エスタルド編を見た。
ううううん。この時から放送時間が(関東キー局で?)変わり、放送期間も短縮になり、テレビ朝日のプロデューサーの首も変わったのだが。
おもしろいじゃん。
厨房の頃はいかに愚かなエヴァ厨で、作品を評価していなかったかってことダナ。
エンディングが英語なのはエヴァのパクリにだ!とか、そんな事を言ってた中学3年生。
ガンダムXの新世紀はアニメ新世紀宣言の新世紀!
ティファは綾波のパクリではなく、ダ・ガーンの桜小路蛍のイメージらしい?
っていうか、今の俺はガンダム原理主義過ぎて、全てのガンダムを黒歴史として肯定するくらいガンダム信者だからな。
ガンダムだからこそ、ガンダムというより作品として見られるようになるくらいガンダムマンだからな。
んで、ガンダムX超面白い。
本放送の時のエスタルド編は、子供だったし、単にバトルアクションもので、プラモを売るためにガンダムエアマスターとガンダムレオパルドを壊したり、変な敵キャラを次々と出すだけだと思ってたんですが、それだけじゃない、重層構造の脚本つくりになってたんだな。
ここらへん、海外ドラマっぽいよな。スタートレックだが。
それでいて、ガンダムっぽくもある。
どういうことかというと、
毎回変わったMSとガンダムDXが戦うわけで、一見それが話の中心になると思いきや、新連邦軍の侵攻や、民族対立、国家主席の少年の成長、軍人の意地と共鳴するウィッツ、テロリストの女と主義主張が嫌いで女運の悪いロアビィ、エニルの再起、フロスト兄弟の謎の計画、などなど、様々な要素が絡み合っていて、おもしれー!
ガンダムが活躍するのがガンダムというドラマなのだ、という狭量な視線だけでは、面白がれないな。
というわけで、この10年で僕も者の見方が広がったんだなあと思いました。それもこれも、ガンダムのテレビシリーズから全てのガンダムシリーズを順番に見て、海のトリトンやダンバインも見て、ラ・セーヌも始めて、富野小説も読んでいるおかげですね。
狭い原理主義を超えるのは、深い原理主義!
最近のテロリストのイスラム原理主義の若者は、ネットでコーランの切れっ端を知ったつもりになって、それだけで舞い上がって自爆しちゃったりするらしいでス。本来、コーランというのは複雑な条文を網羅して始めて理解できる物だそうです。ですが、それがコンピューターデータベース化しちゃうと、一人の導師が記憶して集積しなくても素人が知った風に思うらしいでス。
ガノタもやはり、チェック男子、チェック女子になって満足して、知った風な事を言う前に、全部のガンダムを見ないといけないよな。何しろガンダムは面白いもんナ。
つっこみぽいんと。
南アジアで、民族紛争を抱えている国の割に、アニメ絵なのでどういう民族なのかわからない。中国系なのだろうか?それにしては服は南欧系に見えるし。そこら辺のデザインが∀ガンダムに比べると大雑把だなあ。
顔を見ただけで民族が判るようになると説得力が増すと思うのだが。
まあ、実際、フツ族とツチ族の違いは日本人にはほとんどわからないので、そこまで厳密にしなくても良いか、とも思うが。
でも、ガロードたち北米出身者とも同じように見えたらいかんと思う。
それに、ガンダムの続編気分で見ているので、今更土着の民族対立?と思う。旧連邦時代にも民族紛争はあったのだろうか?
宇宙世紀を考えると、スペースノイドという新しい被差別階層のおかげで民族差別は解消されたような印象なのだが。ガンダムXの旧連邦時代は違ったのだろうか?
あと、エスタルドはそういう民族感情が強い国の割に、戦力になるからというだけでフリーデンと友好的にし過ぎではないか?と思う。よそ者のフリーデンを受け入れられる国なのに、何故隣国と対立するのだろうか?
隣国のガスタールのMSはでるが、その国民が一切出ないのも、よくないな。一方だけの視線になっている。もしかしたら、エスタルドがガスタールを民族浄化しようとした経緯があったのかもしれない。ガスタールにもエスタルドを憎むだけの理由があったのかもしれん。
民族対立が旧連邦時代から残っているとしたら、新連邦に組み込まれても民族の独立は保たれるのではないか?
ガンダムが格好よくライバルモビルスーツをやっつけても、その周辺で大量の雑魚モビルスーツが首都を落としたら、戦争には負ける。ガンダムの一機や二機では戦況は変わらないと言うのがガンダムらしいな。中学生の頃は全然、こういうところの寓意がわかってなかった。エヴァばっかり見てるとダメだな。エヴァは今思うと中学生にもわかりやすすぎる。
まあ、エヴァンゲリオンは中学生の心象風景の小乗的な萬画だから、大乗的な事件が起こっててもあくまでローカルな話だしな。ガンダムのような本当の世界や歴史を描くアニメよりは簡単で当たり前だ。
エスタルドの首席補佐官、議長、将軍の全てがいい人だった。それでも、結果は苦い。首席補佐官のラストは泣きそうになった。
エスタルドが新連邦に組み込まれる事を喜ばしく報道している描写があったのだが、演出的には、それは主人公側の負けをより苦い物にするということなんだろうな。富野由悠季とかの世代には、世界国家の連邦制に対する憧れのような物があったと思うのだが。ガンダムXの高松信司以下の世代になると、グローバリズムの圧制の方が悪だと思うようになってきているのだろうか?その目線は正しい。
富野由悠季もターンエーガンダムでは非常にローカルな国家論、というか共同体感覚を描いていたからなあ。ガンダムXって、ターンエーガンダムに結構影響を与えている気がするなあ。月とか。
エスタルドの将軍の死は、ジオン軍の敗者の美学に憧れるようなオタク(サイクロプス隊とか星の屑作戦やMSiglooがカッコいいと思う人)にはどう受け止められるんだろうか?
僕は愚かだと思います。それで、しょうがないと思う。そういう風な、格好良いと思わせることを拒否するような演出だった気がする。それでいて、それはそれで人の一つの生きかただという風な感じを受けた。高松信司監督か、脚本の川崎ヒロユキ氏の考えか、一歩引いたところがある?
でもガロードは熱いよな。
怒りのロアビィの戦い方はスゲエ燃えた。そして悲しかった。
レオパルドというのは、ウォドムのようなシンプルに武器部分と機動部分が分けられた設計なのを見た今思うと、機械の設計としてダメダメなのだが。(全身武器庫って誘爆したがってるのか。)
レオパルドが自らズタボロになりながら戦うのはやっぱり迫力があったよ。ロアビィの顔の作画も、山崎たくみさんの演技も良かった。
そんな感じで、次回からニュータイプ研究所編!