玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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トミノにくどい質問をした事は以前にもお伝えしましたとおりですんが

もう一つ、トミーノに聞いてみたい事があった。
西城秀樹に抱かれた女との夫婦円満の秘訣は何ですか?」
とか聞くと、怒られそうだから、やめ。本当は、
「子供は親の背中を見て育つと言いますが。サラリーマン家庭で、親がどんな仕事をしているかも知らず、スパルタ的な部活に入る行動にもなじめず、アニメを見てばかりいて育った僕たちの世代がそろそろ成人しなければならない、となった時にどんな人間大人になればいいのか全く分からない。
周りにいい大人が見えないんですよ。
それでも、今の世の中が全部正しいとは思えないし、問題が多い事も知識としては知ってしまっている。だから、いい大人に成らないといけないと思うし、自分が汚い大人になって世の中の問題にもなりたくはない。
でも、分からんわけです。どうしたらいいのか。周りの大人が汚い物ばかりに見えて、また、そう言う自分の気を悟られないように、また周りとの関係を遮断しがちに成る・・・、それでますます分からなくなる。
で、アニメですよ。アニメの中のキャラクターはとりあえずカッコいいじゃないですか。それで、そう言うキャラクターに現実以上の親近感や依存心を抱く世代が僕らな訳です。
「バーチャル」な価値観しか手にしていないわけです。
かと言って、それはアニメオタクだけの問題ではないとも思えます。
NEETとなっているような人は、本当のナマケモノもいるんですが、「自分はもっと上等な仕事ができるはずだ」と言って離職する人もいます。そう言う人の自意識は地に足のついた周囲との関係ではなく、自己啓発本や適当なテレビ番組の「夢を持て」的な言葉からつくられた「バーチャル」な物なんじゃないでしょうか。
テレビや新聞にはホリエモンとか、さっきトミノさんが賞賛した辻本賢人選手とか有名人が連日登場します。たしかに、彼等は優秀です。
ですがね、大部分の個性の無い僕らにはやなり、彼等はバーチャルな存在にしか過ぎんわけです。過ぎんのですけど、モデルケースになるのは彼等のような成功例しかないわけですよ。それで、勝ち組にならないと負け組みたいなバーチャルな価値観が形成されちゃって、「社会の歯車になるなんてアホじゃね?」→ニート直行ですよ!
「がんばってもがんばっても勝ち組に成れないのは自分の努力が足りないからだ」→練炭。ふざけんな!
メールばかりする子供や、援助交際をするおっさん、アイドルの追っかけ、ストーカーな恋愛しか出来ない老若男女、現実の生臭さを拒否して、心地のいいイデアを対象から分離して、ソレだけを味わおうとするような、みんな同じ病理があると思うのです。
細木数子の占いブームやら、夜回り先生の講演やら、こういうのは、彼等の言説に価値がある、と言うよりも、彼等がただ言葉を聞いて言葉を発してくれる、と言う所に価値を求めているわけです。自分の周りの人との軋轢を含んだ言葉を拒否して、そういう遠い存在の人の言葉を求めるわけです。
オウム真理教のような宗教も同じですよ。
っていうか、富野みたいなアニメ屋の講演会にこれだけの人類が集まって、このハゲたアニメ屋が自分の人生に何か有益な言葉を投げかけてくれるんじゃないかという期待を抱く行為そのものが異常としかいえないわけで、そう言う自分を含む人間が凄い気持ち悪くてむかつくわけですよ御大将!
だから、富野喜幸先生は、現実以上のカッコよさを持ったアニメを生み出し、それに耽溺するような若者を生み出した事に対して、どう落とし前をつけるつもりですか?
固有のものとは何か?と言うようなでかいテーマで講演をぶつほどなのだから、その点には自覚的だろうと思えます。」

つまり要約すると、
「現在の日本では自分の言葉をもって語れる大人がほとんどいない。子供はほとんどバーチャルな社会で成長する事を余儀なくされている。バーチャルなキャラクターや有名人くらいしかモデルとなるものが無い。そう言う僕らが、自分の言葉の無い大人を超えて、バーチャルなキャラクターをも超えて、ちゃんとした大人に成るにはどうすればよいか?
バーチャルのカッコいいキャラクターを生み出してきたアニメ屋からの意見をお聞かせ願いたい」

と言う事を聞けばよかったかなあとか、富野と会った次の日に、うなされながら思ったけど、リーンの翼を見てたら何となく分かったよーな気がするので、別に聞かなくても良かったかもしれないや。
アニメ屋はやはり、アニメで語るのが本職だな。
http://d.hatena.ne.jp/psb1981/20060920
↑全くそのとおりだと思います。

※3:ファーストガンダムにおいて登場した、ランバ・ラルドズル・ザビのような男(漢)らしいキャラクターはいつも人気だ。確かに彼らは魅力的な人格と、泣けるエピソードを持っている。

だが、彼らにリアリティがあるだろうか。ファーストガンダムが放送された1980年前後には、まだ伝統的家父長制度の幻想はまだギリギリ残っていたのかもしれないが、90年代にはすでにそんなものは雲散霧消してしまっていたはずだ。今日、私たちがランバ・ラルのような漢に出会う可能性は、メイド服着た猫耳美少女が空から降ってくるのと同じくらいありえない。今や彼らは萌えキャラと同じファンタジー的存在なのだ

しかし、では子供はたちどうやって大人になっていけばいいのだろうか。

個人的な意見だが、今の世の中において、子供たちが成長するためにやるべきことは、強大な大人を乗り越えることではなく、普通の大人たちが生きるためにもがく姿を、冷笑せずにきちんと見ておくことだと思う。

サコミズ王に対するエイサップ君も、乗り越えるとかやっつけるとか、そう言うスタンスではなく、ちゃんと見て、考えて、あと女の子とチュウしたりしてカッコよかった。
新訳カミーユのクワトロに対する見方も、そう言う感じで、ニュートラルに大人を見てましたからね。
やっぱり、大人にああしてこうしてと言うとか、大人のせいでこうなったと言うだけでは大人にはなれん。かと言って、大人と同じになるだけではニュータイプにはなれん。
やはり、ある程度の年齢になった子供は勝手に動いて勝手にカッコよくならんと、カッコよくはなれんよな。
そーいえば、富野に訊け!のイベントでも、

1:2児の父になりました。親として子に伝えることとは?

私も2人の娘の父ですが、あまりいい育て方が出来ませんでした。
ですので、いいアドバイスはできません。すみません。
しかしながら、伝えることって本当にあるんでしょうかね?
常識というか、今現在正しいだろうと言われている・思われていることは
必ずしも、不変のものではないのです。
そして親が「孫の顔を見たい」子が「独身で自由に生きる」どっちもエゴのようなものなんです。
それでは言葉を交わしたとしても、上手くまとまることはまず無いでしょう。
そういう話で言えば、伝えるべきことなんて”あるわきゃ無い”んです。
しかし、たとえそうだとしても親であるならば、親として示すべき何かがあるのでは?
昔から…何千年・何万年と続いてきた、人類の歴史の中での何か…原理原則が
それはつまり、親は子を養うとき、養うということを一生懸命してみせることではないでしょうか?
親が遊んでいて、どこかからか学校に払う給食費が降ってくることは無いのです。
一生懸命働くなどして、生活基盤を整えてようやく出来ることなんです。
先ほど言った、”話して聞かせる”ではだめだと思います ”してみせる”んです。
そこまでやればあとはその子供の感性・品性の問題です。

あ・あともう1つ。子供が何か将来生きていくための目標を見つけ出して
それに向かって努力をするならば、親はやはり理解者であり、サポーターになるのが
よいのではないでしょうか?理解をする・静かに見守る、大切なことだと思います。

過保護なことは、すべきではないでしょう。

だって。
なるほどー、やっぱり富野はいい事を言う。
しかし、やはりそれを、アニメ屋の言葉やら、アニメの中からしか学んでいないと言う所に、僕の構造的なかっこ悪さが在るわけで、かっこ悪いよなあ。
つーか、トミーノは「バカは死ね!」という基本姿勢もあるわけで。
やっぱ、俺はバカなのかなあ。死んだほうがいいのかなあ。とかなーんちゃって。