玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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貞本義行新世紀エヴァンゲリオン11

新世紀エヴァンゲリオン (11) (角川コミックス・エース (KCA12-11))

新世紀エヴァンゲリオン (11) (角川コミックス・エース (KCA12-11))


あー。かなり違ってるが、やはり10年立つと咀嚼されるよなー。さだもっさんの趣味もあると思う。
結構展開が自然になってるし、アニメ版ではぼかしていた設定は10年も経つと流石にオレでもネット巡回したりして分かったりするわけだし、そこら辺を平易にセリフでまとめてて良い感じ。
まあ、セリフで言いすぎかとも思うが、そこら辺は萬画と言う媒体はモノローグを多用できるからなあ。
渚カヲル碇シンジの性格は萬画版の方が自然で好きかもしれん。
アニメの渚カヲルと言うキャラクターはかなり商業的に狙っていたと思うんだが、萬画の渚とシンジの戦いは男同士の戦いと言う感じがして男らしくてよかった。
ここを変えたら、けっこう批難されると思うんだが、貞本には貞本の意地が在るのねー。そういうのが見えるのはただの優等生的なコミカライズとは違っていい感じ。
25話冒頭でシンジがやる気を失うシークエンスも段階がちゃんとあってよい。
オナニーするのは、アスカ萌えのアニメファンに対するフックとしては面白かったが、萬画版の展開の方が物語世界の人間の行動に対する真摯さがあると思う。
メンヘルー。
綾波キチガイになってて良い感じ。それがカヲル君を殺したか?
シンジ君がサードインパクトを望むようになるのも段階が踏んでて良いなあ。
アニメ版はアニメオタクによるアニメオタクのためのアニメオタクアニメだったので、そーいうセカイ系願望は自明の物として描いても視聴者(オレとかな!)もそういうような病気ばっかりなので違和感が無かったわけだが、萬画版はシンジ君の事情としてシンジ君のキャラを立ててる。
アニメ版のシンジ君はチェロと言う個性を「何にもならなかった」といって無個性化することで視聴者の鏡面として作用する道具だったのだが、萬画版の方が人格として立ってるように見える。
シンジ君はいろんなメディアミックスでも無個性化されてるのだが、貞本エヴァはいいなあ。
もう、エヴァグッズはアニメ本編と貞本エヴァしか買ってないよ。まー、買うことが楽しい中高生はたくさん買いたまえ。
まあ、シンジ君のキャラは比較的立ってるけど、やっぱりエヴァンゲリオンってキリスト教的世界観だからかどうか、世界がこういう風に出来てるのでこういう風に成るしか成らんという筋書きで、シンジ君がサードインパクトを望むようになるのも、子供がこんな事させられてたらこーなるわなあ。
と言う感じだし、25にもなってもオレはまだまだシンジ君的な願望に共感もできるなあ。アハハハハー。


とはいうものの、やっぱり世界中の皆が一つになるというのは気持ち悪いなあ。
だって、世界中の皆が平均化されたら、ボクのような変態はほとんど影響を及ぼせないじゃないですか。あはは。
つーか、やっぱり、「リリスと使途が触ったら世界が滅ぶんだー」という設定は、ブレンパワードを見た後では冗談ではないと思う。
そこら辺を、萬画版はタブリスが自由意志を見せたわけだが、どうなるのだろうね。
映画版は、話は周知の事実なので、デザインの変更や作画の向上での、物語というよりは体験型エンターティンメントとしての価値を見出す路線なのでショーか?


まあ、昨日ポケモンの映画を見たけど、話や設定は全くわからんし、ゲストの声優も山寺宏一しかわからんかったが、絵の色とかはきれいだったからなあ。ポケットモンスターポップアートだねえ。



しかし、あれだ。
さだもっさんはキャラとメカは上手いが、背景美術はアニメの方が上手いな。
レイアウトがほとんど同じな分なあ。そこらへんは、安彦良和の方が上手い。おなじロボットモノのコミカライズでも。