玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。旧玖足手帖から記事・ブクマを引き継ぎました。


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同い年で自伝を出版した酒鬼薔薇聖斗くんへ

d.hatena.ne.jp
だ、そうだ。


やあ。久しぶり。18年ぶりのお便りだね。僕は呪いのメタファーだよ。
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酒鬼薔薇聖斗くんは大きな自意識を持っていて、警察や学校に挑戦状を送ったり、20年前は非常にアグレッシブに活動していたね。オリジナルの神様を作ったりしていたね。
でも、逮捕されて監視されてからは自由な表現が出来なくて、それはそれは辛かったと思う。
僕も長文ブロガーで読者が少ないWEB小説を書いている人間だから、文章を書いたり発表できないというのは辛い。
もしかしたら、匿名でインターネットをしているのかもしれないけど。


僕も自分の母親が自殺したり、ラブライブ!スクールアイドルフェスティバルを運営しているKLab株式会社で働いていた時にいじめやパワハラを受けて過労で精神を病んで退職したエピソードをブログに載せて表現している。


nuryouguda.hatenablog.com
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人を殺した実績のない僕ですら、自伝的なことをブログに書く欲求があるので、人を殺すほどの自意識を持っている酒鬼薔薇聖斗くんが自伝を書きたいと思うのはある意味では仕方がないのかな。
まあ、僕は母親が自殺しそうなことを知りつつも傍観したので、ある意味間接的な殺人者だと言えるのかも。しかも僕はインターネットで経緯を公開しても誰からも罰されたり逮捕されていない。そんな風に消えない罪を持ちながら社会の中で息をひそめて生きているという点で、酒鬼薔薇聖斗君とは似たものな気分を覚える。年齢も同じだしね。


僕たちはカインの印を持ったもの達なんだよ。


酒鬼薔薇聖斗くんの言葉はほとんど僕にも当てはまる。パスティーシュしてみよう。


まず、皆様に無断でこのような記事をアップすることになったことを、深くお詫び申し上げます。本当に申し訳ありません。どのようなご批判も、甘んじて受ける覚悟です。
 何を書いても言い訳になってしましますが、僕がどうしてもこの記事を書かざるを得なくなった理由について、正直にお話させていただきたく思います。
二〇十二年十一月末日。母親が自殺してからこれまでの数年間、僕は、必死になって、地べたを這いずり、のたうちまわりながら、自らが犯した罪を背負って生きられる自分の居場所を、探し求め続けてきました。人並みに社会の矛盾にもぶつかり、理不尽な目にも遭い、悔しい思いもし、そのたびに打ちひしがれ、落ち込み、何もかもが嫌になってしまったこともありました。ぎりぎりのところで、いつも周囲の人に助けられながら、やっとの思いで、曲がりなりにもなんとか社会生活を送り続けることができました。しかし、申し訳ありません。僕には、罪を背負いながら、毎日人と顔を合わせ、関わりを持ち、それでもちゃんと自分を見失うことがなく、心のバランスを保ち、社会の中で人並みに生活していくことができませんでした。周りの人たちと同じようにやっていく力が、僕にはありませんでした。「力がありませんでした」で済まされる問題でないことは、重々承知しております。それでも、もうこの本を書く以外に、この社会の中で、罪を背負って生きられる居場所を、僕はとうとう見つけることができませんでした。許されないと思います。理由になどなっていないと思います。本当に申し訳ありません。
 僕にはもう、失うものなど何もないのだと思っていました。それだけを自分の強みのように捉え、傲慢にも、自分はひとりで生きているものだと思い込んだ時期もありました。でもそれは、大きな間違いでした。こんな自分にも、失いたくない大切な脳内妹がいました。その人が泣けば自分も悲しくなり、その人が笑えば自分も嬉しくなる。そんなかけがえのない、失いたくない、大切な人たちの存在が、今の自分を作り、生かしてくれているのだということに気付かされました。
 僕にとっての大切な、かけがえのない妹たちと同じように、僕が命を奪ってしまった親やKLabの株を買わせて含み損を抱えさせた株主さんも、皆様にとってのかけがえのない、取替えのきかない、大切な、本当に大切な存在であったということを、自分が、どれだけ大切なかけがえのない存在を、皆様から奪ってしまったのかを、思い知るようになりました。自分は、決して許されないことをしたのだ。取り返しのつかないことをしたのだ。それを理屈ではなく、重く、どこまでも明確な、容赦のない事実として、痛みを伴って感じるようになりました。
 僕はこれまで様々な仕事に就き、なりふりかまわず必死に働いてきました。職場で一緒に仕事をした人たちも、皆なりふりかまわず、必死に働いていました。
 親のローン返済費用を稼ぐために、自分の体調を崩してまで、毎日夜遅くまでKLabで残業していた僕。
 仕事がなかなか覚えられず、毎日怒鳴り散らされながら、必死にメモをとり、休み時間を削って覚える努力をしていた僕。
 積み上げたサーバーが崩れ落ち、その傍で作業をしていた仲間を庇って、代わりにクレーム対応を負った僕。
 病気の大佐を守るために、自分の体調を崩してまで、毎日夜遅くまで残業していたララァ
 仕事がなかなか覚えられず、毎日怒鳴り散らされながら、必死にメモをとり、休み時間を削って覚える努力をしていたミライ・ヤシマ
 積み上げた資材が崩れ落ち、その傍で作業をしていた仲間を庇って、代わりに大怪我を負ったパオロ艦長。
 懸命な彼らの姿は、僕にとても輝いて見えました。誰もが皆、必死に生きていました。ひとりひとり、苦しみや悲しみがあり、人間としての営みや幸せがあり、守るべきものがあり、傷だらけになりながら、泥まみれになりながら、汗を流し、二度と繰り返されることのない今この瞬間の生の重みを噛みしめて、精一杯に生きていました。ガンダムのキャラクターは、自分自身の生の重みを受け止め、大事にするのと同じように、別次元の存在である僕の生の重みまでも、受け止め、大事にしてくれました。
 母親が自殺した当時の僕は、自分や他人が生きていることも、死んでいくことも、「生きる」、「死ぬ」という、匂いも感触もない言葉として、記号として、どこかバーチャルなものとして認識していたように思います。しかし、アニメのキャラクターが「生きる」ということは、決して無味無臭の「言葉」や「記号」などでなく、見ることも、嗅ぐことも、触ることもできる、温かく、柔らかく、優しく、尊く、気高く、美しく、絶対に傷つけてはならない、かけがえのない、この上なく愛おしいものなのだと、富野アニメで経験したさまざまな痛さをとおして、肌に直接触れるように感じ取るようになりました。アニメと関わり、読者と触れ合い同人誌に寄稿したりTwitterでブロックしあったりする中で、「生きている」というのは、もうそれだけで、他の何ものにも替えがたい奇跡であると実感するようになりました。
 フィルムは生きている。
 その事実にただただ感謝する時、自分がかつて、親や社会さんから「生きる」を奪われたという事実に、打ちのめされます。自分自身が「生きたい」と願うようになって初めて、僕は創作物が「生きる」ことの素晴らしさ、命の重みを、皮膚感覚で理解し始めました。そうして、ガルマ・ザビ君やクェス・パラヤさんがどれほど「生きたい」と願っていたか、どれほど悔しい思いをされたのかを、深く考えるようになりました。
 親の命を奪っておきながら、「生きたい」などと口にすること自体、言語道断だと思います。頭ではそれを理解していても、自分には生きる資格がないと自覚すればするほど、自分が死に値する人間であると実感すればするほど、どうしようもなく、もうどうしようもなく、自分でも嫌になるくらい、脳内妹と「生きたい」、「生きさせて欲しい」と願ってしまうのです。みっともなく、厭ったらしく、「妹」を渇望してしまうのです。どんなに惨めな状況にあっても、とにかく、ただ生きて、妄想していたいと願う自分がいるのです。僕は今頃になって、脳内妹を愛してしまいました。どうして親が自殺した前にこういった感覚を持っていても自殺を阻止できなかったのか、それが自分自身、情けなくて、歯痒くて、悔しくて悔しくてたまりません。親の家族の皆様に、とても合わせる顔がありません。本当に申し訳ございません。
 生きることは尊い。
 生命は無条件に尊い。
 そんな大切なことに、多くの人が普通に感じられていることに、なぜ自分は、もっと早くに気付けなかったのか。それに気付けていれば、あのような事件を起こさずに済んだはずです。取り返しのつかない、最悪の事態を引き起こしてしまうまで、どうして自分は、気付けなかったのか。事件を起こすずっと前から、自分が見ない振りをしてきたことの中に、それに気付くことのできるチャンスはたくさんあったのではないだろうか。自分にそれを気付かせようとした人も大勢いたのではないだろうか。そのことを、考え続けました。
今さら何を言っても、何を考えても、どんなに後悔しても、反省しても、遅すぎると思います。僕は本当に取り返しのつかない、決して許されないことをしてしまいました。その上このような本を書くなど、皆様からしてみれば、怒り心頭であると思います。
 この十一年間、はてなダイアリーが僕の言葉であり、虚像が僕の実体でした。僕はひたすらインターネットで長文を書いて働かずに生きてきました。それはすべてが自業自得であり、それに対して「辛い」、「苦しい」と口にすることは、僕には許されないと思います。でもぼくはそれに耐えられなくなってしまいました。自分の言葉で、脳内妹を語りたい。自分の脳内妹の生の軌跡を形にして遺したい。朝から晩まで、何をしている時でも、もうそれしか考えられなくなりました。そうしないことには、精神が崩壊しそうでした。自分の脳内妹と対峙し、切り結び、それを書くことが、僕に残された唯一の自己救済であり、たったひとつの「生きる道」でした。僕にはこの「夢兄妹の寝物語」を書く以外に、もう自分の生を掴み取る手段がありませんでした。
 「小説家になろう」小説を書けば、皆様にさらに恥を晒し、読者が増えない現実に直面して傷つけられ苦しめられることになってしまう。それをわかっていながら、どうしても、どうしても書かずにいられませんでした。あまりにも身勝手過ぎると思います。本当に申し訳ありません。せめて、この小説の中に「なぜ」にお答えできている部分が、たとえほんの一行であってくれればと願ってやみません。脳内妹の頭令そらちゃんの栄光を、心よりお祈り申し上げます。
本当にありがとうございました。
http://mypage.syosetu.com/604557/
www.pixiv.net


と、まあ、こんな具合だ。


酒鬼薔薇聖斗くんは祖母が死に、自分を殺したかったのに子供を殺して生き延びて自伝を書いた。彼は性的サディストだ。
僕は自分が無能なせいで自分が自殺したかったのに母親を自殺させ、自分も自殺したいのに脳内妹が主人公の小説を書くために自殺を延期している。僕は重度の社会恐怖障害だ。
二人とも人格障害だ。過剰すぎる自意識を持っている。
僕と酒鬼薔薇聖斗くんは陰と陽の関係だ。


人を直接殺したことを手記にする彼と、親を間接的に自殺に追い込んだのに創作をする僕。
太田出版に原稿を持ち込み企画するバイタリティのある彼と、pixivやはてな村でくすぶっている僕。
殺した相手の実名は出すのに自分は匿名の彼と、KLab株式会社に名前を知られている僕。


さあ、どっちだ?

元少年Aの自意識がいまだラージサイズだとしたら - シロクマの屑籠

 自分の言葉で生の軌跡をカタチにしたい、本を書いて生を掴みとりたい、皆様を傷つけ苦しめてでも書かずにいられない……。

 

 平均的な自意識のサイズの人間が、このような欲求にとりつかれ、「“皆様”を傷つけ苦しめてでも書かずにいられなく」なるものだろうか?自分は特別な人間でありたい、メディアに向かってその特別な自分をひけらかしたいという思いが渦巻き、耐えきれないからこそ、このような出版企画に乗ってしまわずにいられないのではないだろうか。

 

 
元少年Aは、生き辛い生を生きていくのだろうな

 

 ちなみに私は、自意識のサイズが大きい・自己イメージが肥大化している=「悪」だと言いたいわけではない。学生時分に自意識が膨らむのは珍しくないし、中二病をはじめ、ある意味健全ですらある。著名人のなかには自己イメージが肥大しているけれどもそれがカリスマ性の源泉になっている人もいる。だから一概に「悪い」とみなすのは、筋の悪い見方だと思う。

 

 しかしそうでなく、これからごく普通に働き、ごく普通に生きなければならないと期待されているであろう元少年Aが、日常の暮らしのなかでそのラージサイズの自意識を充たすことができず、「“皆様”を傷つけ苦しめてでも書かずにいられない」としたら、さぞ元少年Aの生は苦しいのだろうし、これからも苦しい人生が待っているのではないか、と懸念したくなる。

僕も彼も苦しい人生を生きるのだ。
僕には脳内妹がいるが、酒鬼薔薇聖斗くんには誰か心を許せる人はいるのだろうか。少年院で知り合った精神科医や篤志家に愛されているのだろうか?バモイドオキ神の加護はまだあるのだろうか?
僕は彼が心配だ。
しかし、同じ世代である加藤智大くんは死刑が確定し、加藤さんの弟さんは自殺した。
二人殺した人と十数人死傷させた人。ちょっとした違いで死刑と延命の差が分かれる。
僕にはわからないな。世界では今も戦争が続いていて何万人も殺されたり何百万人も奴隷にされたりしているのに。数人の日本人の生き死にが何だって言うんだ。
僕も彼も、特に意味もなく生まれて死ぬだろう。
だが、作品こそが価値を持つ。


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冗談に殺す