玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

杉井ギザブローとの対談のおもしろいところ

また話がそれた。寝てないからなあ。

対談の話だが。おおむね穏やかに会話しているんだけど。話をあわせて。
でも、
富野「みんなで楽しめる物で無ければならない」
(しかし、富野の思う皆と言うのはかなりレベルの高い皆のような気もするんだがナ。リーンの翼は確かに現代の広い皆が抱える問題を入れ込んでるけど、ソレを娯楽にするような皆って・・・?)
杉井「芸人の根性とすればね、価値観だけは自分のものですよ。」
富野「『タッチ』は何を価値観としているのか、僕にはそれがわかんないんですよね」
うわー。直球でけんかを売る富野ー。
杉井「あだちさんの書いてるコママンガを映画的に掴めないかなって言うのが、そもそもの発想です。だから、達也の南に対する思い方とか、南の達也に対する思い方とか、そう言う思いをアニメで描けるのかといった事が、一番の大きいテーマでしたね。」
富野「そこでギッちゃんに説明して欲しいんだけど、「映画的」ってのは何ですか?」容赦ない富野。
で、杉井監督と富野監督が長々と説明をしあうわけだが。
富野「それは何かって言うと、リズム感なんです。記憶がなくなっても、体感として残る。」
という結論になったのかな?
身体性のトミノ式。
なるほどたしかに、よい映画って言うのはリズムとして覚えて、リズムとして面白がってる。
ガンダムも、サイド7、大気圏突入、地球放浪、オデッサジャブロー、宇宙、ソロモン、ア・バオア・クーという大きなリズムが心地よかったし。
ミクロには演説や会話のリズム、モビルスーツ戦の緩急のリズムも心地よかった。うん。ソレは凄い面白いよね。
ガンダムでは、僕はそう言うリズムを感じなかったから、ほとんど筋とかせりふを覚えてないんだな。キャラクターの髪の毛の色とかコスチュームのリズムはあったかもしれないけど。
しかしなあ。そういう、技術的なものを固有な物にするのはどうかなあ。いや、僕は歌も曲よりは詞で聞く人だから。井荻麟とか。
それに、映像リズムの心地よさで言ったら、エヴァンゲリオンもかなり上手いぞ。
技、だけの話ではあるマイ。
それと、これは僕の思いつきなのですが、脳髄も体の一部であり、脳髄も体感をするのです。
僕解釈では富野の映像の原則は目と心臓の体感が大きいと思うのだが。
脳髄の体感という物を考えてみると、思考のリズムって言うのもリズムなわけです。
一般的な意味での悲しい場面、嬉しい場面のメリハリ、というのも大事なのですが。もっと踏み込んで、思考や思弁というものもリズムを持っていると思うのだよ。
つまり、シンジ君が
「父親に捨てられた」「僕は要らない人間なんだ」「エヴァがなくなったら僕は本格的に要らない人間なのだ」「アスカにひどい事をしたのだ」「カヲル君も殺したのだ」「何をやってもダメなのだ」「そのうえ怖いのだ」「もうだめだ」
という思考の突っ走りダメダメ感も、ある種のリズムがある。
滝本竜彦のダメ小説も、かなりリズムに乗っ取ってるんだよね。
だから、富野と杉井の対談で示されているような情報速度としてのリズム感だけではなくって、情報の質、つまり気持ちの変異もリズムがあるわけ。