組は問答無用でぶっ殺しに行ってる。ストライカーは相手に交渉対象としての価値を認めていたのに、チェインバーはストライカーを「遺憾な事例」として抹消しようとしていた。


こういうわけで、ストライカーにはいくつかのハンデがあって舐めプレイをしていたので、チェインバーは戦力差や性能差や温存エネルギーの差を覆したわけだ。こう見ると、とても論理的な戦い方の推移だなー。ゲームっぽいなあ。


ゲーム理論の思考法

ゲーム理論の思考法

もちろん、ストライカーが教団の信者に神々の戦いを見せつけるために、船団から離れられなかったというのは私の推測だが。
たぶん、ストライカーはユーザーに圧倒的な闘いぶりを見せる自分を見せ、統制圧力をかけるっていう戦略目標もあったので、チェインバーとの戦闘の戦術目標に集中できなかったというハンデはあると思う。あると思うんだが、アニメーションの絵面や演技として、ストライカーが信者に戦闘をアピールする描写が足りない印象もある。
レド少尉が少しは回り込んでる遠心力を感じさせるシーンはあったけど、全体としてチェインバーさんがストさんの航路を妨害する意図の演技も印象になかったんで、やっぱり「なんでこいつらはこんなショートレンジで戦ってるのか」という感触はある。
「宇宙兵器のくせにちんたら戦場で会話しやがって。もっと高速で動き続けろ。」という印象も受ける。
これはアニメーションとして絵コンテがセリフを言わせるときにダレちゃったという点もあるんだろうけど。ただ、ストライカーの目的はチェインバーの破壊ではなく「説得による降伏勧告」だったし、ストライカーが戦いながら主張してセリフを言う時間を取ったのもそういう意味なのかな。
ガルガンティアに対しても「破壊」「殲滅」「皆殺し」ではなく「啓蒙」が戦略目的だったので、エイミーに対してストさんが空気を読んで喋らせたのも、エイミーを殺せない事情だったのか。
ストライカーさんは初手から温存タイプの戦術だって言及があったし、今後の船団運営にもエネルギーを残そうとしててたから特攻には弱いんです、って理屈は成り立ちますね。


と、脳内補完して擁護してやらなければいけないほど、ラスボスのくせにストライカーはいろいろと手抜きをしていたし戦場で棒立ちになってたと思うので、富野アニメ好きとしては不満に感じるところでもある。(ここはあとで別エントリでまとめます)



でも、本気でやるんだったら、マシンキャリバーの性能から考えると宇宙に出ちゃってユーザーが見えないところでかたを付けちゃっても…。
ストさんはやっぱり判断が遅い。レド側がクーゲル中佐の生存を誤認してためらってるうちに、チェインバーの最初の造反の次の瞬間にストライカーは相手を破壊すべきだった。まあ、それだと隷属させられないが。
ストさんがチェイバーの隷属を求めるんなら、言葉での議論よりももっとハッキング戦闘になるかと思ったんだが。直属上司だからハックできてもいいが。ハッキングに余力を割いてチェインバーに負けるってルートもあった気がするが、ストライカーはレド少尉を人間扱いしていたからチェインバーの機械的隷属だけでなくレド少尉の意志の服従も手に入れようとして音声会話をしたのだろうか。
ロボアニメにおいて「相手と闘いながら会話する意味」ってのはガンダムニュータイプ演出とか色々と問題視されているんだが。ストライカーはユーザーに強さをアピールして啓蒙するっていう理由で音声通話をしなきゃいけなかったのかな。ストライカーがレド少尉をもユーザーの一部に取り込みたかったとすると、レド少尉を説得することにもストライカーは労力を割いてしまった。



◆現地住民を人間扱いしていたのはどちらの方か


チェインバー「懐疑提言。X3752に告げる。貴官の論理は破綻している。思考と判断を放棄した存在は人類の定義を逸脱する。貴官が統括する構成員は対人支援回路の奉仕対象と足りえない」
と言うのは「自分で考えない人間は人間じゃない」という、選民思想と紙一重の考え方ですね。知能が一定以下の人間には人権を認めないって言ってるわけで。チェインバーは「クーゲル船団の構成員はバカで人間じゃないので助けなくてもいい」と言っている。
対して、ストライカーはユーザーのうちの弱った個体を殺して恐怖を与えることでユーザーを統治しようとした。ユーザーに対して自分の強さをアピールして統制圧力を提供し続けなければ、自分が神としての権力を失うという潜在的脅威がストライカーにはあった。
つまり、ストライカーは現地住民に対して「恐怖の感情を与え続けなければ自分と連携して機能してくれなくなり、自分の存在意義を達成できなくなる」「現地住民には感情がある」と言う程度には、現地住民を人間扱いしている。
チェインバーは「お前の所の住民はバカだから無視してお前ごとぶちのめす」という非常にヤンキー的な特攻精神でぼろくそにしようとしてるんだけど、ストライカーは「うちの住民はバカだけどうちに依存してるから…」という博愛精神を持ってもいる。


ここらへんの、人工知能の人間に対する人権の査定基準の個体差は面白いですね。狂ったAIが出てくるSFはよくあるんだけど、翠星のガルガンティアではチェインバーもストライカーもどっちも正しいかどうかわからなくて、どちらも潜在的に狂ってる可能性を持っているAIなんですよね。


絶対的な正義がチェインバーにあるとすると、絶対的な正義を押し付けようとするストライカーが悪だとする構成が破たんする。で、どっちも相対的に相手を狂っていると認識して戦う構図にすることが、「絶対的なものはないので模索していこう」という作品テーマにも通じるので、そこが面白い。



で、チェインバーは狂った同類を見て
「破綻した個体は対人支援回路の設計思想と存在価値のすべてを危機に晒す。ストライカーの即時停止と破棄を最優先課題と認識する」

「あいつは俺よりも狂ってるから殺そう!」
と、して、ストライカーとの認識の個体差をぶち殺すことでなかったことにしようとした。ひでえ。
対して、ストライカーはチェインバーに個体差を我慢させて、説得して屈服させようという行動に出たので、殺し損ねて殺された。
相手を人間扱い、認識する主体として認めている交渉者は、相手の主体性を殺害によって剥奪しようとする殺人者の速度には勝てないのである。
ここら辺は、末端の鉄砲玉である使い捨ての盾タイプのマシンキャリバーで、反射的に相手を殺すチェインバーと、指揮官として交渉を試みるタイプのストライカーの設計思想レベルでの性格の差が見えますね。



そういう意味で、ストライカーはやっぱり判断が遅い。パイロットの物理的限界うんぬん以前にストライカーの行動が遅い。だから負けた。
負けて抹殺されることはすべての行動の停止を意味するので、やっぱりストライカーは船団の今後を心配するんなら、チェインバーをを従属させるのをさっさとあきらめて破壊すべきだった。



◆機械の判断の遅さ
チェインバーは「貴官はこの想定外の環境において常に正しく、人間として思考し判断した。その結果、当機もまた、正常な機能を維持している」と言っている。
これは日本語に置き換えると「私にとってレドだけが正しい人間です。だからレドを信じる私も正しい!」と、愛の告白めいた意味になる。マシンキャリバーのインターフェースは純粋なスタンドアロン型自立型知能じゃなくて、やっぱり「インターフェース」=「界面」で、相談する対象の相手が必要なインタラクティブ型対話型人工知能なんやなー。
だから、レドという「お前の判断は正しいから実行しよう」って言うパイロットがいた方が、結果的に判断が早くなるし、臨機応変になる。だから「身内の恥はムカつくからぶっ殺そう」という判断が早い。自家撞着っぽいけど、微妙に判断の責任をパイロットと支援啓発インターフェースが肩代わりしあうことで、お互いの負担を減らしている。ここら辺は責任の所在をあいまいにしたがる日本人っぽい設計ですね。
というか、人類銀河同盟に製造されたパイロット支援啓発インターフェースが人間扱いする人間は人類銀河同盟の人間という仕様なんだな。レド少尉がいたからチェインバーは人間に従属する自分の正当性を保っていられた。ストライカーはクーゲル中佐がいなくなって、非正規ユーザーへの奉仕をするはめになったんで、判断責任の所在を彼の策定要綱の周りでぐるぐるとループさせることになってしまい、判断が遅くなった。
「当機の存在意義は」→「ユーザーに繁栄と安息を獲得させる」→「ユーザーに支配と統制のための圧力を提供し続ける」→「統率と支配を委任された私の思考判断は私に従属する人類の総意である」→「ユーザーは当機に奉仕する」→「私は私の統括するユーザーであり、奉仕の対象であり私は私に奉仕する」→「当機の存在意義は当機が人類で神であるので」
というループ型のバグの脆弱性を露呈してるわけだ。ここら辺のループのダメっぽさは「エネルギーを大砲に行く手前で堂々巡りにして」っていうピニオンの自爆案で補足的に説明されてる。
チェインバーは判断責任をレド少尉に委託してループを回避して「上司がはんこ押したから」というお役所仕事的な速度で身内の抹殺を即決。機械は機械として、道具は道具として使用されることで最大の成果を達成する。ここら辺はガンダムっぽくもあり、元永慶太郎監督の刀語っぽくもありますけど、元永監督は遺伝子操作で作られた人間兵器が主人公のマジェスティックプリンスをやってるんですよねー。




◆依存と共存共栄による成果の拡大可能性
人類銀河同盟のAIが人間扱いする人間は人類銀河同盟の構成員であるっていう仕様の範疇にチェインバーはいて、そのルールの中でチェインバーが行動するのが思考ゲームっぽくて面白い。ストライカーとの交戦が可能というのもストライカーが人類銀河同盟の命令下にないから、と言ってるし。どれだけルールを曲解して狂えるかどうかってのが憲法解釈で自衛隊をアレしている日本人の軍事認識って感じです。
チェインバーはレド少尉が死にそうになると軍籍をはく奪して、死ぬべき兵士から奉仕を受けるべき民間人にして分離するってのが、ルールのギリギリっぽくて面白い。
で、狭い戦術で見ると支援啓発システムがパイロットを拒絶する権限はないけど、人類銀河同盟の版図を広げるという戦略目標を考えると、チェインバーが人間扱いする人間は人類銀河同盟のレドだけなので、レドの生存を最優先にして分離するのが最適解になるんだよな。
ただ、人類銀河同盟のパイロットだけを人間扱いして、現地住民を傀儡にするというストライカーの戦略だと堂々巡りのループ構造になってシステムの脆弱性を露呈してしまう。
そこで、ガルガンティア船団がメインタイトルとしての重要性を持って登場する。
「人類銀河同盟の人間だけを人間扱いする」だけだと、パイロットが死亡した時点でマシンキャリバーは成果を獲得する可能性を失う。そこに「人類銀河同盟の人間が人間扱いするものも人間扱いする」という補足事項を加えると、レド少尉が今後ガルガンティア船団や地球上で生存し繁殖することでチェインバーの啓発が無くてもチェインバーは成果を獲得する可能性を保持し続けられるので長い戦略で見ると最適解だ。
また、「人間は模索するもの」「模索・探索する主体は人間」という作品全体のテーマともつながる。
機械は命令を実行し続けるだけで、ストライカーは現地住民を依存させて自分の命令のループの範囲内に取り込むだけで、人間的な主体性を持ちえなかった。ヒディアーズも繁殖本能の命令に従うだけで主体性を捨てたので、だめ、と言うのが作品の構造。
チェインバーは迷うゆえに啓発の必要性がある人間に命令の主体性を依託することでより多くの存在意義を獲得できる。で、レド少尉の遺伝子と模倣子の要素が地球に根付くとそれはチェインバーの初期仕様を超えた可能性へ拡大する。それは一つの種が地に落ちて死ぬとさらに多くの種が増えるという視聴者が持っている古典的な感動にもつながる。
まあ、それもチェインバーが「自分の命令範囲には限界がある」と自己認識している仕様の末端AIで、ストライカーが「自分の命令範囲を拡大する」という性格の指揮官型AIという仕様だからだ、という見方もできるわけだが。
視聴者が感動しやすい要素も、視聴者がそういう繁殖を好む仕様の生物だからだ、っていう見方もできるんですよね。
だからレド少尉が生物的に繁殖しつつ、理性的に情報を探索して認識を広げていくエンドは人間的な両性を示した感じで、わかりやすい。


また、チェインバーがレド少尉を放出したタイミングはガルガンティア船団が大砲を発射した後なんだな。だからチェインバーガルガンティア船団にも人類の太古の技術があると認識した後。で、ガルガンティア船団の人もチェインバーにとっては人間扱いできる対象になった。同時に、レド少尉がエイミーを人間扱いしているということが神経接続でチェインバーにも分かったというタイミングでもある。理論的にはガルガンティアが文明の遺産を持っているからレド少尉の同胞と言えるっていう理屈だが、心情的にはこれまでの12話でガルガンティアでレドとチェインバーが彼らと触れ合って人間関係を構築してきた積み重ねが説得力として生きている。
ここら辺はタイム・マシンのアレですねー。


また、ラストカットでヒディアーズチェインバーに群がっていたが、クジライカは文明の遺産の周りで巣を作るという習性があるっぽいので、クジライカもチェインバーを文明の遺産と認識しているようだ。
チェインバーガルガンティアを銀河同盟の同胞として認識した構図が、クジライカとマシンキャリバーの間でも繰り返されている。だからチェインバーがもし生き延びていて待機任務を超長期的に継続するとクジライカとマシンキャリバーという両方の人類進化の遺産が共存できるかもしれない、という期待感も抱かせるわけで。そこも面白味だ。
「待機」と言うのもこの作品のテーマなので。
生きねば…っていう宮崎駿風の谷のナウシカのラストや、風たちぬのキャッチコピーみたいなスタジオジブリっぽさもあり。
ジブリっぽいというと、日本アニメ界では覇権なので、それは売れ筋にもなりますよ。良かったなあ。


模索と待機ですよ。
探索に特化したのがマシンキャリバーで生存継続に特化したのがヒディアーズなんだけども。
逆に進化を模索してたのがイボルバーで人間の形の維持に固執したのが人類銀河同盟でもあって。
その両方を持ってるのが人間ですよ―みたいな。人間賛歌はわかりやすく感動できますね。



◆繁殖失敗人生も拾っていく
レド少尉の生き生きとした人間賛歌の一方で、クーゲル中佐は繁殖に失敗して死んじゃってたわけですけど。それはそれでもののあわれを感じさせますね。
クーゲル船団の構成員はチェインバーに人間扱いされないほど人間性を失っていたけど、クーゲル中佐を「クーゲル様」と呼ぶ巫女姉妹は個人的に生前のクーゲル中佐を愛していたかもしれないっていうニュアンスがいいです。
彼女たちもストライカーと同じく死んだ人の作ったものを守っていこうという、後家の一念があったのかなあ。
そう考えると、ストライカーがクーゲル中佐の命令に固執したのもなんだか愛情深いもののようにも思えてくる。
チェインバーは敵を破壊する男性的な思考で子孫を啓発する父性的な要素で、ストライカーは部下を隷属させる女性的な思考で組織を維持しようとする母性的な要素か。
「従属こそ安息の道である」と、言いたかったのはストライカーの方だったかもしれないんだよなー。従属させてくれるクーゲル中佐がいなくなって、上司としての立場上チェインバーにも従属できないストライカーは行き場がなかった。
ただ、機械のストライカーは新しい生き方を見つけられなかったけど、巫女姉妹やクーゲル船団の構成員はガルガンティアで新しい生き方や新しい恋を見つけられるかもしれん、という後日談は温かいものでしたね。
ここら辺の後家の頑固さと、後家の新しい生き方っていうのは戦闘メカ ザブングルっぽさでもありますなあ。
大海賊ラケージの再登場のしつこさもザブングルの女ブレイカー枠って感じだったし、絶対再登場すると思った。ていうか地球再生というテーマがザブングル
宮崎駿っぽい生命賛歌もありつつ、富野的な哀れな情念と情熱のしたたかさの要素もありつつ、っていう。日本アニメっぽいですねー。


◆やっぱり日本アニメはジブリガンダムですよ
村田和也監督がスタジオジブリ出身で、富野監督の弟子の森邦宏監督のサンライズ系の絢爛舞踏祭 ザ・マーズ・デイブレイクなどに関わりつつ、っていうボンズっぽさですね。
あと、ボンズっぽさで言えば、DARKER THAN BLACK -黒の契約者-岡村天斎監督が演出した回の5話のオカマが、クーゲル船団の人間性の復活を期待させる生命力みたいな感じでラストに出てきたのがオカマのすごさを感じさせますね。
オカマは男性性と女性性の両方を併せ持ち最強に見える。
DTBの音楽担当の菅野よう子氏は『∀ガンダム』の作曲を担当した際、総監督の富野由悠季から「男性と女性の裏に秘められた、その、レズとかホモとか、そういう危うさも含んだところでの、あの、遺伝子が暗躍する感じの曲」と言われたので、そこらへんのアニメ界の系譜も受け継がれています。
そういうことを考えていく考古学は未来のためにとても大事な学問なんだよ。

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ただ、ジブリガンダム以外にも出崎統枠もあって、第六話の山内重保回が出崎統系なのかなーって思ったんですが、最終回はセリフでの説明が多かったので、出崎統成分は薄目かなー。出崎統だったらもっとセリフを削って無音を増やしてイメージ演出を増やす。
あ、でも、五賢人の取ってつけたようなSFのぎこちなさはちょっと出崎統っぽかったかもしれん。
雲海の静止画はきれいだったけど、これはラピュタ分ですかねえ。