玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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N・H・Kにようこそ!最終回

やっぱり、滝本竜彦は才能があると思った。NHKにようこそ!を読んだ山本監督にこのラストシーンを作りたいと思わせたのだろう。
ほとんど滝本竜彦の小説原作のままの言葉遣い。だが、地の文がセリフになっちゃってる。どうしても滝本の言葉を使いたかったのだろう。もしくはそれ以上の言葉を脚本が思いつかなかったか。
タッキーは内容や非モテニートの気持ちが分かると言う才能も在るが、テンポのいい言葉を使えると言う才能もあるんだなあと再確認。
電車での追跡から岬でのダイブまでの疾走感は小説の方がアニメよりもダイナミックだったなあ。

逆に、アニメになったことでテンポが崩れたかもしれん。萬画版エピソードだったのに、ラストだけ小説版にワープしちゃったなあ。
山崎の革命爆弾&クソゲー製作のエピソードとか宗教団体で孤立する岬ちゃんのエピソードはカットされてたのに。
自殺オフ回での佐藤を死なせなかったり、花火を見に行ったり、色々アニメの岬ちゃんは元気だったのに、唐突に暗くなってるなあ。


つーかアニメのラストは、なんだかんだいって岬ちゃんと清い交際をする佐藤がむかつきました。
ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂのラストかよ。

原作での、「みんな地獄に落ちろ!」と言いながらみんなの幸せを願うひきこもりがあたかもキリストのような精神的美しさを醸し出していたんだがなあ。付き合いそうで付き合わないのが良かったのに。
まあ、春をラストに持ってくるんだったら、大学に入学決定ではなく、大検の勉強を開始したと言う所が正しいんだろーけど。
アニメで動きと色と声がついた佐藤と岬ちゃんの毎回のカウンセリングは小説以上に、実感を伴って二人の距離を縮めていたとも思うし・・・。アニメの人の性格が滝本とは違ってるのは当たり前で、なんだかんだいって明確に好意を自覚するのも解釈としては悪くもないんだろうな、とも思う。
アニメで半年間あってほとんど毎週カウンセリングシーンを挟み込むことで、アニメ版はまっとうな恋愛話になってしまったとしても、それは当然の事で、在る意味綺麗な帰着でもあるか・・・。絵と声がシナリオに影響と言うかフィードバックしたのかもしれないと言うか、それがアニメーションと言う物なのか。うーむ。
岬ちゃん可愛かったしな。


あと、佐藤が昼の仕事をこなせているのもなんだかむかつきましたひきこもり治っちゃってるよ。
なんだかんだ言って設定からして別物だよなあ。アニメは結構明るかった。

アニメが夏に始まって冬に終わって、後日談が春だと言う内容と放送スケジュールの季節感は良かったと思う。
あと、塩屋翼氏が海のトリトンでリアル子供なのに、立派な音響監督になっててひきこもり星人の声が面白かったなあ。ヒヒヒヒヒ。
エンディングで名前だけが出ていたカトキハジメは神人の内部構造や革命爆弾携帯電話のデザイン協力とかかなあ。

しかし、彼女ができればそれでいいのかよ!そんなの嘘ジャン!と滝本も悩んでいる。
萬画版では変なヒッキーに岬ちゃんを寝取られた佐藤が楽しみだ。

僕は自分の物語だという風に小説版をひきこもり時代に一気に1日で2回読破したのだけれども。
アニメは小説よりも、絵と声が付いた分実存感が高まるメディアなんだよねーと思った。
つまり、アニメの佐藤は俺よりも背が高いから・・・。男らしいから。彼女が出来てもいいんだろうよ。
死ね!地獄に落ちろ!
ああああああああああああああああああくそーーーーーーーーーーーーーーー
引きこもりを辞めて大学に通いなおしても結局大学に行けば行くほど大学で学んでいる事が嫌いになっていくのを自覚する毎日でこんな事では就職とか出来そうもないし7年も8年も時間を無駄にして何にも出来ない自分を作りつづけているだけだああもうダメだもうダメだ!