玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。旧玖足手帖から記事・ブクマを引き継ぎました。


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無敵超人ザンボット第21話「決戦!神ファミリー」ガンダムへ、未来へ

脚本:星山博之 絵コンテ:斧谷稔 演出;菊池一仁
あらすじ
http://higecom.web.fc2.com/kingbial/story/story21.html

もはや、戦局はスーパーロボットと怪獣の一対一の戦闘ではなくなり、最終決戦となった。
破損し宇宙に逃げ延びた敵機動要塞バンドックを追い、主人公側の神ファミリーはキング・ビアルで宇宙に侵攻した。艦隊戦である。
バンドックに捕虜になった経験を活かし、作戦参謀としてバンドックの弱点を教える香月。神ファミリーも闇雲に突撃するだけでなく、バンドックの内部図解を作成し、的確に敵の急所を突く作戦を立案している。
敵、ガイゾック側も必死。キラー・ザ・ブッチャーやその部下の宇宙人たちは神ファミリーを抹殺しなければ、自分たちもガイゾックの首魁に粛清されるのだ。


ガイゾックのキラー・ザ・ブッチャーはいつもふざけていて子供っぽい。ここは、ガンダムビルドファイターズの敵役のマシタ会長が子供っぽい癖に自分の私利私欲しか考えていないクズだったので、ギャグキャラにしてバランスを取ったことに似ている。
ブッチャーも大量殺戮、アメリカのメタファー、自分もボスに殺されるというダークな部分をコメディタッチのしぐさで薄めていたのだろう。また、同時に、彼の部下のバレターたち下部構成員ガイゾックもギャグ的だ。人間爆弾編での捕虜収容所でのガイゾック兵はリアルタッチでミリタリー風の兵士的な雰囲気だったが、今回、自分たちが神ファミリーやガイゾックのボスに殺害されて命がかかっている、と言う状況でもドタバタコントを繰り広げるのは、シリアスをギャグで薄めるという以上に狂気を感じる。
つまり、これを劇要素として解釈するのならば、悲劇を引き立てる「道化」ピエロの役割なのだろう。狂った小物たちがワイワイガヤガヤすることで、より劇の本質を強調するスパイスになっている。これはシェイクスピアの戯曲と同じような手法。
と、同時に、やはりガイゾックの狂気は神ファミリーの「常識を持った一般日本人の感性」と対比的で、劇空間がよりコントラストの強いインパクトのある印象になっている。
機動戦士ガンダムは敵も味方も人間、という事はありつつ、もう一段階SF要素を強めてNTを出した)
敵がこういうトリックスター的な面を見せることで、戦闘ロボットものでありつつも戯曲的な要素や神話的な意味性をまとおうとしている。なので、キラー・ザ・ブッチャー一味のふざけた所はたしかに癇に触るのだが、単にふざけているだけと言うわけでもないと思う。
粗削りではあるが、敵が神話的であるというのは海のトリトンポセイドン族、勇者ライディーンの妖魔帝国などから来ている流れで、この後もイデオンダンバインと続くし、リアルロボットものと言われるガンダムもある意味ファンタジーな面を含んでいる。富野喜幸はファンタジー作家である。
もちろん、スーパーロボットの元祖のマジンガーZからして神話の要素はあったわけだが。


で、今回の宇宙戦闘が渋い。もはや戦闘機的なザンボット3メカブーストは戦線の主役ではないのだ。
宇宙戦艦キング・ビアルが宇宙要塞バンドックに侵攻する艦戦である。これがまた渋く、キングビアルがバンドックに近づくにつれて数千もの宇宙機雷圏に襲われ、その後は目視圏外からのミサイル斉射に晒される。機雷防衛網やミサイルの射程距離、主砲の射程距離などで段階を踏んでいるのはドラマに良いアクセントをつけているが、同時に宇宙戦線の作戦のリアルさを想像させる。
特に、宇宙の暗闇の目視圏外や爆炎の向こうからミサイルが殺到するところは、機動戦士ガンダムでも多用された演出手法と戦法で、富野らしい。そういうわけで、1話完結のスーパーロボットアニメの亜種として始まったこのザンボット3というアニメは、70年代に多造されたスーパーロボットアニメから機動戦士ガンダムへの架け橋みたいに変容しているなあと思った。


(バンドックから発射されるミサイル群の中にホーミングミサイルが混じっているというのは、逆襲のシャア的でもあり、クロスボーン・ガンダムゴーストのサーカス部隊のバンゾみたいでもある)


戦闘でスーパーロボットに注目するのではなく、宇宙戦艦同士のミサイルや機銃やビーム砲の撃ちあいと言うのは、宇宙戦艦ヤマトの影響もあるんだろうけど、そこも含めて70年代後半のアニメブームの流れを感じさせる。


肉眼の目視圏を超えてレーダーでミサイルを撃ちあうというのは、非常に緊迫感があり、宇宙戦闘の圧倒的恐怖を感じさせて、シビアな最終戦闘という感じの演出だ。現実的でもある。アニメ映えはしないが、富野監督はこれを上手く使ってくれている。


今回も一応、バンドックに肉薄したザンボット3を牽制するためにメカブーストが2台投入されるが、戦闘の主役は大量のミサイルや人間爆弾以上の威力を持つ巨大宇宙機雷だ。
ガイゾック指揮官同士の会話で「メカブーストなど、ザンボット3を倒した後のゴミ掃除に使えばいい」と言うのは、ロボットアニメの中のセリフとしてはクリティカルと言うか自己批評的に刺激的な言葉。リアリズムへの傾倒がうかがえる。
だが、ミサイルを避けてザンボット3が宇宙要塞に接近すれば、牽制のために自律型兵器のメカブースト・ダンガルンを投入する、と言う作戦の流れもリアルっぽい。(本当のリアルな宇宙戦争は私はまだ見たことはない)
ミサイルの嵐が今回の戦場で印象的だが、ザンボット3がそれで存在感がなくなるのかと言うとそんなことはなく、むしろ、ダンガルンのワイヤー攻撃を引きちぎるために、自分から敵味方のミサイルが相打ち爆発する空域に突入するという鉄血作戦をするのですごくインパクトがある。
敵のワイヤーで雁字搦めになったザンボット3がミサイルの撃ちあいの爆風に自ら身を投じてワイヤーを切断して勝つと言うのは、すごくスーパーロボット的な強さがあるし、ザンボット3は別に目に見えてパワーアップや改造はしてないんだが終盤戦に向けて強くなった感じがする。ロボットの格闘よりもミサイル砲撃が主戦場だが、それを逆手にとって主役メカの凄さのアピールに使うという演出は素晴らしい。(ワイヤー攻撃の恐ろしさは∀ガンダムバンディッツやズサンでも用いられてましたね。イデオンのバッフ・クランでは一時期ハーケンが無敵だった)


そして、必殺技のムーン・アタックではなく刀剣で2台のメカブーストを切り伏せる、というのもザンボット3の勝平、宇宙太、恵子の練度の向上を感じさせて迫力がある。特にゾンダアを秒殺する時の恵子の索敵、勝平の接近戦、宇宙太の的確な援護射撃と、イデオンみたいに各部の搭乗員が連携して敵をやっつけていてリアルなシリアスさがある。特に勝平が切り結んでいる時に宇宙太がミサイルを発射して敵をひるませるのが良かった。宇宙太、渋い活躍をするのでカッコいい。次回、宇宙太はどう戦ってくれるかな?宇宙太・・・。

  • 老人の特攻

そして、また老人が特攻する。富野監督作品らしい特攻だ。
神北兵左ェ門と神梅江がビアルII世をキングビアルから分離させて特攻する。神ファミリーの長老の代の二人が散る。
特攻に向けての死亡フラグの積み重ね方も上手い。
まず、機雷などで一番外側のビアルII世の部分の装甲やドッキング部へのダメージが描写される。それから、さらにII世はダメージを負い、キング・ビアルの主砲のイオン砲へのエネルギー注入が出来なくなる、と言う風にすすみ、ビアルII世が切り離される予感の積み重ねはある。
(このビアルII世のダメージ描写はイデオンの作画にもちょっと似ている。無重力の宇宙空間での火災をゼロ・グラビティに比べて圧倒的に貧弱な作画で描こうとした気概はすごい)


また、人材不足の神ファミリーの中で、被弾した個所をチェックしに行った神江家の宇宙太の弟妹の和幸ときいろの子供たちが危険な活躍をして、ビアルII世が一時切り離されてミサイルを回避するというシークエンスの挿入も上手い。分離するメカを特攻前に印象付けると同時に、「子供が危ない目に合って死ぬのは嫌だなあ」という視聴者への感情の刷り込みの効果がある。その事で、老人の特攻にも単に命を犠牲にするというだけでなく「子どもを守る」という意味合いが強調されている。子供たちへ未来を託す、というのは富野作品に多くあるテーマであり、またザンボット3ではそれが色濃いと私は思っているが、今回もそれが強調された形だ。
(しかし、前回、ザンボット3は一般の軍人は動かせないというエピソードがあったが、兵員不足なのでキング・ビアルには甲板作業員や砲手の兵士は導入しても良かったような…。いや、アニメとして動かすのが手間だから無理なんだろうけど…。子供が戦いに出る富野アニメは恐ろしいよ)


それから、ザンボット3が敵のワイヤーに捕まった時も、勝平の父、神源五郎は長男の一太郎に指示を仰がれて「迷うことはない!キング・ビアルはザンボット3の救助よりもバンドックを全滅させればいい!」と言ってのける。これは父親としてもスーパーロボットアニメとしてもなかなか言えない非人道的なセリフ。それくらい、戦況はひどいのだ、命を懸けるだけでなく命を捨てて戦わなくてはいかんのだ、と、態度で示している。


で、主砲を潰されたキング・ビアルが、同じく主砲を失い体当たりを仕掛けてくるバンドックと対抗するにはビアルII世が分離して突撃するしかない、と言う風に作戦的にも心情的にもフラグを立てていく過程が見事。


そして、割れた湯のみである。
戦闘が開始される直前、宇宙船の中の茶室で神梅江は神北兵左ェ門と茶を飲み、若いころに彼が二十歳の彼女に贈った茶碗の思い出を語らう。「私たちの人生も悪いものではなかったですね」と婆さん。死亡フラグ
しかし、キング・ビアルがスペース機雷源に突入した衝撃で、湯呑みは割れてしまう。これはあからさまな死亡フラグです。
だが、それにとどまらないのがザンボット3のすごい所。なんと、戦闘中に梅江ばあさんは割れた茶碗をニカワでくっつけていた!戦いに参加せずに、茶碗の修繕である!
そして、神ファミリーの長老で常に作戦指揮を執っていた神北兵左ェ門は戦いを勝平の父の神源五郎に任せ、ビアルII世に移動する。そこに梅江婆さんが付いてくる。必死の戦闘中で決死の特攻前と言うのに「おじいさん、茶碗が直りましたよ」と、日常会話のように寄り添う婆さん。だが、婆さんは死に向かう爺さんの気持ちを分かっていた。「私たち二人の犠牲で済むなら少ないですよ」と、婆さん。
それまで、梅江婆さんは対して戦闘などで役には立っていなかった。(勝平が捕虜収容所に潜入する時とかに手伝っていたが)
そんな婆さんが、爺さんの一世一代の特攻に付き合うのだ。操縦だけなら爺さん一人で良かったのかもしれん。だが、婆さんは爺さんの最期を支えるために一緒に居てやるのだ。泣ける。こういう死ぬ時に誰かにそばにいてほしいとかいう生っぽい感情はやっぱり富野らしいなあ。∀ガンダムのマニューピチ編とか。マニューピチ編の脚本は星山博之さんではないけど…。


神北兵左ェ門と神梅江は名前の通り夫婦ではない。だが、神ファミリーとして血縁関係にあったようだ。そして、梅江が二十歳の時に兵左ェ門は茶碗をプレゼントした。なぜか?
どちらかの苗字が結婚で変わって、兄妹だったのかもしれない?従兄妹だったのかもしれない?どの家が本家かは明言されていないが。
梅江婆さんの初恋の相手は野崎副総理だ。だが、最期には兵左ェ門と運命を共にする。このオーガニック的な血縁関係!
梅江婆さんが老いらくの恋をするのはブレンパワードの直子婆さんみたいでもあるが、姉弟という関係だとすると、伊佐未依衣子的でもある。非常にオーガニック的だ。ブレンパワードもまた、三代以上にわたる血縁関係を描いた話だった。(ガンダムイデオンキングゲイナーもそういう所がある。富野の好きな要素なのだろう)
対して役に立たないし萌えもしない婆さんが、死ぬ前の女とか妹か姉みたいな一面を見せる、と言うのは切ない。


で、婆さんは自爆攻撃に向かう船に乗り込む前に、神江宇宙太の父の神江大太さんに直った茶碗を渡して「勝平か恵子にあげてください。宙ちゃんの好みじゃないだろうから」と形見分けしていく。切ない。
あ、これ、宇宙太の死亡フラグだ。いや、次回誰が死ぬのかいまいち情報を遮断しているのだが…。


この描写がなんで大事かって言うと、テーマに沿ってるんですよね。これ。
おじいさんとおばあさんの犠牲でもバンドックに致命傷を与えることはできなかった哀しみ、特攻のむなしさ、というのは非常に印象的なんだが。それだけではない。
割れた茶碗が割れたままではなく、直されて孫に渡されるというのが非常に重要。割れた茶碗を直して使うというのは、非常に日本人の勿体ないを大事にする江戸しぐさらしくて、やっぱり鎧武者の形をした江戸時代の遺産のザンボット3にふさわしい。
そういう文化財を大事にして継承するという所で、血縁の繋がりを意識させる。
また、その茶碗が単に形見分けされたんじゃなくて、一度割れて、直されて渡された、と言うのも非常に示唆的。
茶碗が暗示する血縁関係とか、人生とか、時代の流れには、傷や犠牲もあるだろう、それでも傷を癒して直して思い出と命を受け継いで行こう、と、そういう大きなテーマ性がこの茶碗には込められているのでござ候!
「犠牲を乗り越えて前に進んで行こう」と言うのを声高に台詞で言うのではなく、茶碗と言う日常用品に託して演出するというのがすごく映画的ですね!
特攻は無意味だったかもしれない、ただ単に傷が増えただけかもしれない、それでも傷ついた茶碗を直すように命を繋いでいこう・・・。そういうぬくもりみたいなものがあるよね…。

TOMINOSUKI / 富野愛好病 井荻麟作詞論 第43回「いくつもの愛をかさねて」

いくつもの愛をかさねて
作詞:井荻麟/作曲:岩崎元是/編曲:岩崎元是/歌:岩崎元是


引き裂かれた 愛が
それっきりおしまいになると思わず
一度、知った 愛は
鍛えられ 次のもの さがす 力に


 そう、この歌はいわば生の賛歌だ。

あれから八つ 季節はすぎて
あの唇 時代(とき)を越えて
過去のものより あかあかと
今のぼくに 生命(いのち)続く源 くれる

 このように、全曲には生への喜び、生命のぬくもり、生きのびるための気力が溢れている。それでいて、どこか暗い影を落とすように聞こえてならないのは、その背後には、厳然なる死が潜んでいるからだ。


 しかし、親が死んでも、子のなかに生きているから、子が生まれたら、その人生が終わることはない。このように、生は必ず新しい始まりじゃないし、また死も決して単純な終わりとはいえない。生と死の境界は実は、常に曖昧なものだ。


 こうして、生と死という人間にとって二律背反的なテーマを、同時に取り上げながら、上手くそれぞれの持つ意味を融和させ、人類にもたらす意義を伝えることができたのは、両者の間に「愛」という生を産み、死を乗り越えられる力を持つ意志の要素を全面的に打ち出したからだ。

機動戦士Vガンダム無敵超人ザンボット3は皆殺しの富野らしい鬱アニメとよく言われるんだが、その凄惨なストーリーの中に、人の心や命の温かさも確かに込められている。その二律背反性とか陰陽を体現した広がりみたいなオーガニック的な何かに、富野ファンである私は心を揺さぶられるわけです。
何度でも傷つき、何度でも死に、何度でもやり直しながら、命は繋がっていく、って、そういう・・・。
それは単に死んだから鬱アニメだ、と言うよりももっと大きなものを感じさせる。僕のような心の傷ついた人間にも…。


そして、爺さんと婆さんが死んだ後、勝平の父の源五郎が静かに次の作戦行動の支持をして、「我々は泣き叫んでいる暇はないんだ。ビアルとザンボット3は直ちにバンドックの追撃に移る」と言う。これも締めのセリフとして非常に良い。
今回、源五郎は長老の兵左ェ門の大きな作戦方針と一太郎と勝平の細かい戦闘実行の間に立って静かに指示をするセリフが多く、一見すると兵左ェ門の言うことを聞いているだけに見えて影が薄かった。その源五郎が、兵左ェ門の死後も変わらない静かさで指示を続ける、と言う所に勝平の父として、戦闘指揮をする男としての精神的な圧倒的な強さを滲み出させていて、素晴らしい。
それが分かるから、勝平も「じいちゃん、ばあちゃん」と泣きながらでも「了解!」と答える。切ないなあ…。

  • 次回、終局

基本的に僕は名作アニメの最終回は1つ前から連続で見ることにしている。なので、泣いても笑っても次の土曜日までに無敵超人ザンボット3は見終わる。
そして、秋のGのレコンギスタまでにダイターン3エルガイムを見なければいけない。
しかし・・・。
ザンボット3は本当にすごい作品だな!
ダイターン3エルガイムはさくっと見終わりたい!