玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

NHKにようこそ!とエヴァンゲリオンで本田透批判しちゃうぞ

新世紀エヴァンゲリオンを通して久しぶりに見返してみて、本田透が嫌がるのもそのとおりだなあと思った。
僕も当時、劇場で「アルアル!それって、アニメオタクの心理そのものだよね!つまり俺!」と思ったものよ。「笑った顔で誤魔化しているだけだ!曖昧なままにしておきたいだけなんだ!」とか「自分しかここにいないのよ!」。
アノ展開が、おたくでは無いシンジ君に当てはまるのかということは微妙なのだが、オタクの俺には確実に当てはまる。(アスカとのケンカは幻影ではなくアスカも補完されていたと考えたい僕ですが)
それでいて、現実に還れ!という風にも取れるから、本田透先生は「いやだ!還りたくない!脳内脳内!どこまでも都合のいい二次元ヒロインに癒されてやる!妹だ!家族萌だ!自分萌だ!女装少年萌だ!」「庵野エヴァの後、そして結婚してだめになった!庵野!」
という風に勢い込んでいかはったんやなあ。
ボクは、それは、違うと思う。いや、本田先生がそういうのは面白いし良いんだが、それはおたく第2世代の本田先生の生き方です。第3世代のボクにはできません。
ボクは、エヴァンゲリオンは「現実(げんじつ)はあるよ」と言っただけの話だと思う。具体的局所的に言うと、「失敗する事も裏切られる事も、あるよ」
あるものはあるんだから仕方ないわなあ。
で、NHKにようこそ!はファンタジーを求めつつも現実はあるんだよなあ。という認識から逃れられない所での切なさとかワビサビを出してて、そこがイイナ、と思う。
滝本竜彦先生はエヴァファンでありつつ立派にポストエヴァを開拓してらして偉い。
かと言って、人類の生命の源たる三次元女卵子、リアル恋愛、いまさらその殻の中へと還る事は望まぬ。
しかし、それもエロゲー次第でいろんなキャラの都合のいいところだけを萌えのためにわがままに摘み取るだけでも、ホンモノにはなれない。本当の愛は見つけられないと思うんだ。ただただ、綺麗な二次元美少女を眺めて妄想するだけでは、ボクは、ボクは、いやだ・・。
だから、脳内で!現実以上に生々しく、量感たっぷりの大恋愛をして見せれば良いんじゃないかッッ!!!!
脳内で裏切られ、脳内で失敗し、脳内で傷つき、それでも脳内で愛し合う!脳内でかっこ悪い、脳内でケンカをする、脳内でエゴをぶつけ合う、それでも愛される!
そんな恋愛が脳内でできる自分に、自意識に、自意識の像としての男の中の漢に脳内でなればいいんじゃないか!

わっはっはっはっはっは!!
脳外の誰がなんと言おうと、脳内の俺は脳内妹脳内彼女脳内恋愛するのにふさわしい男だぜ!

「恋愛は知らないところに。愛は脳の中に」
「そして、脳内恋人は心の中にいる」
「ヒトの心が自分だけの恋人の形を造り出しているからね」
「そして、新たなイメージがそのヒトの心も形も変えていくわ」
「イメージが、想像する力が、自分たちの恋を、愛の流れを作り出しているもの」
「ただ、ヒトは自分自身の意思で脳内恋愛しなければ、誰とも出会えない」
「だから、見失った恋人は、自分の力で取り戻すのよ」
「例え、自分の愛を失っても、他人の萌えに取り込まれても」
「自らの力で自分自身を肯定できれば、誰もが脳内恋人に戻れるわ」
「心配ないわよ。全ての生命には恋人を作る力がある。*1愛しあおうという心がある。愛し合おうとさえ思えば・・・どこでだって脳内恋愛できるわ。だって愛したいんですもの。」
脳内恋人になるチャンスはどこにでもあるわ。
脳と自我と愛が在る限り大丈夫・・・」




「幸せがどこにあるのか・・・まだわからない。
だけど・・・ここにいて、脳内恋愛してどうだったのかはこれからも考えつづける。
だけど、それも当たり前の事に何度も気付くだけなんだ。
自分が自分でいるために」


たぶん、本田先生も本質的には分かっているはずではあるんだが、オタク向け商業作家としてはボクのように直情的に自分の脳内恋愛だけに没頭すると言う事が許されないと言うような切なさが在るんじゃないですかねえ。それを解き放ちさえすれば。
脳内は広大だわ・・・。
にしても、オタクには「現実にもどれ!」と言っていると言われ、宮台先生には「唐突な自己肯定」と言われ、トミーノには「病気」「僕のせいでごめんね」「潰す!」と言われるとはエヴァって面白いなあ。

*1:有性生殖の発生とかゾウリムシの交接とかミトコンドリアの取り込みとか