玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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#魔法少女まどかマギカ 新編 #叛逆の物語 ラストの魔性の罪考察妄想





っていうか昨晩のツイッターメモをブログ用に整形。


ですが、もう公開から一ヶ月近く立ちますからそんなに配慮しなくてもいい?
戦場ヶ原ひたぎのマナーネタが見たくて二回目を昨日見てきた。ディフォルメガハラさんはなんでソリコミなん?
しかし、まあ、ほむほむとガハラさんと斎藤千和さんが混ざって面白かった。



以下ネタバレ妄想考察


ラストの崖で暁美ほむらが聞くチャイムは全ての魔獣を倒し終えた終末のラッパかもしれない。
なんだかんだ、デビルほむらだって勇ましい事を美樹さやかに言っても、中学生レベルのメンタルだから終業のチャイムで終劇。また、君の銀の庭の歌詞も大人になりたくないって歌詞だし、中学生の時間をやり直し過ぎて中学生になりすぎたほむらは悪魔には成れても人間としての人生を取り戻したことは喜べない精神構造になったのかも。
魔獣を全て倒して、まどかの敵になるよりはQBにまた利用されるよりは、たった一人で崖へ。という愛?弱さ?
魔獣は残っていても、ほむら自身が大人になること、あるいは大人になって離れていく少女たちの成長から逃げたかったのか?
まあ、ほむらは自殺したのではなく、単に外付けのハードウェアの肉体を捨てて、魔という概念になって世界と一体化しただけかも。これは鹿目まどかが円環の理と分離して人間肉体としての人生を得たことと対比的でシーソーゲームっぽくもある。
ゲーテファウストメフィスト・フェレスを引用してキルケゴールは死に到る病で「悪魔の絶望はなによりも深い。救いの神を知り神の前にありながら、救われることを否定し自分自身であろうとすることは絶望であり罪である」と書いた。
デビほむはまさにそういう悪魔の絶望を表現していた。
僕もキルケゴールが好きなメンヘラだからこういうモチーフは好きですね。

  • 魔獣がいなくなったとすると

しかし、魔獣が全て消えたなら世界は正しく革命され、呪いは無くなり、誰も誰をも恨んだり呪わない、感情が熱的に死んだユートピアになったのか?
だとしたら正しい世界に悪魔の居場所はない。むしろ、まどかが好みそうな幸せで正しい世界をつくるために、魔なるもののほむらは最後の魔獣として消えなくてはならない。
また、感情エネルギーが熱的に死んだ安定した宇宙ではキュウべぇたちインキュベーターはエネルギーを取り出せなくなり破滅する。だからインキュベーターへの復讐になる。


だが、感情のエネルギーが全く平坦な人類の世界などは映画では描けないのでしつこく何度も、「終劇」「おしまい」「fin」と畳み掛けたのかな。
こういうスペクタクルの後の静かで強引さで突然な幕引きは夏エヴァっぽくもある。

崖だけに。
ほむらが何故落ちたのかどこへ落ちてどうなったのかわからないので、魔法少女まどか☆マギカがテレビ版から繰り返していたクリフハンガー的な引きに過ぎないとも見える。
映画を二回目見る時は時計を見ながら見たのだが、一つのシークエンスがほぼ10分で、ワンシークエンスはアクションパートと議論部分がセットにまとまってる。だいたいシークエンスはほむらの会話相手の切替で判別しやすい。場所も変わるし。
それを二時間上映で12回繰り返してるので、20分6話OVAとしてもまとまってる構造に見える。
だが、しかし、このエンディングテーマ後のラストカットを「次回への引き」として見たら、また後半6話の「現実世界・魔獣編」に続いて、ワンクールの続編が追加、という構造にもなる。
だが、魔まマは宇宙が云々と言ってはいるが、現実の社会からは目を背けて、女子中学生の心の悩みや関係性の方が大事だし、ハードで美麗な都市描写はそれをもり立てる飾りに過ぎない、って作品でもある。
だからまどマギの続編があっても、世界の社会の構造的な歪みから発する呪い(つまり少女の悩みとは関係ない不幸)の男性的な魔獣との戦いは描かないんじゃないかな、と予想する。
だから、魔獣編はありそうな余韻はあるけど、無い、という表現にして曖昧にぼかすのがアートっぽくてカッコイイのかも。
世界の社会構造的な歪みと対決するって話になったら群馬県の女子中学生数人の話じゃなくて世界的戦争になっちゃうしなあ。サイボーグ009はそこら辺をやろうとしたけど、やっぱり観念的な方向に行っちゃったし。
だから続編はあるかも知れないけど、予想は野暮だし、世界が書き換わったからいくらでも違う展開にできるよなー。おりこマギカとかスピンアウトもあるし。
と、いかにも続編がありそうにほむらが劇の舞台から落ちて、次の舞台を予感させる引きだが、しつこく何度も、「終劇」「おしまい」「fin」と畳み掛けたので続く力と終わる力がぶつかりあって、神と悪魔の対になった物語っぽさをも感じさせるラスト。


そんなふうに色んな余韻を残すラストでしたね。キャラが売れたら続く?


オープニングも魔法少女の楽しい日常や踊りにほむらが入り込んで、まどかの手を取ったら幻で砂漠で愕然、ということで映画の前半の粗筋をわかりやすくまとめてたなー。