玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。旧玖足手帖から記事・ブクマを引き継ぎました。


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Gのレコンギスタ第17話「アイーダの決断」事故と人災に対する姫政治とは?

監督=富野由悠季/脚本=富野由悠季
絵コンテ=牧野吉高・斧谷稔/演出=居村健治
キャラ作画監督=黒崎知栄実(Aパート)・清水洋(Bパート)
メカ作画監督=伊藤一樹
戦艦作監=戸部敦夫


粗筋は公式サイトにすごく詳細に書いてあるので。そちらを。
http://www.g-reco.net/story.html


前回、非常に不条理にベルリがアイーダを姉と知らされて激昂するシーンがあった。主人公のベルリがそんな風に不安定なまま前回は終わったので、今回はどうなる事かと思ったが、ベルリは「イライラしたけどとりあえず寝逃げしてメンタルをセルフで落ち着かせる」。今回のアバンタイトルのモノローグでベルリは前回、急発進して無駄に戦った事については「僕が何をやったのか?」と自分の記憶を無意識的に都合よくデフラグしている。で、レイハントン家の王子だと知らされたことについては「知らない人に奉られても楽しいことはないのだから、一人で踏ん張るしかなかった」と供述している。
ブレンパワードの宇都宮比瑪、∀ガンダムロラン・セアックのモノローグは「物語が終わった後に回想している述懐」と言う感じがする。が、ベルリのこのモノローグはいつ、だれに向けて語られたものなんだろうか?どうも比瑪やロランの達観というか最終回後に振り返っている御伽噺的な感じに比べると、Gレコのアバンタイトルや予告のベルリのモノローグはリアルタイムにアニメの毎週の話の間の隙間を個人的に埋める感じがする。もし、この物語が歴史政治学者に成ったノレド・ナグが未来に語るものだとしたら、ノレドはベルリの内面の吐露をも分かり合うことができるのか?それともベルリの内面は視聴者にだけ明かされるのか?それは番組が終わらなければな。


Gのレコンギスタ第16話「ベルリの戦争」姫と王子のズレと差別 - 玖足手帖-アニメ&創作-
で、前回はそんな感じでベルリを中心にした世界とのずれがテーマだと思った。ずれた世界でベルリは、ずれを直そうとして戦ってしまい、さらに事態をずらしてしまった。
そんな彼だが今回の冒頭はふて寝している。どうやらずれ過ぎて物語の舞台の開幕時間に間に合わなかったようだ。主人公が開幕に寝坊するとか、それくらいベルリが気持ちを整理するのが大変だったんだ、と示しているカメラのタイミングだろう。

  • 今回は政治劇

で、今回は前回が「ベルリの戦争」だったのに対応するように「アイーダの決断」である。

時系列ではなくいきなり今週ラストの話をすると今回のテーマは「政治」です。


没落したレイハントン家派の重鎮だったロルッカ・ビスケスのごつい顔のモデルは富野監督によると小泉純一郎内閣の時の飯島勲秘書官らしい。そうすると、今のトワサンガは民主党政権のメタファーかもしれないのだが。

クンパ・ルシータ大佐ことピアニ・カルータ大尉は小泉純一郎元首相に似ていなくもない。そんな政治を意識している大人2人に対して、アイーダが詰め寄って「レイハントン家とドレット家の争いの元もヘルメス財団にあるというのなら、財団のある所へ行ってみる必要はあります!」「クレッセントシップはそこと行き来しているのでしょう?」

と意見するのが今回の決断です。


以下、6倍以上の長さがある感想↓



前回がベルリの「戦争」で伝説のガンダムを雄々しく戦わせる話だった。そして、今回もベルリは見事にG-セルフを操って器用に隕石掃除をした。それを見てアイーダは弟に対して「ベルリは反射神経であれをやってしまう…。けど、わたしは…おバカなバカ姫にしかなれない」と劣等感を抱く。
だが、このようにアイーダが悩んでいる、悩む姿勢があるというのは「反射神経のベルリ」に対して「悟性のアイーダ」という対比に見える。
ベルリは強い肉体の闘争本能や反射神経や愛欲によって周囲の人物と「戦争」をして、アイーダは気高い精神の葛藤と反省と試行錯誤で周囲の人物の考え(それは主に男性の父スルガン総監の気質、カーヒルのアメリア解放の理想、クリム・ニック親子の独善、ベルリたちキャピタルやトワサンガの人々の気持ち)をくみ取って政治的に「決断」する。
非常に好対照である。
富野監督の前々作のリーンの翼でも「戦う勇者の聖戦士の迫水王」と「政治を司る新しい聖戦士の鈴木君&リュクス・サコミズ姫」が対照的に描かれていた。リーンの翼の企画の前後に卑弥呼大和と呼ばれる企画があったのだが。

卑弥呼大和
 昔、富野と角川春樹氏と福井晴敏氏の三人の間に構想した企画。内容は富野が思いついたもので、福井曰く「戦艦大和卑弥呼的な、源日本的な何かが取り付いて、現代の東京をしかりにやってくる話」だそうだが、結局角川春樹氏の入獄によって頓挫したものの、この構想自体はやがて富野の『リーンの翼』、福井の『終戦のローレライ』、角川春樹氏の『男たちの大和 / YAMATO』に継承したらしい。
TOMINOSUKI / 富野愛好病 富野由悠季没企画、没監督・演出作品一覧

卑弥呼もシャーマンとしての女王と補佐する弟が居たわけで。
前作のリング・オブ・ガンダムでもビューティメモリという女性型AIとアムロの遺産が対になっており、エイジィとユリアの男女のカップルもいた。
∀ガンダムでもシャーマンとしての女王のディアナ・ソレルと武官のギム・ギンガナム家と文官のアグリッパ・メンテナー家があった。ブレンパワードでもクィンシィとジョナサン、比瑪と伊佐未勇が女王と騎士とかオルファンの声を聞く巫女とそれを守る戦士、という対になっていた。VガンダムシャクティとウッソもそうだしF91、クロスボーン・ガンダムでもそのような図式があって、どうもここ25年くらいの富野監督の作劇はそう言う所があるようだ。
逆襲のシャアで男性の戦士同士の確執、政治と武勇の争いを描き切った後、その後は巫女的な女性が方針を決めて男子がその道を守るという騎士道物語とか天空の城ラピュタみたいな話になったのだろうか。いや、巫女的な女性はララァとかカララとかリンレイなどで有ったか?ザブングルエルガイムZガンダムなどの洗脳ヒロインも神憑りの巫女と思えるしなあ。
まあ、そういうモチーフはよくある。
ただ、今回の「アイーダの決断」の面白い所は、武勇を司るベルリを「反射神経」として、女王に成るべき姫が「私はどうしたらいいのだろう」と悩んでから「政治」に踏み込む所です。
女性差別的な考えかもしれないが、巫女的な女性のモチーフは「感情的」としてこれまでの富野作品で描かれてきた。男性でありながら巫女的だった発狂の美少年カミーユ・ビダンカミーユ・クローデルと言う女性の人生をモデルにしたものだ。それはクェスに受け継がれ、シャクティに成った。ディアナ・ソレル様もかなり無茶をしていたし。
で、ニュータイプが当初「人の悟性の拡大」という風に描かれ、ガンダムの初期の富野メモでもララァよりも男性のニュータイプのシャリア・ブルが重視されていたように思える。つまり、ガンダムは男性的な知性を進化の拡大として描き始めたわけなんだが。
わけなんだが、イデオンで男性的なイデとカララ・アジバの胎の中のメシアが戦ったり、ダンバインとかリーンの翼でも覇道の王と巫女女王が戦い、カミーユは女性的な精神と男性の肉体(カラテ)に葛藤して狂い、逆襲のシャアでバブみ論争をして、F91で「知性を発達させ過ぎた父カロッゾ」と「女性のために戦う勇者のシーブック」がぶつかる。どうも男性原理的なアーサー・C・クラーク的な理性の拡大としてのニュータイプはカロッゾのような脳波コントロールできるナイーブすぎる心と鉄の体のアンバランスに苦しむサイボーグに成るんじゃないかって言う帰結がある。
ほんで、男性の要素としての知性と対応する武勇という要素がありまして、それがシーブックなりウッソなりトビアなりオノレなり、鉱山上がりのロランだったり新訳カミーユだったりと言う「身体性」を意識したニュータイプに路線変更したようだ。その過程で女性も「狂える神憑りの巫女」から「力は弱いが道を示す姫」と、描き方が徐々に変わっていったように見える。
まあ、ここら辺のニュータイプ論争に足を突っ込むと地雷の埋まった泥沼にはまるので逃げるのだが。(機動新世紀ガンダムXではニュータイプを理性的な残留思念と巫女に分け、エースパイロットも老成したジャミルと若く猛々しいガロードに分けるという整理をしていたので、批評的だ)
まあ、こういう物語の骨子の描き方はユング心理学の無意識の性質の区分けのペルソナ、シャドウ、アニマ、アニムス、グレートマザー、オールドワイズマンとかで類型化されてるんだが。
ニュータイプにはおそらくニーチェの超人思想(無敵超人、無敵鋼人の流れ)によるオールドワイズマン的な知性と同時にララァのようなグレートマザー的な共感があったんだが、逆襲のシャアガンダムF91で一旦破綻したっぽい。
その後、アニマアニムス的な少年と少女の身体性と対関係のモチーフが有って、そこで武勇と政治も対関係としてフォーカスされるようになった。
いや、武官と文官の争いも普遍的な歴史があるし、∀ガンダムでは月の御三家と地球の領主とロランたちが絡んだし、ブレンパワードでも文官の艦長が武人のバロンに成ったりもした。また、ペルソナとしての仮面キャラやシャドウとしてのカテジナのような女性や主人公に成れなかったオデロみたいなのも出てきて群像劇を豊かにしている。
∀ガンダムで面白いのは、政治に興味のあるキエルと女王でありながら巫女でもあり感覚を大事にしたいと思うディアナ・ソレルが互いのシャドウになって対になって入れ替わったりするとりかえばや物語の要素も取り入れている所で。武勇を誇る女戦士のローラ・ローラが政治的に利用されつつ、実際はロラン・セアックという少年が平和のためにホワイトドールを操るし、それで文官のアグリッパ・メンテナーと武官のギム・ギンガナムと対決するなどのフラクタル構造がある。




話が盛大にリギルドセンチュリーから逸れたのだが、それくらいガンダムは沼です。


話をガンダム Gのレコンギスタ第17話に戻すと、男性主人公のベルリは「反射神経」で「闘争者」として描かれていて、女性主人公のアイーダは「悩んで考えて」「政治家」に成ろうとしているのが対比的だです。
また、物語の冒頭の感情の描写を見ると、ベルリがキャピタルガードの教えとスコード教のタブーの下、安定して冷静に朗らかに活動していたのに対し、アイーダは恋人のカーヒルに吹き込まれたらしいアメリアの世界解放思想に酔って海賊行為をしたり1話から怒ったり泣いたりしていた。で、17話まで話が進むと逆に信仰が揺らがされたベルリが混乱して場当たり的な戦闘をして感情を頭痛と誤魔化して寝逃げしていって、アイーダは悩みながらも政治的な道筋をメガファウナの航路として示すようになってきた。
アイーダはポンコツ姫でおバカなバカ姫なんだが、泣いて怒っていた序盤のアイーダに比べるとそう言う風に自覚したり、恋人を殺した男を弟や戦士として認めてやる度量の広さ、器を成長させているように見える。
まあ、感情を押し殺したベルリが残り9話、ずっと戦闘マシーンに成るだけかというと、そうではなく多分もう一捻りくらいはあると思うんだが。戦闘マシーンだったアムロも帰れる場所を見つけたり、カテジナさんも道に迷ったりしたわけですし。


とりあえずいろいろと書いたが、とにかく一言でいうとアイーダは政治的な意識を高めたんです!

  • 政治は土木

じゃあ、政治ってなんだって言うと古来から始皇帝万里の長城や霊渠、古代エジプトの灌漑農業など、土木治水工事に農業だと相場が決まっておるのである。

なので、今回の冒頭でいきなりスペースコロニーのシラノ-5の南5番リングに穴が開いて、みんなで瓦礫掃除と言う体裁での事故処理をするのである。


だから、今回は「何でガンダムなのに戦争をしないで掃除をしてるんだよ?ギャグ回か?」と思われるであろうが本質的なテーマを描くために必要なことなんです。
政治家に求められる「突発的な事故・災害への対応」を描いているんですね。ガンダムで政治と言うとともすればジオニズムとか地球不要主義のような主義主張や民族対立や大義名分のような政争だと思われがちですが、土地とか食生活問題から地続きの生活感のある政治紛争が描かれてきたのは見逃してはいけない。ファーストガンダムでも「塩が無い」とか「中立コロニーのサイド6では珍しいものが食べられる」とか、ガンダムZZの終盤の鉱山労働者のネオジオンとの対立とか、∀ガンダムでも「補給線が伸び切って飢えたディアナカウンターが食料を略奪する」とか「パン屋がレジスタンスの中心になる」とか、そういう。


ここでポイントなのは戦士であるベルリはそういう災害や作業には出遅れて、アイーダが率先して作業をしている所。治水や土砂災害の対策に当たるのは政治家の重要な資質だ。(戦士が寝ていて出遅れることでアクセントをつけるのはテレビ版Zガンダムアウドムラでのアムロ・レイの鈍さの描写のセルフオマージュだろう)
戦士であるベルリは政治の領分である土木作業には寝過ごして出遅れて、わざわざラライヤにG-セルフを使わせることでアクセントをつけて演出している。


また、事故が起きたのに、ベルリをG-セルフに乗せないで寝かせておこうという判断をメガファウナのメンバーがしていたのは、やはり前回のベルリの戦争を受けて「皇子は強すぎるから王家の剣であるG-セルフと分けておこう」という判断があったからなんだろう。神話的ですね。
前回のラストのセリフからトワサンガの軍人からG-セルフを隠すのかと思ったら、G-セルフは作業機器として事故対応に使うけどベルリが乗ると戦争に成るから乗せないで寝かしておくという微妙なさじ加減。
ここら辺は強くなりすぎてエヴァンゲリオン初号機に乗りにくくなった第弐拾弐話以降のシンジ君みたいなものなんだが。ロボットのヤバさを強調するのは破壊行為をすればやりやすいけど、乗り手のヤバさを強調するには「周りが怖がって乗せない」メソッドを使う。
無敵超人ザンボット3の第20話の決戦前夜で軍人がザンボット3に乗り込んだところとか。アムロの軟禁とか左遷とか。
だから今回はアイーダの政治家としての目覚めも描きつつ、乗せないことでベルリが戦士としてオーバーロードしつつあるのも描いてる。この皇子と姫はどうなるのか?ハラハラしますねえ。


また、女性のアイーダやラライヤが


後から出てきた男性のケルベスやリンゴに交代して指示を出すのも「女性の政治」と「戦士としての男性」を意識させる。


Gレコでは突出するマスク大尉とクリム・ニック大尉に対してサポートするバララ・ペオール中尉やミック・ジャック中尉の女性がいて、これも武に逸る男性を女性が手懐けるというタロットカードの「力」の暗示のようなものだ。

ただ、そのバララを見たミック・ジャックが「お優しいことで、あやかりたいものですね」ってクリム・ニックに皮肉をきかせたり、



うっかり秘密を聞いて消されそうになった(ことに気づいていない)マニィがバララをマシーンだと思ったり、男の戦士の周りの女戦士の力関係とかバリエーションもいろいろで今後がハラハラする。なので、単純に女性が男性を導く関係だけでなくシャアとクェスとかカミーユとフォウみたいな関係もあるかもねーって。


月のマッシュナー・ヒューム中佐がカシーバ・ミコシからクレームを受け取って戦士のロックパイに瓦礫の掃除をしろって言って、ロックがしぶしぶ従うというのも女性の政治っぽい。


ガランデン艦長がマッシュナー・ヒューム中佐に隙あらば握手しようとするのをさっと袖にするところも、マッシュナー・ヒューム中佐が仕事上で女性としての魅力を男を操縦するのに使いつつも安売りしないって言うふるまいに見えるなあ。

ジューシーポーリーイェイ


また、

トワサンガ軍が今後のためと言ってガランデンにトワサンガでの性能証明書を発行してクンパ大佐に渡し、ガランデンを抱きこもうとしていて、クンパ大佐もそれを分かった上でトワサンガの設備や新MSのビフロンを利用したり、大人の男たちもきな臭い政治をしている。



レイハントン家派のレジスタンスの三人もきな臭くて、食料品の木箱に偽装してネオドゥのビームライフルを持ち込むというきな臭さを見せる。やはり、宇宙に出てもメガファウナは海賊船なのでゲリラをするようだ。

1000年前から使い続けられているという使い勝手のいい作業用MSと言われるネオドゥだが、明らかに溶接機と言うより鉄砲の形のビームライフルに見える。どうも、これもガノタの妄想をかきたてる。
リギルドセンチュリー直前の最終戦争の時にネオドゥは戦闘用として使われたが、戦争が終わったので仕方なく作業用とか溶接マシンとして千年使われて、今回やっと千年ぶりに戦闘マシーンとして復活した。とか。ネオドゥは山根公利さんが主役ガンダムとしてデザインしたものがベースになっているので。ネオドゥが戦場の花形だった時代もあるのかもしれん。


で、レイハントン家三人組はベルリに「土砂が流れ出したおかけで、メガファウナは外に出られました」「(モロイの桟橋にいたらメガファウナから)全員追い出されて、底の抜けた農場で開拓をやらされましたね」とトワサンガ政権の闇を語る。ここでもまた「農地開拓が政治」というアグリカルチャーを繰り出している。
レジスタンスがメガファウナを出航させるためにサウス5番リングに穴をあけたとも見えるし、前回のフラミニアの話からすると底が抜けるのは頻繁に起きているのかもしれない。
アイーダが「モロイの港に居っぱなしになると、自由にならないでしょう?」とラライヤ・アクパールに言ったし、メガファウナを出航させたのはレジスタンスの意志と言うよりはアイーダか艦長の発想のようだが、さて?


ラライヤ・アクパールが「南の方のリングの修理、ちゃんとやってないんで・・・これは人災ですよ!」と言うのだが、レイハントン家の土地がそんな底が抜けやすいように修繕を怠られていたのはレイハントン家が政争に敗れたという描写なのかもしれない。トワサンガの王家だったらしいが、ベルリが赤ちゃんだったころの屋敷は王家にしては小さい。レイハントン家の土地が中央から僻地の南リングに追いやられたのか?それともレイハントン家は元々南リングで長く500年物の樹木が生える農場を経営していた農業政治の家で、武人の家系のドレット家に負けて数十年で南リングは底が抜けやすいように荒れ果ててしまったのか?胡麻や麻の栽培の許可が最近出たのはどういうわけか?
色々と、現実の日本でのインフラ整備とか農協の政治的圧力などのメタファーっぽいのも見える。
また、スペースコロニーはインフラなんだが、それが劣化してある日突然、主人公が寝ている間に破れたりするのも原発事故やコンクリートの手抜き工事などへの批判意識が見えるなあ。スペースコロニーに何百年も人が住めるのか?って言うガンダムの創始者の自己批判でもあるだろうし。
地球ではクンタラが差別されてたけど、シラノ-5っていう小さいコロニーですらメンテナンスが雑にされている被差別部落があるというヒエラルキーの差別意識があると思う。
そういう風に差別される底辺がいると同時に、宇宙世紀の高度なテクノロジーを持ってフォトンバッテリーを生産できる金星のヘルメス財団のカシーバ・ミコシやクレッセントシップは月のトワサンガにガンガンクレームを入れてきてめっちゃ偉そうなのでヒエラルキーが激しいんだろうなあ。でも金星人も地球に戻りたい奴らがいるらしく、住む場所に根差して発生する差別意識や立場の違いから出る政治紛争がどうなるんだろう。
アニメじゃない現実の地球でも、2人の日本人がシリアで拘束殺害されて大ニュースになっているがアメリカ軍はISIS兵士を6000人も爆殺したので、住む場所によって命の価値は差別されてる。リアルは地獄!





ルッカとミラジに対して、ベルリが
[ご老人は何を知っているんです?」「気になることは説明してください」「大佐を知っているんじゃないですか?]
と看破するのはベルリも政治に意見しているようにも見えるんだが。
「大佐を知っているんじゃないですか?それでガランデンの動きがわかりました…。クンパ大佐はここに来たことがあるか、ここの人だった!」というのは政治的な考えというよりは戦士として敵の動きを反射神経で嗅ぎ分けたように見える。
そんなベルリの発言を受けて艦長に「トワサンガを逃げ出す算段をしたいですね」と指針を示したのはやっぱりアイーダ

この姉弟は考えと行動を互いに補い合っているようにも見える。戦士としてはベルリの方がたくさん勝っているからアイーダはベルリに劣等感を持ってしまったが、人としてはベルリの方がミステイクを重ねて苦しんでいるのかもしれない。

  • 事故2


今回のテーマは事故対応をする政治なので、瓦礫掃除をしようとするラライヤのネオドゥが整備不良のオーバーワークで暴走して、同じく組み立て直後で整備がガタガタだったビフロンと多重故障衝突事故を起こしてしまう。
悪いことは重なるなー。地震津波の後に原発が吹っ飛んで、という最近の流れを受けたものかもしれない。
事故や災害は二次災害や泥沼に発展しやすいんだなー。

で、バララはメガファウナから出たモビルスーツに攻撃されたと思って反撃。あー、不審船とか戦闘機の異常接近からの紛争の発展だ。イデオンの一話とかでもやってたな。

そんで、戦争したくてたまらないし隙があれば他の陣営の戦力を削ぎたいクリムが火に油を注いでグダグダの戦闘に。



マスクたちも応戦して、G−セルフも参戦するが…




ロックパイ・ゲティが指揮するモラン隊が地球人たちに「戦いは止めて掃除をしないと、お湯のシャワーが使えなくなるんだぞ!」って説教する。このロックパイのわざとらしい手を上げた感じ、「あー、こいつはマッシュナー・ヒューム中佐の受け売りを喋ってるんだなー」と言う感じ。ロックパイは公式サイトでも好戦的な戦士って書かれているけど、マッシュナー中佐の受け売りで政治活動をして地球人どもを説得した。
網が接触回線になって話が通じて、本当によかった…。Gレコは接触回線で通話できるかどうかが生命線になっているような気が・・・・。みんな話し合えば協力できるのか?キングゲイナーの「嘘のない世界」のようにみんなが腹を割って話せば個人的な密会しかできなかったニュータイプを超えて協力できるんだろうか?

YGのG-セルフは戦闘をするのか?と思わせて「ならば人類の平和のために!」って掃除して参加してよかったなーって成る。前回の「ベルリの戦争」で戦闘マシーンとしての印象を視聴者やトワサンガ軍に見せつけたG-セルフが率先して銃を収めることで奇妙な感動がある。



敵味方が入り混じって掃除とかするのはキングゲイナーの地獄のエキデン運動会みたいな奇妙な楽しさがある。クリムもマスクもベルリも人殺しが好きなサイコパスではなくて、闘争本能を掃除ゲームとかスポーツ大会にガッチャマンクラウズの最終回みたいに振り向けたら平和になれるんじゃないのか―?みたいな。
事故は起こるし、事故に乗じた喧嘩も起こるけど、ちゃんと互いの利害を言い含めると戦争より掃除を真面目にした方がエネルギー効率が良くなるんじゃないの?って言う。
ラライヤがベルリとリンゴに指示出しするのも、導く女性って感じがある。そう言えば、初登場の時はリンゴは「スコード!」って念じて武器を捨てて人類の平和のために自分で物を考えられるような行動を見せたが、今回はラライヤの尻を追いかけるマンに成った。女に気を取られて行動するのが地球人も月人も、この作品に出てくる男子のトレンドなのだろうか。



で、アイーダは「ベルリはてきぱき反射神経でMS操縦が出来てしまう…けど、わたしはおバカなバカ姫にしかなれない…」って凹んで、瓦礫集めをしないでメガファウナの中に帰る。そこで…

  • 因縁と政治

そんな風に若者たちが手を取り合って災害に対応してエネルギーのために絆のネットで協力するのは東日本大震災の後のクラウズ論壇っぽさでもある。
だが、そこでめでたしめでたしってならないのがGレコ。
クンパ大佐は掃除を頑張る若者の仕事ぶりにケチを付けながら出てくる。
若者たちが掃除に夢中になっている隙をついてクンパ・ルシータ大佐ことピアニ・カルータ大尉がメガファウナに侵入して、ロルッカ・ビスケスと口論になった。クンパ大佐は世界観の説明を言うだけ言っていきなり帰ったので何をしに来たのかよくわからないんだが、アイーダが割って入らなかったらロルッカを暗殺したり爆弾を仕掛けたりしたのかもしれない。
(まあ、Zガンダムの終盤の劇場とか逆襲のシャアのアクシズの坑道とか、口論するためだけに侵入するのは割とあるんだけど)
で、ロルッカはピアニ・カルータ大尉が地球に設計図や技術者をばらまいたせいで紛争が拡大したとなじって、クンパ大佐はロルッカに「(G-セルフに乗ってレイハントン家の姉弟が集められたことは)悪辣なタブー破りで旧世紀の人類そのままに、憎しみ合いを増幅させるだけ」と言い返した。
主人公の姉弟が再会するというのは良い事っぽいんだが、政治が絡む王族だと権力争いを蒸し返す争いの火種になってしまうという。これも三銃士みたいな騎士道物語っぽいんだが。韓国ドラマを参考にしたって富野監督が言ってたしなあ。韓国ドラマは宮廷劇が多いですからねえ。


・追記
また、クンパ大佐がロルッカに言った「核の自爆装置でも仕込みましたかな?」と言うのは事実というよりは「それくらいあなたは酷いことをしたんだ」という当てこすりだと思う。まあ、今後どうなるかわからないが。
これで、Gのレコンギスタにも他の多くの富野作品と同様、核兵器が登場することとなった。∀ガンダムでは核兵器は忘れられていたが、Gレコのトワサンガでは核技術は残っていたの核パルスエンジンとか?
また、フォトンバッテリーが主で原子力は全廃されたとされるリギルド・センチュリーで「核兵器」という言葉がクンパ大佐から出るのは、そのまま「血の因縁」「過去の呪い」のメタファーなんだろうなあ。


Gのレコンラジオによるとクンパ・ルシータ大佐ことピアニ・カルータ大尉がヘルメスの薔薇の設計図を地球にもたらしたのは確定らしい。だが、G-セルフに若いレイハントンが乗ったりメガファウナがアメリア軍でもキャピタルアーミィでもない動きをしているのは想定外でちょっと慌てているらしい。そういうせいで、今回クンパ大佐が一人でメガファウナに侵入するという奇行につながったんだろう。キャピタルアーミィの部下の前ではピアニ・カルータとしては行動できないので、「自分の目でメガファウナを確かめる」とでも言ったんだろう。
アイーダも「自分の目で確かめる」って言って月の裏側に来たり金星に行くとか言っているので、偉い人が自分の目で確かめて筋道を立てて下の者はそれに従うって言う文化がスコード教の世界観にはあるのかもしれない。
そして、アイーダは自分の親の秘書をやっていたような大人の政治家に対して、アイーダが詰め寄って「レイハントン家とドレット家の争いの元もヘルメス財団にあるというのなら、財団のある所へ行ってみる必要はあります!」「クレッセントシップはそこと行き来しているのでしょう?」

と意見する。自分たち姉弟が前の世代の因縁に利用されて戦いの道具にされるF91とかVガンダムとかブレンパワードとかキングゲイナーとかリーンの翼とかそこら辺とは違って、その元を断つために親のいた土地を超えて冒険するぞ!と決断する。(ロランやディアナはあんまり親にこだわってなかったけど)
ここら辺は富野監督がVガンダムの後に書いた小説のシーマ・シーマ〈後編〉「血族を払う」を読んだ方が理解をしやすいと思う。(買ったけど読んでない!!!)


で、アイーダがそんな風な政治的決断をすることができたのは、彼女がモビルスーツ乗りとして下手くそで、瓦礫掃除運動会に参加できず立ち止まって観察してクンパ大佐のランチに気づけたからだと思う。アイーダ姫様は自己卑下していたが、そんな風に周りを見て決断をできるのはある意味、戦士としてではないニュータイプの在り方なんじゃないかなー。ベルリはガンダム乗りとしてのニュータイプっぽいけど。ディアナ様やクワウトル王のように戦闘者ではないけど指揮者としてのオーラがあるって言うのも一つの凄さ。
ベルリのように歩き出す勇気も、アイーダのように立ち止まる勇気も未来への条件だし「ふたりのまほう」なんだよなー。きっとー。

ReBirth [ガンダム Gのレコンギスタ Edition]

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  • 女子の進路

そんな風にアイーダは自分でもあまり意識しないうちに決断をする政治家としての姫っぷりを発揮していくのだが。
姫でもない上に被差別階級でモビルスーツの運転もできないノレドとマニィは進路に悩む。


アイーダが政治家に成るのを強調したので、ノレドが「歴史政治学をやりなさい」と看護師でカウンセラーっぽいキラン・キムさんに言われたのにつながっている。チアガールからいきなり歴史政治学というのは飛躍している感じだが、今回は全体的に「政治をする女性」のキーワードが散りばめられていたので「ノレドも政治をするのか―」と何となく理解させられてしまうテクニックがある。キランさんはカウンセラー寄りの看護師っぽいので人を見る目がある様子だし、脇役なりに人生経験に基づいてノレドに言ったんだろうなあ。
ノレド本人はもっと直接的にベルリを助ける仕分け作業や看護師の勉強をしたいと言っていて、若い娘らしい視野の狭さなんだが。アイーダもマニィも「MSの操縦が出来なきゃ」って視野が狭くなって自己卑下してしまうけど。でも、彼女たちは自分でも気づかない政治の才能とか魅力を持っているかもしれないし、それを彼女たちがどう自覚して大人になっていくのか?大人になる少女たちを周りの大人はどう育てていくのか?というサクセスストーリーや人間ドラマとしての興味がある。
男子は割と戦士として戦うって言う奴ばっかりなんだが。戦う理由はそれぞれ違うんだけども。戦士は戦士として、勝者と敗者に分かれるので、誰がつかめプライド、つかめサクセスするんだろうか?


富野監督としては「女性の復元力を描きたい」というのがGレコのテーマらしいし、戦争アニメではむしろ男子より女子の方が戦士以外のいろんな仕事を選べるのかもしれない。いや、パン屋のキースという偉大な先行例が居るんですが。彼は後に魔王ルルーシュになってしまい、その後聖戦士を経て浪人生に戻ってしまった…福山潤さん…。
あ、でも、ケルベス中尉はそんなに敵を撃墜してないので戦士では無くてガールフレンドのいない連中として元の公務員に戻るのかもなー。
リンゴ君は兵士だけど実戦での殺人経験はなさそうだが。どうなんだろう。なんかラライヤを巡ってケルベスとリンゴが謎の緊張感を発揮していたが。つかめガールフレンドできるのだろうか。「運命の果実を一緒に食べよう」出来るのだろうか。苹果だし。

  • 息をつめて見るなよ!

で、このブログは手軽にニュースをまとめて読めるアプリのグノシーとか大手ニュースサイトのギガジンさんにも取り上げられてアクセスをしてもらってるんですが。
そういう他人の評判に気を取られてまた今回も徹夜で感想を書いてしまった。明らかに無職だからやれる所業だし、睡眠リズムが崩壊している。(いや、昼間はモバマスをしたり料理を作ったり掃除をしたりモバマスをしたりして忙しいので時間がまとまるのは深夜なんですけど。)
うーん。
「息をつめて見るなよ!」という富野監督のメッセージ(毎回監督のアフレコの時の気分で変わるらしい)に対しては「本当にキモオタで申し訳ない」という気持ちしかない。他のアニメ全然見れてないですからね。ていうか仕事も進んでないし。
でも、まあ、ほら、僕みたいな異常者が他の人の分まで感想ブログを書くことで、他の人はあっさりした感想に留めて仕事ができるので逆に日本経済としては分業とか適材適所とか…。うん。


今回は一言でいうと「男子は戦士として成長して、女子は政治に興味を持ち始めた」って言うだけです。
その一言を言うのに何でこんなに長ったらしくなるのか。本当にすさんだ心にマニアは危険。
えっと、とりあえず夕方まで12時間寝ます。すみません。


目次
「はじめたいキャピタルGの物語」・「ガンダム Gのレコンギスタ」感想目次 - 玖足手帖-アニメ&創作-