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玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。旧玖足手帖から記事・ブクマを引き継ぎました。


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ユリ熊嵐への酒鬼薔薇聖斗世代の邪悪なオタクの感想とラストの予想

アニメ 感想 ユリ熊

悪いオタクですみません:ニチアサに「ウテナを思い出す……」の声 悪いオタクが「Go!プリンセスプリキュア」を見て「少女革命ウテナ」を連想してしまう理由 - ねとらぼ
少女革命ウテナが好きなオタクは自称悪いオタクらしい。
そんな早稲田大学の彼女、青柳美帆子氏は商業ニュースサイトのエキレビ!でもユリ熊嵐の感想記事を書いている。
だが、内容はユリ熊嵐が秘めた邪悪さに反して、非常に穏当だ。
「ユリ熊嵐」に関するレビュー・解説まとめ - エキレビ!
なので、僕は商業媒体では書けないようなさらに邪悪なオタクとしての感想を書こうと思う。僕は呪いのメタファーだよ。

僕も酒鬼薔薇聖斗やネオ麦茶、加藤智大、片山ゆうちゃん、小保方さんなどと同じ世代のサイコパスなので。
しかし、明らかに酒鬼薔薇聖斗事件などを引用しているのに、ちょっとググる2ちゃんねるの書き込みレベルしかなく、まとまった記事が無いので、仕方なく僕が書く。スターティングガイドとか萬画版小説版、アニメ雑誌とか真面目に読んでないので、そこら辺は本職のイクニファンには及ばないのだが、誰も書いてないし、アニメと犯罪の関係に長文ブログを書いて喜ぶサイコパスも僕くらいだろう。
いや、輪るピングドラムは妹アニメだったのでシスコンの僕はかなり入れあげていたんだけど、今はGレコにステータスの大半を割いているので。

幾原邦彦監督の2011年の前作「輪るピングドラム」はオウム真理教の1995年の地下鉄サリン事件を現代の神話のように、その年に生まれた青少年に向けて描いた。その3年後のユリ熊嵐で1997年の神戸連続児童殺傷事件を題材にするのはむべなるかな。
そして、今作ユリ熊嵐では「透明な嵐」と言うのが出てくる。

神戸連続児童殺傷事件 - Wikipedia
神戸新聞社

(前略)
悲しいことにぼくには国籍がない。今までに自分の名で人から呼ばれたこともない。もしボクが生まれた時からボクのままであれば、わざわざ切断した頭部を中学校の正門に放置するなどという行動はとらないであろう やろうと思えば誰にも気づかれずにひっそりと殺人を楽しむ事もできたのである。
ボクがわざわざ世間の注目を集めたのは、今までも、そしてこれからも透明な存在であり続けるボクを、せめてあなた達の空想の中でだけでも実在の人間として認めて頂きたいのである。それと同時に、透明な存在であるボクを造り出した義務教育と、義務教育を生み出した社会への復讐も忘れてはいない

ユリ熊嵐に存在する「透明な嵐」に参加する女生徒たちは学校の中の「空気」から生み出された存在だ。
ただ、1997年の酒鬼薔薇聖斗は「透明な存在」は自分だけ、と書いたが18年後の2015年のユリ熊嵐では「透明な嵐」は学校の空気に馴染んだ、そのルールに従う大勢だと描いているし、透明な嵐を自称する彼女たちは自分たちが透明であるべきだと言っている。
ここら辺の、スクールカーストの描き方は、殺人犯本人である酒鬼薔薇聖斗と、それを含む学校教育を俯瞰して換骨奪胎再構成するアニメ作家の視点の違いであろう。
で、あるが透明な嵐のリーダー的存在として泉乃純花の手紙や花壇を弄んだ針島薫は箱仲ユリーカとレズセックスして「私はあなたのおかげで透明ではなく、特別な存在になれた」と言った。
つまり、学生が学校と言う箱の中で「透明な存在」であらねばならないシステムに強要されているが、「透明ではなく特別になりたい」という欲求は針島薫もユリーカも酒鬼薔薇聖斗も持っていた、ということだ。
ここで面白いのは、(いや、殺された人にとっては面白くはないのだろうが、死体は何も考えないのだが、)大抵の事件では加害者は単独だがアニメドラマのユリ熊嵐では加害者が乱立していて針島はユリーカに惨殺されることだ。つまり、殺人事件を単なる殺人行為としてだけなぞるのではなく、それを色々な角度から、いろいろな殺人者を描くことで、何かテーマ的な物を浮かび上がらせようという芸術的行為が感じられる。


また、酒鬼薔薇聖斗が「悲しいことにぼくには国籍がない。今までに自分の名で人から呼ばれたこともない。」と書いた自己肯定感の薄さは、「ヒトリカブトの銀子」や「いらない子ども」(僕たち酒鬼薔薇世代はエヴァンゲリオン世代でもある)、や「捨て熊ユリーカ」、「こどもブロイラー」に通じている。そして自己を尊重された記憶が無いというパーソナリティーの希薄さを逆噴射させたようなエゴイスティックな暴力性も酒鬼薔薇聖斗、ネオ麦茶、加藤智大、などの現実の殺人犯とクマたちやピンドラの田蕗やゆり、渡瀬眞悧に共通している。
かくいう僕も機能不全家族で育ったサイコパスでね。
こういう人間が事件を起こすと「自分のことを大層に考えている自己愛、ナルシシズムに酔った狂人が他人の命を軽視している」と言われるのだが。当事者の実感として考えると、それはむしろ逆で「自分のことを大層に重視しているナルシスト」と思われがちだが、実際にはそう言う人物は割と幼少期から尊重された経験が少ない。しかし、尊重されなくても死因が無いと生きているという歪んだ状態での自分に整合性を持たせるために過大に自分に物語を付加する傾向がある。「誰にも尊重されていない自分が生きているのには、何か物語的な理由があるのではないか」と、反射的に思ってしまう。まあ、僕もサイコパスとして32年生きてきて、僕に教育熱心だった母親も自殺して父親は半分ボケはじめるのを見ると、生きているのには特に理由もなく単に死因が無いだけであるなあ、俺も70億もいるヒトというムシの一種で雑な排卵と射精の混合物に過ぎないのだなあ、と思うのだが。
だが、若いうちはそう言うのが分からないので、「自分は特別なはずだ!」とか「特別になりたい!」って思っちゃうんだろうなあ。
「透明な存在」であればクマに食べられない、というルールもあるらしいが、透明な嵐の議長をした針島などの女生徒はその中でも特別になりたいという意識があったようだ。その結果、銀子とるるなどに殺される。
加害者も複数いて色々なのだが、透明な存在から被害者となった者たちも色々な思惑を持って行動した結果、その命を無くしたのだろう。

だが単に復讐するだけなら、今まで背負っていた重荷を下ろすだけで、何も得ることができない
そこでぼくは、世界でただ一人ぼくと同じ透明な存在である友人に相談してみたのである。すると彼は、「みじめでなく価値ある復讐をしたいのであれば、君の趣味でもあり存在理由でもありまた目的でもある殺人を交えて復讐をゲームとして楽しみ、君の趣味を殺人から復讐へと変えていけばいいのですよ、そうすれば得るものも失うものもなく、それ以上でもなければそれ以下でもない君だけの新しい世界を作っていけると思いますよ。」


その言葉につき動かされるようにしてボクは今回の殺人ゲームを開始した。


しかし今となっても何故ボクが殺しが好きなのかは分からない。持って生まれた自然の性(さが)としか言いようがないのである。殺しをしている時だけは日頃の憎悪から解放され、安らぎを得る事ができる。人の痛みのみが、ボクの痛みを和らげる事ができるのである。
神戸連続児童殺傷事件 - Wikipedia

酒鬼薔薇聖斗の友人も少女革命ウテナの「世界の果て」っぽいんだが、それは今回は脇に置くとして。
殺しは当然で自分の目的だ、と語る殺人犯と、「私たちはクマ、クマは人を食べる。そういう生き物。」というクマの自意識は完全に一致している。つまり、クマ=少年少女殺人犯と言える。
また、クマによる殺害が全て学校内で行われているということも、酒鬼薔薇聖斗事件との類似点と言えるだろう。
また、登場人物の名前に植物が入っているのも酒鬼薔薇に似ている。


  • 最初から大嫌いで大好きという性愛

私たちは最初からあなたたちが大嫌いで最初からあなたたちが大好きだった
だから本当の友達になりたかった あの壁を越えて あなたを独り占めにしたい

輪るピングドラム」で描かれた「愛」は、強いエネルギーを与え合うものだ。

ユリ熊嵐」の「スキ」は、「愛」と同じく強いエネルギーであることには変わりはない。けれど「愛」よりもエゴイスティックな面も描かれている
「スキ」の強さと脆さ。アイロニーとメタファーの「ユリ熊嵐」5話 - エキレビ!(1/2)

で、ユリ熊嵐の序盤で、ユリ承認されたシーンで百合城銀子と百合ヶ咲るるが椿輝紅羽の胸から出た百合の花を舐めまわすという性的なシーンがあったし、ユリーカと針島にも同性愛的肉体関係があった。
で、エゴイスティックな愛情、相手を独り占めにしたいという気持ちからクマがヒトを食べるとしたら、それも単なる猛獣の食事と言う表層的なものではなく、性愛的独占欲求のメタファーと言えるだろう。


あまり気分のいい話ではないが、酒鬼薔薇聖斗は被害者少年の体を解体する際や遺体の一部の頭部を学校の校門に置く際に性的快感を抱き、性器に触れることなく射精した。
酒鬼薔薇聖斗が土師くんを殺害する前に殺傷したのは少女であるが、その際に性的快感を覚えたのかは不明だ。が、酒鬼薔薇聖斗は被害男児と以前から顔見知りであり殺害の際に性的に興奮したというのには同性愛的なものを感じる。


このようなホモセクシャルとサディズムに関係した殺人事件は、2003年の長崎男児誘拐性器切断殺人事件でもある。


酒鬼薔薇聖斗事件ではホモセクシャルとサディズムなので、これは絵にすると非常に気持ち悪い。だが、百合とマスコット化したクマだったらまだ可愛いアニメとしてポップに表現できているのかもしれない。


ただ、女生徒による殺人事件でも同性愛的なものがある。

佐世保女子高生殺害事件(させぼじょしこうせいさつがいじけん)は、2014年7月26日に長崎県佐世保市で発生した殺人事件である。


容疑者の性癖を指摘する見解

米山公啓(作家、医師)
「女子2人が互いに心を許し合った結果、当人同士で憎しみに変わっていったのでは」「過去の事件やアニメの影響を受けた可能性も」と分析
佐川一政(作家、パリ人肉事件加害者)
「『遺体をバラバラにしてみたかった』という供述に同性愛的な愛情を強く感じる」と指摘し、「『なぜ親友を解体できるのか』ではなく『親友だからこそ解体したかった』と解釈すべき」と分析
佐世保女子高生殺害事件 - Wikipedia

佐世保小6女児同級生殺害事件(させぼしょうろくじょじどうきゅうせいさつがいじけん)は、2004年6月1日午後、長崎県佐世保市の市立小学校で、6年生の女子児童が同級生の女児にカッターナイフで切り付けられ、死亡した事件である。


犯行を行った加害女児と被害者は、互いにコミュニティーサイトの提供するウェブサイトを運営し、パソコンでチャットや、掲示板に書き込みをする仲だった。
佐世保小6女児同級生殺害事件 - Wikipedia

少年事件ではこのような被害者と加害者の距離が近い殺人ケースがあり、流行に敏い幾原邦彦監督が作品に取り入れたのではないか?というのは想像に難くない。


ユリ熊嵐は百合=同性愛、熊=殺人犯、嵐=愛憎と、タイトルの時点で明言しているのだろう。
「透明な娘は透明な味しかしない」「スキをあきらめない娘の肉だけが、柘榴と花の蜜の味がする」
まったくの他人を殺すよりも愛情がある相手を殺した方が楽しいのかも。


また、カニバリズム性的嗜好としてだけでなく、相手の性質を自分に取り込んで同一化したい、という心理があるらしい。人食いをする民族では殺した相手の戦士の強さを自分の中に組み込むという文化があったそうだ。
で、酒鬼薔薇聖斗事件では

少年は血を飲んだ理由として、「僕の血は汚れているので、純粋な子供の血を飲めば、その汚れた血が清められると思ったからです。幼い子供の命を奪って、気持ち良いと感じている自分自身に対する自己嫌悪感の現れなのです」と供述している。

幼い子供は純粋で特別、という価値観は百合ヶ咲るるの弟、箱仲ユリーカの彼、幼少期の椿輝紅羽を通じて描かれている。このように、透明な存在という単語だけでなく、酒鬼薔薇聖斗事件のかなり細かい所からもユリ熊嵐には引用されている。
そして、紅羽の母を殺したクマはユリーカだったので、銀子の罪が何だったのかというと、もしかしたら紅羽を食べて純粋になろうとしたからかもしれない。

  • 断絶の壁とは

被告クマたちは断絶のコートという裁判を受ける。ここら辺も「少年事件」のニュアンスを感じる。また、女性キャラクターばかり出てくる作品だが、断絶のコートにおける人とクマの狭間の存在であるライフ・セクシーたちだけが男性と言うのは、少年犯罪者(子ども&女)に対する大人(男)が裁判関係者と言う権威のメタファーだ、という描写にも見える。


じゃあ、断絶の壁は少女革命ウテナのように「鳳学園」(子どもの世界)と「外の世界」(大人の世界)を分けているものなのか?
と言うと、それだけでもなさそう。

あるとき、宇宙のかなたで『小惑星クマリア』が爆発した。
こなごなになったクマリアが流星群になって地球に降り注ぐと、何故か地球上の『クマ(熊)』が一斉に決起し、人類に襲いかかった!『ヒトVS クマ』クマはヒトを食べ、ヒトはクマを撃ち、果てのない戦いと憎しみの連鎖。やがて、ヒトとクマの間には巨大な『断絶の壁』が築かれ、互いに不可侵な状態となった…。

という公式サイトのあらすじだが、ヒトとクマは不可侵と言っていても、「クマに人間の作ったルールなんて通用しないんだからねっ!」とか言ってクマはホイホイ人に化けてヒトの世界に侵入している。
また、百合川このみはクマであるが、同じくクマで同性愛関係にあった百合園蜜子に射殺されている。


断絶って何だろう?断絶、出来てないじゃん?(というセリフもある)


この記事ではクマ=少年殺人犯、ヒト=被害者という風に書いてきたが、クマ同士でも殺害が起こるようだし、ヒトの紅羽はクマを破壊しようとする。
殺す、というのは生と死という断絶を相転移させる行為だが、その越境は絶対に断絶しているものではなく、ふとしたきっかけですぐに死ぬ。そう言う風に、割とギャグっぽく簡単にこのみも針島も死んだ。
思春期の被害者にも加害者にも簡単になりえる危うさを描いているのだろうか。
また、簡単に死んだり殺される世界観の中で「生と死」を固定化させ「永遠」にしようとするのがユリーカの「箱」なのかもしれないんだが、まだ彼女の思惑はよくわからない。


そして、どうやらこの物語の一番のキーアイテム、セーラームーンのタリスマン、ウテナで言う所のディオスの力、ピングドラムの日記に相当するものが紅羽の母・澪愛の描いた絵本『月の娘と森の娘』のように見える。


断絶されている(そして越境もされる)のは被害者と加害者でもあり、月の世界と森の世界でもある。月と森が何を指しているのかはまだわからない。


だが、佐世保小6女児同級生殺害事件(NEVADA事件)に対して民俗学者大月隆寛氏は富野由悠季監督との対談においてこのように述べた。

富野 大月さんは雑誌『諸君!』でお書きになられたルポの中で、佐世保小六女児殺害事件を”いなか、の、じけん”だとおっしゃっています。
大月 そうですね。『諸君!』の取材の前にも何度かあの場所には行ってたんですけど、直感的にここはヘンだぞとは思いましたね。小学六年生の彼女がパソコンやってて、ネット上のトラブルがあってというメディアの物言いっていうのは間違いじゃないんだけど、彼女が生活してる場ってあるじゃないですか。
(中略)
富野 街を手の届く距離に見下ろしながら、街の暮らしから隔絶されている自分を11年間感じ続ける暮らしはすさまじいなと思いました。あそこは隠れ里ですよね。
大槻 そうです。それこそ民族学的に言うと”世に遠い一つの村”です。
富野 そんな場所で暮らしていた子がネットやチャットをいじり始めてしまったら絶対そこになびくし、なびく中で、その子が本来土着として身につけなきゃいけない足場ってものを与えてあげられなかった。
(中略)
富野 佐世保の事件のあの子が着てた服のブランドがどうだっていう報道もありましたよね。それは身の丈を越えたものに何とか近づこうというあの子の努力だったんだろうと思うと、あまりにせつないことですよね。
大月 彼女はあの年代にしてはませた子だったと思うんですよね。ファッションにも気をつかっていた。ところが、殺された女の子は優等生でもあったのかもしれないけど、あの年でプーさんのトレーナー着てるんだよね。この落差ってすごいと思う。そういういろんなズレがあるわけだけど、でも、そんなのは本来、日常の子供同士の付き合いの中で解消して吸収していくものだったはずですよね。でも、そういう装置がもうどこかで破綻しているんですよ。

ガンダム世代への提言  富野由悠季対談集 I (単行本コミックス)

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インターネットで差が可視化されてしまったが、やはり地域格差はある。それが若者、特に自分で住処を変えたり旅に出たりできない子どもにとっては「理不尽な世界の断絶」として見えるのかもしれない。


で、幾原邦彦監督は逆襲のシャア友の会という同人誌に寄稿したり、富野監督を意識している人だ。富野監督も佐世保小六殺害事件の際には、ガンダムエースの対談コーナーで大月氏以外にも3人のカウンセラーや心理学者などと対談していた。アニメ作家は少年事件に関心が高い生き物なのかもしれない。(事件の影響で作品が規制されるとか言うだけでなく、子供達を何とかしてやりたいという意識が高いのかも)


また、幾原邦彦監督のノケモノと花嫁もティーンズ向けのファッション雑誌『KERA』に連載されたので、幾原邦彦氏はティーンのファッション意識、生存戦略、生存競争としてのオシャレ意識や尊敬や軽蔑の意識にも感覚があるんじゃないかな。

ノケモノと花嫁 THE MANGA 第四巻

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幾原邦彦氏がアニメ業界で新人だった頃から髪を金髪に染めていたのは、個性を付けて先輩におぼえられたい、という意識と同時に「周りのダサいオタクとは俺は違うんだ」という気持ちがあったと幾原氏はおっしゃってる。
その、「都会的なオシャレの世界」と「いなか、の、じけんの世界」との断絶が月の世界と森の世界なのかもしれない。
そうすると、椿輝紅羽と泉乃純花が透明な嵐によるいじめの対象になったのは「入学式の時に安っぽい髪留めを必死に探していてダサい」からだったということに、なんだか意味を感じてしまう。
また、幾原邦彦監督も徳島県の地方出身者で、東京や都会に色々と感情を持っているらしい。
いなか、の、じけん (青空文庫POD(シニア版))

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  • 価値観の超越

少女革命ウテナ異性愛やお伽噺のルールに対する反逆であると同時に、既存の価値観への「革命」だったと言われる。
幾原邦彦監督が今作でもそのモチーフを使うとしたら、断絶とはある一つのものだけを指すのではなく、「加害者と被害者」「大人と子供」「オシャレとダサい」など、いろいろな差のメタファーなんじゃないかな。
で、どうやら少女革命ウテナ輪るピングドラムなどのラストで見られたように、自己犠牲の上に世界を越境して変革する、というモチーフが幾原邦彦監督作品には多くある。
で、ユリ熊嵐では既に『月の娘と森の娘』の話で「自分を引き裂き、身を砕いてでも、『スキ』を証明できるか」「私は自分を撃つわ。撃って、私の『スキ』が本物だって証明してみせる」というやり取りがあった。
その結果として、泉乃純花は紅羽の世界から消えた。
幾原邦彦監督作品で「世界から消えるほどの愛」はクライマックスなのだが、ユリ熊嵐では1話から行われている。
しかし、少女革命やピングドラムというご褒美という、世界から消えた代償としての奇蹟はまだユリ熊嵐では見えていないようだ。(銀子が新しい友達に成ったくらい?)
いつもクライマックスでやっている世界からの消滅を初っ端にやっちゃったので、ユリ熊嵐はあと残り4話でさらなる高みを描くはずだと思うだが。それはおそらく「約束のキス」による断絶の超越だと思われる。
で、ユリ熊嵐ピングドラムに続いて愛の話だ。

1月8日に発売された『ユリ熊嵐 公式スターティングガイド』の対談記事で、幾原監督はこのように発言している。

ユリ熊嵐 公式スターティングガイド

ユリ熊嵐 公式スターティングガイド

〈幾原 例えば、「愛」について描きたいと思ったとする。今、男女のキャラクターで恋愛を描くのは難しいと思う。「愛」ということ自体が、男女の関係で描こうとした途端に、もう「ネタ」じゃないですか。(中略)でも、百合というジャンルに飛び込んで、メタファーとしていろんなものを表現すれば、愛は非常に描きやすい。現代で愛を描くには百合というジャンルはとても良いな、と思ったんです〉
なぜこんなにも百合なのか。30分間で女の子が3回押し倒されるアニメ「ユリ熊嵐」2話 - エキレビ!(1/2)

同性愛は異性愛というルールの超越でもある。
そして、おそらく「被害者は加害者を愛せるのか」「汝の敵を愛せよ」というテーマに収斂していくと思う。
というか、最初から「親族の仇と友達に成る」って話だし、それはピングドラムの晶馬と苹果で描かれていた。
ピングドラムは愛の話なのだが、晶馬と苹果は「汝の敵を愛せよ」レベルの愛というよりは、男女の恋愛に見えた。高倉兄弟の陽毬への愛は崇高なものだと思うんだが、血の繋がらない妹に対する恋愛にも見える。また、輪るピングドラムでは「透明な存在」を生み出すこどもブロイラーや、陽毬を苦しめて剣山や眞悧を闘争に駆り立てた「普通の世界の悪意」との断絶に対する回答もややぼかされた印象がある。(いや、ピンドラBDは全部持っているのでまた見直したら発見があるのかもしれないけど)
なので、ユリ熊嵐はそう言う前作でやったこと、やれなかったことを踏まえて、作っているのだと思う。生と死や、普通の人と殺人鬼などの「断絶」を超越する純粋な「愛」を描くと思うんで、それがどんなものになるのか、「スキとキス」がなんなのか見守りたい。

Mの迷宮 『輪るピングドラム』論

Mの迷宮 『輪るピングドラム』論


というか、明らかに少年殺人犯を題材にしているのに、それを可愛いクマの姿にして、「君たち世間は異常殺人者を愛せるのか?それとも断絶するのか?」という問いかけをテレビアニメでやってるのは非常に危険思想っぽいし、ネタに見えて切実で真剣で哲学的な問題提起だ。ひぐらしサイコパスとかの分かりやすい見た目のグロ殺人アニメよりも、構造や心理のレベルで愛とか生と死とか殺しの価値観をかなり過激に描いていると思う。
医療少年院を出た酒鬼薔薇聖斗は今は透明な存在として社会の中に潜伏している…。それに対して社会は見て見ぬふりをすることで透明な存在にしている。そんな社会は学校の外でも、透明な嵐なのかもしれない。


ユリ熊嵐はパンクロックだ!


そう言うわけで、アニメはやっぱり人に影響を与えるし、社会からも影響されていると思う。
あと、今日は「ネットのISISクソコラグランプリなどの悪ふざけの延長としての川崎中一殺人と、ラブライブ!の郊外ヤンキー思想の共通点」というもう一つの邪悪なオタクエントリを書こうと思ったんだけど、読者のアンケートによってユリ熊の方を書くことにしました。でも、ラブライバーは殺人を煽られているよな。「みんなで叶える物語」=「透明な嵐」でもある。


明日はGレコ先行放送です。Gのレコンギスタも政治体制に対抗するという意味でロックだよなあ。ローリング☆ガールズもロックですよ!


あと、クマリア様が月の世界と太陽の世界を分ける酒鬼薔薇聖斗が信仰していたバモイドオキ神だったらやだなあって思う。

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