玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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長くなった

つーヵ、右脳も左脳も使わないともったいないから使えよ。と言う話ね。
それにニュータイプを目指すのなら、自分の物理脳の行使のみに満足するのではなく、
自分の周りのミノフスキー粒子立方格子に思惟を伝達させて、それを通じてビットと無線LANを構築したり、アカシックレコードのHDDに仮想メモリを設置して思考自体をクロックアップしたりすべきなのであって。他の独立脳と感応して非線形演算を行なうべきなのである*1。そうすれば人はいつか時間さえ支配することができるさ。ビームサーベルの炎に焼かれるナノセカンドの間に一生分の恋愛をできるわけですよ。まあ、アムロはインドに飽きたら金髪ゲットで後輩にも手を出しますが。
カミーユだったら謎のバリアーでハイパー化。ジュドーも合体。
アムロ様の最終ハイパー化はアクシズと太陽を飲み込んでハイパー化したのでアムロ最強。
んで、うーん。
レツとキッカの「大きな光はもう見えなくなったね」を「大きな光が点いたり消えたりしてる」の言い換えだと言うのは、穿ちすぎじゃないかなあと思っちゃうんだけど。キッカがそこまで考えて発言してるとは思えん。「子供の戯言など聞いていられるか」とかも。
どーも、セリフを作者の言外のメッセージだと受け取りたくなくて、そう言うキャラクターならそう言うことを言うかなあと言う風に思いたがるのが私の女々しさなのかなあ。キャラをメッセージ伝達のための道具とするよりは実在の人と思いたがるっつーか。
思想としてというよりはキャラ萌えに行きたがると言うか。とまれ、キャラ萌えも昂じたら思想的影響を受けたりもするんですけど。ねー。
でも落ち着いて考えてみたら、俺も自作小説の*2セリフに言外の意味を入れて粋がったりすることはよくあるので。まあ、アリなんだよな・・・。
でも、エヴァンゲリオンの映画版がオタクに現実を見ろ!というメッセージだとは思えないのが私だ。20過ぎてからはまだ見返してないんですけど。いやー。どうなんでしょう。

*1:もともとの生体脳自体が独立生命体としての神経細胞と体細胞のせめぎ合いによる非線形演算とも言える。チャカポコチャカポコ

*2:ようなものの