玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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ユリ熊嵐3〜5話 男根不要百合蕾愛論

〈幾原 世界中の同性愛の人が(「ウテナ」を)好きだよね。(中略)ちょっとエロちっくなものはあるけど、これだけピュアにドラマをやってる女の子2人の話っていうのは他にないでしょう、たぶん。そういう意味では唯一だから、支持されてるんだろうなって思います〉
なぜこんなにも百合なのか。30分間で女の子が3回押し倒されるアニメ「ユリ熊嵐」2話 - エキレビ!(1/2)

抽象度が高い「ユリ熊嵐」だが、「排除の儀」「透明な嵐」についてはかなり具体的になっている。
他の人から浮いていない「透明な存在」になるために、「排除の儀」に参加して「悪」をみんなで決める。「悪」が排除されているあいだは自分は安心……。
これは明らかに「いじめ」だ。
私たちの色に染まらないひとは迷惑で邪魔。「透明な嵐」が吹きまくる「ユリ熊嵐」3話 - エキレビ!(1/2)


まあ、あれだよね。
第三話の透明な嵐って同調圧力だけど、「普通でいなさい」「ヘテロセクシュアルになりなさい」って空気なんじゃないの。で、レズは女子校のクラスでいじめられんの。でもレズを諦めないユリの少女は柘榴のような罪と濃い味がするんでしょ。クマはネコとタチで言う所のタチなんでしょ。ヘテロの女子は抱いてもそんなにイケないって言うそれなんでしょ。
すげえ分かりやすい。
やっぱり、僕はオトコノコなので。百合は断絶の壁の向こうから見る感じで。いや、百合姉妹の読者だったんですけどね。

さすがに男も30を超えるとそんなに能天気に女学生に一体化は出来なくなるねえ。
以前、「グダさんはステラ女学院C3部の大和ゆらに性格が似ている」って言われたこともあるんですが。


やっぱ、この作品は男を不要ってしてる意志が見える。
キャラ原案の森島明子先生の絵もかわいいし、ユリ熊嵐は女の子の裸が多いんだけど「レズから見た女の子の可愛さ」なので、微妙にオトコノコであるボクはそんなにエロさを感じない。いや、レズは感じるんだろうけど。レズと僕はほら、生殖器や脳の構造から違うので。
このアニメの百合の花は可愛いんだけど、男の僕にとっては切り花として愛でる感じで、別に入れ込みたくなる感じはない。遠くから見て形とかが可愛いな、って思う程度でエロや性的対象としての反応はない。レズ(クマ=タチ)はデリシャスメルをかぎ分けられるんだろうけど。僕にはその神経回路が無いので。
やっぱ、ユリ熊嵐は女性向けだと思う。

どうしてこんなにも、今、百合なのか?
1月8日に発売された『ユリ熊嵐 公式スターティングガイド』の対談記事で、幾原監督はこのように発言している。

〈幾原 例えば、「愛」について描きたいと思ったとする。今、男女のキャラクターで恋愛を描くのは難しいと思う。「愛」ということ自体が、男女の関係で描こうとした途端に、もう「ネタ」じゃないですか。(中略)でも、百合というジャンルに飛び込んで、メタファーとしていろんなものを表現すれば、愛は非常に描きやすい。現代で愛を描くには百合というジャンルはとても良いな、と思ったんです〉
〈幾原 すごくいろんなフィルターをかけないと、なかなか男女の愛は描けない。ストレートに描いたものがない〉
なぜこんなにも百合なのか。30分間で女の子が3回押し倒されるアニメ「ユリ熊嵐」2話 - エキレビ!(1/2)

ユリ熊嵐 公式スターティングガイド

ユリ熊嵐 公式スターティングガイド


第四話 「私はキスがもらえない」(I CAN'T GET A KISS)だと、るるはお姫様だったけど、王子様たちのヘテロな愛、つまるところは結婚によってイエやクニを大きくするのは捨てるわけじゃん。男は要らないって言うスタンスを示したよね。
で、大人の男は要らないんだけど死んじゃった性的に発達する前の弟には本当の愛があったんじゃよーって言う。
レズアニメの劇場版魔法少女まどか☆マギカ[新篇]叛逆の物語のエンディングの君の銀の庭でも

幼い眠りを守りたい番人
大人になる門は固く閉ざされて


君は気付いていたかな
ほんとのことなんて
いつも過去にしか無い
未来や希望は全て
誰かが描く遠い庭の
我が侭な物語
まだ誰も知らない

と言うわけで、レズにとって大人になって家庭を設けて未来を作る云々は知らん話なので。大人になる前の少女時代の過去にしかほんとのことが無いと言うわけで。
いや、僕も結婚はしないし輪るピングドラムの田蕗とゆりみたいに「愛された子供は幸せになれる」とも言えないので、そういうレズが非生産的だから良くない!とも言えないんですが。僕は非生産的と言うよりもさらに害虫ですからねえ。すみませんねえ。


ほんで、イクニ的には
「「愛」について描きたいと思ったとする。今、男女のキャラクターで恋愛を描くのは難しいと思う。「愛」ということ自体が、男女の関係で描こうとした途端に、もう「ネタ」じゃないですか。現代で愛を描くには百合というジャンルはとても良いな、と思ったんです」
なので、つまり男女の愛に対してすごく冷めている。
「結局セックスして家を建てたいって言う話になるだけだよね」って思ってらっしゃるのか?とにかく男女の恋愛、つまり結婚をゴールとスタートにした制度ってイエやクニとか、家族で群れを作ったり財産所有とか支配とか、愛以外の要素の生活臭の漂う糞めんどくさいうえに結局、父も母も老いていくうちに本当の愛を見失ったり、子供を支配階級まで育て上げようと努力することが愛だと勘違いしてスパルタ教育をして一部のイチローみたいな成功者や加藤智大みたいな殺人者と、大多数のクズを再生産するだけなのが結婚です。
そこに愛はないよね?
僕も機能不全家族(伯父と母親が自殺している)で育って境界性人格障害なのでメンヘラの本を読むんですが「子どものころに親に愛されなかったら人格が歪む。でも愛され過ぎて過干渉でも人格が歪む」とか書いてあって、男女の愛から生まれる親子の愛も糞めんどくさいと思いますね。
そんなものに愛や美しさなんかないんだ!
みたいな。
(しかし、イクニのアニメって家族はあんまり肯定的に描いてないので、生活感が無いよね。ピングドラムは叔父から金を借りて家をなんとかって言う男の面倒くさい社会性が描かれてたけど最終的に男がラブパワーで消えて陽毬のメルヘンな生活は残された。ユリ熊嵐はさらに生活感が無いなー。あのお屋敷や銃などはどうやって維持しているのか。まあ、メルヒェンなんだろうな)


そういうわけで、男根は不要で高倉兄弟は消えて、ユリ熊では失ったものを取り戻そうとする少女たちの百合の花が「愛」って言う風に描かれるっぽいので。そう考えると、オトコノコであるボクは本当に居場所が無いなあって思うんだけど。まあ、少女革命ウテナ劇場版アドゥレセンス黙示録のころから男は先んじて消えているんだが。
ウテナの要素から兄妹を取り出したのがピングドラムで、百合を抽出したのがユリ熊嵐かなあ。王子様のエリート決闘レースを煮詰めるとシェルブリットになるんだろうけど。


だからさ、僕はいくら百合姉妹読者で森奈津子先生の「耽美なわしら」が好きって言ってもやっぱり本職の同性愛の人にはなれないわけ。僕のセクシュアリティはナルシシズムをこじらせて自分しか愛せないので自分に似ている(脳内)妹しか愛せない人で、同性愛者よりも非生産的で、百合に対しても「脳内妹の女遊びをちょっと引いて見ている(でも妹が男と寝るのは許さない)」という鳳暁生みたいなひどいスタンスなんですが。(改めて文章にすると本当にひどい)
そういう狂った男の子は今回のユリ熊嵐には出てこないじゃん。ピングドラムの冠葉や晶馬は狂った兄が発狂して世界の法則から消える話だったから感情移入しやすかったけど。今回は妹より女性同性愛を描く方が方向性としてあるので。だから僕の係ではないね。


まあ、30過ぎた男がアニメの女の子に色情を寄せるという行為自体が異常だし、僕はユリ熊嵐に対してはやっぱり遠くから、女の子同士の群れの美少女動物園を柵の向こうから観察するって言うスタンスですね。


むしろ、Go!プリンセスプリキュアのお姫様に憧れる女の子3人とかなたの王子の関係の方が男女の、少女革命ウテナ33話「夜を走る王子」的な地雷を感じて楽しみですね。ユリ熊嵐の学内イジメとかレズ排除は女の子同士としては切実なんだろうけど、僕は男なのでそれは分からん。Go!プリンセスプリキュアで王子様がどう描かれるのか、プリンセスの国とか家はどう描かれるのかって言う方が男性目線からの親和性がありますね。ちなみにハピネスチャージプリキュア!の王子様であるところの神様のブルーは色んな女の子に色目を使いつつ女の子たちの愛情を利用しつつ、自分の家庭の問題に利用して、女がらみでさらに問題を拡大させたというすごい男だったんですが。GOプリの王子はどうなるんだろう。名前からして世界の果てっぽいんだが。


でも、女性から見てプリンスは地位や財産や外見じゃないんだ。
プリキュア激白「この男性こそプリンス」合同会見「Go!プリンセスプリキュア」&「映画プリキュア」 - エキレビ!(1/3)


あー、幾原邦彦監督は好きです。好きですよー好きですけどねえ。輪るピングドラムも好きだったし(シスコン)、少女革命ウテナも好きだし(シスコン)、シェル・ブリットも好きだし(サバイブ系)、ノケモノと花嫁もそれなりに買ってるし(お耽美)、マチアソビにも行ったし(庵野秀明)。なんですけど、ユリ熊嵐は僕の係じゃないかなって。僕はガンダム係なので・・・。やっぱり幾原邦彦監督はきんぎょ注意報!も好きなんですけど基本的には「逆襲のシャア友の会」の富野ファン仲間と言う意識が先にあるので。
そういうわけで、輪るピングドラムの時はすごく感想ブログを書いていたんですが、楽しみにして下さった読者の方には申し訳ないんですがGのレコンギスタを優先してユリ熊嵐は後回しですね。
というか、僕の担当ではないかなって。いや、ユリ熊嵐がアニメとして劣っていると言うわけではなく、僕の担当ではない、という言い方をします。


で、男根に支配されている思考しかできない割りに一人前の社会人の男にもなり切れないクズ男の僕としては、男が不要で男なしでも自己実現って言う近年のプリキュアとかディズニープリンセスを見ると、疎外感を覚えるんですが。


そもそも百合と言うのは女性の物ですからね。幾原監督も女性の視点を気にする人なので、女性に受けるといいですね。
ユリ熊嵐はマンガも公式ガイドブックもあるので、そう言うのを読んでいる熱心なファンに受けるといいと思います。
なので、オッサンである僕は百合畑の女の子たちを断絶の壁の向こうから垣間見る感じでひっそりと楽しもうと思います。シャバダドゥ!

ユリ熊嵐 上

ユリ熊嵐 上

ちなみに、好きな百合作家はタカハシマコ先生と植芝理一先生です!
ロリコンや男性向けエロも書ける百合作家が好きですね。
男に性的虐待されてレズに走るシチュエーションはサフィズム界隈でも邪道扱いされるし、微妙なんですが。女の子しか出てこない百合よりも男性もいる社会を前提としつつ百合、って言うのがハラハラ感があって好きですねえ。女の子だけで平和にキャッキャウフフする作品は可愛いんだけど、危機感が足りなくてあんまり燃えない。
まあ、僕も精神的に歪んだ男だからなあ…。
っていうか、お前ら女だってBLも書いてるだろ!!!どっちもどっちだよ!
(でも、百合に出てくる男より、BLに出てくる女の子の方がスペックが高いですね。腐ree!の江ちゃんとか。世界一初恋の小日向杏ちゃんはめちゃくちゃかわいい田村ゆかりさんなのにホモに許嫁を寝取られて、すっごいかわいそうでした。同性愛はそう言う残酷さもあるんじゃな・・・)