玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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ブレンパワード最終回

ブレンパワード 第25話 オルファンのためらい(B-ch)

ブレンパワード 第26話 飛翔(B-ch)
↑視聴はこちらをクリック!(各105円)

よかった・・・。よかったよかったよかったよー。
よかったねえ。ほんとうによかった。うん。よかった。
いやー、じつによかった。よかったなあ。よかったーっ!
富野のものの最終回は1つの状況が2話に渡って展開する事が多いので、連続で見ました。
感想は3行で終わった。
細かい事は吹っ飛んだよ。
いやー!よかった!
すげーハッピーエンドだ。
数万人死んでますが・・・。
すごい幸せ感だ。


あんまり細かい事を書く気力はなくなったなあ。
非常に面白かった。
戦闘シーンも動きが立体的だし、重田敦司さんの絵は好きだし、スケールがでかいし、圧倒的な雰囲気があるので鳥肌が立った。
いろいろと駆け足感があったので、wowowならもっと自由にと思ったのだが、いや、これはくどくど言わない方が粋ってもんなんだよ。とか。





菅野よう子さんの音楽で締められると何もかも許しちゃうなあ。
というか、僕はいいアニメや萬画を見るとにやにやするのですが、とてもニヤニヤしっぱなしのエンディングでした。そんで泣いた。




ブレンパワードは女に期待をし過ぎ、とか、母性愛が強すぎ、とか、偽者でも家族ごっこをしたらいいと言う話でしょ?という意見をネットで見たので、えー?と思っていたのだが。
そんなことないっすよー。
現在はネットが発達しているのですぐに人の意見を見れて、それで自分の意見のように思ってしまいがちなのだが、やっぱり自分で見るのは違うな!超おもしれー。
僕は基本的に人の意見をあまり信用していないタイプで、実際に富野アニメマラソンをして次々と富野作品を見たり関連資料を集めるようになってから、世間で言われている富野作品の評価(特にネガティブな評価)は僕の意識には無いな、と思う。
皆がクソだと言う作品でも、よく背景事情を因数分解してみると、それも含めて面白かったりするし。
富野監督自信が自分の作品に対して全肯定したり半歩ずらすと言う技を提示してくれたので、ボクもそれを実践しているだけなのですが。


まー、面白がった物勝ちでマンセーした方が気持ちが良いと言うことはあるけどね。つまらないものにつまらないと言っても公開を増幅するだけだし、作者を恨んでも何にもならん。それに、つまらないとか嫌いだと言う事を言い過ぎて、そういう意識が自分の中に固定化されると、その対象が良いことをした時に良いと感じられなくなって誤認したり、損をしたりすることは実生活でもあるので、意識して矯正するトレーニングをしています。まー、自分の周りの環境に対して上手くポジティブになれないから僕はニートメンヘルをやっているのだが・・・。


僕としては、母性や女のどうしようもないところもちゃんと描かれていたと思うし、そこはかなりリアリティーがあったと思う。
基本的に男と言うのは女を描けない物で、娼婦にするか聖母にするか、と言う感じなのだが、ブレンでは女性脚本家の力か、女性のバリエーションと土台がしっかりしてていいなあ。Vガンダム以上。
比瑪は聖母なのではないかと言う感じではあるが、やっぱり歳相応に小娘で恋に恋してるようなところもある。もちろん、比瑪はとってもいい子なんだが。それを母性と言う単語に置き換えたくは無い。
母性、と言う点ではシングルマザーのアノーア艦長が純粋母性だったと思う。息子がライバルを殺したいと思ったら息子の代わりに主人公と戦うと言うのは、子供のやりたいことを先回りして奪ってしまう母性の恐ろしさを見せられて怖かった。ジョナサン・・・。
最後のバロンズゥの体内での2人はなんともいえない、なんとも言えなさでリアクションに困る。


バロンのマスクを取った時のジョナサンの表情はとてもよかったなあ。アニメーションの動画でこれほど芝居ができるのカーと思った。オルファンのスキンウェハーの直撃を食らって嘔吐する勇の芝居も、白鳥哲さんの声と合わさって最高だった。


伊佐未夫妻も、仮面夫婦がクインシィを犠牲にして子供が出世する事で夫婦の絆が深まると言うのは気持ち悪いなあ。しかも、それが祖母の代からの因縁で、母親の父親がいないために母親がどこまでも理想の男を探しつづけていて、現実の男に絶望して子供を操りたがると言うのは、僕の親類にもそういう人がいるので、トミノは僕のために作品を作っていると思うので、ソウルメイトだと思う。


僕が感じたのは、そーいう親の因縁によって自分の境遇をどこまでも嘆かないで、もっといろんな人やモノと仲良くして広がっていきたいと言う感覚なのですが、それは僕個人の感傷に過ぎない。
ああ、恋がしたいな。比瑪は本当にいい女だ。
僕にとって、母性と言うのはどちらかと言うと恐ろしいもので、父親よりも抑圧が強いものだと感じられるのです。で、比瑪はそういう母性と言うよりは悟性が強いと思う。優しさだけでもないし知性だけでもないし感受性だけでもないし、やっぱり比瑪はいい子なんだよなあという言い方になるんですけど。
比瑪が母性と言う縄張り意識からの本能に支配されていたら、一番大切な人を送り出すなんてことはしないでしょうし。
比瑪は超美人だなあ。


なのだが、やはり、比瑪だけがすごいわけではなく、伊佐未勇もすごい。女に担がれるだけの男なのか?とネット評を聞くと思っていたのだが、いやー、伊佐未はいい男です。
キスするし。
ラストシーンでは姉と元カノと彼女をゲットですよ。伊佐未のイケメン力は異常。決して、女に癒されただけで手に入れた力ではない。
強さを持ちながらも強がる所があるかもしれない比瑪を股間にはさんで複雑な姿勢で後から抱きしめたりするし。エロイ芝居だよなあ。
こんなにイケメンなら、降参するしかない。
愛が地球を救ってもいいともう。
逆襲のシャアと同じ事をやっているのかもしれんのだが、逆襲のシャアでは富野監督の共感がシャアに傾いてぃた気がするし、ベルトーチカは妊娠しない。
ブレンパワードの方が素直に納得がいくし、人類の奇跡と主人公の起こす奇跡のバランスもこちらの方が上手く取れているように感じられます。全人類の祈りを受けた勇であり、クインシィの弟でオルファンと惹かれあった比瑪の恋人の勇だからできたという。
勇は超イケメンだなあ。


かといって、イケメンになってどいつもこいつもカップリングに成ればいいのか、喪男に救いは無いのか、とアニメオタク的には考えてしまいますが。
金と知性はあるけどやや頼りないモハマドと仕事はできるがハゲでデブの副長がアイリーン艦長に手を握って貰えるのは、まあ、それで善いんじゃないかなあ。という普通の人の感覚も視野に入れていて嬉しい。
レイト艦長のエロさは異常。ヒギンズは19歳かぁ〜。そうかー。


愛が地球を救っているので、宮崎駿っぽいコミュニティー理想論かもしれん。
子供の愛が地球を救うのはウルトラマンティガの最終回とかもそうだよな。
ただ、ブレンがそれらと決定的に違うのは、コミュニティーの愛からはみ出た物を排斥する事でのハッピーエンドではなく、極限までグダグダになりながら、そのグダグダを内包した上での愛と言うのがすごい。
オルファンのせいで地球はグダグダになってるし、オルファンが地球を見守るにしても、またそのエネルギーを利用しようとするリクレイマーが現れないとも限らない。超グダグダ。
Vガンダムでは戦争をするニュータイプは祈りとともに外宇宙に飛んでいってくれたのだが、ブレンパワードはなんかみんなそのままでいいんじゃないか的な。
でもまーいいかー。
みんな仲良くしたら。


みんな仲良くと言えば、そこでシラーを出すか!!!という。それは反則だろ!(泣)
しかし、それも最終回で唐突な印象があるが思い返してみると地味目の話の中で伏線があったんだよなあ。カナンとシラーが和解したのも感動。
バロンズゥが何故ヒメ・ブレンに破れたのかというのも、エッガ・グランチャーと相似形になっているのだし、繰り返すモチーフを使うのは上手いなあ。
最終回近くで目立たなかった人たちもそれなりに伏線を生かしたいいリアクションをしてくれていた。
オルファンと一緒に銀河旅行とか、遺伝子さえ残れば良いといっていた人も、それが自分たちの願望でしかなく、オルファンによって確実に死ぬとなったら右往左往すると言うのが人間らしいなあ。

最終回の、こんな風に今までの要素が一気に積み重なって高みに上がるのはカタルシスが在る。





アレロパシー(多感作用)は、植物が他の植物の生育を阻害する事なのでブレンのような共生とは違うような。
そもそも、あれは現実にあるオルファンの体内なのか・・・。考えるな!感じるんだ!
「これが?こんな風に感じ合えるのに?」
比瑪はマジでステキ。
僕も脳内妹と感じあって一緒に最後まで生きたい。妹も比瑪のような健やかな強さがあるから。




なかよきことはうつくしきかな
ブレンパワードの成長物語でもあったんだねえ。太古からの恨みを忘れるなんて。
ブレンってロボットではなく、確実に登場人物だった。
ロボットものでの問題は、ストーリーが終わった後のロボットと言うフィクションの凝り固まったガジェットの処理がある。ウルトラマンやダ・ガーンが宇宙に帰ったり、兵器として運用される可能性が出てきたり。
それが、ブレンパワードもグランチャーも無節操に帰ってくるし幸せに暮らしそうなので、とても良い。
ネリー・ブレンのように、生きる事自体を楽しめる巨人というのはステキだ。



小説版では、ラストシーンのの補足が少しあったので、やっぱり富野作品だなあ。クインシィを説得する勇のセリフはアニメでは長いのでカットされたが。良い伏線でした。この一文のためにも読んだ方がいい小説ですな!買え!
http://ya.sakura.ne.jp/~otsukimi/hondat/saru/chara_ka.htm
このような不満が解消される。
姉弟愛萌え。
そういう、ちょっとした暖かさでどうにでもなってしまうのが人間だし、オーガニック的な何かなんだよな。
アングルとかラストシークエンスはエヴァンゲリオンにそっくりなのだが、ミサトさん綾波や母親の思いに載せられるまま、エントリープラグの中で夢を見ているだけで補完され、地上に戻ったシンジ君14歳に比べて、伊佐未17歳の方が自分の思いと言葉から勝ち取ったと言う感覚が強い。
だから、勇は比瑪の首を締めない。一人ではないし、一人でも強い。
「考え過ぎです依衣子さん!オルファンさんは一人でやっていける方です!護る事なんて、考えなくたっていいんです!でも、放っておいてはかわいそうなんです!」
「オルファン!あんたにはあたしがいるじゃないか!他の誰も要らない、あたしがずっといてあげるから!」
オルファンが待っていた二人の女神。
比瑪は対等に向き合いたいし、クインシィはエヴァっぽく融合して一人になりたい。
オルファンはそこで、クインシィを選ぶほどに鬱病が酷かったようだ。
自分と同じさびしさを持ってわかってくれるクインシィと一緒に嫌なものは全て消そうと。そして、自分の子供であるグランチャーも全て取り込んでしまう。母親側からの母胎回帰願望でもあるのか。
何もかも取り込んで暖かさに満たされたまままどろみたいと言うのは、タカハシマコのエオマイアでも繰り返されているわけだが。
そういうさびしがり屋なのは恥ずかしい事じゃないんだよ、と比瑪は。
で、淋しがり屋のオルファンに、勇が、オルファンと対して来た比瑪を見てきた勇が、オルファンに憎しみとトラウマしか持っていなかった勇が、依衣子にふつうの弟のような言葉を投げかけて、ふつうにやり直そうと言う。
帰ってきたと言うのは取り込まれて一つになるのではなく、言葉を話し合うため。
で、話をすると、それで、そんなことで満たされてしまうのがオーガニック的なクライマックスなんだよなあ。
いや、エヴァもなかなか寂しさ経験者の庵野秀明の本音が出ていたと思うが、ブレンパワードでは鬱病経験をした富野由悠季がその経験を俯瞰してその先を描こうとしたのがひねくれないで描かれていて、そこら辺が富野監督の方がいい嫁を持っているということかもしれん。庵野監督も結婚したけどな。
アニメの、「俺たちを差し出す」というのは、若干そこら辺の意図が小説版よりも伝わりにくいかも。勇の命がけの決意をセリフで表すには必要だったと思うが。
依衣子と一緒にオルファンと消えるつもりだったのだろうか?でも、比瑪は必死でトマト畑というやりかけの仕事を作ってるわけだし。死のうと思って命を掛ける奴でもない。オルファンも助けるつもりだった。
感情や言葉と言うのは積み重なった因果の論理だけでは計れないオーガニック的な何かだなあ。


オレも農作業をするべきなのだろうか。富野監督は仕事に悩んでいる人に農作業をしろという。それは全く正しいし、ボクもそうしたかったのだが、からだが弱くてねえ。いや、今年はあまり日光アレルギーが出てないか?ステロイドの継続投与のおかげで。
ラストの景色は美術監督の佐藤勝さん頑張ったなあ。うつくしい。


小説の解説だが、福井晴敏先生・・・。面出明美先生も頑張ってたよ・・・。俺は面白かったよ。ノベライズで補われていたところもあったし。福井先生は富野信者過ぎるから他の物を受け付けないのか?
「ジョナサンやクインシィ・イッサーは黒トミノ的なトラウマキャラだが、白トミノでは明るく笑い飛ばされ、失笑の対象となる道化」なのだと福井先生は言う。
ジョナサンやクインシィにもかなり感情移入してみてた俺は・・・。福井先生とは違うオーガニックブレインを格納しているな。
失笑と言う風な拒絶ではなく、黒トミノ的な何かをも包み込むような、そんな風に僕は思えたのだが。
今まで連続でガンダムシリーズダンバインVガンダム、ガーゼィ、闇夜の時代劇と言う風に黒トミノを見てきたのだが。
黒だの白だの!
という気分になってきました。
ただ、「愚かな人類どもめ」という富野が「愚かな人類って人類が言うなよ」という寄生獣的な変遷を遂げたのは面白いな。10年先を行っているのか、天邪鬼なのか。
少なくとも、ブレンパワードは全く古びていない。