玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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アニマル1第3話お茶に手を出すな!

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アニマル1の第3話「お茶に手を出すな!」にも富野喜幸が参加していたのが無料配信されていたので見た。
お茶ってなにさ?
富野が参加したのはこの3話のみなのでもう見ない。富野も絵コンテだけやって、演出作業にはかかわってないって言ってた。
でも、高度成長期の日本の当時の姿を描いた記録としてみたい人は見てもいいんじゃないかな。


これもサザエさんで近年有名な雪室脚本なのでキチガイのにおいが…。
しかし、もうアニマル1は45年前のアニメっていうか日本テレビアニメの歴史は50年ですよ。やばい。

あらすじ
東京オリンピックの1964年の次の1968年のメキシコシティオリンピックを目指す話。
週刊少年サンデー」で連載されていた川崎のぼるの漫画作品。
父・小助や5人の弟と妹・ナナ子と共に、船で暮らしていた東一郎は、東京は墨田区に有る「河岸中学校」へ転校してきた。だがその日、校内に乱入してきた暴れ牛を叩きのめした事から学校の人気者となり、様々な運動部から勧誘される。そんな中一郎は、一見ひ弱な山彦正率いるレスリング部から勧誘を受け、山彦とレスリング勝負をするが、いとも簡単にのされてしまった。この一件でレスリングに興味を覚えた一郎はレスリング部に入部し、メキシコオリンピック目指して猛特訓を行う事になる。

あらすじがすごい、ちばてつやの国松様のお通りだいハリスの旋風とかぶっている…。
あの時代は、「貧乏な暴れん坊が薫陶を受けてスポーツで昇華させて国家社会に承認される」という話がはやったのだろうか。こういうモチーフは高度経済成長時代ならではの時代のあだ花と言う感じで、古臭く見えて、あんまり好きじゃない。白黒だし。
あんまり好かんなあ。あしたのジョーは「スポーツで国家社会に承認されようが知ったことか」という流れ者の個人主義的態度が時代を超えたわびさびを感じさせるので、今に通じる名作になってる。僕は高度成長時代が生まれる前に終わった世代だし。


1968年放送なので、まあ、バルセロナ五輪とタイアップしたYAWARA!みたいなものですね。しかし、僕はこういう国威発揚は好かんなあ。
戦後20年で、中途半端に戦後民主主義と暴力的な男性主義をダブルスタンダードで使っているあの高度成長期時代の風潮も好かん。
こういう、努力と根性でモーレツに成長してアメリカに並ぶ大国になって名誉白人になるのだ!という60〜70年代の日本のやる気と卑屈さの入り混じった風潮も好かん。アニマル1の「日の丸が星条旗の隣に並ぶ!」という栄光も卑屈さを感じて好かん。
梶原一騎原作で川崎先生作画の巨人の星の大リーグボールってのも名前がもう卑屈だしね。
高度成長期は確かに今の日本を多少便利にしたけど、僕らはその時代の人たちがノリノリで急造したインフラが老朽化したり、ずさんな経済政策やその他のツケを払わされてる世代だし。
「お婆ちゃんは年金がもらえるけど、私は年金がもらえない」って言い残して母親は50代で自殺した。
だから、団塊の世代には憎悪がすごいですねー。
子供を作れたから親が子供の上なのか? 子供は女と男の屑以下の親の負債をかかえて、帳尻合わせに必死になっているんだ!
だから、不愉快なアニメでした。
団塊の世代は馬鹿みたいに兄妹が多くて人口を増やして、そのせいで老齢年金の負担が我々の世代にのしかかってるので、見てて不愉快でした。
団塊の世代は兄妹が多かったから競い合って成長した!最近の若い者はすぐにキレるからいかん!」って十年くらい前に50代くらいの団塊の世代どもが偉そうに言ってたけど、こういう昔のアニメで彼らの少年時代の実録を見ると、単に貧乏人が避妊を怠っただけに見える。しかも中途半端に男女平等をうたいながら女性に家事を自然に押し付ける態度もダブルスタンダードで嫌な時代だなーって思う。
糞が。
また「むかしはガキ大将がいてケンカをしていたが、弱い者いじめはしなかった。ケンカをしているから痛みを知っていた。最近の若い者はすぐにキレるからいかん!」って僕がキレる17歳の頃の14年前によく団塊の世代どもに言われたものだが、団塊の世代が子供の頃のこういう時代のアニメを見ると、ガキ大将って言ってもやっぱりそんなに倫理的に暴力を遂行するような理想的な存在ではなく、ただ単にバカなガキだと思ったし、不愉快です。
だからやっぱり高度成長期を懐かしんだりする気持ちにはなれないですねえ。ガキ大将からそのままヤクザ者になってベトナム戦争の弾薬を横流しにしたりとかそういうクズもたくさんいただろうし。
まあいいや。
だから、昔も今も人間は屑で愚民は増えた分だけバカも多いし、クズなんだ、っていう話だ。
しかし、高度成長期時代の日本はゴミが多くて小汚いなあ。やっぱり、Always 三丁目の夕日みたいなノスタルジーより、当時の実録のゴジラヘドラだよ!
特に「きれいに見せよう」とか「汚く見せよう」とか考えなくて、何となく映して描いている結果、当時の汚さがフツーに残ってるという点で、60年代70年代の日常系アニメには価値がありますね。21世紀前半の空気系アニメも半世紀後にはどのように思われるのか?
「戦争が無くて平和にアニメを作れた最後の時代」とかいわれるのかなー?
空気系にちょっと演出をつけたしたアニメと言えば、あしたのジョーのカーロスが高速道路で涙橋の墨田区とか足立区を見て「汚い街だ。日本にもスラムがあるのか」って言った場面とか、いいですよね。やっぱ、出崎はいいよな・・・。



それはそうと、富野演出。
富野は「川崎のぼる先生のいなかっぺ大将のギャグをアニメにするときの演出が苦手だった」と語っているが、やっぱり今回もいなかっぺっぽくなるところがうまくいってないような気がしなくもない。
あと、やっぱりまだ富野演出も完成されていなくて、ガチャガチャと騒々しい印象のまままとまりに欠けたように見える。ただ、数週間、主人公が修行する時間経過を1話にまとめたのは富野の総集編映画編集能力の萌芽とも見えなくもない。
レスリングの先輩を次々と叩きのめす後半も、止め絵の省エネ作画だけども、主人公の成長ぶりや3話時点での実力を説明セリフなしで理解させる、と言う演出能力としてはそれなりに上手いと思える部分もあった。まだ粗削りだけどね。

富野由悠季全仕事―1964-1999 (キネ旬ムック)

富野由悠季全仕事―1964-1999 (キネ旬ムック)


というか、アニマル1は虫プロ制作だけど、明らかに1話だけのバイトだったし、この時の富野は女からみでCM制作会社社員やアニメ専門学校講師を掛け持ちして中途半端にやめたり出戻ったりフラフラしていた時期なので、全体的に中途半端なのが、フィルムを見てわかんだね。
しかも白黒で手塚治虫以外の原作だから虫プロとしても非主流派だし、富野も「虫プロが手塚原作以外の劇画を作るのは、企業の都合を感じさせられ、痛みとしてしか記憶に残らなかった」ってエッセイに書いてた。

このあと、夕焼け番長にコンテ十数本を描いて名ばかりチーフディレクターをして、中途半端にかかわり降板したらしい。
で、1969年に虫プロに本格的に出戻って杉井ギサブロー監督のもと「どろろ」で3本コンテを書いた。これはなかなか良かった。原作も良かったし、周りに同僚絵コンテマンとして出崎統高橋良輔氏がいたのもいい環境だったのだろう。
そして1970年にあしたのジョーで富野は出崎統の下につき、実力を味合わされて、どさ周り編以降、富野は出崎統の下で働くことはなかったという…。
その後、富野はさすらいのコンテマンとしてアニメ絵コンテ千本切りとあだ名されるような雑多な仕事をして、今に至る。
そんな人の歴史の一ページを感じると、アニマル1自体はあんまりおもしろく感じられなかったけど、富野については面白く感じる。


ちなみに、「お茶に手を出すな!」というサブタイトルの意味はいまいち分からんかった。
「主人公は強すぎるので、レスリング部に入部したらレギュラー落ちするであろう先輩部員からいびられて、暴力事件の責任を押し付けられて入部を拒否される。それで、主人公は精神修行をするために茶道部に入部して、放課後に自主的に友達とレスリングの練習をする。それで、顧問の先生に努力を認められて、あらためてレスリング部の先輩をレスリングで叩きのめして入部する」
と言う話なのだが。
まあ、お茶は茶道部でちょっとは飲んでいたんだが、「手を出すな!」という意味はまったく分からん。茶道部の人がレスリング部に襲われるという展開もなく。茶道を通じて主人公が成長したという要素もなく。
しかもレスリング部の先輩が陰湿で暴力的だし、主人公も暴力で解決するので、団塊の世代の糞ぶりを改めて実感。戦争に負けておいたくせに教育者面する顧問の先生も不愉快である。


そういうわけで、茶道アニメとしても格闘アニメとしても、今週のドキドキ!プリキュア第27話バレちゃった!? キュアエースの弱点!の方がストレスなく見れますね。ちゃんと茶道のもてなしの心と、格闘技で悪と戦う心が脚本構成としてマッチしてたし。作画だけでなく、ストーリーの運びも最近のアニメの方が40年前よりも端正になっているし、無意味に暴力を振るう下品な輩が学園ものアニメに出ることが減っているので爽やかに見れる。(規制もあるんだろうけど、あ、とある系は無意味な暴力アニメを保存するために頑張ってますね)
っていうか、昔のアニメは不細工な脇役が不細工なまま登場するので全体的な印象が不細工なんだよ!
プリキュアはかわいい!


っていうか、親が自殺してリストラされて痴呆老人を抱えて、俺はこんな国を作った団塊の世代どもに対する憎しみが強すぎてアニメも素直に見れなくなってて、困りますね!!かと言って、自分の下の世代、今ある世の中の問題から目を背けて半径3メートルの快楽しか見ようとしないゆとり世代も不愉快だ。かといって、僕ら30代もちゃんと世界の問題を解決しようとしてなくて、結局みんなで現実から逃げて自己保身ばかりしてて、こんな国家はどうせまた破裂します。
宮崎駿ですら、国家を破滅させて自分だけおいしいところだけ吸って死に逃げしようとしてるからな。みんな自己保身だけのクズなんだよ。


現実はくそ!
もう知ったことか!
俺はキモヲタらしく、アニメーションだけいただいてゆくっ!
そして妄想の天空を駆け巡り脳内妹と幸せに暮らします。


でも富野監督の新作Gのレコンギスタには期待して、自殺を延期します。
もしそれがつまらなかったら、富野監督には源氏物語千年紀 Genjiの最終回の光源氏のように出崎統の墓の前で詫びてもらおうと思います。
出崎統は本当、素晴らしい生き様と死にざまだったなあ。