玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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無敵鋼人ダイターン3第39話 ビューティ、愛しの詩やっと明かされるヒロインの過去。

脚本:荒木芳久 絵コンテ・演出:貞光紳也 作画監督:田島実
あらすじ
http://higecom.web.fc2.com/nichirin/story/story39.html

 ビューティ観光会社の宇宙旅客船ラビット号がデスバトルに拉致された。ビューティの父はこの件で過去の失態の報いを受けたと言う。それは彼は破嵐万丈の父、破嵐創造のメガノイド製造計画に出資しており、メガノイドを生んだ責任を感じているのだ。その責任もありビューティは万丈のアシスタントになった。

とのこと。今までビューティーは本当に謎の美女だったんだが、そういう事情があったのか…。
そして、父と娘の葛藤みたいなのも描かれるんだけど、それを最終回の1個前にやるとは!レイカの出自は1話で描かれているのと対照的。これでヒロイン二人のバランスをとったつもりなのかな。
ダイターン3の前年に富野監督が参加した超電磁マシーン ボルテスVボルテスチームの紅一点の岡めぐみは父親が岡防衛長官ということもあり、結構頻繁に父娘の葛藤を描いていたし、ダイターン3の前作の無敵超人ザンボット3は家族のストーリーだったのだが。その他にも、ロボットアニメでは戦争がメインテーマと見せかけて家族や疑似家族が描かれることが多い。(まあ、アニメの基本的な対象者が子供や学生なので、ロボットに限らず魔法少女も家族を書くことが多い。ただし、ロボットものでは何故か圧倒的に片親が多い。対照的に、異世界アニメやスケベ萬画や恋愛アニメやアイドルアニメやスポーツアニメでは家族や親の描写が少なかったりする。いや、親が能登麻美子とか美人だったりすることもあるので一概には言えないのだが)
ダイターンでは快男児の破嵐万丈が独立してメガノイドの野望を一話完結で打ち砕くストーリー構成だが、全編を通して見ると、万丈は親の作ったメガノイドの後始末をする、と言う体裁で親の影に支配されている。むしろ、親子の関係がこじれにこじれている話だからこそ、終盤までメインキャラクターの親子の話はやらなかったのだろうか。
万丈の過去は12話と18話の火星脱出、36話の母親と兄がメガノイドにされて死んだところの回想、37話の幼馴染との会話と言う形で、断片的にしか描かれなかった。
ゲストキャラクターの親子の話としては、第4話「太陽は我にあり」と第16話「ブルー・ベレー哀歌」などが印象的か。
万丈がメガノイドを憎む気持ちに親子の問題が絡んでいるんだろうな、と言うのは断片的な情報からでも推測できる。推測できるのだが、万丈がそれについてあまり口に出さないのは、口に出すのが嫌なほど親子関係が破綻しているんだろうな、だから言いたくないだろうな、と推察できる。つらい。
ラスボスが親父ということで六神合体ゴッドマーズのように毎回親子関係が強調されるような作劇にすることも可能だったのだが、万丈は成人しているし、それ以上に親に対しての恨みが筆舌に尽くしがたいところまで来ているので、親子関係をあまり描かないことで、万丈の深い憎しみを表現していたのだろうか。それでもメガノイド全般に対する憎しみが深く、折に触れて万丈がメガノイドへの怒りを爆発させているので、それも親への憎しみから来ているのだろうと察することが出来る。
万丈は快男児であろうと必死に上っ面を作っているんだが、一皮剥いたら親への憎しみとか母や兄を奪われた哀しみとかでぐちゃぐちゃになっている面がある。それを押し殺して快男児を装うのが大人の生き方なのだろうか???


また、今回も万丈は縛られて鎖を引きちぎるのだが、万丈の体がメガノイドなみの性能を出しているって言うのも以前の戦いで何度も垣間見れたし、36話で兄も母もメガノイドに改造されたという回想シーンがあったし、万丈もメガノイドなんだろうな、と言うのは推察できる。
そういう点で、最終回前に敵の巨大メカが前線を詰めてくるとか総攻撃があるとか味方がパワーアップするとか、そういう終盤っぽさは無いんだけど、万丈と言う男の生い立ちや背負っている親の業などが徐々にパズルのピースとしてハマっていくことで、戦争ではなく心理的に終盤の詰みへ向かっていると見える。今回は謎の美女アシスタントも万丈の父と親の代から因縁があったと明かされるので、これも詰みに向かう手の一つ。


そういう風に親からのしがらみがある、と言うのは富野アニメらしいのだが、それに対してキャラクターたちが親を乗り越えて自立しようと個人的な意思を見せるのも富野アニメの特徴である。ビューティーは親の資金がメガノイドを作ったことに責任を感じている一方、彼女自身が自分の意志で「万丈が噂通りの男か確かめたかったから」アシスタントになった、と自意識を表明している。そして、万丈も「親の罪の責任を取るのが息子の務め」というよりは「世のため人のためメガノイドの野望を打ち砕く!」と、自分の意志でやってるんだ!と訴えている。
最近の先日の富野由悠季監督のGのレコンギスタの冒頭10分のインタビューでも、監督は親からの自立を訴えている。

http://www.g-reco.net/
世の大人の人達に言いたいのですがとても大事な事があります。子供の事、孫の事考えたら本気になれます。今の大人達はおそらくそういう目線をあんまり持ってなくて、自分達の暮らしの事が気になってるだろう。それから自分が死んだ時に子供達に安全でありたいと思っている想いしかなくて。
いや、子供達の安全を想うなら、自立できる様にすれば良いだけの事なんだ、って事を忘れてる。


僕はそういう意味で子供達に自立して欲しいと思うので、大人として歳をとってきた段階までの想いと世の中の事がすごく気になる事がある。
例えばそれが解決出来なかった自分が本当に申し訳ないと思っています。子供達に対して。孫達に対して。だから本当に子供達孫達の世代に対して、申し訳ないけどもこういう問題があるから、それは今度君達頑張って解決して欲しい、そういう想いを正確に伝えたいと思った。

31年前のダンバインも21年前のVガンダムも16年前のブレンパワードも、親からの強いしがらみに苦しみながらも、最終的には親とは関係なく戦う、頼まれなくても生きるという風に主人公は持って行ったので、ダイターン3のころから富野監督はそういう自立心を中心に据えた作劇をしているのかなあ。海のトリトンも先祖の罪をトリトンが自分一人の胸に秘めて黙って旅立つラストだったし。
三つ子の魂百までという事を実感する富野監督の作劇の一貫性であるし、また子どもに「自立しなさい」と促すことが彼にとってはアニメを作る社会的な意味だと思ってらっしゃるような面もうかがえる。ザンボット3のテーマも自称乳離れだったし。


で、今回はラスト前ということでコロスが直接指揮を執るネンドルという体が軟体生物のように、というか粘土のように変形し、変装もできる伸縮自在のコマンダーが登場する。だが、コロスが遠隔操作するというよりは、割と自分の意志で行動しているようにも見える。というか、コロスに忠実すぎるので直接指示を受けなくてもコロスの願いを実現するようなロボットに近い自意識の低いメガノイドなのだろう。コマンダーの自意識の高さがコロスを悩ましていたので、このように自意識の少ない自動人形のような兵隊が理想的なメガノイドなのかもしれない。
ちなみに、彼は自分の体をゴムのように伸ばすところで「私の体には少々ファンタスティックな所があってね!」と言うのだが、明らかにファンタスティック・フォーのミスター・ファンタスティックのオマージュ。ファンタスティック・フォーの初版は1961年だが日本では1978年に光文社から日本語版コミックが初出版された。


そんな彼はサン・アタックも体を変形して避けるが、スパロボでおなじみのサン・アタック乱れ打ちで普通に殺害された。


3回くらい前からメガノイド陣営はコマンダーが3流だったり出来が悪い人材が増えていたりするのだが、それを以ってメガノイドの人材が枯渇し始めていると見るにはちと不十分かもしれない(序盤からフランケンなどのダメコマンダーは結構出ていた)。メガノイド陣営がいまいちハッキリと描かれていないので、万丈たちがメガノイドたちに打撃を与えて最終決戦が迫る、という予感はあまりない。だが、一応次回で最終決戦である。


さて、最終回。ジョジョで言う所の「受け継ぐ者」で、特に覚悟も努力もなく親から金塊とロボットを与えられただけのとっちゃん坊やとも言える万丈は「自立」を手に入れられるだろうか?