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玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。旧玖足手帖から記事・ブクマを引き継ぎました。


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機動戦士ガンダム鉄血のオルフェンズ第9話杯 大人

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 『ガンダム』第1作の放映から10年近くが経って、『逆襲のシャア』が公開された。劇中では10数年が経っており、劇中のアムロは29歳になっている(ただし、劇中でははっきりとは年齢に触れられていない)。設定的な理由は別にして、アムロが鬱屈したまま年齢を重ねてしまったのは、『ガンダム』第1作の頃の現代っ子が、すなわち僕達が、10年近く経ってもまるで大人になっていない事を反映させたものではないのか。アムロとシャアが、クェスの父親代わりができるほどには人間として成熟しなかったのも、若い男性が大人になれていない事の反映ではないか。2人が10数年前に出逢った少女に固執し続けるのも、僕達がいい年をしてアニメに固執し続けている事の比喩かもしれない。富野監督の年齢なら、僕達がそう見えてもおかしくない。そうやって考えると「νガンダムは伊達じゃない!」のセリフも、違った意味合いが出てくる。いつまでも『ガンダム』というタイトルにこだわり続けている愚かさを示したセリフであるのかもしれない。「人の心の光」や「人間の愚かさ」とは、また別の話だ。だとすれば、フィルムを通じて作り手は、「君たち、大人になりなさいよ」と言っているわけだ。
 さっきも書いたように、『ガンダム』第1作で、自分達に近しい存在であったアムロが大人にならなかった事に不満を感じたわけだが、彼が大人にならなかった事が、こんなかたちで自分達に返ってくるとは思わなかった。その意味でも『逆襲のシャア』は苦い。

まあ、今回はガンダムって言うモビルスーツは動かないでフレームだけだったけど、こういう観点からするとガンダムっぽさはあるんじゃないかなー


マクマード・バリストンはヤクザなわけで、ヤクザなら正しい父親なのかどうかって言う疑問もあるよね。
ハーレム名瀬さんが理想の男のロールモデルなのか、単に異常な種馬なのかっていう。
一応、このアニメの中の世界はギャラルホルンって言う大きな組織が管理しているという設定だけど、その公務員であるマクギリスは胡散臭いし、クランクさんは自己中心的な決闘オジサンとして殺された。そのクランクさんの教えを受けた義理の息子のようなアイン・ダルトンは罪のある子どもを殺すの云々というし。
んで、そういうギャラルホルンという大きな社会的父親的組織に鉄華団が反抗して、そのためにテイワズというヤクザ家族の義理息子になったわけだが。
じゃあ、ヤクザになれば正しい大人かーって言うと、それもお花畑っぽいんで、ヤクザはヤクザなりの理不尽もあるわけで。
そこらへんが悪酔いしてるオルガにも反映されてるかもしれないけど、まー、どう言う所に落ち着くんですかねー。このアニメは。
火星の経済的自立とかいろいろ主義主張が出てくるけど、どう言うことと「正しさ」として提示するのか、あるいはしないのか、って言う。まだこのアニメの世界観とか設定がよく分かってないし、まだまだ描かれてない地域がたくさんあるので、今後の展開に期待。


まあ、岡田麿里さんが正しいって言うものが正しいかって言うと、そんなの脚本家の机上の空論以上でも以下でもないわけだが。
父として考える (生活人新書)