玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

では、何を語る?

KINOの杉井ギザブローとの対談で富野と杉井は「自分のために映画を作ってもしょうがない」と言う点で一致をしている。
で、「観客を意識して映画を作る中にね、いろんな価値観とか、自分なりの社会性だとか人間性だとかを込めますけど、哲学者でもないし、「俺は世の中をこう思う」ってかってな事を言ったって共通性持てないわけだから。それをキッチリやってる人間から見ると、ここ10年くらい、アニメが内に向いて、アニメを作ってる人たちって勘違いしてるんじゃないか」と。
自分の内に向くだけではなく、人の内をも分かった上で作るのが、プロの作り手と言う事なのだろうか。自分ひとりのうちだけで作れるほど、作品も、作品で描くべき現実の世界も狭くなんだぜ。と。作品が出て行く世界も狭くないんだぜ。と。
そう言う路線なら自分をさらけ出すよりは、視聴者の内を暴く方が、視聴者にショックを与え、自分の体力も温存できるな。
が、最近の10年くらいは作り手の気分と受けての気分が似通って、結果的にそうなっているのかもな。
結果的にそうなっていると言う気分で作っていると、マーケティングリサーチで作ってるつもりが知らず知らずの内に自分の価値観主導になって、分からなくなる。
庵野秀明はその点では、自覚的だったと思う。(自覚的であっても制御はしていなかったけど)
だから、この10年、エヴァを超えた、とオタクが認めるアニメが無かったのかな。
(超える超えないって言うのは主観の問題で、エヴァは主観的なアニメだからなあ)
うーん。エヴァってこー考えてみるとスゲー変な作品なんだなあ。異端。
でも、バカ当りしちゃったから、これが普通になってしまったんだし、受け手の側もこういう作品が普通だと思って似たような物も普通に受け取っちゃう。
で、それなりに当たる。
でも、エヴァほどの力が無いのがほとんどなので。やっぱり、普通の人はそう言うつくりはしない方がいいかもしれない。
でも、それなりに当たるんだよなあ。それは富野にはむかつくわな。
また、怖い所では、あたらしくオタクに成る少年少女が、アニメの見方を覚える時に、こういうアニメの見方こそがオンリーワンだと認識してしまうという所がある。作り手が好きなものを作って似たようなのを量産してるとな。
それは、アニメ文化を単一化させて、つまらなくするわなあ。
まあ、付和雷同の日本人だから仕方ないかも知れんけど。
あと、その内容、「私がこう思う!」という狭い主張をアニメで伝達すると、中学生くらいの子はコロッと参っちゃって、自分の価値観をもそれで塗り替えられて固定しちゃうってのもあるワナ。俺みたいに。
あと、ナチス映画みたいに。
だから、価値観は独自の物は出さないで「リトルボーイはダメだー!」で充分なのかも。ソレが安全だし、心地よいのは確かなんだが。
前述のように気持ち悪い物見たさって言うのもあるわけで。。。。