玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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欲張りすぎて禁欲

「習っていたチェロだって、何にもならなかったんだ」っていうセリフはかなり好きなんですけどね。楽器の引けるシンジ君はアニオタよりはかなり上等なんですけど、あのセリフで自己否定することでシンジ君には全く取り得がなくなり、普遍性を獲得したと思うんですけど。
と、同時に、シンジ君はやっぱり他人の事しか見てないという意味もあったんだ、とさっき気付いた。
シンジ君は楽器を引いて音楽家になるような才能が欲しかったのだろう。そんで誉められたかった。「楽器が引けて楽しいなあ」という主観的な喜びを感じられたら良かっただろうに、そう言う風には思えない。
それなりに楽しいんじゃダメで、人の役に立って賞賛されないとだめだと言う気持ちがある。
アニメのキャラクターって、すぐにインフレするじゃないですか。楽器が得意なら音楽家。メカが好きなら発明家。超能力。神。
でも大抵の人は中途半端なんだよなあ。シンジ君はそこら辺が絶妙だ。アニメのキャラなんだからもっと才能を伸ばせばいいのに、リアルな無能感を勝手に感じる。
そこら辺は、僕にもあると思うんだよなあ。もっと適当でいいと思うんだけど。人に認められるほどの才能じゃなかったら何も無いのと同じみたいな。
それは、僕が他人とバーチャルな関係しか築いてこれない人間だったからで、よい人間、と言うのはテレビに映るような偉い人しか知らないような。偉い人にならないと無価値のように思ったりとか。
という風に、僕がシンジ君に自己投影してるだけかもしれませんけど。
シンジ君はオタク的な性格だが、本当はおたくでは無いし、オタクの僕が親近感を抱くのは間違いかも知れんけど。