玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

富野由悠季を誉めすぎ。コメディ論。現実感と

最近、富野監督は実写以上に人間の自然体なドラマをかけるとほめてるが。それは最近トミノばっかりみてるせいで、佐藤竜雄とかサトジュンとかをなんとなく映らないから見てないせいかなあと。
他にも自然体な監督は沢山いるよなあ。
かみちゅ!もトミーノが誉めるまでは見てなかったわけだし。イや、今も見てないけど。
ムリョウは大好きだったけども、録画をミスってから2話と最終回を見てない。早く見ろよ・・・。
ジブリ系もそうだよね。ただ、ジブリは最近は背景と声優を押し出しすぎてて、みたいな所が僕にはあってさ・・・。
ただ、やっぱり富野作品の場合は、なんか違う匂いがするんだよなー。って。
なんか、自然体な(実写っぽいというか、本当に居そうな演技をつける感じ)を書ける監督はうーん。うまく言えんが、芝居もうまいので、所々、芝居がかった演技(長せりふとかテンポの良すぎる掛け合い)のシーンを入れたり、ギャグとかファンタジー風味にしちゃう癖があるように思うんだが。最近見てないからうろおぼえだが。
(この際言うが、僕はアニメの中でもアニメをアニメで制作してるのと実写をアニメで撮ってるのとがあると小学生の頃から本能的に分類していた。ガンダムは実写。ザクレロの辺りは混沌)
ずっと実写っぽいテンションでいくのは難しいのかなあとか。ずっとまじめでいることに対する一種の照れ隠しか?などと邪推するわけで。
逆に、富野はギャグシーンがかけないからなあ。
と、思ってたんですけど。
こないだ見た18話「宇宙艦隊戦」でのウォレンが女の子にほれて、花を渡して、振られると言うあたりのギャグは面白かった。
でも、ギャグが面白いと言うより、ウォレンと言う人間が面白い感じがしたんだよなあ。
ギャグと言うよりもユーモアなのかしらん?細かい分類は分からないんだが。
ウッソとオデロがケンカに成る所も顔の作画がギャグっぽくなりはしたんだが、オデロが「アホくさ、やめようぜ」ウッソ「そうだね・・・」とか、普通にテンションを下げて、どたばたにはならない。でも、普通にケンカをやめるときってこんな感じだよな。
地続きな感じがするんだよ。笑える所と、劇進行の部分が。っていうか、ほんと、生活感と言うか。人生の一部っていうか。
それは、モビルスーツの戦闘とかメカ・SF描写の所も同じなんだよね。宇宙でシャクティが遭難して、ベスパに救助される時に、宇宙服の中が涙でべとべとのスージィに敵兵が「すぐに鼻をかんでやるからな」と日常的過ぎる物言いをしたりとか。
そこが逆に、Vガンダムの畸形性、というか、物語の提携に収まらないドロドロ感を出してるのかもしれない。
腕の無いVガンダムが脚についた大砲でバイクと戦うシーンなど、異形の極みなのだが。道具の使用の日常的延長線だと考えると、自然であり、実写的地続き感もそのまま。
そして、それでも何かが異常だと思えるなら、何かと地続きであるドラマ全体の状況が異常であり、そのドラマ状況は又実写的に自然に描かれているのだから視聴者の住む現実世界も異常なのかもしれない、と感じさせ、普通なのが、異常なのでス。Vガンダムは。
にしても、ウォレンは笑えたなあ。
あと、シュラク隊は宇宙でもリーンホースの正規パイロットよりも強すぎる。
オリファーはどんな基準で選んだのか、そもそも、何者たちなのか?
ウッソは空間戦闘になれないと反省していたが、それでも連邦軍人よりも。
そして、次の「シャクティを探せ」ではワイヤービームを応用するなど、宇宙戦にも一気に適応している。
こういう、主人公が強くなっていくのを見るのは良い。が、ウッソは勝手に強くなっていくので、やっぱり最初から強かったみたいに見えちゃうんだよなあ。
あと、シャクティを探せはウッソたちの独断作戦をマーベットやオリファー以下シュラク隊が分かってて、黙ってて、バックアップしてくれてたので、大人が大人をしてくれてるなあと思った。
おれは、大人を出来ない大人になりそうだから、死にたくなった。と言うのは余談。
でも、ベスパの偵察部隊の人たちも、策敵して戦いを怖がっている(でも兵士だから戦うけど)普通の人間だという描写を見てしまえば、死んで欲しくないと思いながら見てました。機動戦士ガンダムSEEDキラ・ヤマトみたいな圧倒的戦力差が無いので、「敵が死ぬかもしれないと言う不安感」があるんです。
あと、ガンダムSEEDと違い、敵の一般兵と味方の間に圧倒的美形差がないので「敵が死ぬのもかわいそうという不快感」もあるですね。
(余談だが、あきまんターンエーガンダムで「こいつは脇役だから何もしないだろう」とわかるのが嫌だったらしく、何もしないキャラこそ変な顔にしたり、すぐ死ぬキャラこそあくの強い顔にしたりしたらしい)
ウッソも殺したくは無いけど、やっぱり立場上撃ちあいになってしまうし、民間人の女の子たちだけでも守ろうと思うと、狙い撃ちにしないといけなくなるし、ライフルだけを狙うのも難しい事だ。誰にも死んで欲しくなくても、ウッカリ人は死ぬ。
それでも、まだオデロに人殺しをして欲しくないと思っちゃうのね。
そういうわけで、シュラク隊がきても敵が誰も死なないで撤退してくれて良かったね。と思ってしまうアニメってどうなんだよ。エンターティンメントとして。
アムロなんか数えながらドムを殺していったぞ。
しかし、その後は人死にの嫌さを執拗に書いているからなあ。V以外にも富野は。リアルロボット路線が定着したからだろうか?
んで、やっぱり戦争はしたくないと思うのだ。
が、起きた場合、どうするのか、と言う事も在る。僕には守りたいものとかがない。
むしろ、守るものを作らない、という事も非戦には有効?
どうせ死ぬしね。100年生きようが、15年生きようが。
と、同時に、シュラク隊が来た時には、オデロやウッソには殺して欲しくないけど、正規兵なのだから大々的に殺してもかまわないので安心した、という気持ちも在ったりしてだな。なかなか難しいわけです。
つまり、Vガンダムは黒富野の極地だと思ってたんですけど、今の所は「なんとか黒くなりたくない!殺し合いの中の人のふれあい優しさを、白い物を書きたい!」ともがいているように見えます。
でも、それはVガンでは果たせないわけで、白トミノになろうとして失敗したからこそ、黒富野の極限になってしまったのかと。
そして白富野は∀ガンダムキングゲイナーを待つ事になるわけだ。
∀とキングゲイナーはV以上に敵も死なないで欲しいような感じだったもんなあ。
リーンは、結構死んでいる。モブが。だから視聴者のダメージは少ない。
でも、次は東京だしな・・・。