玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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無敵鋼人ダイターン3第18話 銀河に消えた男 男は漢でありつづけられるか?

脚本:星山博之 絵コンテ・演出:藤原良二 作画監督:田島実

あらすじ
http://higecom.web.fc2.com/nichirin/story/story18.html
名無し・A・一郎さんも言っているが、正直、あんまりおもしろくない。


作画もそんなに良くないし、そもそも古いし、ストーリーも設定の解説がメインだし、あんまり舞台移動しないのでスペクタクル感が無いし、ゲストキャラもオッサンで華が無いし。
じゃあ、全く必要のないエピソードなのかと言うと、そうでもないし、やっぱり富野信者としては面白くないエピソードでも面白がりたい。


今回、メガノイド基地から脱出してきたミナモトと言う男は破嵐万丈の父、破嵐創造の助手であり、火星で創造と共にサイボーグを開発していたが、そのサイボーグが増長して人間に従わず、メガノイドとなった、って話が明かされる。サイボーグは人間を改造したものなので、別に人間に従わないで人間と同等の権利を主張してもいいと思うけど、基礎体力が強すぎる人は権利を制限されないと一般人が不公平感を感じるとか、そういう話でしょうか。
で、ミナモトは破嵐万丈が火星を脱出する時にゲリラ戦をやって万丈を助けた男だったのだが、今ではメガノイドのドン・ザウサーに従ってメガノイドを改良する技師をやらされていた。んで、今回はメガノイドのコマンダーがワガママすぎてダイターン3に負け続けたので、ドン・ザウサーに忠実に従うコマンダー・スペシャル1号という改良型コマンダーを開発したのだが、ミナモトはそこで良心の呵責とかメガノイドに従うことへのストレスとかで火星を脱出して、地球の破嵐万丈に宛ててSOSを発した。
ここら辺でドン・ザウサーたちメガノイド陣営と破嵐一家の関係性の設定が匂わせられますね。


で、なんだかんだあって万丈はミナモトを奪い返そうとするコマンダー・スペシャル1号と戦って倒すんだが、ミナモト本人は火星行きの敵の宇宙船に乗せられる。その宇宙船を操作するメガノイド・ソルジャーに向けてテレビ電話で通信するコロスは「これからもミナモトに手伝わせてスペシャルコマンダーを作ってメガノイド帝国を広げるのです」と宣言するのだが、逮捕された割になぜかマシンガンを入手していたミナモトはソルジャーを虐殺して宇宙船を占拠し、制止するコロスのテレビ電話モニターにも狂ったようにマシンガンを連射して宇宙船を乗っ取ると、万丈に最後のメッセージの音声を送信しつつ宇宙の彼方に去っていく。


前回、古代からよみがえったルーミス帝国の皇帝アキラスもメガノイドと敵対したが、アキラスは万丈と共闘することなく、冷凍睡眠に戻った。
今回は万丈の父の盟友で昔は万丈を助けてくれた戦士で科学者のミナモトが火星から脱出してきたが、やはり万丈の仲間に加わることなく、銀河の彼方に去っていく。食料も持っていないし、おそらく自殺するのだろう。(もし自らがサイボーグに成っていたら恒久的に宇宙をさまようのだろう)


ミナモトはドン・ザウサーとコロスに従ってメガノイドを製作させられたストレスで総白髪になり、再会した万丈に「ご苦労なさったのですね」と言われる。そして、ダイターン3スペシャル1号を破壊し、ミナモトは敵のソルジャーを虐殺して宇宙船を占拠したのに万丈のもとには戻らない。「私は嫌だ。」「万丈くん許してくれ。僕にはもう君と一緒に戦っていく勇気も気力もない。メガノイドのいない、手の届かない所に行く。万丈君、後は頼む」と言って銀河に消えていく。


今回のゲストキャラクターのミナモトの声を当てているのは故・永井一郎氏。つまり、無敵鋼人ダイターン3の前作の無敵超人ザンボット3の神北兵左ェ門から地続きとして見ることもできるんですが。
神北兵左ェ門は老人だけど戦い抜いて宇宙船で特攻します。それに対して、今回のミナモトは「僕にはもう君と一緒に戦っていく勇気も気力もない」と言って戦わずに消えていく。そして、万丈はかつて自分を救ってくれた時に勇ましくゲリラ戦をしていたミナモトを思い出して、涙する。
これ。前作で特攻までした永井一郎を「戦いに疲れた男」に配役する演出が光りますね。


そして、これはザンボット3ダイターン3の戦いの違いにもなっている。ザンボット3は実は作中では3カ月程度しかたっていない短期決戦なのだ。対して、ダイターン3は火星にメガノイドが勃興して、脱出した少年だった万丈が男になりダイターン3を使って反抗するまでに数年かかっている。そして、その間にミナモトは疲れた。
短期決戦では気力や興奮で勢いよく特攻もできるけど、長期戦の場合、戦士としての士気は保ち続けられるのか?というところがダイターン3ザンボット3に対して自己批評的な所。
また、テーマ的にもザンボット3は少年の神勝平が戦いを通して成長して最終回で大人の男になるって面があるが、ダイターン3は逆に最初から大人の男の年齢でロボットも財産も親に与えられた破嵐万丈が、大人になるという通過儀礼を避けてなんとなく年齢と財産だけ大人になった男が、少年時代よりもずっと長い大人の時代をどう生きるのか、どうふるまうのか?どういう態度が大人なのか?そもそも大人とは何なのか、贅沢をして女にモテて器用に機械を操って戦いに勝てば大人の男なのか?
っていう問題意識がダイターン3にはある。
少年時代の青春の力で大人を目指すのは美しい激情だが、実は大人になった後の惰性で生きている時間の方が長いのだ。そこで、気力を保ち続けるのは、一時的な情熱よりも難しいのではないだろうか。


また、ザンボット3も善悪の相対化として有名な作品だが、神ファミリーや地球人から見るとガイゾックは悪かどうかは分からないが明らかに敵ではあります。なので、神ファミリーも自分が善かどうかはともかく敵に向かってかなり直情的に突撃します。
ですが、ダイターン3では実は身内が敵を生み出してしまったし自分も敵のテクノロジーを利用して汚れてしまっている、って言う構図がある。なので、自分の善性を万丈は証明できない。証明できないけど、自分と同じような立場かもしれないメガノイドたちを万丈は殺害し続ける。また、万丈は自分と敵の区別も論理的には付けにくい。だけど、万丈は激しくメガノイドを憎み殺害と言う手段で敵と自分の区別をつけつづける。
で、メガノイド製作に利用されて自分が悪に加担していたミナモトは自分が善なのか悪なのかよくわからなくなる。これは物理的に疲れるとかそういうこと以上に戦う気力がなくなる。
そして、それが最終回の万丈にも跳ね返ってくるかもしれない。
なので、今回の話は確かにアクションとかストーリー自体で見るとあんまりおもしろくないんだけど、富野アニメの系譜としてのザンボット3ダイターン3機動戦士ガンダムとつながる流れとして見ると、なかなか深いんじゃないかなあって思いました。