玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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突如アキバで“6・30アキハバラ解放デモ”発生…mixi等から500人以上参加

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/997568.html
人間と言うのは、どのような環境でもある程度のストレスを感じるのだと思う。
つまり、脳の快不快神経伝達物質の総量は個人差こそあれ、大きな差異は無いのだから、戦争に参加しているこども兵士のストレスと、先進国のいじめられっ子の感じる主観的な不幸は同程度なのではないかと思われる。
で、あるから、なんとなくマスコミや社会から抑圧されていると感じるおたくという人に対する客観的な抑圧はごくごく軽いものかもしれないが、先進国でぬるい生活をしている人であっても何となくのストレスを感じるきっかけがあれば、それは戦争状態にあるような不満感に増幅されるのかもしれない。
母親が「お金が無いお金が無い」と言うので僕が「まあ、インドに住んでる人よりはマシだろ」というと「私はインドに住んでるんじゃないもん!日本に住んでるの!」とマジギレされたので、主観的にはインドで生まれた時から物乞いで泣いてばかりいる人の感じる不幸と、我々が感じる不幸はあまり差が無いのかもな。


しかし、何からの解放なのだろうか。
オタクの人が感じる抑圧と言うのは、マスコミの意識がそんなに重要なのかなあ。別にテレビに何を言われても僕は何にも思いませんです。
電車男もドラマとしてつまらなかったし。映画は夢落ちのラストカットだけは面白かった。
僕がオタクで損をしたなあと思うことは、僕がエヴァンゲリオンのポスターをもらったら母親に無断で捨てられて「脱オタしないと宮崎勤になるでしょ!」とか言われたり、僕が脳内彼女のエッチな絵を描いているのを見られたら母親に「変態!レイプ魔!あんたは旅行にいったらレイプをしてるんだろう!」と言われたり、僕が一日の仕事の終わりに世界名作劇場を見て休んでいたら母親に「いつまでもガンダムばっかり見て!」と起こられて興をそがれたり、飲み会でアニメの話をしても普通の人って異常なくらいアニメを全く見ないので話が通じないので仕方なくビリーズブートキャンプの話題で盛り上がったりとか、その程度なんだよなあ。


でも、それは社会に対してオタクの解放を訴えて、オタクの悪いイメージを捨てろということで解消される性格の物ではないよね。
むしろ個人個人がオタクであっても嫌われない身の処し方を身につけたり、周りの人も人の財産を勝手に破壊しないとか人を犯罪者扱いしないとか自分のストレスを理不尽に人にぶつけたりしないと言うような、基本的な道徳に気をつけるべき。社会と言う大きな物に対してコダマの帰ってこない声を張り上げるよりは、自分の周りの人に対して相互作用して少しずつ居心地の良い人生を作っていくしかないのではないかと思う。
だが、50も過ぎた親に向かって「人の物を壊してはいけません」なんて幼稚園レベルの躾をするわけにも行かないから、なるべくプラモデルは箱に入れて、ソフビ人形を飾るという対策をとるしかないんだよねえ。
っつーか、俺が留年生のメンヘルだからいじめられて当然なのです。バイト料の半分も親に上納する。バイトしてたら勉強する気力がないという回避性人格障害が悪い。一人暮らししようとして金を溜めたら家の給湯器が壊れるので俺が金を払う。就職してない学生のごくつぶしは何もいう権利は無いよな。
金かね金かね。


と、そのように個人的なうらみ辛みを社会に対して転嫁するという好意は論理的ではありません。