玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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見た→新潟国際アニメーション映画祭「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア トークショー」有料生配信 富野由悠季&出渕 裕が登壇!


 というわけで、見逃し配信もあるので、詳細はそっちを見てください。


www.gundam.info
niigata-iaff.net
ascii.jp



 僕は富野監督が82歳になってるのにお声が元気そうでよかったです。脊柱管狭窄症も一歩も歩けなかった時期よりはマシになったそうだ。でも高齢者ではあるので体に気を付けてほしい。でも仕事をしてないと死ぬ生き物らしいので仕事をしてください。


 ていうか、あの、富野由悠季監督はまあ、映画祭で上映される機動戦士ガンダム逆襲のシャアの監督ですけど。逆襲のシャアではメカデザイナーとして参加した出渕裕さんもパトレイバーのデザインやラーゼフォンの監督をしたり、すごい人なんですけど。


 なんか、「富野監督の事も出渕裕さんのことも、みんな知ったうえでこの会場に来ているよね?」って感じで全く説明もなくトークショーが始まる強引さがすごかった。えっ。来歴の紹介とかないんだ。


 逆襲のシャアの絵コンテと資料本とか、復刻された逆襲のシャア友の会とかみんな読んでる前提で進むアニメイベント…。こわー。
機動戦士ガンダム 逆襲のシャア 友の会[復刻版]


 まあ、富野監督は昔から講演会とかトークショーとかに出慣れているけど本職の喋り芸人ではないので、30分しかないので、紹介とかなくいきなり富野監督と出渕裕さんのダラダラしたトークから始まるぞ!そして最後までだいたいそんな感じだ!アニメ歴史論とかヒロイン論とか編集術とか演出論とか隙あらば差し込まれるGレコ宣伝とか色々と面白い。



 でも、やっぱり監督が元気だと僕も楽しいし、逆襲のシャアって36年前の映画だけど、今でもやっぱり当事者もオタクも語れる作品だし、いいよね・・・。


 永野護とか庵野秀明など弟子筋に文句を言いつつ、やっぱり師匠は高畑勲監督で今も宮崎駿を潰したい!



 っていうか、宮崎駿を潰すために命を懸けて創作をしろ!って会場の観客に富野監督は言うけど、いや、全員が創作志望者ではないのでは…?
 そ、そんな映画祭を見に来ただけの人に宮崎駿を潰すために頑張れと言うのはハードルを上げすぎでは????



 ちなみに僕の脳内妹は富野ファンで有名な id:adenoi_today さんに「グダちんの脳内妹の頭令そらちゃんは富野ヒロインのいい所だけを煮込んだような美少女ですよ!」ってオフ会で言われたこともある女だ!



 はー、俺の妹は本気を出したら宮崎ヒロインを全員ぶちのめすことは可能だが。ナウシカより強いぞ。(重力子生命体を使役するので)


 それはそうと、僕は宮崎駿監督の「君たちはどう生きるか」は内容的にも興味が持てないし、なんかアニメ業界での人間関係のメタファーとかすごいどうでもいい印象があって見てないんだけど(そもそも映画を見る金すらケチる無職の俺である)、やっぱりアメリカ映画界に権威を感じる世代の富野監督としては宮崎駿監督がアカデミー賞を取ったことに影響されているのか…。白人の評価なんてどうでもいいって言えないのか…。まあ、富野監督の娘婿さんは白人らしいけど。



 まー、めっちゃめんどくさいし興味もないし、そもそもテレビアニメの録画ですら14年稼働しているHDDレコーダーでパンパンで去年のプリキュアの半分しか見てないというクソペースなのでウンコなんですけど、ジブリアニメはどうせテレビで放送されるだろうからその時にでも見るか。



 やっぱり富野監督には仮想敵があった方が張り切るんだろうなー。引退してないらしいのでまたなんか面白いことをやってくれ、じいさん!またな!


  • それはそうと来週は

 キングゲイナーの日です。この意味は分かりますね?
 鳥山明先生の話も出たけど、富野監督より先に死にたくない!富野監督の面白さを最後まで味わいたい!僕はめぐりあい宇宙イデオン劇場版ザブングル年に生まれたメシアの申し子だ!
 富野監督の半分くらいしか生きていない!
 富野監督より長生きしたいので、酒は飲むけどダイエットのために山に行ったりする!監督もアニメツーリズム協会会長として地方のちょっとした秘境とか山歩きを推奨している。今日も2000キロカロリー歩いたぜ。
 でもバイク用ヘルメットをかぶって登山していたら不審者と思われる…。バイクに乗ってたら不審者じゃないのに…。熊は顔を狙ってくるのでチークガードを付けるのは合理的だが…。熱くなってきたら汗が目に入ってしんどい…。軽装ヘルメットとフェイスガードを買うべきか…。


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機動戦士クロスボーン・ガンダム LOVE&PIECE 第2巻感想

機動戦士クロスボーン・ガンダム LOVE&PIECE(2) (角川コミックス・エース)

  • 前回のあらすじ

nuryouguda.hatenablog.com

  • 感想

 やはり今回も萬画が上手い。面白い。
 熟練の技を感じるというか、ピースをはめていくというか、落語の三題噺のようにお題に沿ってストーリーをくみ上げていくという感じ。



・女スパイ潜入編
 強化人間の女スパイと、支配と自由の話かな。


 いろいろな立場の人がいろいろな手段で支配されたり命令されたり、それにあらがったりする。
 また「女スパイやお姫さまならそうするだろう」という行動のテンプレートとキャラクターの自由意志のバランスでストーリーにアップダウンが有ったり戦闘にスリルが生まれたりする。


 クロスボーン・ガンダムシリーズを書いてきた長谷川裕一先生がキャラクターの特性を理解したうえで、本編とは別の再解釈をしている。でもキャラクターを熟知しているので行動原理がぶれていない。


 人型モビルスーツが変形したモビルアーマーを武器のように支配して共闘するというのもなかなか見たことのない表現で面白かった。見たことのない表現だが、たしかにこのキャラとこのメカなら、こうするだろう、という納得感のある表現だった。


 それに自由意志というテーマは機動戦士クロスボーン・ガンダム鋼鉄の7人のラストで決定した作品のテーマなので、長いシリーズだし、スピンオフの短編集でも、それはぶれない。



・木星軌道レース
 宇宙に詳しい長谷川裕一先生らしい木星軌道上の高速飛行中のモビルスーツの一対一の決闘。真空なので超高速でも空気抵抗はなく、静か。
 これのテーマはクロスボーン・ガンダムシリーズにいろいろとかかわっている「光の翼」と、「支配ではなく期待」と「親子」かなあ。
 長谷川裕一先生的にはやっぱり前作のクロスボーン・ガンダムX-11でのイオを掘り下げたかったんだろうなあとか。ニコルもDUST本編では割とサポート役だったし。
(あと、ゴトラタン戦法を使ってみたかったのかな?)


 で、ニコルとカーティスは親子でも違う人物で、違うことを目的にしているけど「自分の意志で進む」というところは通底しており。


 あと、変な試作兵器の欠陥部分をうまく使ってみるのもクロスボーン・ガンダムらしい。



・マックの恋物語
 いや、モビルスーツには冷暖房あるだろ。というのをあえて無視した話。この時代の北米が雪深いのはよくわからないが気候変動のせいだろうか。
 テーマは「婚姻という契約や家族」と「胸の穴」と「モテない脇役の意地」かなあ。あとジュブナイル的なクロスボーン・ガンダムには割と珍しい肉体関係。


 機動戦士クロスボーン・ガンダムDUSTは王たちの物語だったけど、王ではない銭ゲバのようなモテない不細工で、いまいち才能や度胸にも恵まれてない脇役でも未来に向かって進む、みたいな?やっぱりカッコいい英雄だけで歴史が紡がれるのではなく、宇宙戦国時代と言うグダグダな時代では脇役たちもがんばってる、というのを人間賛歌として補完しておきたかったのかなあって。


 というわけで、各話ごとのテーマ設定もあるんだけど、クロスボーン・ガンダムらしさがぶれてないのがすごいなあという感想でした。


 というか、お題に合わせたSF短編なので、ガンダムと言うより藤子・F・不二雄先生のSF短編集のような感触もある。

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∀ガンダム ターンX MGプラモデル月光蝶作った


 背景、というかジオラマは沼なのであまり…。とりあえず自分のデスクの前において和む感じで。



 フラッシュを焚くとこんな感じ。アニメ本編の描写に比べると、発売された月光蝶追加パーツは左右対称の形と模様で、印刷もはっきりした感じだった。
 劇中では割とガス状に描かれていた気がするので、印刷面に荒くやすりがけをした。



 ターンエーガンダムの本体は基本的な墨入れと目の色をオレンジに直すのと、額に緑を入れるのと、鼻筋やコックピットやコアファイターの翼の裏を白く塗るのと、逆に脇のリングを黒く塗る部分塗装以外は塗装していない。(∀はナノマシンロボットなので、CAUTIONマークとかは貼りにくい。初代ガンダムも秘密兵器なので、注意書きとか部隊名を書いているのかは謎。量産型MSならねー)
 クリアースプレーを吹いてもいいんだけど、バンダイの初期設計段階で公式の色設定や表面の艶がうまく調節されているようなので、逆にいじりにくい。
(あとは横顔でもオープニングテーマのように目が見えるようにヘルメットの縁と髭を削った)
 プラモデルはロボット魂よりは安いので、色々と試してもいいけど、昔のガンプラは絶版にならないのが強みだったわりに最近はあんまり売ってない…。(髭をリューターで削ずるのは両方のバランスを見つつ、一発勝負だったので二度とやりたくない)


 ただ、∀ガンダムのシールドはVガンダムのビームシールドより強いということで、形状による跳弾とIフィールドバリアを主体にして、わかりやすく攻撃を反射するという感じでクリアーを20層くらい積層して磨きました。
ペルセウスの盾ですね。


 何かのインタビューでデザイナーのどなたかが貝殻のような感じとおっしゃっていたので。
(たしか、シールドのデザインはシド・ミードさんではなく日本側だったはず)


 ∀自体が長身ということもあり、アニメーターが提案した「シールドが大きい方が体を描く手間が省ける」、という割には初代ガンダムのシールドより小ぶりに見える。


 跳弾とバリアということで、つるつるの超光沢仕上げにした。小さいので顔が写るかはわからないが、指先は普通に映る。


 また、ホワイトドールの表面はナノマシンということで卵の殻のように液体状のナノマシンが染み出して傷を修復する~?ということで水性の艶消しクリアーと光沢クリアーを交互に吹いて粒子感を出せれば、と思ったけど、パール塗装ではないので、それほど効果はなかったようだ。


 クリアーを吹いて乾燥させて、4000番~8000番のスポンジやすりで一日一層、半年くらい磨いていき、最後は8000番相当のコンパウンドで磨いて、さらに一万番手で磨いて、ラッカーで強度を出して磨いて、プレミアムUVカットクリアーを吹いて、磨いて、UVカット光沢塗装仕上げ材でピカピカに。



ちょっとGTMくらい執拗に透明装甲を積層した。おかげで、灰色の部分のマスキングテープをはがすのに苦労をした。0.3ミリ、つまり実寸で3センチの透明装甲になったので、ガラスみたいになっていた。
 ちょっとやりすぎたかもしれない。
(灰色の部分は、シールド自体が全てを反射するので、シールド越しの銃眼とかセンサーと解釈)


 普通はパテで物理的に、有機溶剤接着剤で化学的に消す合わせ目をクリアー塗装の積層で光学的に埋めた。もともとパーツの合わせ目もしっかりしているキットだけど。



 公式パーツでアタッチメントがついていない(なぜ?)ターンエックスにも針金とかで無理やり月光蝶を装備させました。
 ターンXの月光蝶はジョゼフが乗っていた∀ガンダムからデータを盗んだものという説もあり、ターンエーガンダムの月光蝶よりも不安定ということで、ヘリをやすりで少しギザギザっぽくして、表面に白サフを少し多めに、網戸のフィルター越しに吹いてわざとモヤのようなムラができるようにした。
 劇中での月光蝶はあんまり模様がハッキリしていないので。ターンエックスの方がターンエーよりも多めに印刷面を荒い紙やすりで削ってぼかしている。ただ、向こう側が見えると貧相なので、裏面にはこれもフィルター越しにダマになるようにゴールドを吹いている。




 まあ、機体本体は10年以上前に作っていたので、今回はシールドで表面処理の練習をして月光蝶を少しアレンジしただけですが。


 次はGTMカイゼリン88880円(消費税8千円)の表面処理と組み立てをしていきたいと思います。その為に単行本とデザインズを読み込まねば。
 それと一年以上前に劇場版が公開されたけどまだ円盤を買ったのに見ていないばかりか最終的な考察(あと1記事)もしていないGのレコンギスタの機運を継続するために組んでないけど劇場版第三部公開の時に「正規ルートで定価で」買ったGレコプラモを組んでいきたい。Gレコのプラモは改造とかをするにはちょっと小さいし、そんなに手間をかけないでサクッと組んでいきたいので多分記事にはしないと思う。
 Gのレコンギスタ劇場版の打ち上げは10月末か11月1日ころにやったらしいので、まあ、公式がそんなペースなら僕のプラモ製作や考察記事が伸び伸びになっても許され…?


 今回の鏡面処理はパーフェクトバックパックで出来たらやろうかな。

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東大卒エリートに #Gレコ ブログを引用されて怒っています。

 こんばんわ!
 絶賛FGOイベント修羅場中だけどスマホの充電中に書いているよ!
 うーん。いつも他のソシャゲとか執筆とかで、FGOのイベントは残り3日で一気に突っ込むタイプだったけど、今回は夏休みということで敏腕編集者クロエ・フォン・アインツベルンも10連目で引けたし残り1週間でやろうとしていたのに、なぜか残り2日になった。
 なぜ?(美術館に行ったり植物園や神社を散歩したりしていました)


 というわけで日曜日に引用通知が来ていたけどお返事が遅くなってすみませんね。
k5trismegistus.me
 こちらに引用していただきましたー。へぇ~~~~開成高校出身で東大出身の元ITエンジニアのベンチャー企業役員の30歳男性ですか。
 いやぁ~~~とっても優秀なご経歴ですね。僕もITベンチャーのKLabでちょっと働いてたし。ベンチャー企業の役員連中と言う人種のことは多少は見ているよ。


 まあ、過労死寸前になって辞めたし、今は創業者の真田会長が上場来安値を連日更新している株を売っているニュースを見てゲラゲラ笑っているよ。


KLab【3656】株の基本情報|株探(かぶたん)
KLabは連日の上場来安値更新、業績低迷懸念の見切り売り続く|会社四季報オンライン
KLab創業者で取締役会長の真田哲弥氏、保有株を一部売却 保有比率は9.59%から8.13%に低下、保有株数は334万2700株に | gamebiz



 僕はクズですけど、こちらのアラカワさんは自分の資格や技術をまとめるくらい優秀な方のようで。
k5trismegistus.me
 すばらしいですね!
 僕は貧乏なので公立高校で学年5位の成績と言う微妙なポジションで京都大学には偏差値が足りなかったので京都工芸繊維大学に入ったよ。
 一応立命館と同志社など、近所の私大には受かったけど貧乏なので国立に行ったのよ。
 まあ、僕はクズだけど、三十路にもなって東大卒をブログの看板に掲げているような人に引用していただいて光栄です!
k5trismegistus.me

k5trismegistus.me
∀ガンダム以来の監督をしたGのレコンギスタという作品の感想を書いている人のブログにも同じようなことを書いていた。 Gのレコンギスタ自体を僕は見ていないのでなんとも言えないが。

nuryouguda.hatenablog.com

「人類が永遠に存続する方法」というと、すごい壮大な話に見えるんだけど、よく考えたら、人類が不老不死になるとかそういうのはちょっと無理なので、基本的には「子どもと孫が不幸にならないといいな」という気持ちです。これも監督がインタビューで前から言ってることですが。 自分が死んだ後も世界は続いていくし、その自分が死んだ後に生きる人たちも愛したいという気持ちです。

このブログの人がみる通りならVガンダムが思想的に富野監督の到達点になっており、後はそれを子どもたちに伝え続けて「後は任せたから」というのを伝えたいのだろう。
Gのレコンギスタ自体を僕は見ていないのでなんとも言えないが。

だがそれが逆に脳内妹の夫である俺の逆鱗に触れた!
劇場版『Gのレコンギスタ V』「死線を越えて」


Gレコを、見ろぉおおおおおお!!!!!



劇場版『Gのレコンギスタ Ⅰ』「行け!コア・ファイター」 (セル版)
劇場版『Gのレコンギスタ II』「ベルリ 撃進」 (レンタル版)
劇場版『Gのレコンギスタ III』「宇宙からの遺産」 (レンタル版)
↑配信でも買ったりレンタルしたりできるぞ!


 見てもいないのにブログの広告収入を稼ぐために俺様のブログの富野作品記事を牽強付会に引用しないでくれないかなあ…。
 先人への敬意がないんだよ!敬意が!ダサいんだよ!おまえは!
岸辺露伴 ルーヴルへ行く (ジャンプコミックスDIGITAL)


 僕は「Vガンダムが思想的に富野監督の到達点」なんて一言も言ってないし思ってないし、富野由悠季は!今も!進化し続けている!


 僕が引用されたブログで書いたことを要約すると「人間は人類史の過去未来の全てを知ることはできないのだから、せめて伴侶と子と、恵まれたら孫、くらいの範囲の人を愛するくらいしかできない。でも、死線を何世代も超えた愛でつながったなら、人は生きていける」ということで、
思想ではなく、愛の話なんだよ!わからないかなあ?東大出身のベンチャー役員様には!

sunrise-world.net
だからここに関しては、『Gのレコンギスタ』で3DCGを使ったのと同じ感じで、巨大オーラシップをリメイクしたい気持ちはあるんです。グラン・ガランなんかは見ればわかる通り、(『Gのレコンギスタ』の)カシーバ・ミコシの原型みたいなデザインですからね。
そこには90歳になっても、リメイクしたいと思える価値がありますね。

 2023年8月29日すなわち昨日の最新富野由悠季インタビューでも聖戦士ダンバイン40周年にからめて、富野由悠季監督は82歳なのに、もう90歳のことを考えている!
 ヤバさの次元が違う!普通、「何歳まで生きられるかな」と病気と健康のことで頭がいっぱいになるお年頃なのにまだまだ第一線級のクリエイターだ。コワッ。


 富野監督の思想の変遷には、逢いの色合いの違いはあっても、到達点などというものはない!なぜなら富野由悠季監督は今も次のことを考えているからだーっ!



 それをてめえは……。

k5trismegistus.me

またしても長くなってきてしまったので前後編に分けることにした。


それと再度言いますと僕はアニメをみること自体は大学生で卒業してしまったので、再度見返して書いているわけではないというのも割り引いていただけると。


いや、普通にGのレコンギスタを見ましょう。ってだけの話じゃん。


 その程度の覚悟で俺のような外道に関わろうとするんじゃあない!
 


 そもそも僕は無職だからか、普通にアニメ一話に3万文字くらいの感想を一晩で書いたりしていて「サイドバーが横長になる」ブログとして有名。(ガラケー時代はもちろん見れなかったけど、今もたまにiPhoneでも読み込みエラーを起こすよ!)
 僕はそれくらいアニメ好きだけど、東大卒の人は愚民が読みやすく、効率的に広告を表示できるようにたった4スクロールだけで前後編に分けるのか。そうなんだ。



いーよなぁ~~~。愛されて金をかけてもらって育った開成東大卒のベンチャー企業役員様のエリートはよーーーーーーー~~~???!
30代になっても、「ボクは東大卒だから、アニメは大学を卒業するのに合わせて見るのを卒業して、仕事でキャリアアップしてアニメの新作も追ってないけど、ボクは『東大卒』だヵら、『賢い』から、アニメの事も富野監督の思想もまとめられます」って自信を持てて……。すごい自己肯定感だな~~~……。うらやまCィ~~~ぜェ~~~~
マジでマジでうらやましいっ!『東大卒』ってだけで文章に下駄を履かせてもらって「何となく正しそうなご意見」って読んでもらえるしブログのプロフィール欄にも自慢気にかけていてスゲーうらやましいぜ!



・・・アニメを舐めるなよ?

アニメを作ることを舐めてはいけない -「G-レコ」で考えた事- (単行本コミックス)

もちろん富野監督の本の宣伝も欠かさない。


 ちなみに僕は外道なので、やらおん!に僕のシン・エヴァンゲリオンのブログを転載されたときに上記の富野監督の本の宣伝が落語で言う大オチだったのに、そこを削られたので法的措置を起こし、その顛末を有料noteで販売して数十万円稼いだ。(鬼かな?)
note.com



(だって、シン・エヴァンゲリオンと同時期に出た本だけど、明らかに宣伝が足りてなかったのでシン・エヴァンゲリオンの感想がバズるのは読めてたので、その記事の最後に富野監督の本の宣伝をいれて、アソシエイトで数十冊売った。)
nuryouguda.hatenablog.com



 本当に高学歴様ってすごいですね。10年くらい前に東大を出たってくらいで「東大を出たボクがアニメをまとめる」ってだけでコンテンツになるわけで。
 俺は……学歴も職歴も糞だ……。今は過労の後遺症で精神障碍者として無職をして広告収入と欲しいものリストで食っている。
 僕は自分の意見の正しさを(自分の脳の外側では)自分で証明できないので、読者の反応が全てだし、そういう言葉とキーボード一本の博打でやってんだよ!こちとらは!


 そーいえば、六本木ヒルズのKLab株式会社の上司でも趣味がブログって奴がいたなぁ。
 なんか毎日、哲学とか歴史上の人物の名言を載せて更新していた。
 僕が「そんなに毎日、名言のネタが尽きないなんて、よほどの読書家でいらっしゃるのかな」と訊くと、「名言は適当にググったらいくらでも出てくるし、その解釈もコピペして貼るだけ」って答えられた。クズだった。


 まあ、学歴コンプレックスといえば、そもそも僕の親は中学時代は学校で一番の成績だった僕が高収入になって人生一発逆転を賭けていたのに、僕がなんとか工芸繊維大学を卒業して六本木ヒルズのITベンチャー企業に就職したのに過労で死にかけたので、精神障碍者になって傷だらけで東京から関西に戻ってみたら、親は不動産投資にハマって借金を作っていて、僕の帰郷から一年くらいで自殺したよ。僕がちゃんと過労やパワハラに耐えてITベンチャーでキャリアアップしていたら親は死ななかったのかもしれないし、逆に僕がずっと実家にいて親のことを見ていたら親は投資にハマらなかったかもしれない。



いーよなぁ~~~。愛されて金をかけてもらって育った開成東大卒のベンチャー企業役員様のエリートはよーーーーーーー~~~???!自信満々人生順風満帆で才能にも金にも縁にも恵まれてさぁ~~~~~~~~~~????????!!!!!!!!!!!¥¥¥¥¥¥¥¥#############



 まあ、僕が学歴や人生を嫉妬しても何にもならないので、最後に一つだけ書きます。それだけ覚えて帰ってください。



「その記事のネタの富野監督の新作のGのレコンギスタをちゃんと見てください!そして、もっと富野監督に敬意を払って!東京大学を卒業できたベンチャー企業役員のエリート様の貴方なら、そのくらいのこと出来るでしょ! id:k5trismegistus !」

  • レイシフト

 さて、45分くらいネタ記事を書いたらスマホの充電もできてるだろ。絶対FGOのサバフェスの同人誌を完成させような!
 東大卒でまともに新作アニメも追ってない野郎の記事なんて、僕にとってはゲーム機の充電の合間のヒマつぶしくらいなんだよ。
Never Mind The Bollocks, Here's The Sex Pistols


(しかし、アラカワさんは開成高卒東京大学卒でベンチャー企業役員でトータルでは僕よりも頭がいいはずなのに、なんでGレコって言うスター・ウォーズよりも少ない、映画が5本しかないアニメを見る暇もないのかな?すっごい疑問。働くのってそんなに時間を取られるんだ。じゃあ、やっぱり僕はやりたくないかな。僕は地獄なら何度も見たので、楽しいことをして美しいものを見て生きていこうと思うよ)
(っていうか、自分の自信が過去の学歴で、好きなアニメもVガンダムの時点で止まっている人って、僕は…(検閲削除))
機動戦士Vガンダム Blu-ray Box I
 もちろん、僕もVガンダムは超好きだし、Vガンダムを見てるときはVガンダムが最高傑作だと思うし、ブレンパワードを見ている時はブレンパワードが最高傑作だと思う。そういう風に自分の機嫌を自分で取っている。



(ちなみに、この記事もわざと汚い文体にして「厄介な富野信者の学歴コンプが悪口を書いている」という風に読める解釈の逃げ道を用意して相手の機嫌も取っています。)

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【地上波未公開】#富野由悠季 ×高橋杉雄 #終戦の日 対談見た



 それはネットにアップされているのだから見てくださいと言うだけなのですが。

  • 野垂れ死にしたくない富野監督

 今まで野垂れ死にしたいと言いながら81歳まで現役演出家として仕事をしていた人が今頃になって野垂れ死にしたくないと言い出したというのもちょっと面白い話。


 まあ、富野監督よりも若くして亡くなった多くのガンダム関係者のことを考えると胸が痛むのだが。


 文化功労者の富野監督が何を以って野垂れ死にと言うのかというのは「自分の主義主張が達成できないからと言っていつの間にか消えていくこと」だそうだ。
 しかし、同時に富野監督は自分の主義主張を押し付けてはいけないとも仰っているし、自分の主義主張を言った瞬間にオールドタイプのジジイとして野垂れ死にすると言っている。主義主張が達成されないからと言って消えるのではなく、達成されなくても世の中で言い続けることが大事と言いたいのかなあ。


  • 先進国から後進国への話

 アフリカの後進国、新興国に対しても「成り上がるために先進国の真似をしても(公害など?)先進国と同じような過ちをするからそれをやめろと言う。
 先進国に対しても先進国でのんべんだらりと暮らしていてはいけないという。(僕はだらけている)


 それについて、哲学とかの難しい話ではなく日常的な言葉遣いで伝えることができるようにすれば人類のインテリジェンスを一段上げることができるという。


 それに対して一番の障壁は「自分の生まれた土地にこだわる」ということ。
 僕も富野監督も根無し草のような引っ越しをしていて、地付きの人とは馴染めないなあと思っているようなところがある。


 しかし、多くの愛国者、郷土愛、宗教などは「自分の生まれた土地の文化だから」ということでそれを親から受け継いで自分のアイデンティティの縛りにする人が多い。


 偉大なるアメリカやロシアを取り戻すとか、ウクライナの国土とか、戦争当事者は大まじめにやっているので一方的に馬鹿にもできないのだが、でも、それは沢山の火薬や燃料を使って殺し合う動機として本当に足りるのだろうか?
 国境もないし天国も地獄もないと言ったジョン・レノンは殺されてしまった。人類の価値観を変えようとする人は殺されることもある。富野監督はいくらマジでやっていても「どうせアニメだから」ということで殺されなかったところはあるし、本人もそう書いたことがある。

  • 空気の話

 対談相手の高橋杉雄さんは防衛省防衛研究所政策研究部防衛政策研究室長である公務員だ。
 グローバル経済で地球がガチで有限ということがわかってしまった。東欧の穀倉地帯であるウクライナで戦争が起きて、ガンダムも戦ったことがあるオデーサの港が使えなくなるとアフリカ諸国で食糧難が起きるし、遠く離れた日本でも食糧の値段が上がる。(まあ、日本の様々な値上げは戦争以外にも色々な要因があって何でも値上がりしているんだけど)
 対するロシアも経済制裁に対抗して天然ガスの供給を絞っているとEUとかが困ったり日本でもガソリンとかが値上がりする。
 「化石燃料やレアメタルが枯渇する」っていう物理的にわかりやすい「有限の地球」ではなく、ちょっと揉め事が起きただけで世界中の生活や経済がめんどくさいことになる。
 そういう意味で、有限の地球とは資源が枯渇する前に今ある食糧とか燃料とかをグローバル経済でやりくりして諸国がやっていくしかないってことなんだろうけど。
 本当に村単位で薪を集めて農耕と狩猟をして~という産業革命以前の物流がそんなに良くなかった時代ももちろん飢饉とかで人は死んでるので、中世がいいとも言えない。グローバル経済で世界中から食材が庶民のスーパーにも集まってきて先進国でのんべんだらりと生きていくことができるけど、逆にグローバル経済は多くの国がかかわっているので、ちょっと数か国が戦争すると一気に他の戦争してない国もめんどくさくなる。
 人間ホモ・サピエンスの脳の構造や進化の歴史の認識範囲では数十億の人間と直径1万2700キロの地球を認識するのはほぼ無理。無理なんだけど、経済とか国際交流の歴史の積み重ねから結果的にグローバル経済という世界中のお仕事が密接に絡み合って、一部で戦争が起きると全体がめんどくさくなるようになってしまった。富野監督も世界経済の運営は人間には無理なんだけど、やるしかない、っておっしゃっている。


 また、WWIIでの大日本帝国軍が中国やら東南アジアやグアムやサイパンや色んなところに軍を展開してしまったけど、富野監督はそれで「土地勘を理解してなかったんじゃないか」と言う。具体的に言うと補給線の問題とかインパール作戦とかで現地のことを曖昧にしか理解してないのに軍隊を突っ込ませたりとか。



 それに対して、防衛省防衛研究所政策研究部防衛政策研究室長で国際政治学者の高橋杉雄さんは「政治学では哲学的にどう政治をするべきかというより、地政学的な事象を観察して、事実として分析する学問です。だから、政治学者も政治家も”有限の地球をどのように運営していくべきか”ということについて意識的に見ないようにしているので、富野監督の言葉は耳に痛かった」と答えた。


 専門家と言う人の考え方はいつも直線的で!


 まあ、日本国の防衛省の下部組織の防衛研究所の高橋杉雄さんはもちろん、日本の国益のために地政学リスクや戦争について考えて活動していると思う。多分、僕よりも頭もいいと思う。
 しかし、日本の国益のためにその場その場での対処的なことを政治学者も政治家もしていて全体をどうしていくべきかということから意識的に目を背けているというのは志が低いなあって思った。まあ、G20とかCOPとかでも共同声明がまとまらないことが通例だし、国連も上手く行ってない。


 ニュータイプのアムロ・レイは宇宙兵器のパイロットであるので感覚として太陽と月と地球と主な一等星の位置や距離を感覚として認識している。(アムロはあんまり計器に頼らないし、計器を無視して敵が移動する気がする位置に先にビームライフルを置いていく)それはガンダムのパイロットとして絶大な戦力になるのだが、地球の大きさを想像して実感できるGのレコンギスタの終盤の青年たちのような人にはそれをガバナンスや統治に活かしてほしいものだ。


(富野由悠季さんが唯一、本当に漫画原作を勤めた機動戦士クロスボーン・ガンダムでのトビア・アロナクスも宇宙漂流した時に感覚として惑星間空間で位置関係を認識していたニュータイプだ)


 で、今回のテレビ出演対談は敗戦記念日とウクライナ侵攻をきっかけにしているものなので、WWII時の日本軍やら戦争から何を学ぶかという話でもある。


 防衛省防衛研究所政策研究部防衛政策研究室長の高橋杉雄さんは「日本軍が間違っていたのは負けたから」と仰っている。じゃあ、勝って、(アメリカには勝てないのでグアムからは撤退して)大東亜共栄圏を東アジアに構築していれば良かったのか?
 もちろん、防衛省や軍人の目的は戦闘に勝つことで、負ける戦争は間違いとして認識されるのだが。じゃあ、正しく戦力を使って勝てば殺して奪ってもいいのか?


 防衛省付きの公務員である高橋杉雄さんはもちろん、左翼の「反戦!」という声が嫌だと思ってそうだし、「戦争を単なる軍靴の響きとかで片付けてはいけない」「その時代の人間もそれなりに考えて悩んでいた」と仰っている。
(前回の記事で、富野監督が「反戦の声や戦争被害者の声が軍や政治のトップに届いたことは人類史上、一度もなかった」と言っている。つまり職業軍人や政治学者は自分の専門性や職能に邁進するために、民百姓とは分断されている)
nuryouguda.hatenablog.com


 富野監督が防衛省付きの官僚の人に「日本の都市が絨毯爆撃されたという痛みを政治家は感じていますか?」と言って「その時代の政策決定者も悩んでいた」という発言をさせたのは、割と挑発的だな。自分より30歳より年下でガンダムファンの官僚に「政治家と民百姓は分かり合えない」という話をするのは、本当にロックだ。


 また、富野監督が「もともと大日本帝国軍はアメリカに対して勝ち目がないことを知っていたはずだ」と言って山本五十六が開戦の時に「3カ月は持たせます」と言った故事を引用して、「なんでそういう開戦に踏み切ったのか?」と高橋杉雄さんに問うて、防衛省防衛研究所政策研究部防衛政策研究室長の高橋杉雄さんは「軍人は「負ける」とは言えないです。「三ヶ月は持たせます」、と言って、その後のことは言わない」と答えた。
 そんな軍人の性分について、富野監督は笑うだけだった。


 日本軍は空気で動いていたという説もある。今も日本人は(その場や自分の職場の)空気を読むことを重視して、大局的な現実を見ていない部分がある。
「空気」の研究 (文春文庫)



 浅田次郎先生の自衛隊を描いた小説もそうだし、戦後は名目上解体された財閥も結局戦後も大会社として今も存続しているし、僕の祖父も中野学校卒の憲兵として出征したけど戦後は戦争犯罪を逃れるためにクワトロ大尉みたいに戸籍を捏造して公安幹部をして憲兵戦友会ともつきあいがあり、晩年は叙勲された、というわけで、結局日本の中枢の政治や軍部は戦前から大して変わってないよ。ってこと。
 戦争の悲惨な体験が8月ではよくニュースになるけど、そういう民間人の個々の死や生活や苦しみは国家は勘案しません。政治家は政治家として官僚は官僚として自分の職域で全力を尽くしているのだから自分が正しいと思う。しかし、所詮人間なので全地球的な認識はできず、票田のことや出世くらいしか考えてない。「偉大な日本の神の国」というのも、実態ではない、単なる概念だ。
 僕の祖父も退職後は地元の小学生に剣道を教えていて地元の名士のような面をしていたが、僕の母親の自殺の遠因になるような虐待をするような奴だった。僕は喘息体質でアトピー性皮膚炎だったので剣道は小学一年生の時にやったけど、不潔な防具をつけて剣道をすることが苦痛で辞めてしまい、疎まれていた。(結核系文豪みたいだな…)
 


 そういう点で、高橋杉雄さんは宇宙戦艦ヤマトや機動戦士ガンダムのファンでいるし、僕とは9歳しか年も違わないのでアニメファンだとは思うけど、オールドタイプなんだろうなあって思う。
(僕は自分がニュータイプかはわからないけど、変な生き方をしているとは思う)


  • 鉄道の話

 戦争の話から少し脱線するのだが、最後に富野監督は「日本で一つだけ感心するところがある。それは数分間隔で運行する高速新幹線のメンテナンスをして、トンカチで叩いて材質を見ている鉄道マンだ。それには土下座するしかない」と仰っていた。


 高橋杉雄さんは「人気アニメでそういうシーンがあればみんなわかるけど、アニメではメンテナンスフリーの新兵器ばかり」と答えて、富野監督は「ガンダムではがんばって整備のシーンをいれたの!とても面倒だったけど」と言っていたので。高橋杉雄さんはガンダムをあんまりこまかく見てないのか?Vガンダムのリガ・ミリティアの民間工場とか…。


 Gのレコンギスタでもゲル状の謎素材をモビルスーツがトンカチで叩いたら宇宙船の装甲と一体化して気密できる、というシーンがあった。
 いや、トンカチで叩いたら装甲材と一体化する材質ってなんだよ…。謎過ぎるだろ…。とも思うけど、まあ、数千年先の未来なので、ポリパテとかエポキシパテみたいに混ぜたら固まる材、みたいなものが発明されててもおかしくないかもねーっていうんだと思う。(そもそもメガファウナもヘルメスの薔薇の設計図から3Dプリンターみたいに出力されたものなので、外装が金属とは限らない)


 これは戦争とはあんまり関係ないような話題なんだけど。そもそも日清戦争日露戦争は中国での満州鉄道などの利権問題から発展しているので、鉄道とか輸送路と言うのは軍事にも直結しているんですよね。日常的な交通手段でもあるけど。
 実際、ウクライナ侵攻の影響でオデーサでコンテナ輸送が止まったら世界中が迷惑したので、兵站とか輸送手段はマジで大事。


 そういうわけで、富野監督は「新幹線を毎日メンテナンスしている人」は日本の国力であり、日常的な交通手段であると同時に軍事やグローバル経済とも繋がっている。平和的で日常的でアナログなトンカチで新幹線の車輪や路線を維持している人のお仕事は仕事自体は地味だが、日本列島という割と大きなものにつながっていて、それは経済や軍事と同じくらいの重要性がある。
 ということを、富野監督は言いたかったんじゃないかな。


 オーバーマンキングゲイナーの終盤では鉄道の路線自体が世界を崩壊させる兵器になるというド直球のシベリア鉄道が描かれていたけど。鉄道の路線が全部兵器になるという発想はなかなか思いつかないな…。


 富野監督の最新作であるGのレコンギスタでもキャピタル・タワーという軌道エレベーター、っていうか縦になってる列車が描かれていたし、それとつながっている外宇宙の宇宙船とのエネルギーとか海水などの交易が作中の世界観の重要事項として描かれていた。
劇場版『Gのレコンギスタ Ⅴ』「死線を越えて」【Blu-ray特装限定版】


 なので、軍事や戦争の火種になると同時に日常を維持する交通手段という鉄道や輸送というのは、二面性を持ち、とても大事なんだよなあってことなんですけど。
 防衛研究所の軍事専門家はそういうところを意外と軽視しているのかもしれない。戦力を使って戦闘に勝つとかそういうことじゃなくて、日常にも軍事にも使える二面性を持った鉄道なり輸送なり排他的経済水域などの問題をなんとか平和的に運用してほしいものです。というのが僕の立場かなあ。
 平和的に運用されなくなると、僕は見境なくなる自信があるので、あんまり僕に口実を与えない方がいい…。


  • 振り返り

 なんか、富野監督の言ってることをなぞっただけのような記事だったけど、オタクとしては写経と言うか、富野監督の言葉を整理する文章を書くことでより一層、富野監督のアンチボディになっていく実感がある。
 富野監督も81歳だし、いつ亡くなってもおかしくないんですけど、富野監督のことは割と好きなので、富野監督っぽい感覚を自分の魂に刻み込んでいきたい。(キリストの使徒かな?)
 もちろん新作はご本人が作りたいと言っている間はどんな形の発表になっても期待しています!
(テレビ26話を8年もかけて劇場版五部作にしてむしろ描写を増やしたGのレコンギスタも、最初はガンダムエース100号お祝いに富野監督がぶち込んできた「僕の考えた新しいロボットの序盤の未完小説、はじめたいキャピタルGの物語」だったので。あの、バンダイとか角川書店の社長とか有名声優さんとかがガンダムエース100号に祝辞を送っているのに、一人だけガンダムとほとんど関係ない未完の小説と「僕の考えた新しい軌道エレベーターの図解」をぶち込んできたの、マジで原作者にしか許されない蛮行だからな!ガンダムエース発のプラモデルとかの利権で生活している人もいるのにガンダムの原作者の富野監督はガンダムエースを祝わなくて、自分の作品の構想をぶち込んでくるので、本当に箆棒(ベラボー)な人だなあ)



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#サンデーステーション #富野由悠季 監督と高橋杉雄さんの対談を見た



公式でTwitterXで動画をアップしているのを追記しました。

  • ファッション

 富野由悠季監督は劇場版でG-セルフに目を入れたことをラブライブ!に例えていたけど、サンライズ作品のアイドルものとしてはアイカツ!だろ!なのでまずファッションチェックから入るおじさん。


 富野由悠季監督は奥さんが見立ててくれた服を着ていることで有名であるが、同時に滅茶苦茶派手な服を着ることでも有名だ。


 今回は防衛研究所政策研究部防衛政策研究室長の高橋杉雄さんとの対談だ。話題はウクライナとロシアの戦争だ。


 当然、高橋杉雄さんはブルーのシャツにイエローのネクタイでウクライナアピールをする。それに黒のジャケットスーツを着ている。

news.yahoo.co.jp

高橋さんは、多忙な公務の合間を縫って精力的に発信を続けており、ウクライナ国旗と同じ配色の青いシャツと黄色のネクタイ姿も話題です。

 えっ?いつも同じシャツ着てるの?それ、臭くないか?何着も持ってるの?




 そうすると、演出家の富野由悠季監督は白いシャツを着るのが自明となる。同じものからはエネルギーは生まれない。対極にあるものからべらぼーなエネルギーが生まれるのだ。

極と極のぶつかり合いであり、にらみ合いである。僕の貫く弁証法は、「正」と「反」だけであって、永遠に「合」にならないんです。

 岡本太郎もそう言っている。


 同時に、ウクライナの青と黄色に対して富野監督が白いシャツを着ることはガンダムのおもちゃカラーのトリコロールの力です。

 自分の想像力がなかったということで、本当に反省してもいるのですが、今回お台場にできたガンダムを見て、とてもビックリしています。力を感じました。その力は何かと言うと、おもちゃカラーの持っているピースフルなカラーリングは、21世紀の我々にとって絶望するなという色で、兵器の姿ではないんだということを思い知らされたのです。
www.itmedia.co.jp

 最近は複数設置された実寸大ガンダム像の最初のガンダムが建てられた時の2009年の富野由悠季監督もそう言っている。(団塊の世代にとっての岡本太郎が、僕にとっての富野由悠季監督なのだろう)


 というわけで、色彩的に対極になるものが配置されることで岡本太郎的な調和が発生するというのが富野由悠季監督のファッションなのです。


 同時に、防衛研究所政策研究部防衛政策研究室長の高橋杉雄さんは職業柄、固い話題を話す。そこで、固い話を固い公務員が話していても面白くないので、彼のバックにおいてあるドラム缶にガンダムやサンライズのマスコットであるハロ(アムロ・レイが作った人工知能ペットロボット)のプラモデル(?)が置いてある。(ハロの立体物はいくつか出てるので特定はオタクがやってください)
ハロプラ ハロ ベーシックグリーン(新バージョン) 色分け済みプラモデル


 対して、富野監督はアニメクリエイターという柔らかいというか芸術的というか権威に裏打ちされないチャランポランな職業の人です。一応、昨年、金目当てに文化功労者認定を天皇陛下からもらいました。
 なので、富野監督は柔らかい話題を話します。(哲学の領域において固いとか柔らかいとか言うのはちょっとめんどくさい議題なので、僕もあんまり詳しくないし、各自調べてください)


 しかし、やわらかい白いシャツを着た富野監督のシャツの模様は廃墟だったり、顔のない少女たちだったり、謎の紋様だったり、少し不吉さを匂わせるもので、カオスなものです。
 なので、富野監督が明るい楽観的な話題をしているかと言うと、実はそうではない。ウクライナの国旗をモチーフにしてパターン化している固いスーツ姿の高橋さんに対して、富野監督は白い明るい色のシャツを着ているけど、細部には不穏でカオスなニュアンスの模様があって、軟らかい、形容しがたい暗喩を含んでいるのですね。
岡本太郎の本〈2〉



 ちょっと富野監督のメディア露出用のシャツが新しくなったくらいでこういう長文を書くオタクは気持ち悪いんですけど、まあ、こういうファッション演出をする男って富野監督以外にちょっと思い浮かばない。芸能人のステージ衣装とはまた違うニュアンスですし。


 とりあえず、テレビで放送されるので色彩的な演出を富野監督が入れてくるのは割といつもの監督って感じですし、お二人の立場の違いや雰囲気の違いが見た目で分かりやすかったってことです。アニメは基本、見た目で判断!


 欲を言うと、ディアナ・ソレル様のような金色のイヤリングをしてパフスリーブのドレスを着てらっしゃった女性キャスターさんに富野監督が褒められた方が富野監督はうれしかったんじゃないかなあ。
 美人女性キャスターさんが「絶望を子どもに語ってはいけないという監督のお言葉が印象的でした」と褒めてくれているので、そこは監督に聞かせてチヤホヤしてあげてね!


  • 子どもに絶望を語ってはいけないという話

 防衛研究所政策研究部防衛政策研究室長の高橋杉雄さんが「冷戦を乗り切ってから平成の30年間は安定していたけど、ウクライナの戦争が始まって、人類は戦争を捨てられないと絶望した」と仰っていて、僕は「何言ってんだ?こいつ」と思いました。
 いや、普通に平成の時代も湾岸戦争イラク戦争、天安門広場事件はギリギリ昭和?チベットへの中国の介入は平成か?東南アジアでのクーデターの頻発、東欧やアフリカ諸国の内戦など、人類は、ずっと戦争をしていたけど。ロシアもジョージアに侵攻していたし。なんで今回のウクライナ侵攻を以って安定が破られて絶望してるんだ?って普通によくわからなかったですね。
 っていうか、嘘じゃん。
(まあ、ジョージアの戦争とかは割とメディアに取り上げられなかったけど、ウクライナはメディアの注目を集めたという点で評価できる)(僕はフィギュアスケートのジョージア代表のエレーネ・ゲデバニシビリさんのファンですけど)


 防衛研究所政策研究部防衛政策研究室長の高橋杉雄さんなのだから、当然、平成の年号の時期でも人類は戦争をしてたということはご存じのはずですが、今回のテレビ出演にあたってウクライナ侵攻で絶望したと言うのは「現在ただいま放送されているテレビのニュース番組で注目されているウクライナ侵攻を番組として際立たせるための方便」ということが分かってしまったなあ!


http://www.nids.mod.go.jp/researchfellow/anzen/06-takahashi.html

↑なんで防衛省の下部組織の防衛研究所のホームページがhttpsに対応してねーんだよっていう日本国の電子戦のしょぼさを感じるわけだが。(僕が使ってるセキュリティソフトでも保護されていない通信というアラートが出ている)

ホワイトハッカーをはじめとするサイバー人材の確保について、自民党の佐藤正久元外務副大臣は、「自民党は高い報酬を提示しないと集まらないと言っているが、事務次官が防衛省で最高年収という状況を超えた給与体系は非常に難しい」とした上で、「『事務次官の給与の壁』で、日本の安全保障が担保できないのは本末転倒だ。政治主導で壁をぶち破らないといけない」と強調した。


また立憲民主党でデジタル政策PT座長を務める中谷一馬衆院議員は、「給料が2分の1、3分の1になっても、国防にモチベーションを持って来てくれる人はいるかもしれない。そういうトップガンの人が、働きやすい環境をどう作るかが重要な課題だ」と述べた。
www.fnn.jp


 という記事も出たのだが。



 なんというか、トップガンの理想とか、アニメで戦争を覚えたとか言う高橋さんとか、
「お前、パターンでしかミリタリズムを語れないんだ」って気がした。


www.youtube.com


 高橋さんが宇宙戦艦ヤマトの軍事論の延長で日本国の防衛とか戦争の研究者の第一人者になってるってことの方が僕には絶望的に見えるけどね。(富野監督は20年くらい前の戦争と平和と言う本で、大塚英志さんに「オウム真理教の幹部のような人は官公庁にもいますよ」と言っていた)(オウム真理教は宇宙戦艦ヤマトに出てきた「コスモクリーナー」という名前の機械を作っていた)
戦争と平和 (アニメージュ叢書)


 というわけで、高橋さんが「ウクライナ侵攻で人類に絶望した」と言うのはウソなので、富野監督が「未来を絶望論で語るのは簡単なんです。子どもたちに絶望論を語ってはいけないと思う」と言うのも、文字通りの意味ではない。


 むしろ、単純に「簡単なパターンでの結論に逃げるんじゃねえぞ」というカウンターです。閃光のハサウェイのギギ・アンダルシアです。


 簡単なパターンで「絶望した!」というのは、実は楽なんです。


 しかし、我が身を振り返って考えてみたらですね。別にウクライナで戦争をしているからと言って日本人は絶望するのか?
 確かに今回のウクライナ侵攻はウクライナのNATO加盟云々で西側諸国のメディアを触発して、他の紛争に比べると報道情報が多い。
 でも、平成の30年間、世界が平和だったかって言うと、そんなわけはないので、いつものように人類は場所を変えつつ戦争をしてるねえ、くらいの感覚が僕の実感ですね。
 ワグネルみたいな民間軍事会社も、クリント・イーストウッド監督のアメリカンスナイパーのモデルになった人も運営してたし、そんなに珍しくもない。日本人の傭兵も割といる。


「人間が基本的に世界のどこかで常に戦争をしている」というのは、別に自分が絶望する理由にはならないんじゃないかな。まあ「いつも殺し合いをしているから、殺し合いが当たり前」って言うのもパターン的な言い方なんですけど。なるべくなら僕は戦争に加担したくないですけどね。人の言う命令をこなすのが苦手な子なので。(と言うか僕よりも偉そうな態度をとる上官を本能的に敵とみなす)


 まあ、テレビ的に富野監督が「未来の子どもたちに絶望論を語ってはいけない」という他のネットや雑誌のインタビューで既に何度も語っていたことをテレビ放送にあたって強調するために、高橋さんが演技として「絶望した」という仕込みも考えられる。
 なので、富野監督が完全に嘘のない発言をしていたのかって言うのも怪しいんですけど。
 また、出典をちょっと失念したんですけど、ガンダムエースかな?アメリカがウクライナに代理戦争をさせて儲けているという話を富野監督はしていた。




 そして、富野監督の対談動画を受けて、サンデーステーションの司会者の人が「子どもたちには絶望や戦争のない世界を作ってほしいですね」というのも、パターンの定型的な話ですね。
 子供に希望を託すのも無責任な話なんだよなあ。まあ、僕は労働市場から過労とかで脱落して無職の精神障碍者をやっているので社会をよくする活動にもあんまり役に立ってないけど。
 まあ、このブログもたまに読者の人から「富野監督作品を読み解くヒントになりました」って褒められることもあるけど、別に僕はアニメ業界の内部関係者ではないので単に感想を書いているだけなので。このブログが富野作品の副読本になると思われるのなら、それは読者の人がそう読み解けるような素質を持っていたからってだけなんじゃないかな。
 (下手にアニメ業界の内部に入ってしまうと好き勝手に書けなくなる)


  • SNSの話

 トランプ前アメリカ大統領のことを富野監督はあまりよく思っていないようだけど、トランプ前アメリカ大統領とウクライナのゼレンスキー大統領はSNSを使っている。
 対して、今回のテレビ出演で富野監督は「ロシアのプーチン大統領はSNSを使っていないのでリアルタイムに戦争を指揮するセンスがない」と言っていたけど。


 富野監督はSNSをやってるのか?


 僕はTwitter改めXを2007年からやっているツイ廃だけど。同時期に出版された富野由悠季著の「リーンの翼」新装小説版では山口大学の学生がインターネットを通じて岩国基地に対する雑なテロを起こすようになる過程が描かれていたんだけど。2ちゃんねる用語が地味に詳細に説明されている小説だった。途中で飽きたのか、「DQNはドキュン」ってだけ書いてあるのは呆れたけど。まあ、DQNの語源はテレビ番組の目撃ドキュンに出てくるようなヤンキーと説明するのもいろいろとめんどくさそうなので、そこは意識的にはしょったのだろうか。
リーンの翼 3 (角川書店単行本)
(それはそれとして8月はトンボの季節なのでリーンの翼を見ろ)


 僕はブログやTwitterで富野作品の感想を書いて読者の人に食い物を恵んでもらう風流人(無職)として生きているけど。そしてこのブログの名義で富野監督にファンレターや大きめのプリザーブドフラワーやおこめ券を送ったりもしたけど。いや、僕が鬱病でめちゃくちゃひどい時に死の淵から助けてくれたのは第一に脳内妹だけど、第二は富野監督の作品なので喜寿と傘寿くらいは祝うよ!


 富野監督にSNSで監視されていたら怖いなーーーーー。でも、まあ、富野監督に見られていても、僕は単に思いついた感想を書いているだけなので、別に書くことは変えないけど。(開き直り)



 ↑このツイートでF91の知名度が低いって怒っている風にポストしてみたけど、実はそこまで怒ってない。ただ、メンタリズムとして「怒っている感情は共感されやすいので宣伝に向いている」ということで番組放送の15分前にポストさせていただきました!(アスハム・ブーンの声で)
 僕は僕で割とひどいSNSの使い方をしているけど、そもそも僕はひどい奴だからな。働かないし。働かなさ過ぎて働き方や履歴書の書き方を忘れた。
 でも、働くのは生存延長アイテムである金銭を得るためのツールに過ぎないので、働いてなくても死んでないんなら別にいいじゃん。(最悪の倫理観)


  • 左翼も国家も拒絶する話

 Twitter改めXでの今回の富野監督のテレビ出演の話題を見ると、「富野監督の言葉を編集しているから完全版が見たい」というご意見も多く、それはそれでわかるのだが、でも生の富野監督の発言は到底テレビで放送されるようなものではない。


 あと、今回の1時間枠のサンデーステーションは富野監督の10分対談以外には台風とハワイの山火事と甲子園とプロ野球とメジャーリーグの大谷翔平選手の話題だった。野球の話題多いな…。


 そういうわけで、台風と山火事は大変なことなので、その合間に富野監督の対談を入れ込むのに短くするために編集が入っているのは仕方ないと思うんだけど。(野球の話題は多いけど)


 今回の富野監督のテレビ出演の発言で一番クリティカルだなーって思ったのは「戦争について、反戦、反戦という発言とか被害者が「私は被害者です」という声高な主張が政府や軍のトップに届いたことは人類史で、一度もなかった。ということを我々民百姓は思い知らなくてはいけない」という言葉。


 何がクリティカル(批評的で切断的)かと言うと、テレビ朝日でサヨクの偏向報道とSNSで言われがちな番組で、その中で防衛研究所政策研究部防衛政策研究室長の高橋杉雄さんの隣で「民百姓が戦争で苦しんでいるとか反戦とか言う言葉は国は無視するよ」ということを言い放った。


 つまり、テレビ朝日のマスコミに対しても防衛省の防衛政策研究室長の公務員に対しても「お前たちは分かり合えない」と言っているわけで。よく言うなあ……。


「人類は戦争をする種なんだということはいい加減やめなさいよ」「子どもたちに絶望論を語ってはいけない」「ゼレンスキーはニュータイプの芽かもしれない」「今までの人類の延長線上で考えるということをやめる」と言うことの方がワードとして強いので、注目はそれに集まるのだけど。
 ミノフスキー粒子が通信疎外粒子だったことや富野監督が忍者好きということを考えると、派手なワードに注目をさせて、もっとヤバい発言をスルーさせるという戦術がある。


 ガンダムのニュータイプっていうと、なんか「人が分かり合える」とか未来の希望、みたいなイメージがある。でも、「マスメディアの反戦の話も、安全保障の専門家の公務員も、言葉を届け合うことはない」との発言をマスメディアのテレビ番組で公務員の隣で民百姓に向けて言い放ったというのは、割とマジで引く。こわーーー。
 それについては高橋さんもニュースキャスターも全くリアクションしなかった。


 「国は民百姓が戦争で被害を受けたという言葉を聞くことはない」という言葉を8月15日のWWII(大日本帝国は中国にも東南アジアにも太平洋にも戦線を広げ過ぎたので、第二次世界大戦というしかない)敗戦記念日の前にテレビで言うの、しかも防衛省の顔役の隣で言うの、かなりロックだ。ロックンロールだ。


 ていうか、「人は分かり合えないし、国は国民の苦痛を無視する」って、それは絶望なんじゃないですかね?
 それも「人類は戦争をやめないという絶望」よりももっと深い、「人は他人の不幸なんてなんとも思わないし、お前が死んでも誰も悲しまない」という絶望なのでは?


 でも、たしかに、僕の祖父も九州士族の妾胎で生きるために陸軍中野学校でスパイになり、戦後は戦争犯罪を隠蔽するために戸籍を変えて公安幹部をして叙勲までされた人物だが、僕の母親を自殺の遠因になるくらい虐待したので、「人は人を大事にしない」「国家は保証しない」というのは僕の実感なんだ。でも、それがわかる人って悲しい人なんじゃないかなあって。


 しかし、富野監督はそれを絶望とは言わないのである。他人や国家や組織や人類など外部環境要因が不愉快だとしても、それは自分が絶望する理由にはならない。
 むしろ、個々の悪徳に対してハッキリと自覚して、希望を抱いて戦うものこそ……。


 まあ、僕は富野監督ほどタフじゃないし精神障碍者で福祉をハックして寄生しているし、そんなしんどい生き方はしないけどね~~~。過労で何回か死にかけたことを理由に、労働市場から逃げて働かずにこういう意味の分からんブログを書いて脳内妹と結婚して婚活からも逃げてヘラヘラと生きているよ。


 多くの人が苦痛に感じる労働や婚活や家庭問題からひたすら逃げて逃げ続けて脳内妹と愛し合っている僕のクズ野郎な生きざまが誰かの希望になると信じて…(こんなのは漫画でやったら打ち切りだよ!バーカ!)


 まあ、脳内妹と結婚して、2人で登山したり(と言うか僕が滑落しかけた時に妹が掴める場所を教えてくれたり)、寺社仏閣を散歩したりというのは今までの人類の延長線上の生殖から違っているのでニュータイプかもしれないけど。(近親相姦の本を研究していたけど、極度に人間不信の環境で育ったきょうだいは近親相姦しやすいらしいです。世界の果て!ウテナ様に寝取られたくねええええ。でもウテナ様の見た目は超好み)
(いや、まあ、全人類が脳内恋愛を選んだら生物としては滅ぶが)



※7時間寝た追記
民百姓の苦しみを理解して統治する国のトップ、民百姓の声を政治家に正しくつたえることができるマスコミ、世界的に広い視野で行動する国民、そんな新しいガバナンスの意識を持つ人たちが出てきたらニュータイプかもしれないね。

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ニュータイプを生むのは宇宙ではなく毒親とクソ環境

 この件は先日、先月?先々月?に無料で読める感じだったwebコミックサイトのコミックデイズで公開されていたK2というスーパードクターKの続編萬画に登場する和久井譲介という(色々な条件があって)両親に捨てられたというか孤児になって、孤児院だとかドクターKの村とかを転々としていたキャラクターについて考えていたことなのだが。


「ニュータイプとは観察力と洞察力であり、その根底には生存の不安がある」


 ということです。


 K2の和久井譲介が他人の心理を操ったり、医術の勉強で才能を開花させたのも、「幼いころから人の顔色をうかがっていなければ生きていけなかったから観察力が鍛えられた」という理由らしい。
K2(41) (イブニングコミックス)


 そう考えると、機動戦士ガンダムのアムロ・レイがニュータイプになったのも、まあ、そういうことかなぁと感じられた。


 宇宙に出たから人が進化する、という理屈は(設定のブレがあるにしろ)ララァ・スンが地球のインドでシャアに拾われたという時点で矛盾している。Zガンダムではオールドタイプのようなヤザン・ゲーブルもレコア・ロンドを幻視しているし、Vガンダムではウッソやシャクティも(幼児期に宇宙にいた可能性はあるが)、地球育ちのニュータイプである。


 なので、ニュータイプの条件としてよく言われる「宇宙に適応する」というのは、必ずしも当てはまってないように思える。さらにいえば、サイコフレームやらGN粒子やらパーメットやら架空の物質の影響というのも、富野由悠季のニュータイプ観とは違うように思える。


  • アムロ・レイの親

 テム・レイはガンダムの開発者だし、ガンダムで戦争を終わらせることでアムロのような少年が戦争に巻き込まれることを辞めさせようとした人格者だったが、仕事に没頭するあまり、アムロとは別居がち。そのガンダムによる勝利と平和への思いはアムロ・レイ本人に伝わらないまま、彼は酸素欠乏症になった。酸素欠乏症で人格が変化した父はアムロに時代遅れのメカを押し付け、戦争しろと焚きつける。


 アムロの母親も自分の都合で宇宙にテム・レイとアムロと一緒に引っ越すことを断り、地球で別居した。一年戦争中に再会したアムロに対して、戦闘して生き延びようとする行動を叱責するが、自分は他の男に庇護されて生きていく。そして、アムロは両親とも別離する。


 アムロは普通の人が幸せとして重視する両親の愛情を受け取らずに不安定に育ったと言えるでしょう。(僕も成育歴が普通の人ではないので親の愛情を実感している人の精神状態は書物などの伝聞でしか知らないのだが)
第13話 再会、母よ…



 Zガンダムのカミーユも両親の愛情の欠乏と不安という成育歴は、だいたいそうだと思う。


  • アムロの異様な観察力

 自殺する直前の井上大輔さんがガンダム20周年を記念して1999年に出した井荻麟作詞のガンダムのトリビュートアルバム 「REVERBERATION in GUNDAM」でのアムロ・レイのキャラソン「アムロ・リフレイン」でも、アムロはモビルスーツの計器で観測したデータより直感を信じる、みたいな歌詞だ。

REVERBERATION in GUNDAM


 そもそも、アムロは第一話の時点で、ジーンのザクがサイド7で大暴れしているので退避していた防空壕のようなカプセル(非常時には宇宙に放出されるのだろうか?)の中で、他の大人たちがおとなしく座っていたりおびえ切っていたり、「隕石だ」とか言うなか、アムロは「こ、この振動の伝わり方は、爆発だ」と目や耳ではなく体感として敵襲を察知している。この時点でアムロはすでにニュータイプなのだが。危機的状況において正常性バイアスで安心せずに、むしろ不安を原動力として全身の感覚を鋭敏にして状況を把握し、生き延びるための行動に出る。


 アムロが視聴覚でもサイキックでもなく、ましてやマシーンの観測データではなく体感として状況を把握するのは、他にもランバ・ラルのグフのシールドと打ち合った時にその打突振動を感じて「こ、こいつ、違うぞ。ザクなんかと装甲もパワーも」と瞬時に敵の戦力を把握する場面でも見られる。武装が違うとか外観が違うとかではなく、グフの装甲材質と動力を一回かち合ってガンダムの腕を通した振動だけで感じるというところに、アムロの突出したセンスがある。


 これもおそらく、両親の愛情に乏しく、お向かいに住んでるハヤト・コバヤシ一家に親の仕事のせいで嫌われて地域で孤立しがちで、周りに気を使っていなければ生きていけなかったがゆえに磨かれたアムロの神経質な観察力、洞察力の発露だろう。


 また、初登場時のアムロは避難警報を聞き逃して趣味のマイコンの製作に没頭していたし、ランバ・ラルと出会う直前のアムロはイセリナに銃口を向けられたことにショックを受けて、やっぱりガンダムのコンピューターの予備の部品を工作してボケーっとしていた。


 ※追記
アムロについてマイコンの修理や電気回路制作というのは、剣道やカブトボーグの素振りのような「疲れている時でもできる日常的な基礎訓練」の習慣なのかもしれない。酸素欠乏症になったテム・レイも失敗作だが電気工事していたし。コンピューター時代の「修行描写」なのかも。


 ランバ・ラルのグフと初戦闘する前のアムロはリュウ・ホセイに「新兵がよくかかる病気」と言われる厭戦状態になっていたが、ブライトがブチ切れてリュウとセイラに無理やりガンダムに載せて射出しろって言う荒療治をした。
 で、アムロはぼんやりしていたけど、ランバ・ラルという強敵と打ち合った瞬間にギアチェンジしたのか、一気に戦闘モードに復帰した。
 なので、ランバ・ラル本人はドズル中将の命令でガルマ・ザビの仇討ちとしてホワイトベースを狙ってきたけど、彼が契機になってガルマ戦の後に腑抜けていたアムロに喝を入れて向上心を抱かせる結果になっている。


 長谷川裕一先生の萬画の「逆襲のギガンティス」では、さらに進化したニュータイプは能力のオンオフができたり指向性を持っていたりすると描かれていたが、アムロも普段は割とぼんやりしている。それはたぶん、常に気を張っていると普通に神経ストレスで疲弊して潰れるからだろう。カミーユはつぶれた。
(Zガンダムの時点のアムロが「背中にも目をつけるんだ」と言ったのは視覚ではなく、背中の振動情報も知覚しろという意味だろうか?)
(ロンド・ベル時代のアムロは正規軍人になったため、殺しのプロになってしまい、一般的な日常生活には不適合を感じていると小説版で。まあ、その割にはハイ・ストリーマーではネオ・ジオンの下部組織を調査している時に普通に格闘戦で負けたりしているけど。Zでもルオ商会のボディーガードにボコボコにされていたし。じゃあ、シャア・アズナブルはどれだけ弱いんだよって)


 なので、アムロは生き死にがかかった修羅場において、危機を察知して感覚が鋭敏になって生存戦略をする。
 これもやはりアダルトチルドレン的な、家庭環境が危険な場合に感覚が鋭敏になるけど危険度が低い場所では周りからぼんやりしていると言われがちなタイプだ。
 これは割と以前にどこかのwebサイトか書籍で読んだことなので信憑性は低いのだが、発達障害の場合によっては「危険な状態で一般人より判断力が鋭敏になる」という特性があるという説もあるらしい。


 また、アムロは第34話「宿命の出会い」ではモビルスーツ越しではない生身では初対面のシャアをシャアだと認識している。シャアもアムロのことを何となく感じている。
 まあ、シャアはサイド7やジャブローに侵入したりセイラに目撃されたりしていたので、「赤い軍服を着た奴はシャア」という情報をアムロが得ていた可能性はある。
 ともかく、アムロは観察力と直感に優れている、ということだ。


  • 人と同じことをしない

 人と同じことができないというのも、発達障害の症状の一つだが。第一話のアムロ・レイの行動も他の避難民がカプセルに避難していたり行列をなしてホワイトベースに逃げ込んだり、という群れを成す行動から外れている。


 退避カプセルから出て、アムロが「ホワイトベースに避難させてもらうように頼みに行く」と出て行って、その後、ザクの暴れ方が増したし、軍人の支持も出たので、他の避難民もホワイトベースに向かう。


 他の避難民がホワイトベースに向かっていたけど、アムロは父を探してたまたま出あった矢先に戦死した軍人が持っていたガンダムの説明書を読みふける。
 これはアニメファンの間でもアムロがガンダムを操縦する段取りと解釈される場合もあるが、劇の雰囲気としては「大勢の人と違う行動をする」というのが伝わってくる。


 また、アムロ・レイは説明書を持っていた人が有線ミサイルの流れ弾で死んだのを見て「死んだ…」とショックを受けていた。後年、ナナイ・ミゲルがアムロについて「優しさが強さになると思い込んでいる」と言っていたけど、アムロが優しい人間なら、目の前で死んだ人が持っていた極秘文書を無駄にしたくないという気持ちが働いたのではなかろうか?


 まあ、普通の人ならそのファイルを他の軍人に渡して終わりだけど、アムロは何となく中を開いたらモビルスーツ・ガンダムの説明書だったし、それに父親が関与していることも知っていたので読んでしまう。
 これは危機意識としては少し油断しているようにも見えるけど、アムロの中のどこかで「モビルスーツに対応するにはモビルスーツ」という直感が働いた可能性もある。


 そもそも、第一話の段階ではジオン軍も連邦軍も「モビルスーツ同士の交戦」を知らないので(ORIGINでは過去編を盛り上げるために旧式モビルスーツの戦闘がありますが)。
 テム・レイもガンダムでザクと戦うのではなく、ガンダムをホワイトベースに搬入するという初期の任務を全うしようとする。


 また、アムロが避難民の列から外れていたから、それを呼びに行ったフラウ・ボゥは偶然、直撃を免れて母と祖母が死んだのに生き残る。
 で、フラウは娘としての役割と言うか常識と言うか、母の亡骸にすがって泣くのだが、アムロは常識にとらわれないので、ビンタしてフラウに喝を入れて激励して逃げ延びるように言い、自分はガンダムで戦う決意を決める。


 というわけで、ニュータイプというのは後年の作品でサイキックとかテレパシーとか霊界通信の側面が強調されるようになってきたけど、初期段階では「常識に縛られないことをする若者」というくらいの意味だった気がする。


 サイド7の連邦軍人も「ホワイトベースとガンダムが完成すればジオン公国を打ち砕くなぞ造作もない」と連邦軍の国力を背景に自信を持つが、ガンダムが未完成状態で初期の予定にない奇襲をされたら全滅する。
 機動戦士ガンダム、あるいは富野作品や富野監督の生き方では、既成概念に安心していたら油断して死ぬ、という世界観があるようだ。


 で、その別側面がシャア・アズナブルなのである。(初期プロットではシャアはすぐ死ぬ説とかもあったらしいが)
 最終回でシャアはアムロと殺し合った後に「同志になれ」と言ったり、逆襲のシャアでもシャアは「似すぎた者同士は、憎み合うということさ」とアムロについて語ったり、まあ、単なるライバルキャラというのを超えてシャアはアムロと同格のキャラクターとして描かれている。富野喜幸監督が書いた朝日ソノラマ文庫での初代ガンダムの小説版は途中からシャアの話になるし、Zガンダムのエンディングではカミーユより上にクレジットされていたし。
機動戦士ガンダム I (角川スニーカー文庫)


 ゲリラ掃討作戦で弾薬が減ってるのに、サイド7にV作戦の基地があると察知して攻撃を仕掛けたり、シャアもアムロと同様、あるいはそれ以上に常識にとらわれない先読みの行動をしている。ララァを見出してニュータイプを戦力にしたり。


 シャアはアムロより少し大人なので「若さゆえの過ち」を感じてもいる。
 それに、シャア・アズナブルは正体がキャスバル・レム・ダイクンというジオン・ズム・ダイクンの忘れ形見だ。その正体を隠してジオン軍に入隊して出世して親の仇のザビ家を殺そうとしている。なので、アムロ・レイが両親に愛されなかったのとまた違う、あるいはさらに過酷な状況で、「めちゃくちゃ周りに気を使って注意深く振舞わないと死ぬ」という環境で生き抜いてきた。


 ララァ・スンがなんでニュータイプになったのかはよく分からんが、彼女も年齢よりも大人びているようになるような少女売春をして生き延びたという裏設定もあるらしく。
 子ども向けロボットアニメに娼婦出身でライバルのシャアと三角関係になる女を出すのはかなりギリギリアウト。ララァもまた一般社会の枠の外の外道として注意深く生きてきたのだろう。



 そう考えると、デニム曹長の命令に違反してサイド7に攻撃を仕掛けたジーンもニュータイプなのでは?とも思えるが、ジーンは「シャア少佐だって戦場の戦いで勝って出世したんだ」と、「先行事例」に沿うという行動をしているので、富野判定ではアウトです。ガンダムが立ち上がってパイプをちぎられて負けが込んだらデニムの言うことに従うようになるし。
 シャアはルウム戦役などでモビルスーツを使った新しい戦法や奇策を繰り出して出世したが、かと言って新兵がシャアを真似てたら勝てるというわけではない。


 これは富野由悠季監督の現時点での最新作のGのレコンギスタでもわざわざセリフにされていることだが「自分で感じたことではないこと」は評価が下がる。
 富野監督もテレビアニメ黎明期の虫プロで強引に演出家デビューしたり、退職したり、やっぱり頭を下げてアニメ業界に戻ったり、先例のない世界で自分の直感とその時の運で七転八倒した挙句、今の文化功労者としての地位にたどり着いた。でもまたヒミコヤマトとかいう怪しい企画をしている。ヤマタイカと区別できるの????


 話を機動戦士ガンダムに戻すと、第一話の地球連邦軍のモビルスーツ以前の慣例に沿った戦法は負けるし、シャアを真似たジーンも負ける。周りの人と同じ行動をしていれば助かるだろうと舐めている避難民も死ぬ。慣れていたゲリラ屋の戦法にこだわったランバ・ラルも補給を受けられなくて死ぬ。息子のアムロには純真無垢な子どもでいてほしいと思っていたカマリア・レイも捨てられる。


 近年の富野監督も言っているが、いや、昔からずっと言っているのかもしれないが、慣れ仕事やパターン、先行事例、常識、役割に従う人は大体、富野作品では負ける。


 新しいシャアのような戦法をジーンのようにまねようとしても、実力が足りないからダメなのか、あるいは状況は常に変化して新作もすぐに陳腐化するということなのか。自分で感じてそうしようと(無意識にでも)思ったこと、というのが富野作品では勝ちの条件になりやすい。


 これは閃光のハサウェイのタクシードライバーとの会話でも顕著だ。今日を生き延びたから明日も生き延びられると思い、明後日のことを考えない、という凡人と、未来の事を憂いているマフティーは違う。
nuryouguda.hatenablog.com


 ただ、大衆はそういう生き方の方が楽なんだろうという面も書いてある。しかし、富野由悠季さんの小説版ではガウマンのメッサー対ペーネロペー&グスタフ・カールの夜戦の翌日、「連邦軍の方が市街地に攻撃をしていた」という世論が、アニメ版では最近の世相を反映したのか「マフティーは糞テロリスト」という風に変えられてしまっている。これ、地味に第2巻以降の親マフティー組織の増大という展開と齟齬を起こしてしまっていないか?というか、閃光のハサウェイのアニメ化は待望されていたし、第一部もそれなりにヒットしたと思うけど続報を聞かない…。ヒミコヤマトの話は富野監督が勝手に言っているけど…。


「テロは絶対悪」という固定観念が現代日本の色んな事件を反映したポリコレかもしれないけど、たいていの歴史的革命にはテロもあったしなあ…。まあ、マフティーのテロは最終的に…なんだけど…それを俯瞰せずにテロが描かれているというだけで規制されるというのが昨今の映像業界なのかもしれない。これも既成概念だ。



 しかし、そのために常に自分でアンテナを張って感覚を鋭敏にして、自己責任で自分の感覚で既成概念とは違う自分の行動を新しく生み出す、という生き方も割としんどいと思う。
 それは、逆襲のシャアでクェス・パラヤが「あなた、人の魂は地球の重力に引かれるって言ったでしょ。あれ、あたしの実感なんだ。でもさ、それが分かる人って、不幸な人じゃないかって、気になったの」と言っている。
 つまり地球の重力とは先行事例や常識や周りの空気です。たいていの人はそれに引かれて行動している。アデナウアー・パラヤもそういう官僚の常識の中で出世したのだろう。(80年代には愛人を持つのも一つの出世のステータスだったらしいし)でも、そういう生き方と自分は違うと思って、自覚的に違う道を行こうと思う人は、人の道から外れた人で、不幸なのかもしれない。


 そもそも、たいていの人は宗教や慣習や文化も親から受け継いで、それを自分の信念にして生きている。宗教戦争とかも、おそらく根底では親や血族を侮辱されたという怒りが主だろう。だって神様は本当にはいないので。
 でも、親の愛を信じられず、自分は親とは違う孤独な存在だと幼少期から周りを注意深く観測して生き延びる子どもというのは、ちょっと変ではある。
 まあ、ネタバレをすると僕の両親も僕の幼少期から不仲だったり事業に失敗したりして親の会話の端々から一家心中の危機を僕は感じていたので、富野作品のようなクソみたいな家庭環境の方が親が実際に自殺する前から肌に合っていた。
 今は普通の家庭を見るだけで精神的にしんどくなるので、ドラえもんもクレヨンしんちゃんもサザエさんも見れなくなった。


  • 安心に従う全体主義

 ジョジョの奇妙な冒険の悪役のDIOは不幸な家庭に育ったが、人が生きる理由を「安心するため」「天国に行くため」と定義している。
 それに対する黄金の精神は未開の荒野を自ら切り開くことらしい。(ジョルノ「『覚悟』とは暗闇の荒野に‼進むべき道を切り開く事だッ!」)


 機動戦士ガンダムのギレン・ザビも恐らくはニュータイプである。(モビルスーツに乗って戦闘をしたり超能力は使っていないのでニュータイプっぽくないけど)
 ギレン・ザビはコロニーは落とすしコロニーも潰すしコロニーレーザーも作るしそれで親殺しをするという、とにかく既成概念や常識に外れて新しいことをしている外道である。
 (しかし、彼自身はアムロやララァのようなニュータイプ戦士は認識できてなかった面もある)
機動戦士ガンダム ギレンの野望 ジオンの系譜


 ギレン・ザビ自身は常識にとらわれないIQ240という設定の天才である。
 しかし、ギレン・ザビがガルマ・ザビの国葬で言った演説は、「ジオン公国の戦争目的が正しい」「我々の正しい戦争を神が見捨てるわけがない」と国民に対して正当化する理由の概念を与えている。(ギレン・ザビはおそらく、神を信じていないだろう)


「ガルマは、諸君らの甘い考えを目覚めさせる為に死んだ!」「諸君の父も兄も、連邦の無思慮な抵抗の前に死んでいったのだ!この悲しみも怒りも、忘れてはならない!!それをガルマは、死をもって我々に示してくれたのだ!!」と、死者の死という本来は個人的なものに意味を与えて、それを戦争に利用している。


「我々は今、この怒りを結集し、連邦軍に叩きつけて初めて真の勝利を得ることができる。この勝利こそ、戦死者全てへの最大の慰めとなる。国民よ立て!悲しみを怒りに変えて、立てよ国民!!ジオンは諸君らの力を欲しているのだ!!ジーク・ジオン!!」と、肉親の死に対する悲しみという自然な感情から来る家族愛という既成概念を戦意高揚に利用する。
 そして、ギレン・ザビに吹きこまれた既成概念に従っている兵士はアムロたちに殺されるのだが、ギレン・ザビは部下が死んでもなんとも思わない。


 アムロやシャアは自分で感じたことを理由に、自分の行動で戦う。


 対して、ギレン・ザビは他人に自然にそうするのが正しいような常識を演説で感じさせて、他人と言うかジオン公国の軍人や臣民に行動させて戦わせる。
 その点で、ギレン・ザビはパプティマス・シロッコタイプの、自分で動かず他人を戦わせるニュータイプなのだろう。(パプティマス・シロッコは元々は地球連邦軍の外側の木星船団出身の外様なので微妙にティターンズの全部をまとめきれなかったのだが)(まあ、ギレン・ザビの演説は割とナチスの引用だし、Zガンダムでは同じことをやっても古臭くなるし、軍閥の内紛やら軍需企業の要素を入れたんだろうけど)

  • 進化についての追記

 しかし、不幸な境遇で不安を抱いているからこそ、「このままではまずい」と生存本能を働かせて、安心している人よりも努力したり工夫をしたりするのがニュータイプなのかもしれない。
 これは生物の進化の歴史でもよくあることで、弱めの好気性細菌が真核生物細胞に逃げ込んだらミトコンドリアとして共生したり、乾季では川の水が干上がるような過酷な地域に追いやられた弱めの魚が肺魚となって陸上生物の先祖になったり、森から追い出された弱めのサルが人間になったり、「ダメな環境に置かれた弱者が仕方なく生き延びるため」というのが進化を促す面もある。(と言うか進化しなかったものは大体絶滅している)(今までの地球の生物の99.99%は絶滅しているらしい)


  • 富野監督と僕の問題意識

 ちょっと時間をかけて、こういう意味の分からんしタイミング的にも唐突な初代ガンダムトークを書いたのは、富野由悠季監督のインタビュー記事をプレゼントされたからだ。(K2を読んで思い浮かんだというのもあるけど)
 まあ、僕は異常なオタクだけど、人から唐突に富野監督のお言葉をプレゼントされたら
「お題に答えた文章を書くか」という妙な義理堅さを出す。
 


 有料記事なのでどこまで引用していいのかわからん。


 同時に、ガンダムエースなどほかの雑誌媒体のインタビューでも、最近の富野監督は似たような話をしている。


 ものすごくざっくり要約すると、前述のアムロとシャアやギレンの話とつながっていて、
「このままでは地球はもうダメです。年寄りや偉い人の言っていることに従っているだけの人は真っ先に死にます。だから自分で考えて新しいことをやれ」
 ということです。


 思えば、機動戦士ガンダムは「リアルロボットアニメの先駆け」と言われた。それは事実である側面もある。
 しかし、同時に、マーケティングやその放送時期の流行から海外ドラマの「コンバット!」や松本零士などの戦記物の文法をトレースしていたという面もある。
 スーパーロボットで宇宙人や恐竜と戦うアニメと違って、軍事的戦争としてのガンダムはリアルだと言われる。
 しかし、それはそれで「軍事的戦争の戦記の歴史という既成概念」というオールドタイプ思考による受容なのではないだろうか?
 ガンダムファンはたまに「サイコミュやニュータイプに頼らない、リアルで泥臭い本物の軍人が出てくるアニメを見たい」とか言う。それは、理解できるパターン、知っている様式の枠に当てはめて、その中に囚われているだけなのでは?


 だが、ドローンやらサイバー攻撃やら戦争を取り巻く技術も変わっているし、同時に戦争が起こる思想的背景や経済的都合も流転している。


 ミリタリーマニアという趣味は楽しいかもしれない。僕も工事現場で働く車とかカッコいいと思う。その延長で戦車や軍艦が好きという人もいるだろう。


 別の作品の話になるが、機動警察パトレイバーは逆襲のシャアや富野ガンダムを思想的に受け継いだ面もあると聞く。


 また、押井守監督がアニメ化した攻殻機動隊の原作では「死こそが現実」と脳に電脳コンピューターを入れた主人公が裁判で証言したりしている。
 確かに「死」や「戦争」は脅威判定が高い。なので、「死」や「戦争」、そして軍事やら兵器のスペック、政治的な敵味方の知識が豊富なミリタリーマニアは「現実に詳しい」と自己認識したり、平和を訴える人を「脳みそお花畑」と侮蔑したりする。
 しかし、それも太古から人間同士で殺し合って奪い合っていた人間の本能という既成概念に沿っているだけの、自動的な反応に過ぎないのかもしれない。


 なので、実は僕は押井守監督の「劇場版パトレイバー2」の後藤隊長の戦争についての長セリフはキャラにあってない気がしてあんまり好きじゃない。戦争について正しく理解しているから俺は偉い、戦争が起きたら俺は活躍できるのに、みたいなミリオタの感覚が好きじゃない。
(後藤隊長がハタハタを食べたがる回は好き)


 どちらかというと富野監督のファンとしてアマチュア同人作家からプロ漫画家になったゆうきまさみ先生の後藤隊長の「みんなで幸せになろうよ」という方が好き。
 ただ、後藤隊長が「警察の仕事はいつも手遅れ」というのは、富野監督の政治思想より一歩引いていて、「争いが起こらないように人間を進化させたい」というのが富野監督の考えなのだろうと思う。同時に、それはちょっと理想が高すぎるとも思う。


therace.jp



 先日のこの記事は公開されているので引用してもいいだろう。

富野:その最たるものがSNSでしょう。世界中の人と簡単に情報のやりとりができて意見を言い合うことができるようになった。しかしその結果何が起こったか。人類全体の知識レベルが上がったなんてことはなく、ただヘイトとフェイクニュース、ポルノだけが蔓延しているのが現実です。こういう道具を人類が使ってはいけない、という局面まできていると思います。しかしその警鐘を今の大人や老人たちが唱えていますか?全くしていません。特に若者を諫めるべき老人たちは「若い奴がやっていることは分からない」と黙ってしまっています。


 同じようなことを僕も先月末にブログに書いた。

nuryouguda.hatenablog.com


 しかし、高度に情報化された現代、そしてカルト宗教の組織票で総理大臣になった人間も単純な物理的銃弾で死ぬことが証明された現代では、「我思う我」以外の他人が存在するのか?あるいは尊重するべき相手なのか?
 ということが非常にあいまいになる。


 人間は対話することができず、コンピューターの性能が上がってもその情報は処理できず、敵か味方か、くらいの単純なことしかわからない。そして、味方が敵のような要素を見せると何もわからなくなる。



 そして、人は動物であり、常に同種のヒトと生存競争をしている、つまり、人を殺して相手の食い扶持を奪うことが「報酬」と「安全」につながる。どんな手段を使っても構わない。騙される方が馬鹿なのだ。むしろ、馬鹿は何も考えていないので人格権もなく、個人の顔や人生や価値観を知る必要もなく、鏖殺しても害虫駆除をした程度の罪悪感で済む。


 自分が何をしたらいいのかはわからないが、とにかく相手は間違っていると叫んでいると、それで似たような境遇の仲間を得ることができるし、気分も晴れるのかもしれない。同時に相手からは憎まれる。



 前回の記事の後に一日置いただけでも、戦争や事故の話題がTwitterに登ってきていた。
 みんな、自分の身分や境遇とは違う人間の生死は単なる新聞記事や笑い話やエンターテインメントだと思っていないか?
 まあ、それはTwitterだけの問題ではなく新聞が印刷されたころから、あるいは2千年以上前に4大文明が戦争を開始したころから変わらない人間らしさかもしれない。
 ともかく、人は自分以外には感情移入しにくい。痛くしなければ覚えないけど、他人の痛みを検知する能力は人間にはない。

nuryouguda.hatenablog.com

 お前たち人間は自分の境遇とは違う人間、違う意見を持ち、共感しにくい人間を自分とは違う存在として攻撃しようとしているだろう。そして、Twitterのブロック機能も嫌いな奴は見えなくする機能として使われる。(僕は自覚的な反抗として使っていますけど)


 生存と攻撃の戦略しかないんだよね。


 そして、似たような政治思想を持っているグループ以外はどんどん断絶していく。


(中略)


 政治や外交や戦争についても、自分が親近感を持っているものを擁護し、それと反するものは知能や理解や読解力や努力が足りないって切り捨てて馬鹿にして笑って楽しむのがお前たち人間なんだよなあ!


自分に対して敵対している、あるいは悪印象を持っている者たちについて「これこれこういうわけでこのようなおろかなことをしているのに違いない」と高度な類推能力を発揮して想像上の悪意と相手の欠落した点を書いているという風に、人類の敵の僕からは見えるって言うことね。
 そして、「相手の欠落している点に気づいている自分は賢いけど、相手は馬鹿なので自分の欠落に気づかない」と決めつけるのが最近のTwitterではやりの文法だ。


(中略)


 「馬鹿で愚かなあいつらと自分は違う」と言いながら、馬鹿で愚かな社会の同居人を助けることはせず、ただ「自分は(普通にまじめに勉強してきたマジョリティなので)馬鹿で愚かではない」と訴えて神か仏か天皇か官僚か組織か何者かに自分の優位性をアピールする人たちの酷薄で貧相なことよ。
 これは、思想的に右派でも左派でも変わりないよ。どちらも、自分の意見や境遇とは違う個人を馬鹿にしたくてたまらないのさ。

 なんか僕のブログをサンライズの社員やアニメーターも読んでいるという噂を聞くし、僕も富野監督にファンレターや13万円くらいするプリザーブドフラワーを送ったりしている(現在のサンライズでは京アニ放火やコロナ流行を受けて生花などの受け取りは拒否している)ので、富野監督が僕のブログを読んでる可能性はある。


 うわーーーー。クズでごめんなさいねーーーー。


 富野監督は色々と問題行動も起こしていたらしいが、今は天皇陛下から授与された文化功労者だし今もいろんな人と対談したりインタビューしたら注目される存在の有名人なので、僕みたいなクズよりは言葉遣いがきれい。



 僕はクズなのでクソみたいなことを勝手に書くけど。

therace.jp


富野:人間が種としてレベルを上げていくためには20世紀までの考え方では不可能でしょうね。例えば政治家も20世紀までの「政治的な政治家」では問題を解決できないからです。ではどうするべきか。ギレン(註1)ならこういうかもしれません「人類が革新するためには新しい才能を持った人々に『政治家化』してもらわなければならない」と。



富野:佐藤さんは「きちんと物事を見ていく」ことができるからそう感じられると思います。しかし同時に、この感性を育てる教育がされていない、という問題があるんですよ。それが教育の一番根本的な部分のはずなのに、今は子供たちにコンピューターを配って教育ができている気になっている。
佐藤さんが石を触って削っているだけで地球が今置かれている状態を感じ取れるのに、ネット上に溢れている文章をどれだけ読んでもそれを見つけ出すのが難しいです。佐藤さんが感じ取ったことを具体的に短い文章でパッと言うことは難しいから、佐藤さんは作品を通してそれを伝えている。芸術家は作品を用い、言語を介さないで世界中の人たちにメッセージを伝えます。しかしただ作品だけ見てそのメッセージが読み取れますか?だから読み取るための鑑識眼を育てていかないといけないし、そういう教育をしていかなければならないんですよ。
「きちんと物事を見ていく」、つまり「直視する」能力を身につけていかなければならないのだけど「直視する」という以外に、それを説明することができません。今は論破という言葉が流行っていますが、物事を直視できない人が百万語の言葉を羅列して相手の意見を論破しようとしています。しかしそれをやっている間に地球は滅ぶでしょう。今必要なのは芸術家や、地球からのメッセージを感じ取り「直視する」力を育てることだと思います。



―芸術家を政治家にしたらめちゃくちゃになってしまいそうです。


富野:それは20世紀までの考え方に汚染されているからですよ。「全く違うレベルのことを考えられる人を呼んできて政治をやってもらわないとならない」「そういう意識に切り替えないと地球が滅ぶというところに来ているんだ」という言説を広げていかないといけない時代になっているのです。
人はもう1ランクレベルを上げなくてはならないのだけど、今までの延長線上で考えていては絶対に上がれません。延長線を飛び越えるためには芸術家を政治家にするといったレベルの考え方が必要なのです。そしてそれを受け入れられる能力論や感性論を持つこと。それが「ニュータイプ」(註3)だと思います。それが理解できないオールドタイプの人はさっさと後に譲って引っ込むべきです。


 僕が「K2の和久井譲介やアムロは敏感に周りのことを観察している」と思いついたのは先月の事なので富野監督のおとといのインタビューとは関係ないけど、まあ、僕が富野監督のアニメとか小説をたくさん見ているからなんとなく思考が引っ張られているのかもしれないけど。


 滅茶苦茶ざっくりと要約すると、
「今の世界はもうダメです。だから新しいことをしましょう。しかし、単に突飛なことをするだけではもちろんダメで、正しく物事を見て正しく行動しましょう。仏教における八正道」
 ということです。


 スペースノイドだからとか超能力だからとかサイコフレームとかそういうことじゃないんだよ!正しく周りを観測して、正しく振舞えというだけの事です。


  • 不安な現在こそ未来を拓く

 で、プレゼントされた有料記事の話になるんですけど。


www.asahi.com


 現在は本当にダメな時代で異常な時代で、原子力発電も石油など化石燃料やらレアメタルも、人口も食料も環境汚染も大変な世の中だ。
 大人たちも自分の安寧しか考えていない。インターネットを与えられても他人の悪口を言っていれば自分が正しくなったように思ってヘイトしあうような奴らばっかりだ。


 だからだろ!チャレンジだ!


 時代と世界と大人がダメで不安な時代に生きているということを骨身にしみて育っている子供こそ、アムロ・レイやシャア・アズナブルやララァ・スンのように「注意深く、慎重に、鋭敏に、正しく、物を感じて行動する」という訓練を生き延びるためにしているのかもしれない。
 そういった子どもたちの中からニュータイプが産まれることを期待したい。が、そのまま人類はダメになってクソみたいな核戦争で明日にでも滅ぶかもしれない。


 そういう不安な人生を子供にさせることになっている現代はひどい時代なのだが。まあ、そこからの社会的サバイバーが強くなってくれれば…。(潰れる人も多いだろうが。僕も過労で潰れたし)


  • Gレコのオールドタイプ

 そう考えると、1000年前に決めた計画に沿って地球を保全するためとはいえ、何万年もかけてフォトン・バッテリーを充電することを続けているヘルメス財団のラ・グー総裁(200歳ちかい)は究極の前例主義者でものすごいオールドタイプなのかもしれない。


 しかし、ラ・グー総裁やフラミニアのような体が衰える方向の突然変異、ムタチオンが発生するのなら、逆に強くて賢い人類が発生するということに期待してもいいのかもしれない。


 Gのレコンギスタの作中ではそのような超越的なニュータイプは描かれなかったが、「旧弊や先入観を卒業して世の中をキチンと見よう」ということは伝えられていたと思うので、それでいいんじゃないっすかね。
劇場版『Gのレコンギスタ Ⅴ』「死線を越えて」(セル版)


 八正道、割と法事で来ている僧侶とかを見てもできてない人が多いので、みんな修練するしかないんよね。




 なんか「アムロって周囲の脅威にかなり敏感だよね」「アダルトチルドレンだからかな?」くらいの雑な思い付きのわりに妙に長くなって申し訳ない。

  • ほしい物リスト。

https://www.amazon.co.jp/registry/wishlist/6FXSDSAVKI1Z
↑グダちん用


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機動戦士クロスボーン・ガンダム LOVE&PIECE 第1巻感想

機動戦士クロスボーン・ガンダム LOVE&PIECE(1) (角川コミックス・エース)
 発売日より2日前にフラゲしたけど、なんやかんや忙しくて(主に衣替えや家電の修理などの家事)昨晩読み終わった。


 普通に面白かった。


 そう、普通に面白かった萬画には特に感想を書くことがないのである!


 ここ数日、ずっと水星の魔女の最終回についての文句が最新記事だったので、それは申し訳ないのだが。面白いガンダムは、「あー、面白かった」で済む。別に富野監督との思想の違いがどうこうとか倫理観がどうのこうのとか最近の若者は~とかにはならない。(長谷川裕一先生も結構な大ベテランだし、そもそもマップスで一定以上の地位を築いているので)


 確かにね、「スカルハートのガンダムエースの不定期連載とか、ゴーストの時点で蛇足だったのに、まだクロスボーン・ガンダムを描いてるのかよ」みたいな不評もあるところにはあると思うのだけど。


 オリジナル新作のマン・バイトを長谷川裕一先生は描いているので、クロスボーン・ガンダムの自己スピンオフくらいは許容の範疇かと。(ちなみに最近ブログを更新してなかった一因としてマン・バイトを売ってる本屋が少なくて、探した末に結局ネット通販で購入したというのが…。えっ?クロスボーン・ガンダムと同じペースで刊行するんじゃなくて、第4巻は7月26日にさっそく出るんですか?)


 基本的に紙の本を買いたいけど、電子書籍の方が探す手間が少ないってのはある…。アイドルマスターシンデレラガールズU149とか…。


 というか、ガンダムエースのスピンオフ漫画って割と年表の隙間を埋めるって感じが多いのだけど。


 初代機動戦士クロスボーン・ガンダムの後、富野由悠季監督の原作を離れた長谷川裕一先生は「オフィシャルではございませんぞ」という自戒と宣言をしているので、宇宙世紀の解釈が富野監督と違っても「宇宙世紀という時代を描いた時代劇漫画なので、富野監督と作風が変わっても別にいい」という感じ。


 今回のLOVE&PIECEも、まあ、愛は普遍的なテーマとして、キャラクターをパズルのピースのようにはめたり、新キャラも含めて組み合わせを変えてみたり、という実験的作風でもある。


 ただ、ガンダムエースのスピンオフ漫画では基本的にアニメのガンダムに登場したキャラクターをパズルのピースのように組み替えて年表を埋めたりするわけだが。
 長谷川裕一先生の場合は逆襲のギガンティスからクロスボーン・ガンダムサーガが長く続いて、その当事者であるので、借り物のキャラクターではなく、「自分が何十年も関わっていたキャラクターの組み合わせをアレンジしてみる」という高等テク。ジュドー・アーシタと木星じいさんは同じ人物だが、アニメと書籍の中では作者が違うので別の人物のような気がする。(イボルブもあるけど)


 まあ、キャラクターをパズルのピースのように組み替えて愛の色合いを変化させてスピンオフ萬画にするのも、まあ、それはどうなの?という気もするけど、長谷川裕一先生はそこら辺のガンダムのオタクよりもよっぽどガンダムのオタクなので。
 というか、クロスボーン・ガンダムサーガがあまりにも長いんで長谷川裕一先生にとっては自分が造り上げて、他の人よりも誰よりも理解している自分のキャラクターを組み合わせていく、というのが今回の作品なので。本人がそう思っているんなら、そうなんだろって。そこに異論は差し挟めない。


 もちろん、長谷川裕一先生の作品らしく、宇宙世紀や宇宙戦国時代に関わるシリアスなシチュエーションでありつつも、マンガとしてはコメディーやドッキリやハッタリを利かせた格好良さもちりばめていて、硬軟のバランスがいい。


 また、キャラクターの組み合わせの化学反応でありつつ、同時にこれまでの作品で描かれなかった各キャラクターの描きなおしでもある。カラス先生が何でああいう思想になっていたのか、木星じいさんと木星帝国との距離感とか、アーノルドやカグヤの別の一面を描いたり。



 ただ、やっぱり「オフィシャルではありませんぞ」だし、木星ヘリウム船団やキュクロープスがその後どうなるのかって言うところはハッキリとは描かないで読者の想像のままに任せている部分もあり、決めつけすぎない距離感の注意深さを感じる。



 それと、これはあまり一般的な感覚ではないのかもしれないけど、「作家」という人種は「思いついたアイディアを描かないではすませたくない」というのがあると思う。30年くらいクロスボーン・ガンダムサーガをやってきた長谷川裕一先生としても、脳内でキャラクターが勝手に動くというか、「このキャラクターがこうしている時に、同時にいるあのキャラクターはどうなってるのか?」みたいなアイディアは湧いてきてしまうと思うので。


 なので、「いつまでクロスボーン・ガンダムやってるんだよ」という批判もごもっともなんだけど、でも思いついてしまったアイディアを書きたいって言うのも作家なんだし。それは仕方ないんじゃない?(一応原稿を落としてないようだし・・・。手塚治虫先生はアイディアが多すぎて掛け持ちが多すぎた気が…)


 それに、ベテラン萬画家として、「これくらいのアイディアならページ数を稼がなくてもサクッとまとめられる」という余裕すら感じられた。若手漫画家はアイディアを出すのも、まとめるのも苦労しそうだけど、長谷川裕一先生くらいのキャリアになると「思い付きを描いてまとめる」くらいで充分、エンターテインメントになる。



 そういうわけで、既存のキャラクターをパズルのピースのように組み替えなおして新しい話を作るって言う実験作品短編集でありつつ、そのパズルなるものをテーマにした話もあり、なかなか技巧が凝らされていて旨いなあと思うし、ちゃんと面白いのでよかったです。

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#水星の魔女感想会 ガンダムはみんなのもの #水星の魔女 #G_Witch

  • 機動戦士ガンダム水星の魔女の最終回、めっちゃガンダムっぽかった!

 うわーーーーー!すごくガンダムで見たことあるやつがいっぱい出てた!すごいね!

謎パワーで巨大兵器起動停止 → UC
MS遠隔自動操作 → NT
宇宙空間漂流からの発見 → F91
他にオマージュ的なのなんかあった?

(Twitterの調子が悪いので文字引用失礼、自分でタイプする気にはなれない)
 愛のある原作オマージュ!最近流行ですよね、愛のあるオマージュ。
 トマーシュ・マサリク(最終回で消滅して転生して政治家になった)ではない!
 みんな、好きなものに敬意を払いつつ作画をきれいにしたっぽいオマージュ作品が人気ですよね。庵野秀明監督作品とか。

ニュータイプ 2022年11月号
ニュータイプ 2023年8月号
 月刊ニュータイプの表紙が対称になってるのとか、撮り鉄の人が好きそうな構図ですね。


 しかしまあ、ガンダム的なものって言うもののパブリックイメージが、富野由悠季監督作品というより、それをオマージュした機動戦士ガンダムUCっぽいものに世代交代しているんだねってとっても思った。原作福井晴敏、古橋一浩監督 脚本:: むとうやすゆきのイデオンオマージュの富野由悠季監督のことを意識しているけど富野由悠季監督ではない人の作ったガンダムっぽい模倣作。


 でも、「皆殺しの富野」のガンダムと違って水星の魔女は新世代の女性主人公の百合で学生目線で若者にも女性にも、お仕事など一般サラリーマンにも共感しやすく入りやすい作りでキャラクターも魅力的でみんなが幸せになるハッピーエンドだったのがとても新しくて、人気が出そうと思いました。みんな、Twitterが不調でも「あのキャラクターが報われた!」とか「あのキャラクターの意外な出番が面白い!」とか、みんなほめてたよね!色んな細かいネタがあって作りこみも褒められていましたね。


 みんなが楽しめる作品でよかったんじゃないでしょうか。ガンダムのことをあんまり知らない人でもガンダムの名場面YouTubeとかガンダムのパチンコとかで見たガンダムっぽい場面が見れてみんなが幸せになれたんではないでしょうか。ガンダムのことを知らない人や古臭い作画の初代ガンダムが苦手な人もガンダムを見た気分になれて、バンダイナムコやガンプラの商品をたくさんほしくなって、スポンサーも良かったと思います。
dwa.hatenablog.com
 ↑感想も、きれいにまとまっていますね。


  • まあ、僕はみんなの中に入ってないけどね

 いやー、ネタバレすると僕は「みんなで叶える物語」を唱える大ヒットアニメのラブライブ!を題材にしたスクフェスを作ったKLab で過労死寸前になったので「みんな」のことを嫌っているよ!

gamebiz.jp

【KLab決算説明会】「筋肉質な企業体質にできた」14年12月期は黒字転換に成功 『スクフェス』好調で"みんなで叶える物語"を体現 新作は『AOE』と『glee』に期待 | gamebiz

スクスタとスクフェス2などラブライブ!関連ゲームから撤退したKLab 株式会社様、上場来安値更新おめでとうございます!
finance.yahoo.co.jp


 でも、富野由悠季監督のガンダムっぽいけどガンダムではない「Gのレコンギスタ」は「わかりにくい」「感情移入しにくい」「情報量が多すぎ」って不評だったけど、「みんな」は水星の魔女くらいの情報量でなんとなくいいものとわるいものと戦争してる人と差別してる人が記号的に提示されて、好きなキャラクターが幸せそうになったらよろこぶんだろ?


 はいはい、みんなに人気になった水星の魔女の方が正当なるガンダムだし、ガンプラが売れまくったガンダムSEEDもガンダムだしユニコオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンンソンンソンンンンもそれでも!パチンコで大人気だから、もうガンダムは富野監督と富野信者ものじゃねーよ。
 富野信者は老害なんだからみんなが水星の魔女を楽しんでいるのを邪魔しないで悔しがってればいいんですよ。


  • 一応Gレコの宣伝もしてみる


Ⅳ&Ⅴ 配信開始📣

劇場版『#Gのレコンギスタ』
🔹第4部「#激闘に叫ぶ愛」
🔸第5部「#死線を越えて」

本日より各種動画配信サービスにて
見放題配信がスタートいたしました🥳

☑詳しくは公式WEBをチェック‼️
👉
http://g-reco.net/vod/

#gレコ


(Twitterが不調なのでコピペすみません)


  • 見えてた地雷

 まあ、実は「あっ、これ、俺には合わない奴だ」ってプロローグと第一話のレイアウトと線の引き方を見た時点で分かっていたんですが。


 一応、昔はガンダムが好きだったので2009年時点で映像化されたガンダムの感想を全部書いたんですけど。
nuryouguda.hatenablog.com

(ただ、ガンダムは知らんうちに有料配信とかでビルド系とかSD系とかユニコーン系とか安彦系が増えて、普通に追うのがめんどくさくなった。AOZは普通にティターンズが嫌いなので最初から追ってないけど今見ても全く分からない。ガンダムエースもORIGINが終わってからは好きな数作を除いて単行本しか買ってない)


nuryouguda.hatenablog.com

 なので、色々とアンチに絡まれたとか、世代が違うからとか言い訳をして感想を書かなかった。

nuryouguda.hatenablog.com

nuryouguda.hatenablog.com

nuryouguda.hatenablog.com

nuryouguda.hatenablog.com


nuryouguda.hatenablog.com
 最初の時点から「ガンダムはもう富野監督のものじゃないから」という感想になることは見えていたし、事実そうなった。
 最初から僕はターゲットスコープの外にいたし、最後まではいらなかった。フーンって感じ。
 富野由悠季監督の過去のガンダムの切り抜き動画っぽいネタも「へーものまねグランプリっぽいっすね」くらいだった。
 まあ、お若い方が楽しんでおればそれでいいのでしょう。私はおじさんなので。


www.megahobby.jp


 死人も脇役もたくさんグッズが出て景気がよろしゅうおますな。けっこうなことどす。

  • ガンダムを作るのをやめた富野由悠季

www.asahi.com

 っていうか、富野由悠季監督もガンダムを作ることを諦めているので。

withnews.jp


ここにも、「人間は絶対に革新できる」「他者と完全にわかり合えるニュータイプは生まれる」と30年間がんばって、ガンダムをつくることに挫折したトミノがいる。そうやっている間に、世界ではトランプやプーチン、習近平などの強権的な政治リーダーが次々と生まれてしまったのだから、人の革新はないだろうと思えてしまう。

 バンダイナムコやサンライズにとってガンダムってガンプラとかグッズを売るためのバンダイホビー事業部の商材でプリキュアやドラゴンボールや仮面ライダーと同じもので単に課が違うだけなんですけど。
 富野由悠季監督にとっては「作品を通じてニュータイプ人類を生み出す!人を革新させる!」という非常に高い目標だったわけで。
 まあ、ファンのひいき目ですけど、アニメを見たくらいで賢い人間になれるとはあんまり思えないです。富野監督の作品は独特のエネルギーがあるので、見てて元気にはなるけど。
 ブレンパワードとか。
www.video.unext.jp

animestore.docomo.ne.jp



 なので、僕もこんな遅い時間までけち臭い文句を言ってるより、さっさと風呂に入ってブレンパワードを見て寝るべき。
24年間待ち続けたBD-BOX買ったし。


  • 進む富野 止まるガンダム

 しかし、富野監督はガンダムを作ることを機動戦士Zガンダム劇場版で辞めました。
「ファだけは、幻覚でもなければ、意識だけの存在でもないんだ。こうやって抱くことができる」
 でも、ガンダムを作ることをやめたけど、富野監督は高齢で引退するということはなく、色んな作品を作りましたね。


 時期的に前後するけどリーンの翼とか
www.b-ch.com
「死んでいったものは過去なんです! 過去の力は、ふるっちゃいけません!」


 でも、そういうオーガニック的な富野作品はやっぱり「ガンダムを越えた向こう側」の景色なので、ガンダムを見まくった僕のような厄介オタクの老害ファンしかいないのかな…富野ファン…。
 その向こう側に何も、なくても、かまわないから…。
(この開き直りは当時小学6年生だった僕にとっては「君たちはどう生きるか」の指針でしたね)


 輝きの向こう側まで行くのはちょっと、トミノをキメ過ぎた人の中毒症状で、普通の人はガンダムっぽい流行ってるきれいな作画と売れてる声優さんが出ているアニメを見て楽しんで推し活していたらそれでいいよ・・・。

グレートメカニックGのVガンダム特集について50代に

 まあ、僕も40代になったのでおじさんはおじさんだけど。



 しかし、機動戦士Vガンダムについて、50代以上のファーストガンダム世代の目線から「Vガンダムはガンダム冬の時代」と言われるのは、その時代にSDガンダムからF91やVガンダム、そして平成三部作でガンダムのオタクになった僕のような世代を無視されているような気がして、少し不愉快。


 というか、「本誌の読者は50代が多いと思います」と富野由悠季監督に言うのも、なんというか、その、ガンダム(ガンプラ)ブームは確かに大きかったんだろうけど、自分たちがメイン顧客層だった時のことしか考えていないという感じです。
 富野監督はリアルロボットブームが去って、学業や就職でアニメからファンにそっぽを向かれた時代もガンダムを作っていたし、アニメから離れても小説を書いていたので。
 監督が辛い時代に何もしてくれなかったのに監督が復活したのでガンダムの権威や30年目のVガンダムとかで取材したりするのはずるいんじゃないかと。


 というか、グレートメカニックGの読者に50代が多いと言っても、その、僕みたいな40代になりたての人や、ガンダムSEEDからロボットアニメに興味を持ったような30代とかいるので。その、ガンプラブームがいかに大きいからと言っても、そういう内輪に閉じていくのはどうかなーって思うわけですけど。どうでしょうね。
グレートメカニックG 2023SPRING (双葉社MOOK)


 前号で「1983年が一番いい時代」ってメガゾーンに絡めて言われていても、「ハ?俺たちはその後を生きるしかなかったんだが?」と思うし、それはそれとして僕の年齢より半分以下の人が多感な思春期で、すでに新作萬画のデビューの時期になっていたり、逆に僕より10歳くらい若かった琴葉とこさんやはるしにゃんなどが死んでしまったりしていて、色々とおじさんもね、考えているわけですよ。言葉にはしにくいけど。


 あと、Vガンダムは富野監督の「見てはいけない」発言で評価が下がっているという印象があったらしいけど、とりあえず自分で見るのがオタクだと思う。僕は富野監督がどういおうとも、面白い部分は面白いと思います。(昔の文豪とか自分の過去の作品をくそみそに言うのは割とよくあるし)
(G-レコのテレビ版でサラマンドラとガランデンの連続したモビルスーツ発進シーンが同じ方向を向いていたので「敵対しているように見えないだろ。クソみたいなコンテを書きやがって」って滅茶苦茶文句を言っていたら劇場版で変わっていたりしたけど)


 とりあえずロボットアニメは80年代以降も現代もずっと、売れたり売れなかったりしながら続いているので、ガンダムブームだけを「僕たちの時代」っておっさんが言うのはちょっとどうかなーって思うわけですよ。ガンダムSEEDの劇場版とか、デザイナーの人のコンセプトデザインとかネットにちらほら出てきていますし。


 ファフナーもしぶとく続いていますし…。ストパンとかガルパンとかアリスギアとかも…。まあ、他の号ではSEEDやマクロス新作の特集があったりもしますけど。


 まあ、少子高齢化なのでガンプラブームのオッサンを囲うのも仕方ないのかもしれないけど、80年代もリアルロボットばかりがブームだったわけではなく、Dr.スランプやらポップチェイサーなどもあったわけで云々。


 それはそれとして、僕がこの本を買う動機になったのは富野監督ではなく石垣純哉さんのインタビューでしたけど。なぜかというと、富野監督のインタビューは正直割といろんなところで見れるので。
 今回の富野監督は富野監督らしいインタビューを言っていたけど、なんか最近は慣れてしまって、「へー、娘婿の人と仲良くやってるんすか。良かったですね」くらいの感想になってしまう。


 そしてリアルタイムVガンダム世代としてはシャッコーが超好きでプラモデルも買ったので。作ってないけど。
 でも当然のことながら、インタビューを読んだくらいではメカの絵は上手くなる感じはしませんでしたね…。


 ただ、当時子どもだったものの意見としては、ジャバコとか子供向けを狙ったデザインはちょっと気に食わなかったです。(ガンブラスターの色が増えただけで気に食わないと思うような嫌な子どもだったので)ゴトラタンはシャッコーの系譜としてわかるけど、リグ・コンティオはジオングほどラスボスっぽさがなかったので角もとってつけたような気がしたなあ…。(むしろ、マチス・ワーカーさんのゾロ改とかの方が好きだった)
 タイヤ戦艦については、デザイン以前に「これまでのガンダムではモビルスーツに太平洋戦争の航空機にやられる空母みたいな感じで破壊されがちだった戦艦がアホみたいに頑丈」という点で好きですね。単純に考えて、大きさがモビルスーツの数十倍なのでエンジンやビームの出力も大きいに決まっているので。
 地球クリーン作戦がネーミングとは裏腹に単なる「停戦交渉のための時間稼ぎの脅し(しかし、主人公にはつらい思いをさせる)」っていうドラマツルギーなのも好き。


 まあ、ZガンダムのTHE-Oも新訳で芝居が増やされるまではそれほどラスボスっぽさはない単なる大型機だと思ってたので、そこはデザインより演出や芝居付けの問題かもしれない。キュベレイはZガンダムの頃だったら、ラスボスとしていいんですけど、ZZガンダムやクイン・マンサなどの高火力に比べたらファンネルを使わないでビームガンだけって言うのはあまりにも貧弱に見えてしまって、最後の敵の演出って難しいですよね…。強くしないといけないけど、勝てなかったらエンタメ性がないし。
 G-レコのカバカーリーは乗り手もメカも主人公と同じ根っこだけど別の方向に進んだもの、という仮面ライダークウガみたいな対比として、割と上手く行っていたと思います。バロンズゥ、ターンエックス、オウカオーもそういう部分はある。
 オーバーデビルは安田朗さんの絵だと迫力があるけど、アニメだと手足が細いし、すぐにどこかしら壊れるので、氷の悪魔というコキュートス的なテーマ性は好きなんですけど、なんか「絶対的に勝てないラスボス」という感じは薄かったかなあ。でも心理的な課題としては、むしろサタンゲイナー自身が克己すべきラスボスだったのだろうか・・・。うんぬん・・・


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現代アニメ批判2/4 凡庸化する仮面の価値

  • 前回のあらすじ

nuryouguda.hatenablog.com


 最近のアニメではスポンサーが売る商品がロボットや変身グッズではなく、キャラクターそのもののイラストやらアクリルスタンドや美少女フィギュアになっているので、物語の中でもキャラクターに愛着を持たせようとする流れがある、ということを書いた。


 もちろん、魅力的なキャラクターの造形はアニメだけではなく、小説や萬画でも重要なことだ。


 しかし、人の命のやり取りをする物語の中で、「このキャラクターはメインなので重要」、「このキャラクターは使い捨てのモブやサブキャラクターなので軽視していい」という命の重さに偏りがある場合、それはどうなのだろう?


  • 水星の魔女の場合

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 先日の記事で、機動戦士ガンダム 水星の魔女の大河内一楼さんファンのインクエッジ様に攻撃された話を書いた。それほど炎上しなかったのでがっかりだが、それは別にいい。
 何が言いたかったのかと言うと、「インクエッジ様に叩かれていたので水星の魔女の言及を止めていたけど、インクエッジ様が水星の魔女を叩く方に転向したので、私も言及を再開します」という段取りに過ぎない。落語の話の枕です。


 というわけで機動戦士ガンダム 水星の魔女での仮面の使い方について書く。


 主人公のスレッタ・マーキュリーの母親のレディ・プロスペラはガンダムの登場人物らしく仮面をかぶっている。(なぜシェイクスピアのテンペストの登場人物の名前を名乗っているのかはわからないが)
 レディ・プロスペラ、あるいはエルノラ・サマヤは仮面をかぶっている。しかし、正体を視聴者に対して隠す、という意図はあまりない。割と序盤で仮面を脱いでスレッタ・マーキュリーの母親でありプロローグに出てきたエルノラ・サマヤと同一人物らしいと示している。2クール目まで隠されていたのは、むしろプロローグに出てきたエリクト・サマヤがスレッタ・マーキュリーとは別人物ということくらいだが。(これもペイル社のベルメリア・ウィンストン氏によってセリフであっさり暴露されるので、あまり物語として盛り上がらなかったのだが・・・)


 これは、初代・機動戦士ガンダムでジオン・ズム・ダイクンの遺児でありザビ家に復讐したいと思っているシャア・アズナブルが仮面をかぶっていたこととは意味が違っている。
 もちろん、シャアは第二話で割とあっさりと仮面を取っているのだが。しかし第二話のシャアがセイラ・マスの前で仮面を取ったのは、妹であっても何年も会っていないとどうでもいい他人の女と思って仮面を外して蹴りを入れる、と言うシャアの特別なキャラクター性を示していると思う…。
 世代的に私は機動戦士ガンダムのシャアがキャスバル・レム・ダイクンと言うことは知ったうえで見ていたので、1979年のリアルタイムの放送時のシャアがどのように視聴者に見られていたのかはわからないのだが。
 まあ、とりあえず、初代機動戦士ガンダムの作中で仮面を被っている異常人物はシャア・アズナブルくらいなので、彼は特別なキャラクターだった。
 (もちろん、シャア・アズナブルも勇者ライディーンのプリンス・シャーキンから続く仮面の敵幹部と言う系譜を受け継いでいるのだが。ライディーンのシャーキンも第9話で砂場金吾というバレバレの偽名で主人公のひびき洸の学校に転校してくるという蛮行をしていたけど…。ベルサイユのばらの少し前ではラ・セーヌの星という仮面の騎士を描いたアニメがあった)
第38話 再会、シャアとセイラ



 水星の魔女のレディ・プロスペラも仮面をかぶっていることで変なキャラクターであると示していた。だが、仮面は割と早めに外しているし、正体もスレッタ・マーキュリーの母親でエリクト・サマヤであろうということはばらしている。


 あまりにも数が多い歴代のガンダムの仮面キャラクターのすべてについて評論することは時間のコストパフォーマンスが悪いので避けるが。


 機動戦士ガンダム水星の魔女はTwitterやYouTubeなどのインターネットでの評判である広報を重視しているように見受けられる。そして、Twitterでの感想ではおおむね、レディ・プロスペラは毒親としてスレッタ・マーキュリーを支配する悪い女という意見が大勢を占めているようだ。


 そう、過去において仮面のキャラクターは特別な謎、あるいは主人公に並び立つくらいのライバル的な危険性を秘めていて、そのキャラクターを特別に感じて物語の終盤まで注目するような作劇が採用されていたが。現代では仮面を被っているような気持ち悪い奴は異常だ、復讐に狂っている変な奴だ、というアッサリとした理解を促すための記号として造形されているように見える。(メインキャラクターのミオリネの父でありベネリットグループ総帥のデリング・レンブランに対してもレディ・プロスペラはあっさりとエルノラ・サマヤであることを明かしているようにも見える。むしろ第二クール以降は昏睡状態になったデリングの不在が物語を駆動するキーになっているようでもあるのだが)


 水星の魔女の作劇ではスレッタ・マーキュリーとミオリネ・レンブラン、それと御三家の3人のホルダー候補の男性キャラクターが注視されるように作られており、実際にグッズなどの販売や視聴者の興味の誘導としても、5人くらいのメインキャラクターの若者の感情の動きに注目させるように作られている印象だ。
 その一段、格落ちとして、地球寮やグラスレー寮やジェターク社のキャラクターが描かれている。
 メインキャラクターに比べると仮面のレディ・プロスペラはそれほどキャラクター売りをしていないように見える。(プラモデルやアクリルスタンドにもなっていないし、視聴者の興味も若いガンダムパイロットに集中しているようで、中年女性キャラクターの商品価値は低いように見える)


 まあ、仮面を被っている奴は異常者だ、くらいの単純な記号で、仮面で身分を偽っていることのドラマ性は近年、薄れているように感じている。というか、まあ、鉄腕アトム以降、テレビアニメも60年近くの歴史を持ち、仮面を被っているキャラクターが特別に見えるというより、仮面のキャラクターは仮面キャラクターと言うジャンルとして慣れられていて、それほど謎めいて見えなくなっているのだろうと思う。
 仮面キャラクターももはや、謎や新規性ではなく、そういうジャンルの類型パターンになってるのだろう。



 しかして、機動戦士ガンダム水星の魔女の仮面のキャラクターはレディ・プロスペラだけではないのである。
 

 そう、ノーマルスーツのヘルメットである。
(ちなみに、宇宙服をノーマルスーツと呼称するのは富野由悠季監督の機動戦士ガンダムのモビルスーツに対して普通の人間が着るスーツとしてわざわざ差別化されている宇宙世紀の造語である。(平成三部作では地味にスーツの名称が異なる)、なので、宇宙服をノーマルスーツと呼称している水星の魔女は富野由悠季作品ではないのだが、ガンダム名称を使うことに意識的なのだろう。まあ、ガンダムの名前がアナザーガンダムで引用されることが多いのでガンダムSEEDデスティニーでザクやグフが出るのは、ターンエーガンダムの数年後の作品としては割とありそうなものだが)
 と、御託を並べたが。


 水星の魔女ではメインキャラクター以外はノーマルスーツの色付きのバイザーを下ろしたヘルメットを被ったら、だれがだれだかわからないのである。


 これは、レディ・プロスペラの仮面とはまた演出意図が違う仮面と言えるだろう。
 端的に言ってしまえば「モブキャラクター」ということだ。


 いちばん顕著なのは、水星の魔女の第一クールのラストでガンダムエアリアルに「やめなさーい!」って叩きつぶされたアーシアンのテロリストだが。彼も宇宙服のバイザーのゴーグルの深い色で顔を塗りつぶされた無貌の人物だ。
 彼は殺される前に「味方から見捨てられたからミオリネを殺すしかない」と説明セリフ的なことを言って、それからスレッタ・マーキュリーが操るガンダム・エアリアルの平手でたたきつぶされた。
 顔がない彼は、血しぶきをあげて死んだグロい死体、という程度の個性しかないのである。なので、ミオリネはスレッタ・マーキュリーに「人殺し!」と言って、三か月間の放送休止のクリフ・ハンガーに死体が利用されているのである。


 テロリストに名前を与えるべきではない、という政治的姿勢がある。それは現実の政権の生存戦略や政治戦略としての行動ではあるのだろう。しかし、物語でそれをするのはどうだろうか?



 第二クールで単発的に地球に降りてアーシアンのテログループの「フォルドの夜明け」に拘束されたグエル・ジェタークは帰ってこないテロリストの娘の少女と出会い、視聴者は潰された無貌の男にも娘がいたのだろうかと類推できる。しかし、ボブことグエル・ジェタークは無貌の男がエアリアルに潰されたことは知らない。


 視聴者としても、悲劇的に死んでいく被差別階級の少女にはかわいそうだという感情を抱くが、その父親の無貌の男はただのグロい死体として感じるように見える。見せている。そういう演出意図を感じる。僕の主観だけどね。


 ここで問題になるのは、主人公の少女に殺される成人男性の顔を描写する必要がないが、悲劇的に死んでメインキャラクターのグエルの成長の契機になる少女は描写する、との、かわいそうランキング、端的に言えばルッキズムである。


 もちろん、社会性動物であるヒトの本能として、若い雌はかわいくかわいそうで価値を感じる、逆に成人の雄は戦っても殺されても捨て駒として認識される、そういうバイアスがあるのは当然である。



 しかし、本能的なバイアスに従った作劇に誘導されてヘイトコントロールをされて、それで多くの人が死んでもメインキャラクター(それは商品価値がある)の喜怒哀楽に一喜一憂して盛り上がる視聴者で、それでいいのだろうか?


 まあ、単に受け身に徹するというのも一つの視聴態度ではあるのだが。


  • Gのレコンギスタの場合

 水星の魔女との間にある鉄血のオルフェンズでも成人男性や気持ち悪い強化人間に対して「こいつは死んでもいい奴」というルッキズムとかわいそうランキングによる命の価値の偏りはあった。


 オルフェンズについては本稿では前文を以って省略するが、富野由悠季監督作品のGのレコンギスタでもバイザーで顔が隠れている兵士を主人公が殺害する、という描写はあった。主に前半のカットシー部隊やマスク部隊だが。


 主人公のベルリ・ゼナムは人命を尊重する優しい性格だが、彼自身が生き延びるために戦った結果として、彼は認識していないが、デレンセン・サマターの仲間のパイロットを死に追いやった。


 G-レコにおいてはベルリ・ゼナムは認識していないし画面にも映っていないが、デレンセン・サマターは撃墜された一人ひとりの同僚の名前を呼んで死を悼むという観測範囲の差が演出されていた。
 そして、デレンセン・サマター大尉最後の戦いで「貴様は何人の戦友を殺したのかわかっているのか!」という激怒につながるのだが。


 それは物語の演出として使われていると思う。劇場版のラストまで見れば明示されているが、主人公のベルリ・ゼナムが自分の視野の狭さに気づかされるという全体構造の一部に組み込まれていた。
劇場版『Gのレコンギスタ Ⅰ』「行け!コア・ファイター」 (セル版)


※追記
 マスクのマスクは明らかに彼が素顔だったころよりも異常な精神状態になっており、それによって主人公のベルリを脅かすライバルだ、という強調のキャラ付けがされており、モブキャラクターとは逆だ。



※追記の追記
 第二話のカーヒル大尉はベルリにとっては無貌だったが、アイーダにとっては大切な人だった。劇場版G-レコを見ると、無貌のカーヒル・セイントのことをベルリが少しずつ理解して罪悪感を持ったり、忘れる許しが終盤まで引っ張られていたりした。という風にベルリの視野とアイーダの視野の違いを見せるためにカーヒル・セイントはいたのではないかと。


※蛇足の追記
 私の意見ではないが、Gレコ放送時に「ベルリはサイコパス」と言われた。これもおそらく、アニメの文法としてストレスなく殺せるモブ以外の人格のある人を殺したのに戦い続けたから視聴者にヘイトが溜まったんだろう。殺してもいい人はいないけどバトルアニメなのでベルリの方が現実的なのだが。



 対して、水星の魔女の顔が見えないパイロットはどうだろうか?


 顔が見えない相手を殺しても視聴者はメインキャラクターのスレッタ・マーキュリーに嫌悪感を抱きにくいというヘイトコントロールに利用されているのではないか?
 よしんば、スレッタの殺人を直視するとしても、「仮面を被って変な奴と見える毒親のレディ・プロスペラに洗脳されたから主人公のスレッタは殺人をしても悪くない」という免罪符に仮面が使われているのではないか?
 水星の魔女など、最近の売れ筋バトルアニメのメインキャラクターは商売の売り物になるので、殺してショッキングな場面を作っても、殺した相手のことを描写しないのでメインキャラクターに罪や嫌悪感を抱きにくい。


  • 機動戦士ガンダムの場合

 「相手がザクなら人間じゃないんだ」とは、機動戦士ガンダムの主人公、アムロ・レイがモビルスーツ越しの殺人の嫌悪感をごまかしている名セリフだが。
第2話 ガンダム破壊命令


 初代機動戦士ガンダムのザクの中のパイロットは、意外とジオン軍を映した場面では顔が描かれている。それどころか、指揮官のシャア・アズナブルが一人一人に対して名前を呼んで人格化している。それをアムロ・レイが知らないで殺しているだけで、視聴者には顔と名前がある人間が殺されているということは見せられている。


 敵のジオンにも事情がある、とはガンダムを語る時によく言われているのだが、アムロ・レイが殺す名も知らぬ戦士たちも顔と名前があるということは、割と執拗に描写されていたのではないだろうか。これは、富野喜幸監督の前作である無敵鋼人ダイターン3のメガノイドのコマンダーやソルジャーのエゴの描写から地続きだと思うのだが。
 メガノイドの側の人格描写で端的なのは無敵鋼人ダイターン3の第19話の「地球ぶった切り作戦」や第37話の「華麗なるかな二流」あたりだと思うが。


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 相手の顔を知ったうえでぶち殺す、と言うところに主人公の破嵐万丈やアムロ・レイ(「再会、母よ」以降)の特異な強さと覚悟が描かれていたと思うのだが。



  水星の魔女のスレッタ・マーキュリーの殺人は顔が見えない男を親の教えで潰しただけ、と言うところで覚悟が薄く、そして脱臭されて描かれていないだろうか?


 また、前々回の水星の魔女でノレア・デュノクというフォルドの夜明けの構成員が第一クールのラストのようにアスティカシア高等専門学校で破壊活動をした。
(フォルドの夜明けも地球の描写では記号的に過ぎるように見える。地球は広いのに、反乱組織が一個だけなのか?)
 ノレアはエラン5号とエモい会話をした後にドミニコス隊の、またしてもノーマルスーツのバイザーで顔が見えないドミニコス隊のモビルスーツの狙撃で殺害される。


 ノレアという美少女(最近のアニメでは美少女以外の少女を描くことが困難になっている)がエラン5号と言うメインの美少年の前で死ぬ、と言うところに重点が置かれているので、(これはOVAの第08MS小隊の終盤のジムスナイパーと同じ問題だが)狙撃したドミニコス隊のパイロットの顔は描写されない。(追記訂正、印象に残っていなかったのだが狙撃したパイロットの顔はガンヴォルヴァに襲われるときに映っていたそうです)


 わかりやすくメインキャラクターの生死や悩みに感動とヘイトコントロールを誘導するために、プロの軍人やアスティカシア高等専門学校の警備を担当しているデミギャリソンのパイロットや教員は無貌として描かれている。最新話でクワイエット・ゼロに攻撃される艦隊も、ほとんどキャラクターとしては立っておらず、たんに大勢の人間が殺されたというだけの記号のレベルである。
 もっと言ってしまえば、ドミニコス隊の隊員で顔がまともに描写されているのは司令のケナンジくらいであり、その彼も肥満体の男であり美しく価値があるキャラクターではないというルッキズムに基づいた線引きにおいて、メインキャラクターから一段下として描写されている。


 小説の機動戦士ガンダム閃光のハサウェイでも、冒頭の仮面のハイジャック犯は制圧拘束されて仮面をはがされた後も地の文で

 まだまだ生気があり、軍人とはちがう人種に思えたが、彼等なりに、なにか目的があってやっているという自信が、彼等の目に光を持たせていた。

 と個別の人間として描かれていたのだが。
 アニメの閃光のハサウェイでは仮面を外されたあとの犯人たちはうなだれて顔を見せない止め絵で処理された。
 しかし、仮面を被っている珍妙さはネットで人気が出たので商品になっている。
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  • マジンガーZの場合

 いや、敵の兵士が仮面を被っているのは巨大ロボットアニメの初期にあたる「マジンガーZ」のあしゅら男爵の部下の鉄十字団のサイボーグの鉄仮面たちも同じだろうという批判反論は容易に想像できる。
 ただ、マジンガーZの鉄仮面たちは

「フフフフフ、この鉄仮面は俺たちの頭蓋骨にあたるのさ………」
「こいつを外すと脳みそが剥き出しになっちまう」
「そうさ、素晴らしいぞ」
「自分で考える必要が無いんだ。すべて命令どおり動けばいい」
「なんの悩みも無くなるんだ。楽なもんだぞ、君もそうなりたまえ」

 と、兜甲児に異常性をアピールしていた。もちろん、鉄十字団兵士は巨大な機械獣に比べたら大量にいるザコのモブ敵キャラであり、マジンガーZの作中での驚異の度合いは低いのだが。
 仮面をつけていることや個性をなくしていることについて「自分で考える必要がないんだ。何の悩みもなくなるんだ」と全体主義的な(マジンガーZ漫画版の時点では現代的課題であったナチス的な)思考放棄をしていて、自分の意志で人の頭脳をロボットにつなげて戦う兜甲児とマジンガーZとの対比関係は作劇できていたと思う。
マジンガーZ 1972-74 [初出完全版] 4


 単に人格も顔もない敵だから殺しても罪悪感がないモブキャラ、と言うだけでなく、鉄十字団の兵士は心を失って主観的な幸せを得ているので、人の心を加えたマジンガーZが神にも悪魔にもなれる、それを扱う兜甲児の葛藤というテーマに沿っていたと思う。
 それは転じて、人の命や人格を重視するというヒューマニズムの態度であり、「顔が見えないモブキャラは雑に殺してもメインキャラクターの人気は下がらない」という態度とは違う。


 ※追記
 他にも科学忍者隊ガッチャマンのギャラクターや仮面ライダーなどの敵の仮面兵士は多いが、凡庸というより異常者として描かれていた気がする。しかし、世代的に僕にはそれらの知識が足りないので深く言及はしない。

  • リコリス・リコイルの場合

 リコリス・リコイルは大人気である。美少女のヒットマンのコンビが大活躍する傑作アニメーションだ。「DA」という治安維持秘密組織が孤児の少年少女たちを殺し屋に育成し、暗殺させることで日本の治安を守っているという設定である。
 しかし、リコリス・リコイルの作中では、なぜ孤児が日本国にそんなに大量にいるのかとか、なぜ既存の警察組織では不十分で孤児を教育したヒットマンで暗殺をしなければ治安が守れないのか?などの疑問はあまり明確にされていなかったように思う。
 リコリス・リコイルのDAの暗殺部隊が発砲した薬きょうも回収する組織がいて、それは逆に非効率なのではないかと思った。
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 もちろん、僕はもう大人なので分かる。リコリス・リコイルは別にリアルな公安組織を描くより、かわいい美少女の人気を上げて商品を売るための作品なんだって、ね。
 リコリス・リコイルでも、ルッキズムはあって、主役の二人を立てるために、DAの他の少女たちの容姿は一段下がるようにデザインされていた。
 かわいくないリコリスは死んでも、ショッキングであるが、メインの二人にはあまり影響しない。


 僕みたいな40代のおじさんにとっては、女子高生なんかみんな子供だしみんなかわいいと思うんだけど。


 メインキャラクターの意匠をコラボレーション企画などに使って商品展開するアニメでは、きれいで美しく、好かれるキャラクターの数を絞った方が商業的に効率がいいのだろう。


 いちばん象徴的なのはメインキャラクターのリコリコの2人が戦う相手としての真島とその一味のテロリストの描写だろう。
 真島のパートナーと言える男性ハッカーのロボ太は特に理由もなくアナクロなロボットの仮面を被っている。(蒸れるだろ)彼は子供じみた性格であると設定されている。馬鹿にしていい悪役と言うことなのだろう。
 対して、味方側のハッカーであるクルミは年齢不詳であるが美少女である。
 劇中でもロボ太はクルミに負け続ける道化となっている。彼自身の心情は特に掘り下げられない。



 アニメでは美少女には価値があるが、それに対する悪役の男は軽んじてもいいし、軽んじやすくするために顔を隠す。真島も割と分かりやすい狂ったテロリストとして、バンドマンみたいな風貌をしている。
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 しかし、真島と共に行動していたテロリストグループの男性が顔を隠すようにサングラスをしていたり、天元突破グレンラガンの双子のような似た顔をしているようにデザインされていたのは、笑ってしまったなあ。
 ギリギリ、アランチルドレンである真島は特別なキャラクターのようだが、彼と行動を共にするテロリストには顔も名前も与えられていない。


 商品になるメインキャラクターの美少女の人気を高めるため、それと戦う悪役の男性たちは粗雑なデザインで個性も個人の名前も顔もわからないようなデザインと演出をしている。
 テロリストに顔も名前も与えないというのが民主主義国家の戦略らしいのだが、歴史学としては、情報を抹消するのはどうなんだろうね?
 もちろん、ストーリーを分かりやすく簡略化するためにやられ役の情報量を少なくするのは一つの演出技法であると思うのだが。
 テロリストや犯罪者は現代日本では迷惑な奴と定義されているが、その一人一人に殺人者になる成育歴とか事情があるんじゃないのかな?それを無視して、悪行をする奴はみんな同じようなモブキャラクターとして、美しい主人公によって殺すことは、表面的な治安は守っているのかもしれないが、テロリストになるしかない人の境遇を無視しているので根本的な治安維持にはなっていないのではないだろうか。



 もちろん、爽快ガンアクションのリコリス・リコイルとしては、カッコいい美少女が悪い悪役男性をとっちめる、というのが娯楽作品の要素として光っている。
 でも、カッコいい美少女を売り物にする商業的企画のために、やられ役の男たちの顔を仮面やサングラスやモブ作画で隠ぺいして暴力の重みを軽くするのは、どうなんだろうね?
 せめて、人殺しの顔をしろ。(スタングレネードでも当たりどころが悪かったら死ぬ)


  • 甲冑や化け物の場合

 もう、枚挙に遑がないのだが、戦闘シーンのある昨今のアニメーションでは仮面による匿名性、それに寄るそのキャラクターの命の軽視が見受けられる。


 異世界転生ものの、小説家になろう系アニメや、僕がBLAME!から愛好している弐瓶勉先生が原作の大雪海のカイナ、ノケモノのたちの夜など、割と多数のアニメ作品でも、「戦闘シーンの犠牲になる戦士、騎士、兵士」は顔を甲冑などで隠されていることが多い。本当に昨今、多い。それはいちいち脇役の顔のデザインをする余裕がないというテレビアニメの制作事情もあるだろう。実際、顔が描かれていてもほとんど個性がない顔のコピペで兵隊が描かれているアニメは多い。
 逆に、不滅のあなたへなどでは敵対してくる怪物のノッカーは顔がない怪物として描写されている。
大雪海のカイナ(1) (シリウスコミックス)
ノケモノたちの夜(1) (少年サンデーコミックス)
異世界召喚は二度目です(コミック) : 1 (モンスターコミックス)



 もちろん、アニメは派手な戦闘シーンで多くの死傷者を出す攻撃を描写するのが娯楽の要素の一つとなっている。
 それは否定しない。


 しかし、前項で述べたように、「作品の売り物になる美しいキャラクターの好感度を下げないため」に、そのメインキャラクターの攻撃や戦闘で犠牲になる脇役の顔を映さないという演出は、どうなんだろうね?


 顔を見せない人間なら殺しても罪悪感を抱かない?


 そう、この段階に至れば、過去のシャア・アズナブルやマッハGoGoGoの覆面レーサーなど、「顔を隠している人物には何か謎がある特別なキャラクターである」ということとは正反対の「顔が見えない人間は顔を映す価値もない凡庸で殺しても罪悪感を抱く必要のない脇役」という価値観が、最近のアニメでは横行しているのではなかろうか。
 明らかに手抜きの作画で特徴のない顔として描かれるモブキャラクターの登場するファンタジーアニメやバトルアニメもそうである。


 それはもちろんキャラクターデザインをすることや個別のキャラクターを立たせる労力が物語の主要なテーマに対してコストパフォーマンスが低いということもあるのだろう。


 同時に「売り物になる美しく華と価値があるメインキャラクターの活躍(戦闘)に巻き込まれる脇役に個別の人格がある描写をすると、メインキャラクターが罪を背負ったように見えるので、殺しても構わないような透明な存在にする」という演出意図を感じる。


 これは僕の主観的な感覚だがね。


 まあ、昔から時代劇の斬られ役の俳優は何作にもわたって出演していても顔を覚えさせない気配の消し方が技術だったりしたらしい。そういうわけで、最近のアニメだけが特別異常とは言えないのだが。
 

  • 余談1 進撃の巨人

 進撃の巨人でも中盤から巨人の正体は巨人にさせられた人間だったということが明らかになるが、主人公たちが爽快で派手なアクションをする際に殺す巨人は非人間的な風貌で描写されていた。
 ちょっと前に放送されていた、ノケモノたちの夜の悪魔やサマータイムレンダの影や四手などでも、主人公たちが戦っている時は、殺害しても構わないような異形で醜い感情移入しにくい化け物としてのビジュアルになっているが、その敵が死ぬときや味方になる時に「悪役にも事情があった」とするときは小ぎれいな顔つきに変化する。

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 昨今に限らず、殺してもいい悪役を描写するときに「わかりやすいキチガイ殺人鬼みたいな笑い方をさせる」「変顔をさせる」という演出は非常に多く、凡庸だ。

 ↑終末のイゼッタ

  • 余談2 輪るピングドラム

 輪るピングドラムは脇役や雑踏をピクトグラムとして描き、「この人たちは個別のキャラクターとは違う」という描写をしていた。これは逆説的にキャラクターの顔を奪うことに非常に自覚的であり、「甲冑やヘルメットで顔が見えないキャラクターをあっさり殺しても構わない」という作風とは違うのだろう。

  • 余談3 あだち充

 MIXのアニメを見ているけど、あだち充先生は70年代から50年近く漫画家活動をしてらっしゃるので、むしろ、オールドタイプな作家として、不細工な女の子を普通に描くのではないだろうかと思う。メインの顔は割といいんだけど。お調子者で顔が美形でないキャラクターも描いている。



  • ヘイトコントロールでの視聴の是非

 しかし、昨今のキャラクタービジネスを見ると、派手なアクションや戦闘で多くの人を殺すメインキャラクターだけど、メインキャラクターが殺人をするような罪を背負った人間として描くと悪いイメージがついて売れ行きが悪くなるので、殺してもいい人間を殺す、あるいは殺されても印象に残らないように敵の顔を描かない、という手法が最近とても、多いんじゃあないかと思う。これが僕の邪推ならそれでいいんですけどね。



 でも、僕もあまり容姿が優れた人間ではないので、ルッキズムや無貌の描写をもってして殺されても顧みられない化け物やモブキャラたちの方に感情移入してしまう。
 むしろ、モブキャラクターを殺してもキラキラしたイメージで売っている美少女や美形キャラクターたちは何かを搾取しているのではないだろうかと思ってしまう。


 僕は、美しくない人間なので、搾取される方の人間ですからね。


 そして、「殺してもいい顔のないキャラクターをザクザク殺しても、メインのキャラクターは美形だから人気だし、商品になる」、「悪い奴は見た目も性格も狂っているから殺してもいい」という商業主義的なヘイトコントロールに従って、アニメを見て、それで楽しんでいる人も、命に対する価値観を誘導されているんじゃあないかって思うんだよ。


 いや、メイドインアビスとか、ゴールデンカムイなど平等に命が重くて軽い作風でちゃんと売れている作品もあるんだけどね。

  • ガン・オーダーズ THE GUN ORDERS ~銃撃請負人~

 ジャンプルーキーに掲載されたガン・オーダーズという萬画の作者の人と僕はTwitter上での希薄な知人関係にあった。
rookie.shonenjump.com


 ガン・オーダーズの第一話を読んで、僕は失礼な読者なので作者に以下のような感想をDMした。
「リコリス・リコイルと同じ轍を踏んでいて、メインのキャラクター二人を立てるために、メインキャラクターに銃殺される脇役の作画が薄い。メインキャラクターが他者に共感しない演出は分かるのだが、読者にも殺してもいい脇役と大切にされるメインを作画で差別するのは、命に序列をつけているようで、気に入らないな」と、感想を送り付けた。僕はひどい奴だよ。


 その僕の感想文が影響を与えたのかどうかは知らないが、第2話では改変が行われた。


ガン・オーダーズ THE GUN ORDERS ~銃撃請負人~ 2話 - ジャンプルーキー!


 無貌で仮面を被っていた無名のテロリストが、主人公に影響されて素顔を晒して死んでいくことで、主人公たちの行動の指針になっていく。
 僕は無貌で無名のテロリストを爽快に殺していく人命を軽視したアクションより、顔を見た人間の死に影響される主人公の方に人間味を感じる。


 ガン・オーダーズの第三話はまだ更新待ちだが…。



 ちなみに、アニメ化された萬画と知人がジャンプルーキーに載せた萬画をブログの記事で同列に語ることの是非については、「画力やキャリアは関係ない。ネットや紙面に公開された作品は全て同じ土俵だ」というのが僕の意見だ。
 いや、僕も脳内妹と僕が結婚するまでの小説の続きを20年も書いているのに、本編は半年くらいしか進んでいないので、俺ががんばれよ、って話なんだけどな。



  • 結論

 このコラムは後2回に渡る予定だけど、この時点で言うのなら「殺されてもいい人間をメタ的なルッキズムや顔の描写の有無で差別するのは気に食わない。人殺しの顔をするのが殺しをするときのせめてものマナーだろ」というのが僕の気持ちだ。


 だけど、人殺しは現代社会にとってはタブーなので、そういうケガレのあるキャラクターは売れにくいので、脱臭して商品化しているんだろうな、とも思う。
 人殺しを脱臭して商品にしているけど、しかし、かつて殺人ミステリの作者の貴志祐介先生の講演会を聞きに行ったことがあるが、読者の興味を一番喚起するのは「キャラクターの死」であるので、そういうものを売っている小説家の生活のために暴力描写を規制するのは反対だ、ということだ。


 しかし、現実の三次元の肉人間に過ぎない小説家の生活を支える収入のためにエンターテインメントとして殺される架空の人物の人権の侵害も憂慮するべきではないかな?(押井守のイノセンス的な)

  • 続く

 「水星の魔女とか最近のアニメって仮面を被ったモブキャラを便利に使っているよな」、という程度の話題のわりに、僕の悪癖で文章が長くなった。
 ルッキズムと価値観の話は次の事項に続く。


nuryouguda.hatenablog.com
nuryouguda.hatenablog.com


  • ほしい物リスト。

https://www.amazon.co.jp/registry/wishlist/6FXSDSAVKI1Z
↑グダちん用


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