玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

当サイトはGoogleアドセンス、グーグルアナリティクス、Amazonアソシエイトを利用しています

キミに胸キュンキスについてのコメント返しですよー

通りすがり 『ゲーム/漫画版の主人公「相原光一」が、「真田光一」と「相原一輝」に分かれているだけでもビックリですが、各々に相手を配置する・恋愛模様がある青春群像劇をやるなら「キミキス」じゃなくても良いのでは?と思ったり。特に、人気キャラの摩央に光一以外の男とフラグが立ちそうなのは?
漫画版(ヤングアニマル掲載版)の様に主人公+一人のヒロインで各3話程度のストーリーを組むオムニバス形式(新しいヒロインの話を始める度にリセット)でも良かったのでは?と思ったり。アイマスもそうだけど原作改変をやり過ぎるとそれだけで客減らす様な』 (2007/10/08 12:18)

まず、言っておきたいのは、何故私のところのコメント欄には通りすがる人ばかりで固定客が少ないのかと言う事です。
すがるな!うつむくな、甘えるな!
そんなに私は身分を明かす価値のない人間ですか?そうなんですか?みんな僕のことが嫌いなのですか?
絶望した!顔を見せないネット社会に絶望した!


まー、ボクもハンドルネームは10個くらい持ってますけどね。(しれっ)
でも、僕の文章は特徴的らしく2ちゃんねるあきまんスレに書き込んだらすぐに個人を特定されました。(どよんど)
まあ、いいですけどね・・・。アンテナに登録してくれてる人も18人居ますし。リンクしてくださっている人も6、7人はいらっしゃいますし。(ぬぎゅる)
友達はマイミク(10人)で全員だし。それもリア充の人のミクシイに比べると全然コメントないし。
まあ、ご挨拶みたいな内容のないコメントは気色悪いだけなのでないほうがいいですけどね!さびしくなんかありませんからね!


いや、これは前向きに考えるとですね、僕のブログはフレンドリーだから、ネット初心者でハンドルネームを持っていない人でも利用できる間口の広い雰囲気と言う事なんですよね!ねっ!
2ちゃんねるレベルですよね!
ええ!いいですとも!
どうぞ一見さんも通りすがってくださいよ!そしてアフィリエイトで無駄遣いしていってくださいよおおおおおおおおおおおっ!!!
金ッ!金ッ!金ッ!


と、まあ、これくらいブログ主本人が荒れていたらコメント欄が荒れてもこれ以上荒れる事はないでしょうという防波堤です。




というわけで、コメントのレスポンスをします。
主人公が分割されてるのは風の噂で聞きました。すごいアイディアですねーッ。監督は天才だと思います。


>>各々に相手を配置する・恋愛模様がある青春群像劇をやるなら「キミキス」じゃなくても良いのでは?と思ったり。


はっはっはっは。
あなたは私を誰だと思ってるんですか?大富野教信者ですよ。
少年が戦争する、巨大ロボットに乗る青春群像劇をやるなら「ガンダム」じゃなくても良いのでは?と思ってもガンダムは作られつづけて、黒歴史の濃度を深めています。∀ガンダムは偉大です。
もちろん、ゼーガペインも名作だと思いますが。今度見る。
っていうか、キミキスじゃなくても良いけど、キミキスだったらより儲かると言う企画があっただけなんじゃないっすかー?
依頼されたカサヰケンイチ監督はその企画の中で自分なりに面白いものを作るのが仕事だと思うんで、それで良いじゃん。
というわけで、そういう企画先行の作品作りは世の中ではそうそう珍しい物ではないので許してあげてください。
まあ、原作に思い入れがある人には辛い所かもしれませんが。


僕はSDガンダムで育って、思春期にはまったエヴァンゲリオンが10年以上にわたっていろんなメディアで原作レイプされつづけているので、もうどうでもいいです。
通りすがり氏も萬画や同人誌やファンディスクなどで原作が変わっても、特に気にしないのではないでしょうか?
やはり、アニメ化と言うのは特別ですか?
でも、エヴァガンダムも本家が一番面白いですけどね。


蟲師とか、原作準拠の作品は動いてないマンガやゲームに動きと色と音をつけてきれいで、好きです。
ですが、原作クラッシャーの出崎統が原作以上のイメージつけてあしたのジョーの第3の原作者にと言われたりと言う名作もあります。
アニメと萬画とゲームはやはり違いますし、フォーマット適応は必要だと思いますし。
結局は面白いかどうかですよ。


>>アイマスもそうだけど原作改変をやり過ぎるとそれだけで客減らす様な


アイドルマスターは最初は見てたけど、つまんなかったので中を抜いて最終回だけ見ました。でも、アイディア自体は悪くなかったと思います。
アイドルを見守るプロデューサーをロボット視点に変換するとしたら面白いと思いました。
でも、世界観をおたくっぽく壮大にしすぎたせいでソレに引っぱられて単純につまらなくなったと思います。
客が増えるかどうかは面白いかどうかなのです。
ちなみに、アイドルマスターは大好きです。一番好きなのは星井美希なのー★
やっぱりアイマスも本家が一番面白いですね。
アニメ版アイマスはゲーム版の世界観の広がりに比べて、思い入れが足りない気がしました。
原作以上にアニメを膨らませるという愛着のあるアニメがいいですね。海のトリトンとか。まあ、青のトリトンは原作がグダグダなんですが。
少女コゼットはいい感じです。
機械的にどこそこがどれだけ変わったかというよりは、考えて変えるか、情熱をもって変えるか、とか、そういうことが問題だと思うのですよ。


>>人気キャラの摩央に光一以外の男とフラグが立ちそうなのは?
>>漫画版(ヤングアニマル掲載版)の様に主人公+一人のヒロインで各3話程度のストーリーを組むオムニバス形式(新しいヒロインの話を始める度にリセット)でも良かったのでは?


通りすがり氏はギャルゲーと言うシステムが好きな方のようですね。
実は、私はギャルゲーが苦手なんですね。
それはどういうことかと言いますと、こういう事です。
キャラクターを自分の欲望の委託物としてみるか、人格をもって生きている人の人生と見るか、と言う考え方の違いです。私は後者なのですね。
だから、プレイヤーの気持ちよさのために、ヒロインは主人公以外の男になびいてはいけない、とか、いろんな女と付き合いたいために人格や時間軸をリセットして他の女を知らん振りすると言う、そういう美少女ゲームのプレイヤーの考え方は、ちょっと、違和感です。
主人公はプレイヤーとは違う人間ですし、ヒロインにはヒロインの人生があって主人公だけのものではないと思います。
そして人生は誰の味方でもなく、偶然と因縁に振り回される物です。
恋愛ゲームは、そのような恋愛の偶然性とタイミングをゲームとして楽しむ物だと割り切って遊ぶものではないでしょうか?
つまり、アニメや萬画などのストーリー作品とは決定的に楽しむポイントが違うのですね。ノベルゲームは非常に微妙な物で混同しがちですけど。


クラナドについてもこの問題を考えていて、いい機会なのでちょっと書かせていただきます。
CLANNADはPCゲームをコンプリートして、劇場版CLANNADを2回見て、アニメ版CLANNAD待ちなのですが、やっぱり、ゲームをやってると心が苦しかったです。
個々のシナリオの出来は良く、面白かったのですが、その、なんといいますか、やっぱり個々の攻略ルートで攻略されなかった女たちが陰で泣いたり古河渚が死んでると思うとやりきれないんです。
つまりですね、個々の攻略ルートではヒロインと主人公は運命の恋人と言う感じの恋愛をするわけですが、それをたくさん繰り返す事により、逆に運命の恋人などどこにもいないという冷酷さがあらわになるんです。
それで、運命の恋人である主人公とくっつけなかったヒロインはどうなってしまうのかと思って辛いんです。
ゲームをやりなれた人なら、システムに慣れていらっしゃるでしょうから、そんな事は思わないのでしょうが。
僕はあまりゲームをやらないのでそーいうことを気にしてしまうのです。
まあ、戦国ランスとか陵辱系ゲームとかギャグっぽい奴とかアクション系のギャルゲーはそれほど気に成らないんですが、純愛系ゲームは、純愛を謳いながらもやればやるほど純愛ではなくなっていくのが辛いんです。
だから、ソレを肯定するような3話でリセットするマンガはゲーム的で、人の人生とは違うと思います。
っていうか、萬画でやってるアイディアをアニメでやっても仕方ないでしょう。


僕は脳内恋愛マスターなので、若い頃は都合が悪くなると脳内恋人の記憶を消したり、処女に戻したりしていましたが、大人になって脳内妹を本気で愛して婚約すると、もう記憶をリセットするなんてひどい事は出来なくなりました。脳内妹との恋愛の思い出はどんな物語よりも美しい宝物です。


また、CLANNADのドラマCDではヒロインが変わる度に主人公、岡崎朋也の人格が明確に変わります。(声優の野島健児氏も「朋也の演技は『空っぽ』がテーマです」と言っています)
つまり、ギャルゲーにおいて重要なのはヒロイン(および、その間に流れる恋愛感情、恋愛行動)なので、主人公の主体性や独自性には特に意味が無いのです。
それならば、キミキス pure rougeにおいて主人公が分割されたり、新キャラクターが主人公のようにヒロインと恋愛すると言うアイディアは、なかなか割り切って合理的で効果的だと思います。コロンブスの卵だな。
事実、公式サイトには男性キャラクターの表記がありません。女の子と恋愛する男は流動的なのではないでしょうか?予想ですが。
主人公が固定だとSchool days伊藤誠みたいなキス魔になりますし。
柊明良も福山潤だし、恋愛するかもしれませんよ。


アニメはゲームと違って基本的にやり直しなどがなく、1本の時間軸なので、その中でキャラクターが人間として生きて、落ち着くところに落ち着くには今回のキミキスの改変はアクロバティックですが、ゲームとアニメーションの特性を深く考察した上でのアイディアだと、僕は評価します。そのアイディアを出せただけでも僕は衝撃を受けて、それは面白さにも通じます。
劇場版CLANNADで、一ノ瀬ことみちゃんが主人公に頼らなくても友達を作れたような、そういう風にキャラクターがゲームの因縁に囚われないで、広い人間関係の中で生き生きとしてくれる事を望みます。
僕は視聴者のイメージを守るよりもキャラクターが現実の人のように生きることを望みます。人間はもっと幅が広い物だと思います。
というか、私にとっての視聴のスタンスが、娯楽を享受したり作品を分析したりというよりは、テレビ画面やスクリーンと言う小窓から別の世界を鑑賞すると言う姿勢なのですね。
ですから、別の世界は別の世界のルールの中で*1しっかりとした世界で居てほしいのです。
ひぐらしのなく頃にシリーズなど、繰り返す世界を自覚した作品もありますが、それを受け入れるのはお約束の分かるオタクくらいですし、世界観もメタ名SFファンタジーに限られてしまいます。



あと、ハチミツとクローバーを見る限り、1話でフラグが立った相手と添い遂げるなんて、恋愛はそんな甘いものではないと思います。
僕は楽しみですね。アニメ版キミキス
色遣いもきれいで見てるだけで楽しいですし。
面白ければ、ボクのような一見さんが通りすがってファンになる事もあるので、原作改変バッチこいですよ!
アニメはゲームと違ってオタク以外の人や女性も通りすがるので、広い間口にするという判断は大事ですし、アニメはオタクしか見ないと思っているのも了見が狭いですよ。
自分の視点が作品の価値だと思うのも我がままですよ。
その上で、自分に合った作品を、「これはオレのための作品だ!」と思える作品を探すのが面白いんですな。


面白ければ何でもいいんです。
おもしろき、こともなきををおもしろく、すみなすものは
おたくなりけり


アニメが面白く無かったら僕は一刻も早く自殺したいです。


蛇足ですが、夢使いのアニメ版も糞ツマンネーでしたが、脚本の小林靖子さんがリベンジで書いた小説版は面白かったですし。

*1:基底現実と違うルールでも