玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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機動新世紀ガンダムX32話「あれはGファルコン!」

機動戦士は、機械で動く戦士なんだが。機動新世紀ってなんだ。
機械で動く世紀?にしては別に機械をテーマにしてないし。むしろ人間をテーマにしてる。
機動力のある新世紀?いみがわからん。
新機動戦記も意味がわからんが。


まあ、そんなこんなで。
で、今回は宇宙に行ったガロードがティファを取り戻すために行動を開始する。
ティファはコロニーに招かれる。
ティファを巡るコロニーの政治的な動き。
かつてのジャミルのライバルであるランスロー・ダーウェルの登場。
てこ入れ巨乳、パーラ・シスとてこ入れメカG・ファルコンの鮮烈な登場。
という軸があります。


まず、軽い所から。
コロニーが島3号型円筒形コロニーなのは、Vガンダムからの黒歴史の流れで見ている僕にとってはスゴク自然な感じでよい。
また、GガンダムガンダムWではコロニーの形が違っていたのだが、今回は久しぶりのガンダムっぽいコロニーと言うことで、また、3クール目にしてやっと出たコロニーと言う事で、スペースコロニーの環境について上手くさり気なく説明していたり、匂わせる構図の絵がたくさんあり、良いと思った。
富野由悠季ガンダムよりも、コロニー内部を引いた構図で撮影してみる絵が多く、コロニーが宇宙に浮かんだ空気カプセルだと言う感じが自然に出ていたように見えて、評価できる。
富野ガンダムでも、F91の一部とかにこのような描写はある。しかし、トミノは視聴者の認識力を過大評価しているので、描写は最低限で説明が済んだとして、あまり繰り返さない。対するガンダムXは、さり気なく人物の芝居の背景で向こう側の「川」の向こうの宇宙空間を映したり、ミラーの調整による夕焼けや、曲面の地平線を描いたりしていて、判りやすいと思った。
ファースト・ガンダムよりも絵のクオリティーが上がったということもある。
それと、これまでのガンダムで積み重ねられたコロニー描写を1回につぎ込んだから密度が濃くなったのだろうか。
お約束のコロニーに穴を開けて空気が飛び出すというのも在り。
地球育ちのガロードが、そういう現象に一々驚くのも、お約束になれた目には新鮮。
無重力の事を「落ちてるみたいな感じ」という形容はわかりやすくて良い。
ただ、ガロードは宇宙戦闘に慣れるのが早すぎる・・・。ニュータイプと言われても仕方ないよ。結局、エースにやられるわけだが。ガロードの才能は恐ろしすぎる。


コロニーの事だが、宇宙戦国時代からの流れで考えると、他のコロニー国家はどこへ行ったのだろうか?第7次宇宙戦争までに滅びたのだろうか?それとも、ディアナ様の語るように、ダンディ・ライオン型コロニーで外宇宙にエクソダスしたのだろうか?
クラウド9はサイド3の位置。ファーストを意識した演出だ。


それで、シャアを意識したランスロー・ダーウェル登場。正直、放送短縮が決定したこの時期に登場するのは惜しいと思う。パーラもだけど。
んで、ランスローはシャア・アズナブルに比べて、野心や思想やコスプレや変態性に乏しいように見える。本放送は真面目に見てなかったと言うのもあるが、あまり印象に残ってなかったなあ。今回見て、見所があると良いな。


前回のシャギア・フロストの「あたらなければどうということはない」に続いて、ランスローの「見せてもらおうか、戦後のガンダムを」
打ち切りが決定して、吹っ切れたか?


にしても、クラウド9はほぼ無傷だったと言うのに、15年間も地球に降りなかったと言うのは、何故だろう?異常気象が怖かったとか?


地球生まれのニュータイプのティファをもてあます、ニュータイプ主義者のコロニー指導者ザイデル総督の思想語りは富野アニメに比べると格段にわかりやすくベラベラしゃべってるが、富野ガンダムを全部見てなかった当時の中学3年生の僕には全く理解できてなかったな。
ニュータイプは宇宙に出て認識力が拡大した者だ。」「超能力だけでニュータイプを計るのは連邦の考え方だ」「宇宙の民はニュータイプになれる。」
ガロードに教えてくれたコロニーの人の考え方はジオニズムをわかりやすく教えてくれてるな。ただ、宇宙戦国時代の後にジオニズム?と言う気もするが。ジオン再ブームがあったのだろうか?(妄想)
しかし、ジオン公国ナチスドイツっぽかったが、クラウド9はフランスっぽい雰囲気だ。コスモバビロニア系?ザンスカール帝国は東欧っぽかったけど。(Vガンはユーロ内戦だからね)


まーめーちーしーきー。
クラウドナインと言うのは「最大限に発達した雲」転じて、「天にも上る思い」「最高に幸せになる事」だそうです。
グーグルすげえな。


それで、今回の話で一番僕が問題としたいのは、ガロードがティファに会いたい一心で宇宙船をジャックして、ガンダムを持ち逃げして、それで取り押さえにきたモビルスーツ部隊を強力なガンダムの力で殺したということです。
ガンダムは装甲が異常に固く、敵のモビルスーツはバルカンの連射で爆発するという戦力差の描写も不満ではある。富野アニメではガンダムが必ず勝つにせよ、もうちょっと戦力は拮抗してたし、ガンダムでもヒートホークを喰らうと穴も空いていたが。
そういうのは、トミノに比べて戦いの演出が下手だという、単なるスキルの問題なので、まだ許せないこともないんだが。
女の子に会いたいというだけの理由で、たくさんの人を殺すガロードと言うのは、ちょっと若い人に迎合しすぎていないでしょうかと思いました。(時をかける少女風に言うと)
つまり、恋愛のもつれで人を簡単に殺すような若者が居ますけど、ガンダムXもそういう若者の考えを助長する物になってはいないか、と言う事です。これは、たかがロボットアニメ、たかが子供向けアニメだと言っても、おろそかにしてはもらいたくない所です。
劇中であっても人を殺すとか言う部分にはもっと慎重になって欲しい。
ロボットアニメで、コックピットの中のパイロットを描写しなければ、殺しても残酷感が伴わないので子供に見せてもいい、と言う論法は無定見だし、乱暴だ、と思います。
ガンダムSEEDの手足さえ打ち落とせば殺した事になら無いと言って宇宙に放置するのも同じ。
そういう人を殺しておいても、自分の中だけで不快感が伴わなければ良い、罪の意識を感じる事がなければよい、という論法はid:psb1981さんのザンスカール帝国論にも通じるのですが、それがアニメのキャラクターではなくて、アニメの製作者側がそういう考え方になっていると言うのは非常にきな臭いと思う。



結局、クラウドナインの人たちはガンダムダブルXを自分たちのために取ろうとしていたので、ロボットアニメの構図としては悪人なのだが、今回はガロードがコロニー側に「DXを譲渡する」という契約の元で宇宙船に載せてもらっていたわけだし。それで、逃げ出すのは良いにしても、それで追ってきたモビルスーツを殺しちゃうと言うのは、どうかなあ。
僕ならできないと思う。そこまで自分の恋心を重い物だとは思えない。
ボーイミーツガールとしてはガンダムXは非常に良いし、今回もガロードを離れていても感じるティファは可愛かったのだが、恋のために無関係な人を殺す男を見せられると、その恋心が汚れた物に見えてくるのだ。
僕が潔癖すぎる?
戦後にサバイバルして生存競争してきたガロードにとっては、モビルスーツで武装した相手は殺してもいいと言う倫理判断?
まあ、ガンダムは歴史萬画なので、21世紀のボクの倫理観では計りかねる部分もあるのだが。


その点、アムロは上手い事殺しの理由付けをしていて感動的だな。ちゃんとご近所を殺されてるし。その後の戦いでもあくまで生きるか死ぬか、と言う所で殺しをしている。
今のアニメを作る人には、自分が殺されるという感覚を恒常的に感じたまま戦うと言うのは主人公にさせたくないと思ってるのかな?殺される感覚を主人公が持つと、視聴者の望む万能感が阻害される?
でも、はっきり言って、今までのガンダムシリーズで一番強いと思ったのはテレビ版のファーストガンダムなのだが。(スペックとか性能ではなくて描写として)