玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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哀戦士編のパンフレット

井上大輔ガンダム20週間アルバムを買ったら付いて来た
みなみ会館に持って行ってさりげなく自慢したぜ
このタイミングでパンフレットを手に入れ、機動戦士ガンダムのオールナイトを見るという巡り合わせは、俺がガンダムだ


感じたのはアニメのパンフレットというより映画のパンフレットにしようと言う感じで品がある
少なくともイデオンのパンフレットのパロディーコーナーや逆襲のシャアパンフレットのSDガンダムの着ぐるみのはしゃぎ様よりは品がある
まだアニメブームが黎明期だったためか、ガンダムがアニメらしさから脱皮したい作品だからか、独特なパンフレットで好感が持てる
最近のアニメ映画のパンフレットはライターも育ってるしアニメ的でありながら下品ではなく良いバランスだと思う
エヴァ以降か、設定の説明や製作事情の記事は増えたが
子供向けアニメ映画のパンフはにぎやかで良いが


安彦良和先生や大河原邦男先生のセル画ではないイラストもたくさんあって豪華
ジオンと連邦の勢力図が載ってるのがわかりやすい


でも、ガンダムは社会現象だからか、アニメ新世紀宣言やタモリオールナイトニッポン富野喜幸が来た話題も載ってる
タモリは冷静で媚びないのが良いな
つか、ガンダムは一作で300万人以上動員したか!当時の映画は大人千円だが三十億以上か
すごすぎ
新訳Zガンダムも売れたが比べようもないな!


そんで、何故か竹宮惠子先生が寄稿してる
超人ロックのパンフレットにも竹宮恵子先生はいたなあ
SF映画なら竹宮先生という時代だったのか
竹宮先生曰く「地球へ…ニュータイプはSFによくある人間を超えたエスパーで、ガンダムニュータイプは普通の人間です
これからの人間は管理社会の中でも言うべき事がはっきり言えるような、特別な力はないけれど、人間として大きな未来に目覚めた、ガンダム型のニュータイプに変わっていくんじゃないでしょうか?」
という。
ニュータイプは地球へ・・・のミュウやスランのパクリかと思ってたが、竹宮先生本人が弁護してくれてた
なるほどなあ
まあ、当時の若者が今、感覚で理解し合う力を上手く使えているかと言うと、言葉や身体を軽視して杜撰になっている印象だけど
オウムしかり、官僚しかり、企業の偽装しかり
まあ、当時の若者がどうとかよりも俺がしっかりしろという事だが!


そして、総監督富野喜幸の言葉
髪がある!わかいなあ
言葉も若い

哀戦士たち……

 私は、映画版の「機動戦士ガンダム」を、アムロ
の乳離れの物語と規定してみました。その第二部。
そんなアムロが、敵対する社会をのぞいていった
が、果たしてどうなるのか? そこは戦場です。ア
ムロは否応なく生と死の境目で戦い、生き残ってゆ
く。それは僥倖(ぎょうこう)によって得た“生”
にすぎないでしょう。それにもかかわらず、それを
単なる僥倖にするも、しないも、彼アムロの自意識
にかかっています。
 運かもしれません。たまたま、ニュータイプとし
ての能力がそなわっていたから生きのびてこられた
のであって、アムロの生は、選ばれた者の特権なの
かもしれません。しかし、人の生きざまは、時々の
運と、持ち得る秀れた才能しだいなのでしょうか?
 外界の刺激に対していかに反応し、いかに己を示
すのか、という覚悟の所産によって、その“生”へ
の道は拓かれるのではないでしょうか?
 でなければ、生き残れるはずがない。
 強運を生かすこともできないでしょう。
 戦場では、好むと好まざるとにかかわらず、戦士
たることを強要されます。日常生活以上に死と隣り
合わせの渦中に放り込まれるのです。それはアムロ
のみならず、あらゆる兵士にとっても同じことなの
です。

 そこで人々は、ただひたすら生きのびようとして
全力を尽し、自分ひとりは生き残りたいと願いま
す。にもかかわらず、時には死を選ぼうとするの
は、そこに彼ら、彼女らが生命にかけて守ろうとす
る“何らかのもの”があるからでしょう。
 それは誰しも人類への期待でもありましょう。ひ
とりの愛する人のためなのかもしれません。
 それら、ひとりふたりの欲求を、いつしか己の内
なる力へと敷衍(ふえん)しうる力を持つものがい
るとするならば、私はそれをアムロとしたい。口惜
しさと哀しみの中で死んでいかざるを得なかった幾
百幾千の戦士たち。彼らの怨念と希望(夢)とを呑
みこみ、この現実を突破し得る力をアムロに持たせ
たい。
 そんなスタッフの願いをかけたアムロ。せめて、
外界の洞察に満ちた人なりへ成長して欲しい。彼こ
そ、現在の我々自身なのですから……。
次への飛翔を期して。

死んだものの夢がアムロにギャザー・スタイムしたんなら、リーンの翼っぽいね。
でも、アムロが現在の我々自身だと言っても、アムロの体験を敷衍できない人類なので、密会は密会なのかもしれない・・・。

このときの富野監督には、そこまでの諦念はなかった!若かったのだ!