27少女の見た流星がすべての出会いと戦いの始まりだった。サンクキングダム当主となったリリーナ。再び地球を目指すヒイロ。運命の再会に向かう2人の脳裏にさまざまな出来事が去来する。
はい、総集編です。しかも2回続けて。
腐女子向けガンダムは総集編が多いなアッ!
まあ、男の子向けガンダムのGガンダムも13話でいきなり総集編だったわけだが。
そろそろ池田成監督は失踪したの?
まあ、総集編なので特にどうこう言う所はない。
とりあえず、変なところをつっこむ。
何度も言うが、回想シーンで回想している本人が知らないシーンを回想することはやはり違和感がある。
ちょっと工夫すればいいものを、そういうちょっとした編集も出来ないのかと思う。
今回の狂言回しと言うか回想している人はリリーナとヒイロ。
ヒイロは今、気絶しているはずなのに、回想していたら死ぬか生きるかという緊迫感が薄い。まあ、死なないが。
っていうか、ヒイロが「次に俺と戦うのはゼクスか、ミリアルド・ピースクラフトか」と言うのだが。
100歩ゆずってヒイロがリリーナの無線を盗聴していて、ミリアルドとリリーナが兄妹だということを知ったとしても、リリーナがサンクキングダム当主だという事は知らないはずだが?
スタッフがキャラクターの記憶に対する意識がやっぱり曖昧だと感じざるを得ない。
ヒイロはスーパーハカーだからリリーナの事も調べて知ってたのかも試練が、それならそれで、そういう描写を入れるべきだ。
つーか、リリーナってすごい久しぶりぶりざえもんぶりぶりー。
こんなに出ないのはヒロインとしてどうなんだ?
なのだが、ホモアニメなのでショタ美少年がヒロインだから良いよな。次からドロシーが出るので、それは楽しみ。女同士にもキャラを立てられるか?
28幽閉のため財団本部へと護送されるトレーズ。拘束とは裏腹に開放感をかみしめる彼は、己の運命をも変えてしまった少年たちとの戦いの日々を、同志に対するものと似た感慨とともに回想する
今回回想している人はトレーズとレディ・アン。
だから、レディは死んでるか生きてるか保留なんだから、回想するなよ。
と、思ったら最後に出てきた。
生きてたのか!(まあ、生きてるんだが)
しかし、あの状況でどうやってルクセンブルクまで搬送されたのか?トレーズ派スゲエ。未来の医療技術も。
幽霊っぽくもある。
トレーズ様は幽閉されてても自信満々でいいな。「私は歯医者だ」と言いながら背筋が伸びて微笑んでエレガントだ。
トレーズ様がヒイロと同じく「戦うものには充実感がある。そして、戦うものが汚れて見えない事も確かだ」と言うのは面白いな。
似てるのか。
でも、やっぱりこいつらは戦争を賛美しすぎで引く。
戦争は目的達成のためにするのではなく、人の心を高める物だと言うのは、怯えながら死んでいく兵士に対して失礼極まりない。
僕はぬるいので戦いながら心に戦を持って誇りを持ってネット右翼になるよりは、人が安心して眠るためにだらだらしたいです。
っていうか、トレーズが面会したガンダムパイロットは五飛だけなんだよね。
あとは報道や軍の情報で行動を間接的に知っているに過ぎない。
それだけの関係性なのに、なんでガンダムパイロットにそこまで肩入れする事ができるのか。レディ・アンを労われずに狂わせた奴が。目の前の現実も見えない男が!
トレーズはやっぱり地に足がついてないんだよな。バーチャルなんだよ。貴族の3代目だし。
おとなしく環境保護をやってたらいいものを。伝統を守るためにスペシャルズを作ったのもトレーズで、そのスペシャルズがロームフェラ財団を軍事路線に向かわせたのだから、トレーズのせいじゃん。
結局、なんだかんだ言って戦争が趣味なんだろ?
と、いうわけでトレーズはもしかしたらギム・ギンガナムに似ているのかもしれないのだが。
ギンガナムほど行動に一貫性が無いかもしれん。ターンAガンダムも一回見ただけだし、うる覚えだが。
富野監督は、アナザーガンダムやら非富野ガンダムでの戦争好きをたしなめるためにギンガナムを出したのかもしれん。
初見の時はギンガナムは話を終わらせるためのとってつけた悪役に見えて余り好きではなかったのだが、こういうガンダムを取り巻く状況を知ると、必然性があったのかと納得はできる。
だが、そうすると、ターンエーガンダムは必然性をクリアーするために作ったガンダムなのか?という疑念が湧いてきて困る。
以前、こういう事を書いた。
http://d.hatena.ne.jp/nuryouguda/20070215/1171566483
リング・オブ・ガンダムの歴史という構成を作り上げた∀ガンダムは本当に偉大だと思う。
ターンエーガンダムがあるために、今後ガンダムがどのようなものになっても、ガンダムワールドの無限の歴史の内の切片の一つとして許容される安心感がある。
髭・ガンダムもガンダムのデザインがどのようになっても大丈夫だという触れ幅を広げている。
∀ガンダムはガンダム20周年イベントで大戦争物の大ヒット作を望まれたのに肩透かしのヒットしない作品だったといわれ、トミノ自身も∀ガンダムはヒットしないガンダムと言っていた。
だが、ターンエーガンダムがあったために、全てのガンダムは肯定されたし、僕のようにガンダムXとかを認めていなかった者も、「これもガンダム世界の歴史の一部なんだなあ」と認めて安心して、作品の面白さを鑑賞できるようになった。
「これは富野ガンダムじゃないから偽者だ」とか作品としての価値以外のところを問題にする必要も無く、認める事ができるようになった。
確かに∀ガンダムはヒットしなかったんだけども、∀ガンダムがあるおかげでガンダムは無限に続けられるし、いつまでも現在進行形のドル箱コンテンツになった。だとすると、作品単体としてのヒットよりも経済効果は大きい。
バンダイビジュアルの人の話を聴く機会があったのだが、「全ての作品をヒットさせようとは思っていない。むしろ、金を稼げる作品を作って、それの金で作りたいものを作って、最後に帳尻だけプロとして合わせられたらそれでいい」
らしい。
また、補足として新訳機動戦士Zガンダムがある。
これも、映画としては成立していないし、大ヒットした大名作というわけでもない。(DVDは売れたらしいが。俺も買ったし)
だが、これもガンダムというコンテンツを千年単位で生き延びさせるためには絶対に必要な作品だという事だ。
まず、第一にガンダムを歴史ものとして製作する事ができるという事例を決定的に示したという事。
というのは、架空戦記ものとか年表のある作品というわけではない。それなら、Zを新約しなくてもガンダムはそういうシリーズだった。
ではなくて、「ガンダムは、物語の中で決着がついた閉じて完成したものではない」
「だから、ガンダムは固有の『作品』ではなく、いくらでも作り変えられるもの」
ということだ。
そして、富野由悠季はこう発言している。
「登場人物の生き死には変える事が出来なかった。彼等は歴史上の人物のように実在していると思う」
これは、物語をいくらでも作り変えられるという事と矛盾するようだが、そうではない。
「イベントは動かす事が出来ないが、その解釈をずらすように作った」とトミーノは言っている。
こういう手法で作られている映像作品は簡単に連想できますよね?
毎年毎年、同じ国の歴史の一部分を、時間と視点と解釈を変えただけで何十年も作られている大河ドラマです。
つまりあれだ。ガンダムは実際の日本の歴史という現実のものに匹敵する「世界」を手に入れたということで凄すぎる!
とかなんとか。
まあ、それはそれで、そうなんだが。
そーすると、∀ガンダムは物語作品ではなく、ガンダムがこれから作られつづけると言う状況を整備するための、企業の方便という道具として作られたのか?と思ってしまって、それはしょっぱい。
ガンダムを作らせるという条件をクリアーするための要素をもりこむだけの条件付けの組み合わせに過ぎないのではないか?
だから、物語としては弱くてマイナーでヒットしなかったのか?とか疑ってしまう。
と、考えていたのだが、ガンダムであると同時にディアナとロランの寓話でもあるので、そこら辺の古臭い物語感でガンダムに拮抗し得る物語としての存在感を獲得しようとしたのかなあ?と思う。
うーん。やっぱりトミノの構成力はすごいなあ。
と、唸るのだが、そうすると、それすらも論理で導かれた条件に過ぎず、生の物語世界ではないのか?と思うのだが・・・。
まあ、ディアナ様が可愛いからまあいいか。
つーか、ガンダムWの話をしてたら富野の話ってどんだけぇ。
そして、ガンダムエピオンがもう出来ていた!
監禁されて2話しか経ってないのにもう出来ていた!
うへあ!
トレーズ!
これは監禁される前から作っていたと考えるのが妥当です。
ガンダムWの作中時系列があまりよく分からないのだが。こんな短期間でなあ。
何の伏線もなく。
とりあえず、エピオンは監禁前から計画されていたと考えると、トレーズが自分が監禁されるように仕向けたのは、エピオンの最終調整をする時間を手に入れるための芝居だという事に成る。
策士だなあ。