玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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ベルサイユのばら第37話「熱き誓いの夜に」涙の契り

脚本:杉江慧子 絵コンテ;さきまくら 演出:竹内啓雄 西久保瑞穂 大賀俊二
私も体調が優れないので、あんまりこってりとした感想は書けないのだが。
今回は一言、「泣けた」と言うだけでいいだろう…。
原作や舞台版との差異を云々言うのは無粋。
サブタイトルの通り、オスカルとアンドレが初めて契る話なのだが。そこに至るまで、オスカルもアンドレも体を病んで命に後が無く命がけだと繰り返される。そして、二人が契る所で涙が最高潮になるように演出されている。
なので、とても泣けた。うむ。
平民のアンドレが失明寸前なのに必死に日記を書いている冒頭から泣けるし。
オスカルがかかりつけの医者のラソンヌ先生に「私はあなたが3歳の頃に熱を出した時も思い出せます」「あと半年のお命でございます」と言われるところで泣き、
ダグー大佐がオスカルに「私の妻が昨年結核で死にました!だからわかるのです」と告白するところで泣き、
革命運動を見る詩人が特に理由もなく死にかけている所で泣き、
オスカルがアンドレの目が見えない所を知りながらアンドレに気を使って嘘をつく所で泣き、
オスカルの肖像画についてアンドレが嘘の評論を言う所で泣き、その嘘に付き合うオスカルの嘘に泣ける。
この肖像画の嘘のシーン、アニメーションという絵で表現された世界の中の絵の話なんだが。つまり劇中劇なんだが。
オスカルの軍神マルスのコスプレの肖像画、画家が命がけで描いたという雰囲気は見せているんだが、原作とか舞台とは違ってオスカルはあんまり嬉しそうなリアクションはしていない。
むしろ、アンドレが嘘で語ったアンドレとオスカルの心の中の二人だけで共有しているイメージの肖像画の方をオスカルは喜んで「ありがとう・・・アンドレ…」と泣くので、画家よりもアンドレの方がオスカルの事を理解しているし夫なんだ!というカップリング感が強化されていて泣けるし、絵の芸術であるアニメーション作家の自意識も感じられて泣ける。
それで、ジャルジェ将軍がアンドレに「お前が貴族だったら結婚を祝福しただろう…」「帰って来い、アンドレ!」と息子のように言う所でも泣ける。
で、蛍の舞う夜の荒野で、オスカルとアンドレはパリの暴徒を通り抜けることができず、行き詰まって、ギリギリになって、生きるか死ぬかのギリギリのところで、オスカルがアンドレの目が見えていないことを知っているとアンドレに告白して、愛も告白して、セックス。
蛍で裸とかおにいさまへ…の終盤でも使われた演出だが、出崎統監督が好きなシチュエーションだろうな。
初夜が野外セックスなのはベルばらファンの中でも賛否が分かれるところだが、体も病気に蝕まれて暴徒に取り囲まれた二人が「セックスでもしないとやってられないよ!」と野生の感覚でセックスして、それでパワーを得て馬を走らせるラストへの怒涛の流れは非常に流麗なカットつなぎで、色んな意味で自然。
セックスの自然の動物としての営みの肯定。
いろんな身分とか価値観とか愛とか言葉とか、理性とかしがらみとかそう言うのを超越して生々しいセックス!出崎統の生きるパワーみたいなのがすごく感じられるし、オスカルとアンドレもそこまでして生きる力を振り絞らないとダメなほどに追いつめられているというのがまた泣ける。
蛍の光も、オスカルの涙の光も美しいし。原作よりも圧倒的にセリフが削られているが、それがまたセックスの生々しさ、そしてセックスを通じて得られる「生きてゆきたい!」という生命力とかが宇宙の銀河に通じるくらいなので、すごくいい・・・。
そして、父がオスカルの辞世の手紙を読むのも泣ける。
で、セックスして互いに命の力を高め合った夫婦がパリの暴徒のバリケードを何の説明もなく馬で突破するのも、当たり前なんだ!愛の力なんだ!という有無を言わせない説得力が泣ける。
とにかく最高ですね。泣けます。
こういう生命の根源的なエネルギーを感じられるセックスってなかなかないので、すごい!