玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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機動戦士Vガンダム39話「光の翼の歌」

子供だったので、当時は全く話を理解していなかったし覚えてもいなかったけど、なんだか嫌な感じがしたことと、光の翼が大きかった事だけは覚えていた。
なんか、光の翼が羽ばたく構図がリーンの翼のラストショットにそっくりで、トミノもやっぱりVガンダムのリベンジマッチをしてるんだなって感じ。もちろんレベルアップはしてるよ。
ところで、Vガンの音響監督はトリトンと同じ浦上靖夫氏なんだな。
というわけでもないが、なんとなく主人公の道中の巻き添えでたくさんの人が死んだり、主人公の必殺技が必ずしもよいものだと認められていない雰囲気は似てると言うか富野的なんだな。
V2ガンダム光の翼で敵をたくさんやっつけたのだが。他のロボットアニメなら、主人公ロボが最大出力で必殺技を出したらもっとカッコよく盛り上げる物だが。
なんだか悪い事をしちゃったみたいな雰囲気にしちゃうんだもんなあ。
シャクティもウッソは強くなりすぎたとか言うし。
ジュンコさんもそんな事を言ってたなあ。
ウッソは自分が強くなった事で、母を殺した敵が強大な物ではなく自分で簡単に殺せる物だと言う気持ちになり混乱する。富野由悠季はいじめられっ子だったからだろう、力を持つ、と言う事に関して慎重すぎるほど慎重だと思う。
そこら辺が、ガンダム好きのガノタドラゴンボール世代の一般学生との趣味性の違いなんだろうなあ。
でも、ガンオタって身長が高くて強いジョジョシリーズが好きな人も多いんだよな。
うーん。そこらへんは荒木飛呂彦が体の強さに飽きちゃって心の弱さをテーマにしだしたからなのかも試練とか何とか。閑話休題
光の翼の間を敵モビルスーツが通るとメガ粒子の干渉でやられるっていうのは、中のパイロットが電子レンジ状態になるって言う事か?機体の電気系がやられるんなら人は死んでないのか?
ウッソは人を殺さないように戦ってるんならいいね。潔癖だが。
でも、人間同士で戦争用の機械を使って戦うんならどうしたって人は死ぬ。
そういうわけでマチス・ワーカーは死んだ。
ところで、核爆発と普通の爆発の区別がわからん。条件が揃うと偶然核爆発する事があると言うレベルなのか。
停戦は連邦政府との間だけで、民兵組織のウッソ達には適用できないと言う理屈で襲ってきたり、連邦政府に停戦命令で武器を取り上げられる前にこっそり使い切ってしまうために襲ってきたり、民兵のシンボルの白いモビルスーツを破壊したいという私怨で襲ってきたり、カサレリアに家族と平和に住むための土地を確保するために襲ってきたりと言う、敵の様々な事情がリアルすぎてよくも思いつくなあと言う感じ。
とくに停戦に関するゴタゴタはアニメの中よりも現実の戦場での方が起こりそうだ。
そして、お葬式。
Vガンダムは葬式が多いアニメだと思う。
でも、人が死んだら現実では葬式をして、それによって人の死を許容すると言う機能があるのだから、アニメにおいてもそれは必要なのかもしれない。
が、生っぽさがとんでもなく高くなる演出でもある。
ところで、僕は昔、人を殺した後、被害者の葬式に出席するのを趣味にする殺人鬼の話を書いてたりした事があったんだけど、(いやなガキだな・・・)やっぱり、人を殺すという場面を劇に入れると、その、殺された人って言うのは、殺されるためだけのガジェットみたいになってしまうほど殺しと言うのはインパクトの強い要素だと思うんですね。
だから、殺された人がただ殺されただけではない、ちゃんと人生があって、その結果として殺されて死んだのだ、と言うふうに全部をひっくるめて客観視、と言うか偏らない物語を作るには、人の死の瞬間をリアルに描くだけではなく、葬式とか遺族のリアクション、つまり死を受容する過程も含めて劇作していくべきなんじゃないかなあと思うわけです。
というわけで、次回、ウッソ・エヴィンが今回殺した、というか殺さざるを得なかった、と言うか死の原因を作った、と言うか助けようとして助けられなかったマチス・ワーカー大尉の遺族と対面します。
富野はやっぱりそういうことがちゃんと分かってる。すごい。
で、トミノアニメ以外では、死ぬ場面や死の直後のリアクションを描く作品はガンダムSEEDとかでもあるんですけど、実際の人生で一番大変な死を受容する過程というのをちゃんと描く作品はどれだけ在るのだろうかねえ。と言うかまあ、僕もそんなにたくさんの作品を見たり読んだりしてるわけじゃないですけど。
あと、シャクティはお嬢様っぽい服のほうが似合ってて可愛いと思います。
マチス・ワーカーの声はカミーユ・ビダン飛田展男氏。主役を張った人間を脇役でよくも使うなあ。古谷徹なら考えられないが。
飛田氏は器用ってことなのだろうか。
次の年にはトマーシュがドモン・カッシュになって飛田氏はウルベ・イシカワ。