玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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ガンダムビルドファイターズトライ第15話「新生!トライファイターズ」とアニメの縛りについて

Gレコの感想ばかり書いていてついに1週間遅れに成ったけどGBFTも見ている。
今回はトライファイターズの新しい改造されたガンプラが出て、そのすごい性能で南北海道代表チームをあっさりやっつけた。
簡単すぎやしないか。「ガンプラはどんな自由は発想で作ってもいいんだ」と言うのがこの番組のテーマであるが、アニメの展開も自由な発想のまま作っていいのだろうか?都合よく主人公がたちが強くなり過ぎでは?まあ、プラフスキー粒子の性質がそもそも「強い願いをそのまま都合よく叶える」なので、初期設定から都合がいいし前作のイオリ・セイがスタービルドストライクの粒子なんたらシステムを作れた理由みたいなのは無いので、そう言う作品なのだが。設定面から見るとあんまりガンプラの出来不出来には関係なくて思い込みが激しい方が勝つ世界なんだが。その点で自由な子供のファンタジーだと思う。
と言うのが15話の感想。


以下、余談。
アニメや創作はどの程度自由な発想で作って良いのか?
つまり、ロボットアニメに限定してもどれくらいロボットを強くして良いのか?
と言う問題がある。発想の赴くままに巨大で無限の動力ですごく強い武器を載せまくったらいいのか?
でも、まあ、人型戦闘ロボット自体がまず二本足で素早く歩く時点で動力も頑丈さも空力もかなり無視しているし、ロボットアニメは自由な妄想の産物であるのだが。
なのだが、うーむ。
やっぱり自由な発想で都合よく主人公たちが勝つのは、(もちろん主人公が勝つのが展開としては多いのだが)、あまり面白くない。
なんか「主人公たちがパワーアップしましたよ。強いですね。はい勝ちましたよ」って見せられても、「ああそうか」と思うだけ。
で、やっぱり縛りや抑制や試練が無いと盛り上がらないなあ。
イデオンとかダンバインとかZガンダムとか、ぼくらの、だと「無限の力があるけど、命が吸い取られて死ぬ」っていう縛りがあるので、その制約の中でどう動くかって言う面白さがあった。
まあ、GBFTも一応ガンプラバトルに熱中しすぎると体調を崩すんだけど、どうもそこはあんまり強調されてなさそう。ガンダムビルドファイターズトライは自由な発想の設計を思いつくまでの精神的な高揚へ至るまでのドラマが重視されているんだけど、思いついた後の製作とか、技術的な制限は非常にハードルが低いと思える。
トップをねらえ!もかなり都合よくバスターマシンが無敵だけど、それ以上に宇宙怪獣がアホみたいに多くてデカくて強いし、宇宙が白くて木星を爆弾にするっていう縮尺やエネルギー出力の比喩表現とか、あえて最終回は派手にしないで白黒にするという制限と抑制があったわけで、それが面白さだったわけで。
宇宙世紀富野ガンダムファーストガンダムが「ビーム兵器を持ってるだけですごい」って所から始まって、バリアーと飛行能力をロボットがF91で獲得するまでに現実で22年、作中で44年経ってる、と言う縛りがあった。マジンガーZですら割と中盤に飛べるようになるんだけど。まあ、百式の肩に乗るとか言う謎演出もあったけど。
その点、SEEDも00もAGEも作中で一気にバリアーとか無限動力とかファンネルとか簡単に開発してて頑張りが足りてない印象。


なんか、あと、最近のラノベ原作とか設定を作ったもの勝ちみたいな所があるアニメも多い。
これこれこういう設定の能力を持った敵がこれこれこういう攻撃をしてきてピンチになるが、これこれこういう設定があったから勝ちました。って言われても「いや、その設定を作ったのはどっちも作者の都合じゃないか」ってなって盛り下がる所がある。ハリーポッターもだよ!
ジョジョの奇妙な冒険でも無敵のスタープラチナを出した後に、「スタンド同士に強弱は無く相性がある」「離れると弱くなる」「自動操縦は離れても強いが大雑把」という設定を付けてインフレに縛りを設けることでその後もサスペンスホラーとして続けることができた。
魔法科高校のお兄様は「すごい魔法を使うたびにすごく痛い」っていう設定が付いているけど、それは「設定を盛り上げるための追加設定」と言う感じで、「どっちも作者の都合じゃないか」って思う。なので、個人的には「すごい力の対価としての試練」は独自の設定よりも「普通の人間にも降りかかってきそうな不幸」とかの方が切迫感と説得力があると思う。


クロスアンジュもそう言う所がある。魔法の設定とかドラゴンの設定とかロボを動かせる設定とか「そりゃー好きに作られた世界だからいくらでも好き勝手できるますね。はい」という冷め方をする。「あー、神様が作ったんすかーすごいっすねー」「まあ、神様って言うか福田Pが作ったんですよね」って。別にハダカデバネズミが人間だろうが俺にはそんなことは知ったことではない。
いや、クロスアンジュはロボットの戦い方とか戦術とか政治とかよりもアンジュが毎回ゲスいことをしたり爽快に暴れたりお色気があったりと言うのを娯楽として楽しむアニメなので、あんまりパトレイバーみたいにロボットのサスペンションがどうとか考えたらダメだし、僕の好きな富野アニメもそこら辺を突っ込まれたら全部アウトだ。
でも、そう言うのは毎回の派手な戦闘とかお色気とかの絵的な面白さがあって、楽しいことは楽しいんだけど自由に好き勝手に作られていると受け手としてはどうでもよくなるし、ピンチが訪れても感覚が鈍って「どうせ主人公補正で何んとかなるんでしょ」とか「脇役はイナホマンを盛り上げる物語の奴隷ですね」とか思ってしまう。
クロスアンジュはエンタメの楽しませ方としては上手いし楽しく見ているんだけど、「アンジュがドラゴンを殺しまくる」→「ドラゴンは人間でしたー」→「でも悪いのは神様だー!」っていう流れ、アンジュが頑張ったという印象より「そういうシナリオを用意しただけだね」って思うのですごさや葛藤が感じられにくい。
まどかマギカもなー、最後にまどかが万能の神に成るまでは制約の下で模索する所が面白かったんだが。いや、叛逆でまたリセットしたので新しい制約があるのかもしれないんだけど。でも、そのリセットも作り手の都合って見ることもできるし。


で、僕はやっぱり気持ち悪い富野信者だから富野アニメを褒めるんだけど。
ガンダム Gのレコンギスタではちゃんと設定面から抑制と制限がある。フォトンバッテリーで無限の動力があるけど、フォトンバッテリーを作れるのは金星人だけだから金星人と戦うにはどうしたらいい?という制限下での行動の模索があって良い。
リギルド・センチュリーのMSは過去の設計図を基に衰えた技術で再現したバッタものか、昔から使われてる老朽品という制限も良い。
その中で、G-セルフとベルリは無敵として設定されているが、無敵すぎるからあんまりベルリがG-セルフにすぐに載らないように、というシナリオ面でハードルを設けるようにしていて、この二つがセットになって無敵モードになる時のカタルシスを高めている。
同時に、G-セルフとベルリが一緒になって無双したら無双したで、無意味な殺しをしてしまって責められたり気分が悪くなったりするし自体が悪化するとか言う制限がある。
設定でも物語運びでも制限と、それを乗り越えるための策が講じられると面白いと思う。
正直、Gのレコンギスタはあんまりベルリの努力は足りてないんだけど、ベルリはMSの操縦技術のスキルは飛び級をした1話の時点でマックスに近い。じゃー、ベルリは成長してないのかって言うと「業の積み重ね」はある。で、業が積み重なると思い切りは良くなるけど心はすさんでいく。心のすさみという対価を払いながら戦場に出るって言うのは実際のPTSDとかにも通じて共感しやすい。


で、強引に話をまとめると、設定の段階で制約とかが有って、それを乗り越えるためにドラマが動くのが面白い。
ドラマの動かし方は友情や努力であったり、人間性の犠牲とかいろいろ。色々なんだが、ドラマの動かし方にも性格とか状況とか人間関係などの問題があって試練が出てくるとなおいい。
で、試練や制約はなるべく「物語独自の都合のいい設定」だと結局作者が自己完結しただけだろ、って思ってしまうので、実際の機械や素材の耐久性とか性能とか燃費とか、それを動かすインフラや社会構造などを世界観として有機的にからめていくと説得力が増す。ドラマ的な、キャラクターに関する制約も「〜〜の能力者だから」とか「ツンデレキャラだから」とかだけではなく、普通の人間にもありうる普遍的な人間の業とか経験則で視聴者の教官をくすぐったり、あるいは裏切ったりすると盛り上がる。


そんなわけで、やっぱりご都合主義は面白くない。結果として主人公たちが勝つのは大抵の場合当てはまるとして、そこに至るまでにどういう葛藤や感情の揺れがあるのかが見たい。パワーアップするにしてもどういう理由で、何を素材にしてどういう経路や切っ掛けなどでできたのか、描かれると盛り上がる。仮面ライダークウガの2週ごとに律儀に事件が起きて謎解きをしてパワーアップする構成が好きです。


あと、少年ハリウッドも毎回微妙な切っ掛けややり取りから非常に微妙な成長をしていてすごくハラハラする。やっぱり、アイドルなんだけど10代のバカな男子とか、微妙な自意識とか、歌が微妙とか、そういう制約がある上で他のメンバーやシャチョウと関わってポエムを言って、伸びていくのがある。そう言うのが良い。


まあ、理想の作品とか創作って言うのは本当に難しいし、ご都合主義の爽快感が好きって言う人もいるだろうし。自分の理想の理屈も単なる自分の経験則に過ぎないから、そこから外れた物を機械的に駄作と認定するのも危険ではある。でも、まあ、ここは僕のチラシの裏なので勝手なことを書くし、日記で感想文なので適当な雑感を書く。
やっぱり好き勝手な設定で無限で無敵の能力を発揮するロボットとか超能力者は見てて遠い存在に見えてあまり盛り上がらない。
でも、ロボットや超能力というアニメのガジェットそのものが都合の良さで出来ているので、バランスのとり方がすごく難しい・・・。
で、そこはガンダムの「金星のフォトンバッテリー」とか「木星のヘリウム」という動力源の縛りとか、トップの「怪獣をやっつけるには惑星を犠牲にする」という尺度の例えとかがある。
そう言うわけで、また話は変わりますがSHIROBAKOの後半は比較的自由でいきなり馬とか出てきたファンタジーっぽい「えくそだすっ!」から打って変ってリアル寄りの「第三飛行少女隊」では戦闘機の航続距離とか燃料とか速度とか細かく調べているので、ディーゼルさんには頑張ってほしい所ですね。