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玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。旧玖足手帖から記事・ブクマを引き継ぎました。


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Gのレコンギスタのサウンドトラックは富野監督のミニ小説版と!

先日の富野監督の講演会の後のオフ会で富野ファンの方々と語り合った時に勿論話題に上ったのが、この4月15日に発売されたGのレコンギスタのオリジナルサウンドトラックだ。君はもう手に入れたか?3枚組85曲収録で、富野由悠季監督と作曲家菅野祐悟氏の14ページにも及ぶ大対談を収録して4500円は実際安い!そして、こんな格言もある。「富野アニメサントラに外れ無し」(誰の言葉だって?俺の言葉さ)

TVアニメ ガンダム Gのレコンギスタ オリジナルサウンドトラック

TVアニメ ガンダム Gのレコンギスタ オリジナルサウンドトラック


そして、どのようにオフ会で富野ファン同士でこのCDの凄さについて語り合ったのかと言うと、「曲のタイトルのつけ方が実際凄い」「文芸!」と言うことだ。
曲のタイトルはAmazonでも確認できるので諸兄は上をクリックして見て、よろしければ購入されたし!


どうです?曲のタイトルの言葉使いが非常に富野節でしょう?タイトルは富野監督が付けたのですよ。うーん。富野監督の言葉のチョイス、イエスだね!
オフ会でも、「Gレコの劇伴としてはスタンダードすぎる曲調が多いのだが、サウンドトラックの曲タイトルを見て購入を決めた」と言う方の意見が聞けた。このご意見は本当に批評的である。と、言うのは言葉の力で劇伴奏音楽を「修飾語」「修辞」に変えているのが今回のサントラの意義だと思うからである。


頻繁にAパートの終了間際で金管楽器の重低音で迫力を出すのに使われたのがDisc18曲目の「宇宙海賊」や26曲目「襲い来る者」などだ。例えば他に第24話「宇宙のカレイドスコープ」のラストの余韻に使われたDisc3の14「夜明けよ、来い!」など、Gのレコンギスタの曲調や選曲は非常にスタンダードに作られている。「CM前の引き」や「ラストカットの盛り上げ」のずっしりした曲など、かなり劇伴奏曲としてパターンがはっきりとしていた。メガファウナのテーマ、宇宙海賊のテーマ、Disc1の1曲目で先行PVで使われた「ガンダム Gのレコンギスタ」のテーマ、ジット団のテーマ(踊るジット団)とか、キャラクターに合った旋律のモチーフもいくつか記号化されていて効果的に使われていた。
Gレコは結構変なアニメで変な奴らが変な機械に乗って変な理由で変な戦争をする話で、世界観も変な超未来だし結構分かりにくいと言われることが多いんですが、音楽劇だと考えると、割と毎回の選曲はスタンダード。
日常っぽい音楽で導入して、ちょいシリアスめな戦いの予兆のテーマがあって、ドラマ音楽があって、Aパートの後半に戦闘をして盛り上げてCMに入って、CM明けに戦闘のテーマをちょっと変えて、戦闘が終わって、反省会ムードで音楽をやや落ち着かせて、次週への引きのテーマ音楽で締めて、エンディングのGの閃光をかける。というのは26話でかなりパターン化していた。
Gレコは分かりにくいし理解に努力が要る、ということを富野監督も菅野祐悟氏も認めているのだが、毎回の楽曲構成を見ると、「導入、予兆、ドラマ、高揚、戦闘、クライマックス、緩和、引き」という構成はロボットアニメやスーパー戦隊プリキュアレベルで分かりやすく作ってあったと思える。「脱ガンダム」がGレコのテーマだったのだが、乱暴なことを言うと超電磁ロボ コン・バトラーV無敵超人ザンボット3レベルまで毎回の構成がパターン化されていたのではないか?と、音響面では思える。
ただ、毎回状況や登場メカニックが流動的に変わるのでいわゆるスーパーロボットとはまた違うんだが。
そう言う分かりやすさについては、富野監督はサントラの対談インタビューで皮肉っぽく

富野:菅野楽曲は華があるんだけども、全部に華があるせいでみんな同じに聴こえるだろうと。僕には、数十曲が2、3曲にしか聴こえない。

と、おっしゃっていて

僕にしてみたら呼吸が欲しいとか、波が欲しいとか、バイオリズム的なものが欲しいのに、もうひとこえ違う音様のものが欲しかったので二回目のメニュー出しを開きました。

と言うことでサントラの3枚目からは、また違った曲調が聞けるのだが。ただ、Gレコは物語の本編やメカや世界観の設定に理解するためのカロリーが高い分、音楽は劇伴として分かりやすく作られている分、スルーしがちだった印象は個人的にはある。「あー、毎回CM前はトロンボーンを鳴らすんだなー」とか。ちょっと音楽面を軽く鑑賞してしまっていた気はする。
菅野氏もそこら辺の「劇伴奏作家」としての作風は自覚的だったようで、

何でも書けるし何も書けないっていうか、どんなジャンルでも書けるんだけど、良いかどうかは全然別問題というのがあって、僕は劇伴やってるからどっちのベクトルにでも曲を完成させるところまでは行けちゃう部分もあって。

と、おっしゃっている。そんな劇伴の人が2期OP「ふたりのまほう」挿入歌「ハイフン・スタッカート」ED「Gの閃光」という歌ものを作ったというところのエピソードも対談に収録されていて、そこも面白い。買って読もう。サントラには「Gの閃光」「ハイフン・スタッカート」のフルサイズが収録。「BLAZING」「ふたりのまほう」はTVサイズ。


そんな風にサラーっと聞きやすいんだけど聞き流してしまいがちなGレコの音楽だったのですが、そこをこのサントラを聞けば!富野監督の曲名を読めば!「盛り上がってる」「シリアス」「哀しいシーン」「日常シーン」「戦闘シーン」という単純な区分けが!言葉で修飾されたオペラ戯曲として理解できるようになる。



戦闘シーンでよく使われたDisc1の14「三つ巴」やDisc1の25「マスクの下に顔はあるのか?」Disc2の18「三枚の刃」、Disc3の5「鉄壁の数」など、似たような戦闘シーンでも曲名が付くことでBGMに文脈が生まれて、BDや再放送やネット配信でGのレコンギスタを見直す時に「ああ、ここはこういう意味のテーマだったんだな」「マスクのテーマなのか」「MSを刃や鉄壁に例えているのだな」などと意図をくみ取った気分を味わって見ることができる。まあ、劇場版の決め打ち音楽ではないので全部が全部文脈を作り込んでいるわけではないと思うのだが、とにかく何となくの気分は味わえる。
戦闘シーンの音楽でよく使われたDisc3の「宇宙に翼を」では「何が翼なんだ?」と言うと、戦闘シーンっぽい重く激しい音の中に若干「ガンダム Gのレコンギスタ」(G-セルフ)のテーマ旋律が入っているので「ああ、翼と言うのは宇宙用バックパックのことかー」などと再発見を面白がりながら音楽を聞き、アニメを見直すことができる。楽しい。これが富野サントラに外れ無しの意味である。もちろん、富野アニメの音楽がどれも出来がいいというのもある。楽曲自体の出来も良いし、それがドラマの記憶との相乗効果を生むことで、より良い感動が味わえるわけですね。


言葉での劇展開の定義の修辞と言うのはなかなか深いものがあって、音楽に曲名が付くことで小説に成る。
第22話「地球圏再会」のラストでマニィ・アンバサダとマスク大尉が再会するクライマックスシーンでかかる美しいピアノ協奏曲がDisc3の11曲目で、それを「一緒に旅をしませんか?」と命名することで、「ああ、単に再会しただけでなくこれが彼らの旅立ちなんだ」と、そう言う文脈が発生して新たな感動を得ることができる。
この曲の使い方については菅野氏もお気に入りで対談で「うれしかったですけどね。ふたりが再会するシーン」と仰っていた。ただ、富野監督は

でもすみません、あの回なんか実を言うと全体の仕上がりは最悪で。BLu-rayになったらもう一度観返してください。
オンエア状態での泣きは、最低レベルでした。Blu-rayでは、「ここまで変わるか」と言うのが何本かあるんですよ。

とリテイクを示唆している。なのでBDで見返してオンエア版と比較したり新たに感動したりしよう!



その次の曲の「まだ疲れていませんよ」のセンスも抜群で、「この綾鷹みたいな曲を『まだ疲れていませんよ』にしちゃうセンスってすごいな!」と思う。なかなか曲のタイトルに使う言葉のチョイスではないですよね。だから曲のタイトルと言うより、劇の文脈を飾るための形容詞として曲のタイトルは使われているんだな、と思う。
クリム・ニック君のテーマはDisc1のトラック18の「クリム・ニック・レッスン」ではなく、次の19曲目の「天気晴朗なり」だ、と言うのもユーモアセンスが効いている。


Gのレコンギスタの小説版は出さない、と富野監督はおっしゃっているが、今回のサントラをアニメに対する形容詞句として読むと、ある意味このサントラがプチ・小説版と言えるのではないかな?などと思う。


これは富野ファンの福井晴敏さんが小説版ブレンパワード3巻の後書きで書いている意見に似ている。

 富野監督には、複数の利権が絡み、集団作業によって完成するアニメーションに、個人の我を映しこみすぎるべきではないという自戒があったのかもしれない。その結果、画面はあくまでも壮大かつ流麗な戦闘シーンの描写に重点が置かれ、複雑な政治状況や人間関係の説明は、セリフの端々にわずかに表れるのみとなる。作品に託した監督自身の思いは、個人裁量が可能なノベライズ版にこそ込められ、テレビシリーズと小説版がそれぞれ別個の魅力を放っていた「ガンダム」や「イデオン」はともかく、「Zガンダム」などは、小説版を読んで初めて登場人物の心理、時代背景、作品を支える世界観が理解できるというありさまに成る。「逆襲のシャア」以降はこの傾向が顕著であり、ファンはアニメとして現れたものについてはあるていど割り引いて鑑賞し、前後に原作小説を読んで本当の醍醐味を味わうという習性が身についてしまった。富野作品を楽しむためには、監督自身によるノベライズ本の存在が不可欠。


 では、この「ブレンパワード」の場合はどうであったか。残念なことに、富野監督自身の書き下ろしではない。随所に監督自身が筆を入れ、人物の心理を俯瞰して描写する富野節をきかせてはいるものの、いつもの濃密なノベライズを期待していたファンにとっては、少々拍子抜けするところがあるかもしれない。少なくとも、「アニメとして現れたものを補う」これまでのノベライズ版とは、明らかに立つ場所が異なる本と言うことができるだろう。
 が、今回はこれでよいと監督は言う。十数年来のファンとして、筆者もそれは認めようと思う。なぜなら、「ブレンパワード」はノベライズに補われる必要のないアニメーションであったからだ。

と、小説マニアの福井さんは自分も∀ガンダムのノベライズもしていた上に、ブレンパワードの脚本で小説版も書いた面出明美さんに対しては結構失礼なことを述べているんだが。


Gのレコンギスタの話に戻ると、福井さんが述べるように富野作品は富野監督による注釈が効果的、と言う意見には賛同できる。だがしかし、Gレコには小説版は無い、だがさらにしかし、このサウンドトラックの富野節の曲名を意識しながらアニメを見ることで、世界観の設定の補完と言う以上に、富野監督の気分のようなものとシンクロしながら小説版に補われたかのようにアニメを鑑賞しなおすことができる。
ここら辺はオーバーマンキングゲイナーのサントラのタイトルの使い方にも似ている。

「マッスル起動」→「男ならやってみな」→「ふくよかなサラ」の流れのキングゲイナーのサントラは実にハラショー。


しかし、やはり富野サントラの曲名の文芸感覚と言えば、機動戦士Vガンダム SCORE 2が白眉であろう。
機動戦士Vガンダム SCORE 2

1. 目覚めたい魂(M-35+M-34)
2. 眠りの間の妖精たち(M-47)
3. いつかまた生まれた時のために
4. 夏に春の祭典を!(M-58)
5. 薄紫の夜明けの呼吸(M-31)
6. せめて翼をはばたかせ(M-40)
7. それから(M-11)
8. 夜,届いた手紙(M-26)
9. 血糊のついた包帯のまま進軍しろという(M-36)
10. 谺になりきらなかったもの(M-23)
11. 錯覚する予兆(または同性愛)(M-25)
12. 毳立ったずりおちそうなシーツ(M-45+M-7A)
13. 綿胞子が飛ぶでしょう(M-32)
14. アドレナリン・ハイ(M-28テンポUP)
15. 眠らないで…狂気の使者は我にくる(M-42+M-41)
16. 蕾のみる夢(M-51)
17. 軍門,開かれる(M-43)
18. 湖面にうつる地平線をさざ波が(M-44)
19. 地雷立ち宇宙を駆ける(M-38)
20. 白夜祭のあとの午後(M-54)
21. ひなげしの旅のむこうに

Vガンダムのころは富野監督の更年期とバンダイサンライズとの確執や、作家性の欲求とアニメ職人としてのフラストレーションなどがものすごいテンションで引っ張り合って、ものすごい言葉づかいになってる。
今回はそこまでのどぎつさは無いものの、1話の冒頭でラライヤが落下する時の音楽を「虚空からこぼれる」と表現するように、劇伴修飾語としての作者注釈っぽさはある。
なので、Gレコへの理解を深めたい場合にはこのサントラはマストアイテムと言えるだろう。


他にも、名曲「弦がとぶ」を納めた伝説巨神イデオンもいいんだよなあ…。

伝説巨神イデオン 総音楽集

伝説巨神イデオン 総音楽集




あと、曲名の凄さと言えば、機動武闘伝Gガンダムの「我が心 明鏡止水-されどこの拳は烈火の如く」とか、

機動武闘伝Gガンダム 4

機動武闘伝Gガンダム 4

新機動戦記ガンダム W OPERATION 1

新機動戦記ガンダム W OPERATION 1

新機動戦記ガンダムWの「思春期を殺した少年の翼」とか、90年代ガンダムサントラの曲名のセンスはなかなかコクがあるんだよな…。
少女革命ウテナの「死のアフロディーテ」もなかなか・・・。

少女革命ウテナ コンプリートCD-BOX

少女革命ウテナ コンプリートCD-BOX


みんなもサントラの曲名で色んな妄想をしながらアニメを楽しもう!