- 話の枕
僕の母親が自殺した話、精神科医と id:TM2501 氏の意見のエントリに、こんなブックマークコメントがあった。
id:nekora “再就職先の大学職員の給与水準が低く" これ、障害者雇用枠の作業員でありしかもその後クビになった事を省いて書くとあらぬ誤解を招きかねないので補足。
nekoraのはてなブックマーク
フムン。私はnekora氏とそれをお気に入りにしているはてなユーザーのほとんどは無条件で非表示にしているので気づくのが遅れた。
彼の言う「あらぬ誤解」とは、「あるべき理解」とは、 id:nekora 氏の脳みその中にはどんな世界が広がっているんだろうね。
事実を述べよう。
私は君たちが好きなラブライブ!スクールアイドルフェスティバルを受託する直前のKLab株式会社で勤務してパワハラや過重労働で体が壊れるまで精神を消耗し、精神障碍者手帳を取得した。
その後、実家に戻って地域のハローワークの精神障害者を保護する組織のジョブパークでリハビリと社会復帰トレーニングをしていた。その間に、そのジョブパークのジョブコーチから京都大学の附置研究所の総務事務職員として有期雇用の仕事を紹介された。
id:nekora 氏が間違っているのは、そして巧妙に印象操作をしようとしている下劣な所は、「障害者雇用枠の作業員でありしかもその後クビになった」=「グダちんは無能だから母親が自殺しても当然」という障碍者の命の価値を軽んずる切断操作を行っていることだ。
みんなで叶える物語。みんなにあらずば人にあらず。健常者のみんなは正当で、そうではない他者は悪いはず。これでは障害者への差別や偏見は無くならないとわかる。
@nekora2520 氏がネット右翼で朝鮮人をバカにする行動をしているナショナリストなのも、こういう切断操作が癖になっているタイプの性格だからだと推定できる。つまり行動パターンに従って自動的に人を憎んだり敵にしたりできる自動的な人間、というか等身大の昆虫…。はてなブックマークではクローラー型の自動プログラムに類似のシステムの亜種だろう。
まあ、私のネコラに対する印象を述べるのも読者には退屈だろう。
事実に戻ろう。
1.私は作業員ではなかった。
少なくとも京都大学では総務業務を任されていたし、金銭、メール、稟議書、接客、電話対応、イベント運営、などなど・・・。おっと、これ以上は記入すると業務上の秘密になるね。
id:nekora 氏は「精神障害者の単純作業労働者の賃金は安くても構わないし、親が自殺するのも当然」というのを「あるべき理解」だとして、「精神障害者が大学事務職員をしていた」というのは「あらぬ誤解」だと言わんばかりだ。
いや、もちろん、100文字しかないはてなブックマークでは彼の意図の全ては分からないがね。私は論理的に紳士なので、彼にもこうして反論と論議の余地を残しておいてやる。
また、仮に私が作業員だったとして(論文の書庫の掃除や学会の椅子の片づけなどの作業的な業務ももちろんしたわけだが)、nekora氏の言うように「障害者労働者は低賃金であるべき」というのが「あるべき理解」なのかねえ?
まあ、金が絡むとみんな熱くなるからこれ以上は言わないがね。
id:nekora 氏は完全に障碍者の敵に成ったね。
2.私は首になったのではない
首の定義にもよるが。
むしろ、ハローワークから紹介された臨時職員というものの有期雇用の期限切れということだ。
民間でバリバリビジネスをしていらっしゃる有能なサラリーマンであらせられるところのnekora様はご存知ではないかもしれないのですが、大学にはこのような制度で働いている非正規職員が多く、事務職では職場の半数以上が非正規雇用でございました。
↑
私一人の妄言だと思われると、あらぬ誤解を招くので、一応、臨時雇用職員を使いまわすのが大学事務のシステムの一つだ、というエビデンスを掲載しておきますね。
で、私が首になったかどうかの判断だが、有期雇用職員の雇用延長かどうかは大学の本部事務が決定するシステムだった。なので、私個人に対して、母親が自殺したからとか、精神を病んでいるから、とかそう言う理由での免職ではなかった。
ここは明記しておかないと大学の事実関係としてもあらぬ誤解をネットの人に与えるだろう。
私も雇い止めになったが、私以外にも同じ職場でも同年代の非正規事務員が数名、雇い止めになった。まあ、私も辞める理由をあれこれと本部事務に掛け合ってはいないのだが。掛長や事務長レベルの人の会話をそれとなく仕事中に聞き挟んだところ、「大学本部事務は人員削減計画を進めており、定年退職間近の職員には定年まで働かせ、実家に帰って再就職しやすい三十代以下の非正規事務員はカットして、その中間の自分たちの生き残りを図る」と、そういう状勢があったらしい。
本部事務と、研究所付き事務員の対立とか、事務職と教育職の対立とか、正職員と非正規の対立とか、いろいろな立場の違いがあって、まあ弱い立場の私たちが職を失う結果になった、というのが事実。
つまり、 id:nekora 氏が「理解」している「グダちんが個人的に首になった」と言うことは事実ではない。似たような立場の人が大勢、精神障害かどうかは特に関係なく、有期雇用というだけでシステム的に雇い止めになった時期があった。これが事実だ。
お強いエリートサラリーマンでいらっしゃるであろうところの id:nekora 様は「弱い立場で生きてるお前が悪い!」「派遣労働しかできない底辺は死ね!」とお思いかもしれませんので、そうおっしゃられるとこちらもぐうの音も出ないのでございますが。しかし、派遣労働者を回転させて短期勤務者で賃金を抑えないと運営できないのが日本第2位の京都大学と言うのはなかなか情けない話でございますね。
ご無礼ながら、nekora様の学歴をググらせていただいたところ、「東京工業大学出身」といううわさが流れてきておりました。これは事実でございましょうや?
東京工業大学、偏差値68らしいですね。すごいですねー。私の行っていた大学は偏差値が60しかないので全く敵いませんね。さすがnekora様でございます。
- ここからが本題
まあ、ネコラの話はたまたま さっきそう言うブクマが付いたから事実関係を整理しただけで、特に書く予定はなかった。むしろ、書こうと思っていたのは以下に書く話題についてだ。
最近話題のこのアニメーターの低賃金の話。togetter.com
togetter.com
この話をするにあたって、低所得者に対するネコラのような輩の差別意識やつまらない蔑視が根底にあると思って、枕としてネコラを使わせてもらった。
つまり、「自分は悪くない」「悪いのは自分以外だ」「自分以外が利益を得ようとするのは腹立たしい」「だから自分と立場が異なる人間は自動的に悪だ」と、そのように考える、というか反応する本能が人間の、特に大衆的な人間には、ある。
「自分たちが一般的で、当然で、主流派で、正しい」と考えている自称中流のサラリーマンなどは特にそうだ。
相手から利ザヤをかすめ取って営業して自己正当化して殺し合うような資本主義経済をして、他人を使い潰すことしか考えていないくせに、それを正しいと思って「神の見えざる手が経済を正常化している」と平然と言う君たち「みんな」のことだ。
神の見えざる手は誰の命も平等に刈り取る。生きている自分は神に見逃されていると思い、それで君たちは自己正当化しながら他人を、異教徒を、隣国を、違う趣味のものを、違う職業のものを、違う車種に乗っている追い越し禁止斜線の前を走る車を、互いに侮蔑し怒り、憎み合いながら自分からは目を背けて(もっともヒトの目は自分を見るようにはできていないのだが)、生きているのが君たち大衆だ。ただ、死人に口なしというだけでしかなく、生きているものしか喋っていないというだけなのに…。
「君たちは、泣いてる人を見ても何とも思わないのかね!
これが文明社会ってわけか!都市生活は弱者を見殺しにすることからはじまるってことかい、は!」
まあ、弱肉強食の畜生道の世界において「自分は悪くない」と言い聞かせながら殺し続けて食わなければ生きていけないのがヒトという生き物だ。だからそう言う風に常に他者を侮蔑し憎み自己正当化し合いながらでは無ければ生きられないというのも現実としては分かるよ。
- 君たちの好きなジブリの話をしよう
アニメーターの賃金は安いのに、スタジオジブリのアニメが大人気だ。興行収入という名の経済的正義、アカデミー賞という名の権威的正義でも上位だ。
なぜだろう?
そんな折、こんな書き込みを見た。
これはこれで、アニメーターの賃金問題にまつわる「みんな」の意見や「みんな」の正義の話に近いものを感じた。
なので、引用する。
.@yaginuma_san 面白い話があってな。俺が監督した劇場版のBLOODを「ウチの会社の試写室でかけたい」と言って、鈴木敏夫氏がフィルムを持ってったのよ。勿論、俺は嫌だったがI.Gの石川社長が許諾したので仕方がない。で、ジブリの試写室で流したのよ。その時の反応が面白い。
— 佐倉 大 (北久保弘之) (@LawofGreen) May 4, 2015
柳沼和良 @yaginuma_san 20 時間20 時間前
@LawofGreen 鈴木さんと一度話した事ある。ジブリの社員でもないのに上から目線でタカビーされるのか分からなかった。で、宮崎さんが何を言うか聞き耳立ててて、宮崎さんの発言に即効で合わせて「僕もそう思うよ!」と0.5秒。
柳沼和良 @yaginuma_san 20 時間20 時間前
@LawofGreen 歯迎えない、おべんちゃらいわなきゃいけない、ヨイショしなきゃいけない人に合わせているだけで、自分の考えとか洞察ないなと思った。
5件のリツイート 1件のお気に入り
佐倉 大 (北久保弘之) @LawofGreen 20 時間20 時間前
.@yaginuma_san 結局ね、何でわざわざBLOODのフィルムをジブリの試写室で流すのかというと、要は鈴木敏夫氏にはこの映画を批評する能力が無いのよ。で、ジブリで流して社内の人間が言う言葉をさも自分が考えた様な振りして語る訳。解らないなら解らないって正直に言えばいいのに。
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柳沼和良 @yaginuma_san 20 時間20 時間前
@LawofGreen >「社内の人間が言う言葉をさも自分が考えた様な振りして語る訳。解らないなら解らないって正直に言えばいいのに」うん。北さんの鈴木さん評は俺の印象とまるで同じ。
12件のリツイート 4件のお気に入り
@LawofGreen 鈴木さんと一度話した事ある。ジブリの社員でもないのに上から目線でタカビーされるのか分からなかった。で、宮崎さんが何を言うか聞き耳立ててて、宮崎さんの発言に即効で合わせて「僕もそう思うよ!」と0.5秒。
— 柳沼和良 (@yaginuma_san) May 5, 2015
つまり、日本が世界に誇るジブリアニメのプロデューサーがなんであんなにヒットや興行収入を飛ばすプロデューサーになれたのかって言うと、正にそこなんだよ。
「人に合わせているだけで、自分の考えとか洞察ない」
「社内の人間が言う言葉をさも自分が考えた様な振りして語る」
これはクリエイターから見ると汚点のように見えるが、スタジオジブリのアニメを大衆が指示して金を出しているという事実がある。
- 追記
アサーションという言葉がある。
自分も他人も尊重する、というのがコミュニケーションを円滑にするアサーティブネスのある態度だとビジネストレーニングの場でよく言われる。
自分の意見だけを主張して相手を攻撃するのはアグレッシブタイプだからよくない、逆に自己主張せず相手の意見を丸呑みするのも良くない。自分も他人も尊重するのがビジネスを円滑にして気持ちよくコミュニケーションする作法だ。
ここで、鈴木敏夫さんが他人の意見を自分の意見であるかのように言うのはアサーティブな態度だと言えなくもない。トッププロデューサーの鈴木敏夫さんはコミュニケーションをものすごく円滑にするための技に長けている。そのようにコミュニケーション能力に特化した場合、相手を尊重するために自分の意見を反射的に相手に合わせる鈴木さんのような態度が、アサーティブだ。そして、そのような現場から作られたジブリ作品が観客にもスムーズに受け入れられている。
つまり僕が何を言いたいのかというと、
「自分でものを考えられない人間が日本人の大多数なのだから、自分でものを考えられない人間の作ったものが一番多くの人間に支持される」
ということだ。
詳しくは機動戦士ガンダムユニコーンを参照。
「みんな」の「ノリ」や「空気」が一番金をたくさん回すので、それが資本主義において正義なのだ。
君たちがゴールデンウイークだからという「思い込み」や「ノリ」で無駄に外出したり行楽をして経済活動をするだろう?そうやって「みんな」生活している。「社会」では「個人」の洞察や考え、あるいは正義感や思想、あるいは命や芸術に対する価値観よりも、集団的な流れの方が力を持つのは事実だ。ヒトという種の性質だ。
id:nekora のように「朝鮮人は劣っている!」「障害者は不幸で当然!」と他者を否定すること、
森野クマ☆FF14Aegis @wingwrongが
@MURA_sun RTからきました。私はすき屋とは違う気がします。アニメーターは「趣味の延長」で、いわば「大道芸人」と同じ立場ではないかと。雇用形態を取ってはいますが、雇い主はいわゆるパトロン。なにせ給料0でも来そうなくらいに、アニメーター志望者は掃いて捨てるほどいますから。
「アニメータの給料低すぎる問題」の何が問題って、アニメーターは「趣味の延長」であって、雇用主は昔で言う「パトロン」に過ぎないのに、形式上は雇用関係なもんだから働いているとみなされて、「働いているのに生活費が足りない」という状態になる。つまりアニメータが「生活保護」に流れてしまう。
と、「アニメーターは」「掃いて捨てる」「趣味の延長」で「生活保護で俺の税金が食われるのは嫌だ」と縄張り意識を言うこと、
君たちが常に他者と自分を比べて自分に都合の良いものだけを支持して安心すること、
鈴木敏夫のような「自分は何も考えないが、反射的に権威に従う」人間がプロデュースする映画が人気だということ、
「自分では何も考えない大衆である君たちに『何かを考えさせられた錯覚としての達成感と安心』を与えるのが映画の効用」であるという絶望。
人間に本当に思考力や自我はあるのだろうか?
・はてな村奇譚92 - orangestarの雑記
- ハンナ・アーレントを読め
まあ、私もまだ新約聖書を全部読み終わってないし、その後はプラトン、カント、ニーチェ、ウィトゲンシュタインと買っては読んでいない本がたくさんあるので、ハンナ・アーレントはまだまだ読めないのだが。
読んだ人の記事を紹介する。d.hatena.ne.jp
アーレントは「事実を語ること」の大切さを強調した。
人々が出来事を共有し、語り継ぐ言葉がなければ世代を超えて持続すべき人間の世界の地盤は失われてしまう。
現代世界ではこの「事実を語ること」自体が危機に晒されている。
事実は様々な角度からの物の見方によって成立している。私たちの現実は、そうした複数の観点によって保証されなければならない。だがイデオロギーや結論ありきのロジックによって、現実そのものが蔑ろにされ、打ち消される事態を歴史は経験してきた。
しかも彼女が目の当たりにした20世紀の破局的事態は、伝統的な語り方が通用しない。
それまでの思考法では理解できない、先例のない出来事だった。
組織的な罪と普遍的な責任
ナチスのエリートは敗戦が濃厚になると、自分たちと全ドイツ国民を一体化し、人々の生活が営まれる中立地帯を破壊し、行政的大量殺戮という犯罪に国民全体を組織的に巻き込んだ。
誰もが罪に関与しているとすれば、結局のところ誰も裁かれえないことになる。
アメリカ社会で歴史的に現れてきた人間類型を「伝統指向型」「内部指向型」「他人指向型」に分類。
現代は官僚や企業のサラリーマンを中心とした「他人指向型」と指摘。
文字通り他人の行動に照準を合わせて自分の振る舞い方を決めていく人間類型。そこでは人は他人に同調することによって仲間集団の中での保護を見出すが、そうした仲間意識は階層的にも人種的にも排他的な特徴を持つ。
公的生活に参加し、命令に服従したアイヒマンのような人々に提起すべき問いは、
「なぜ服従したか」ではなく、「なぜ支持したのか」を問うのである。
大の大人が公的生活の中で命令に「服従する」ということは、組織や権威や法律を「支持する」ことである。
全体主義下では公的な地位についていた人々は体制の行為に何らかの形でかかわらざるをえなかった。
「世界に対する責任」「政治的な責任」を負えなくなる「極端な状況」が生じうる。
政治的な責任というものは、常にある最低限の政治的な権力を前提とするものだからです。そして自分が無能力であること、あらゆる力を奪われていることは、公的な事柄に関与しないことの言い訳としては妥当なものだと思うのです。
(『責任と判断』)
力の無さを認識するためには現実と直面するための「善き意志と善き信念」を必要とする。絶望的な状況においては「自分の無能力を認めること」が強さと力を残すのだ。
独裁体制下で公的参加を拒んだ人々はそうした体制を支持することを拒み、不参加・非協力を選んだのである。そしてこうした「無能力」を選ぶことができたのは、自己との対話である思考の能力を保持しえた人たちだけだった。
もう一度 書く、僕や君たちに思考能力はあるのか?
われ思う、ゆえにわれあり
それは単なる脳内の化学物質や電気信号に過ぎないのか?あるいは本当に考えがあるのか?
わからない。ぼくはわからない・・・。僕は睡眠薬が無いだけで眠れない程度の狂った病的な脳しか持っていない障碍者に過ぎない・・・。
世界は健常者である君たち大勢なる者のものだ。
「どちらが悪かったのか」がはっきりしたところで「目の前で起きている問題が解決する訳ではない」という状況はわりと頻繁にあって、むしろ善悪を決めるよりも先に、状況の改善策を打つことや、再発を防止することが大事だと思うんだけど「自分は悪くない」にこだわる人って実際には結構いるんだよな。
— kentaro isaka (@isa_kent) April 20, 2015
ネタバレになるから書かないけど、言いたいことはこのマンガのラスト。
- 作者: 長谷川裕一
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