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玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。旧玖足手帖から記事・ブクマを引き継ぎました。


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感情障害者はシン・ゴジラ感想ブログを書かない

なぜなら我々にはあまりにも睡眠時間がなさすぎる。
ゆえに、ツイッターの感想を貼る。
ネタバレはある。
d.hatena.ne.jp


きちんとした感想は


d.hatena.ne.jp



このようにきちんと予習復習をしているまっとうな人に任せる。



僕はきちんとしていない。

シン・ゴジラ音楽集

シン・ゴジラ音楽集

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むしろ、きちんとしていない僕が映画を見てその感想をインターネットに書いたり、あるいは心を動かされることに何の意味があるのだろうか。
最近、うつ病をこじらせて脳の中で細胞や化学物質や電流が変化して感情が動くこと自体に疲労感、不快を感じるようになった。
なので、感想を熱心に書くよりは、「ああそうか」と思っただけで特に記すこともなく睡眠時間を増やす方がいい。
Gレコは僕が毎週徹夜で感想を書いたのに売れなかったので僕の文章に商業的価値はない。そしてこの国で商業的価値がないものは意味がないのだ。


新たにシン・ゴジラの感想を書く時間はないが、移動時間の暇つぶしなどにTwitterに投稿した文章をコピペして感想に替える。
サブアカウントや、誤記修正加筆なども多少ある。)


以下、ネタバレと広告



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シン・ゴジラはなかなか面白かったが、 僕のようにオタクに成りすぎると初見で
「このカットはこういうニュアンスでこういう感情に私を誘導している」
「この展開はこの感情を抱かせるための布石の設定」
「バケツ一杯泣かせたいんだな」 と思ってしまい、本心から面白がれない
ハーモニー ハヤカワ文庫JA

と言うか、快感情も生物的に繁殖を促すために脳にプリインストールされたチュートリアルに過ぎないと思っている(多くの物語が社会維持や結婚で終わるのはそのため)。
何かの目的があって繁殖や群体を指向する遺伝子があるというより、結果的にそれ以外の人類が滅んだだけ。


別にどの生物が滅ぼうと知ったことではない。 僕は子供を作らないし、社会も嫌い、科学や文化を発展させる能力もない。 なので、僕が快感情を感じる理由もないのではないか。


サル種である人間が快感情を得るのは狩猟のイメージの延長線による想像の現実化、確率論、自己保身、他者の迫害、ヒエラルキーの利用、投入コストよりも不正に利益を得て正当化すること(ギャンブルや神や『es[エス]』 (原題:Das Experiment、国際向け題:The Experiment)の項目を参照)。
どれも下劣で下品なことだ。僕はこういう低俗なことはデレステのガチャとチンパンジータンバリンゲームだけで間に合っている。
そう考えると、逆に僕は何で快の感情を感じていいのかが分からない。ニーチェも発狂した。
現代で狩猟の快感をメタファーではなく実態として味わうには社会は狭い。僕の筋力も足りない。かといってバーチャルなモンハンで狩りを楽しむのも飼いならされたようで嫌だね。


(ちなみに私は精神障碍者手帳で映画や交通機関が割引になるくらいの感情障害、社会適応障害である。感情を表に出せないため、ストレスが腰痛、関節痛、下痢、発熱、嘔吐、視力の低下、記憶や注意力の喪失、などの症状がアトランダムに出る)
腰痛は“怒り”である―痛みと心の不思議な関係


最近は「人間は石器時代的な投擲と補食(or生殖)に類似の確率的試行に快感を得る性質を持つ。経済や恋愛や物語もその快感の疑似体験にすぎない」というニヒリズムにハマっている。
野球やワイドショー、賭博、ソシャゲのガチャやポケモンGOや診断メーカーなどもそれだ。

なのでシン・ゴジラも映画作品の中では類を見ない程度に巧くできているとは思うが。


※追記
相模原市の障害者施設殺傷事件について、なぜ障碍者を殺してはいけないのか、という話がネットに出た。
「障害者は遺伝子の可能性なので」という意見もある。
ただし、植松聖氏は障碍者施設で働くうちに「障害者のゴールって一体何だろ?と考えてたら、抹殺するのが最善だという結論に達した」と供述している。障害者の遺伝子には可能性があるかもしれないが、個人としての障碍者には可能性はなく寝た切りである。
また、介護職員として発給で60代まで延々と無意味な障害者の延命を仕事にすることも植松氏にとって自らの可能性がない、確定的な物という体験だっただろう。
植松聖氏はその可能性のなさに耐えられず、「殺すか、死ぬか」という不確実状態を作ることでストレスを発散させた。
シュレーディンガーの猫実験仮説をありがたがるオタクや、福井晴敏氏が富野由悠季監督の機動戦士ガンダムをパロディにした機動戦士ガンダムユニコーンの可能性の獣の項を参照。


ガチャや野球や投擲による狩猟に最適化したヒト種は「予測可能な範囲での確率の可能性」に価値を感じる。
価値があるのは結果が出る前の可能性のドキドキワクワクの興奮による快感脳内麻薬物質であって結果そのものではない。(ゲーム性のあるゲームと作業ゲームの対比などの項目を参照)
へろへろとした架空のボールを投げて喜ぶポケモンGOのヒットもそうなのだが、人は明白な結果に耐えられず博打をする習性がある。ゴールや仕組み、再現性があることよりも不確実な神様とか努力とか精神論とかを崇拝するような本能がある。
人はわざわざ遊園地のジェットコースターにスリルを味わいに行く。実際にはその行き帰りの自動車の方が死亡事故率は大きいのだが、「安全に管理された低確率の危険」を娯楽として楽しむ癖がある。怪獣映画や都市破壊動画を安全な場所で楽しむこともそうだ。実際には現実の方が死亡率は100%なのに。


※追記の追記
こういう不確実な仮説をネットに書き込む僕も世間様の反応というものの不確実性に狩猟的快感を感じているのかもしれない。


いろいろなアニメや映画を見てゲームをして、何が面白いのか批評したりしたが、
「動物の狩猟本能に従って、不規則な確率でのリズミカルな成功と失敗の結果に反射的に快感を感じるだけ(野球もお笑いもパチンコもゲームもサスペンスも全てこの法則)」
と気づいたら娯楽や文化に飽きた

ネオ寄生獣 (アフタヌーンコミックス)


やる気がなくなった。思想で社会を良くしたいとか、他人に意見を伝えたいとか、科学技術を発展させたいとか、幸福な家庭や人生を得たいとか思わなくなってきて、娯楽や映画批評にも熱意がなくなり、
ただ死んでないだけで時間が経つだけのような感じだ。


ようするに先に希望や目標がない。
ガンダムの見所を糞みたいな愚民どもにわざわざ書いて教えてやっても大して見返りもないし。


なんとなく庭の草花を育てたり害虫を殺したりしているが、それも惰性だ。枯らして殺す理由もないので球根や苗を越冬させているが、アリやアブラムシを殺す理由もない。
花は綺麗だが、それもきれいに見えるように品種改良されたからそう見えるだけだからなあ。
青空は綺麗だが、それも可視光線の電波帯域に、ホモ・サピエンス種のハードウェアが最適化して設計されているから良天候に快感を感じるだけだ。僕の意思ではない。


体調を崩して先週は何軒か病院に行ったが、
体調が悪いから病院に行く、
というパターンに従っただけで、別に健康に長めに生きた所で大した意味はない。特に死んではいけない用事があるわけでもない。
それに自律神経の変調だから医療を受けても大して効き目もない。
なんで生きているのか


ゴジラを見て、それで何かが変わって幸せになれるわけでもない。
映画は面白そうな物をタイミングよく展示して、狩猟本能に似た快感を疑似体験させる見世物に過ぎない。
そんな物の感想を僕がわざわざ睡眠時間を削って書く意味を見失った。


ゴジラガンダムは子どものころに見たから新作も一応見る。
惰性に過ぎない。
大人買いなど子供の頃に感じた快感を追体験するためのマーケティングがある。
幼児期に親から提供された承認の幸せだったころの記憶を疑似体験させる手法だ。宗教も同じ仕組み。大した意味はない。
ISISや十字軍が殺し合っているが、何のことはない。彼らが家族や伝統や国家を重視するのは、子供のころに親にしつけられてルールを守ったら食事を与えられた経験の快感情を大人になってもリフレインしているだけに過ぎない。家畜と大差ないのだ。
親の愛などと言うものは所詮は乳首に吸い付いたら栄養がもらえる、と言う哺乳類にプリインストールされた本能の利益主義の婉曲表現に過ぎない。


別に親から承認された幼稚な快感を配偶者やサービス業、娯楽などで疑似体験して幸福感を得ても、それがなにか価値を創出するかというと、ノスタルジーに過ぎない。
そう思うと面白いものにあまり価値を感じなくなった。
親に承認されたエピソードにも不快感が付きまとうし


面白いマンガやアニメや映画を見て、単純に面白いと思えなくなって、
「こういう要素をタイミングよく配列している技巧が上手い」
とは思う。
面白いと思っても「テクニックで面白いと錯覚させられているだけだ」と思って冷める


何もかも退屈でつまらないし、名作と言われる物にも感動より作為を多く感じて楽しくない。
自然にも大して興味がない。
科学学会は科学そのものよりコミュニティが猿の群れみたいだし年齢的にもやる気がない。
思想や文学の偉人と言われる人も発狂してるし大して効果はない。


精神障害者だから無料でいつでも国宝級の美術品を見に行けるから行っても良いのだが、
芸術品と言われるものも芸術品そのものの力より賞とか逸話や歴史で権威付けされてるだけのような気がして、
今まで好きだったはずの絵画観賞、刀剣鑑賞にも意味を見失った。
まあ、人生に意味があるのかというと、ないのだが


自分の人生に価値を見いだせないから他人に奉仕する生き方もあると人格障害の本で読んだが、
他人が幸せになっても僕には何の得もないしなあ。
僕のガンダム批評を読みたいと言う人もいるが、彼らに奉仕する義理もない


寝る前に性欲処理することもあるが、異性の魅力や性的快感こそ、記号に対する反射に過ぎない。
最近はオナホールの設計図に直接性欲を感じるようになり、女性を性の対象としなくなった。


思想や科学は進歩しても猿のマウンティングのような無意味な威嚇の応酬と雰囲気に流される大統領選挙、都知事選挙参院選を見ると、買ってあるデカルトニーチェを読む気分も減ってきた。
ニーチェも発狂したし、物を考える必要性も価値もあまり感じない


まだ熱っぽいし喉も傷みやすいが病院で「目に見える体の異常はない」と診断されると、少し楽になった。「自分は病気なのではないか」という不安のあるポイントに精神的ストレスが病気のような錯覚を与える傾向にある。だから「病気ではない」と思い込んだら症状は少なくなる。だが、ストレス自体は解消されてないのでまた別の身体化をするのをストレスの方も水面下で待っているのだろう。


テレビは子供にもわかるように作ってある。クイズ番組のレベルが小学生の学習範囲というのも日本人のレベルを表している。
結局は幼稚園児や猿レベルの攻撃、逃避、餌の奪い合い、ヒエラルキーの確認、(鬼ごっこ)
いないいないばあ(ドラえもんクレヨンしんちゃんや戦隊ものの「色あてデータ放送」やCM明けの結果発表、めざまし占い、などの当て物は将来のパチンコ中毒を育成しているだけに見えて、商業的には正しいかもしれないが僕は嫌いだ)、
などの快不快の反射に過ぎない。
そういう番組ばかり見て過ごす人間が多数派になったこの国では小学生レベルの価値観のまま生きている中高年が多すぎる。


なぜ、明石家さんまは「場を盛り上げる」のがうまいのか?

プロジェクトXというか、バラエティー番組程度のリアリズムやネタの振りとツッコミの応酬が映画と言うよりテレビに飼いならされた観客を意識してうまく作ってあると思うよ。僕は見え透いた芸は嫌いだけど。
芸を極限まで高めて死ぬ寸前の海老一染之助・染太郎、いとしこいし、桂枝雀2代目、桂米朝3代目、三遊亭圓楽 (5代目)くらいのレベルで命を燃やしている芸人じゃないと面白くない。
未来や健康や生命の保証の余地がある若手芸人やアイドルやベテラン重鎮芸能人は嫌いだ。死にかけている爺が命と地位や名誉やそれまでの実績を賭けて捨て身でやる芸が一番面白い。
未来のある若者が甲子園や戦場で健康やケガや女やトロフィーを賭けて戦ったところで、そんな若さ任せの動物的行動では精神的貴族である僕の心は動かない。


恋愛や就職活動や営業でモテるには対象を観察して道具として扱うこと、対等ではなく軽蔑する方がいいと聞いたことがある。
売れっ娘ホステス笑わせ上手の会話術
映画などで感動を与えるのにもロジックがある。 その技巧で他者の感動を操る場合、創作者は鑑賞者に人格的価値を見なしているか、騙されて金を払う機関として見ているか。


観客をロジックで感動させる創作者は観客を人間扱いせず制作費を出す道具として見ているのでは? 選挙も。
僕の母親に借金させた銀行や不動産屋が私の母親を営業対象ではなく人間として扱っていたら母親は自殺しなかったかもしれない。
だが実際、父親も母親をおかずを作る道具としか扱わなかった。


ヒトは自分以外のヒトに人格を認めることができるのか?


日本も日本人も嫌いだし、そんな観客におもねって日本すごいする庵野悲しい。 もっと殺そうぜ! 元になった原爆より殺せてないじゃないかー!戦いは数だよ兄貴!


THE END OF EVANGELION―僕という記号

THE END OF EVANGELION―僕という記号



庵野くらいの天才アニメーターから見たら日本人の大衆なんか生きようが死のうが関係ないし、観客動員数という数字だけの認識に過ぎないだろう。 本音ではアンノはみんな死んでしまえばいいと思ってるよ。 だが、映画を作る資金として利用するためにファンを故意に感動させる。 20年前もそうだった


パチンコマネーだからなあ。

パチンコで当たると神に愛されたような錯覚を得るが、あんなものはコンピューターの乱数に過ぎない。
僕は単発でアンチラを当てて限定SSR大槻唯を出すと決めて出したが、愚民どもはコンピューターの乱数の確率が厳正であることをソーシャルゲーム企業に求めている。
くだらない。
「他人は厳正な確率の元、外れくじを引いてほしいが、自分だけは当たりたい」「他人が不幸で、幸福の確率が少ないからこそ自分が選ばれる価値に神に愛されたような“世界との合一”みたいな宗教的快感を感じたい」という蜘蛛の糸のカンダタのような大衆だ。そして仏陀などはいない。芥川龍之介は自殺した。
親鸞が「阿弥陀如来は絶対に人を助けるから人は助かる」などと言ったのは単に「設定トーク」に過ぎない。そして阿弥陀如来などは空想の産物だ。


「この国を守ろう」 のこの国に入らない俺たちは。まあ、世間様は「私は集団の一部だ」と常に確認することで安心感を得ているんだろうけど。例えばテレビ番組の眼差しや効果音の笑い声や野球場やライブ会場の声援の一体感など。僕は誰かと一体になることはない。僕は一体で自己だ。
俺は生きることが好きではないようだ。 スプーキー・Eみたいなもんだ。 ゴジラより俺の方が貴様らを憎悪している。
ブギーポップ・リターンズ VSイマジネーターPart1<ブギーポップ> (電撃文庫)


親に愛された人間が社会にも異性にも愛されて子孫を残すのは単に頑丈な個体を選別する遺伝子システムに過ぎない。 結果的にそういう個体以外が死にやすいだけ。愛情は生存バイアスに過ぎない。 それを正しさと錯覚するお花畑は焼きつくしたいね


シン・ゴジラうしおととら 日本が助かった! じゃねえよ! 俺は日本人も人類も猿種の文明も全部嫌いなんだよ! なんで猿どもの、ために究極生物が殺されるんだ!かわいそうだろ! あー死にたい



シン・ゴジラの登場人物の官吏や兵卒や科学者が 「仕事ですから」「ビジネスですから」 を行動原理に国家に奉仕していたが、日本人数千万人の老人や子供を生かして何になるんだ? 仕事やビジネスを言い訳に何万人のかわいそうな社畜が死んだと思ってるんだ!いい加減にしろ!俺は仕事が嫌いだ
俺が東京でパワハラを受け、過労で死にかけた時、父親が俺に送ったアドバイスが 「仕事を好きになりなさい」 だった。 母親は自殺した。 だから仕事もキライ。みんなキライ。みんな死んでしまえ!


転んでビルの角に頭をぶつけた時、ちょっと首が変な方向に曲がったので野村萬斎さんの頸椎を心配してしまいました。スタントやCGもあるでしょうが、頭をビルの角にぶつける演技はなかなかできるものじゃないと思います。彼の芸はかなり高まっているので老境に達した時が楽しみだ。


シン・ゴジラより俺の方が妄想の方が面白いが、エンドマークを打った時点で庵野の方がむげんに偉いよ
ジ・アート・オブ・シン・ゴジラ



シン・ゴジラを電波塔に改築する弐瓶勉のスピンオフ来そう



ガンダムユニコーンシン・ゴジラの人類を、試す系の話、キライだな。 試練に勝ち残った俺は生きる価値がある!っていう日本人すごいとか野球部のウェイの慢心を生むだけだ。 価値があろうがなかろうが殺す
逆シャアとかピングドラムは人類試す話じゃなくて、 「オッサンがはしゃぐのには人類とか歴史がどうこうという言い訳が必要」って話
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人間に叡知があると思ってるの、風立ちぬの近代国家みたいな笑いが出るよな。傲慢だよ。愚民どもが。


@TakaNojiri 博士は戦略的には自殺しないで怪獣使いとして無敵怪獣軍団で日本を同時多発殲滅すべきでしたが、死んじゃうところが彼の愚かさですよね





おれは小学生で筒井康隆の「霊長類、南へ」を読むようないやなガキだったので、 ゴジラがわざわざ人間ごときが作ったポンコツ原発(融合ではなく分裂型)の事故を真似るのは炉心がお湯を沸かすくらい笑えた



原子力は神の試練とか人類の叡知とか、そんな大層なものではなく、 湯沸し器
やかんがでかくなったところでやかんはやかん。地震地震
放射能でやけどをするっていう人が言うけど、自然発火の炎でも火傷はする。しかし人間は数万年前から火を使ってたんぱく質を加工して進化してきた。


無人在来線爆弾、大人が言いそうな言葉だわ(実際には非正規雇用労働者や移民が運転してると思う)
あの無人アピールは吸い飲みロボが特攻隊ではないと印象操作する映画的なトリックなんですよ


人間はベストではなくベターをやるほど勤勉ではないよ。俺は寝てる方が好きだな。
民主主義国家でも専制国家でも社会主義国でも軍事国家でも宗教国家でも「我々の方針はベストではないがベターだ」と言って愚民どもは自己正当化するよ。それが人間の処世術なんじゃないの。


マジレスすると、半減期が短い元素はその分短期的にガンガン崩壊放射線を出すので周りの建造物が同位化するから。 あのラストで市川実日子が一気にアホに成ったように見える。
あー、シン・ゴジラの新元素はガンマ線だから周囲の放射化はないのか。うーん。それもご都合だなあ。
まあ、自立歩行をどや顔するような女なんだが。 動画サイトに歩行の様子が映ってたらそれが正しいとか言っちゃうのがこの映画とこの国の大衆のリアリティなんだよなあ。動画などは網膜の刺激に過ぎない。


実は僕はSFのオリジナル設定が嫌いなんですよ。そんな作者の頭の中だけの都合の物語のために物理法則を変えるのは下品だと思う。だからゴジラガンダムも下品で俗悪な娯楽作品です。 まあ、娯楽なんだからいいじゃん


まどかマギカの設定優先の芝居もミステリー風味演出でのアトラクションとしては面白い娯楽だが、作者の頭の中で作った問題を作者の頭の中だけで都合がいい設定で解決して、それが何になる? うしおととらもそうだった。 殺したいから殺し、死んだら死ぬ。それだけだ。


ゴジラ 怪獣王シリーズ ゴジラ2016
別冊映画秘宝 特撮秘宝vol.4 (洋泉社MOOK 別冊映画秘宝)

ゴジラ・デイズ―ゴジラ映画クロニクル 1954~1998 (集英社文庫)
ゴジラ・デイズ―ゴジラ映画40年史

まあ、僕の感想なんかには価値はないので諸君は氷川竜介先生たちが取材した設定資料集やロマンアルバムなどを読んでオタクの教養を繰り出していってくれ。



※このエントリーは以下の記事を参考にしました。

orangestar.hatenadiary.jp

  • 物語と呪術。物語を考える前に、人間の仕様を考えなければならない。

人間は、物事に“因果関係”“相関関係”を求めるように進化した。興味を持っていること、気になっていること身の回りのことに、因果関係や相関関係、なんらかの理由がなければ落ち着かない、不快になるように設計されている。(これは人間以前の猿、鶏レベルでも同じような仕様になっている)

ヒトの優れた投擲能力の秘密:科学ニュースの森


ジョージワシントン大学のNeil Roach博士によると、200万年前のヒトの祖先は物を投げる能力を得たことによって、大きな獲物でも狩ることができるようになっただろうという。エネルギー価の高い肉や脂質を大量に摂ることができるようになったため、脳や体の発達を促し、世界中の新たな地域へ進出する原動力になったと考えられる。

市川崑のタイポグラフィ 「犬神家の一族」の明朝体研究



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