玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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ベルサイユのばら第33話「たそがれに弔鐘は鳴る」静かな一回

脚本:篠崎好 絵コンテ;さきまくら 演出:竹内啓雄 西久保瑞穂 大賀俊二

  • 第一皇子ルイ・ジョゼフが死ぬ話。

アニメ版ベルサイユのばらには珍しく、ほぼ原作通りの展開である。
演出としても独自性が薄く、派手な場面が無く、地味な印象。なので、返って皇子が死ぬ、ということの重苦しさが表現されているのかもしれない。


原作や宝塚歌劇ではかなり盛り上がる場面として挿入された、身分違いの恋に悩むアンドレがオスカルを殺害しようとして毒のワインを飲ませようとする場面は、どうやらアニメでは無くなっているようだ。ジェローデルとの結婚話もあの舞踏会のラストの一瞬で終わったようだし。そう言う風なドラマチックに盛り上げる所がアニメではカットされているので、さらに重苦しく、シビアな感触が増している。
アンドレの目の悪化も、アンドレが普通に医者にかかっているので、アンドレが階段の数を覚えるとかはなく、オスカルがアンドレにナイフを向けるシーンが原作よりも後にスライドされてアレンジされている。


ただ、ジョゼフが死ぬ前にオスカルに愛を告白したり、オスカルがアンドレに「私は王妃になりそこなったぞ」というショタ的な見せ場は原作通り。
しかし、オスカルはジョゼフの死に対して原作よりもテンションが低く、彼の死に対して雨の中を泣きながら馬を走らせることはなく、ただ静かに弔鐘を聞きアンドレに「お悔やみに行ってくる…」と伝えるだけだった。
ジョゼフの死に取り乱すマリー・アントワネットもカットされ、テンションが低い。
原作では「あなたのフランスが新しく生まれ変わるのを見届けずにいってしまわれるのか!」と叫ぶのだが、アニメではナレーションが静かに
「第一王子、ルイ・ジョゼフは悲しい生涯を閉じた。しかし彼にとってこれから王室が迎えねばならない苦難を知らずに死んだのはせめてもの救いだった。三部会が開かれ、激しく揺れるこれからのフランスが行く道を。そして生き残った者、新しい時代に生き延びようとする者たちが取らねばならぬ道を」
と言うので未来に対してスタンスが若干違う。ほぼ原作通りだが、微妙にニュアンスが渋い感じに調整し直されている。

  • アンドレと革命勢力と平民

原作ではオスカルが啓蒙思想、民主主義思想、自由、平等、博愛などにかぶれるのだが、アニメでは平民であるアンドレの方が主体的に勉強していて役割が違っている。原作はマリー・アントワネットとオスカルの女性が対になっているが、アニメでは宝塚を受けてなのかアンドレの多さが増えている。
三部会が開かれる前、ベルナール・シャトレの平民への演説を聞くのもアンドレに役割がスライドされている。
オスカルが三部会が開かれることに期待を燃やす原作の展開もなく、オスカルは静かに任務を遂行する。


アンドレは自分の片目を潰したベルナール・シャトレの演説を聞いて、褒める。ベルナール・シャトレはアンドレを自宅に招き、妻となったロザリーを紹介した。原作ではオスカルがロザリーに「マザー・コンプレックスのベルナールには君の愛が必要だ」と言って嫁に出したのだが、アニメではベルナールとロザリーが独立して結婚している。
萬画版はオスカルの愛が一つの大きなテーマとしてあるので、オスカルがロザリーよりも強く描かれている。というか、萬画のテーマとしてはオスカルが悲恋の末に真実の愛を手に入れるというのがデカいので、オスカル以外の女性が先に普通に幸せになってはいけないという構図になっている。そのため、ロザリーの結婚はオスカルがロザリーに命じて、オスカルにレズビアン的な愛を向けているロザリーが、マザーコンプレックスのベルナールの心の空白を埋めるための結婚をする、と言う風になっている。オスカルを主導的に描くために、ロザリーの愛は歪められている。
しかし、アニメではロザリーはオスカルの意図とは関係なく独立してベルナールと結婚した。
この違いは、出崎統監督の独立主義の趣味とか、少女漫画として主人公補正をする萬画との違いであろう。しかし、逆に「普通の幸せを手に入れられないオスカルとアンドレ」ということで、あしたのジョーとかジョン・シルバーみたいな「異能」として主人公を描くという出崎統の文脈なんだろうね。


アニメではベルナールとロザリーはロベスピエールの組織のために夫婦で働いている。それにベルナールはアンドレを勧誘するのだが、アンドレはそれを断る。アンドレは革命思想に共感しているのかもしれないが、「たまたま非番で時間が有ったから演説を聞いただけなんだ」と微妙な言い訳をする。この微妙な感覚が大人っぽくて良い。

  • 半年ぶりのアラン

アランの妹のディアンヌが前回のラストで自殺した。原作のアランでは妹が死んだ後に彼女の遺髪をオスカルに届けて衛兵隊に復帰する。死んだ妹の黒髪をオスカルに届けて、オスカルの金髪をアランが褒める。主人公補正。少女マンガ的。
だが、アニメのアランは前回ラストに「俺が納得できるまで妹のそばを離れねえ」と言った。そして、半年も衛兵隊をサボっていた。母親も病気ですぐに死に、「妹と母の墓を守って暮らしても良かったんだが…」と言っていたが。
三部会が開かれるから、憎い貴族が平民にやり込められる所が見たいから、と言って警備する衛兵隊に復帰した。
脇役であっても主人公とは関係なく人生に意志があるんだ、と言うマンガとのスタンスの違いが出崎統らしい。
同時に、三部会開催という歴史的な事実を説明臭くせずキャラクターを介してドラマにからめていこうという演出のアレンジでもある。
そして、アランは三部会を警護するアンドレをフォローする。
アランは「納得したいんだ」と言ったので、彼の納得がどのように果たされるのかと思っていたが、アランは「納得」するために、貴族と戦うために戻ってきた。脇役でも心の「納得」のために戦っている、という群像劇に昇華されている。
三部会とかフランス革命は歴史的事実だが、その事実の進行を説明するのはナレーションの最低限にとどめて、キャラクターのドラマを強調している。


そして、重苦しい雨がガラスを叩き、オスカルとアンドレがいつものサンルームで弔鐘を聞き、オスカルは静かにお悔やみに行く。
重苦しいのだ。
そして、三部会をきっかけに本格的にフランス革命が始まる。あと7回。さて。